「なあ、このふわふわしたの、何?」 久しぶりに下りた麓の街の顔なじみの菓子屋の店先に、悟空は不思議そうな顔をして立っていた。
目の前には、パステルカラーに染まったふわふわした菓子が、ワゴンに盛られ、店員の手によって綺麗な袋に詰められていた。
作業をしていた店員が、悟空の疑問に笑いながら答える。
「マシュマロっていうんだ。知らない?」
「うん。初めて見た。これ、食えるの?」
「お菓子だもん、食べられるよ」
「ふーん」
悟空は、好奇心に染まった瞳で、色とりどりのマシュマロを眺めている。
その姿が可愛くて、店員は一掴み悟空のために袋に入れてやった。
「ほら、あげる。食べなよ」
「えっ?!」
きょとんと、差し出された袋を見やる悟空の手に、袋を握らせる。
「い、いいの?」
「うん。でも、店長には内緒」
「ありがとう」
嬉しそうに笑う悟空に、店員は、ふと思いついたことを訊いてみた。
「ねえ、先月の十四日に誰かにチョコレートもらった?」
「チョコレート?」
「そう、綺麗にラッピングされたチョコレート」
「うーん…」
言われて、悟空は小首を傾げて、考える。
その仕草が愛らしくて、この子供が十五歳には思えない。
まだまだ幼い子供のまま。
ようやく思い出したのか、ぱっと顔が輝く。
「うん、華にもらった。寺の門のとこで。すっげー美味かった。でも、何で?」
華というのは、悟空が街に下りてきた時、いつも一緒に遊ぶ友達の内の一人だった。
「お返し、した?」
「お返し?」
店員の言葉に悟空は、きょとんとした表情になる。
何を言っているのだろうと、訳が分かっていない。
「そう。今日はね、そのチョコレートをもらった人が、チョコレートをくれた人にお返しをする日なんだよ」
「ふーん。じゃあ、じゃあさ、俺も華に何か返さないといけないのか?」
「そういうことになるね」
「そっか…。でも、俺、何返していいのかわかんないし、お金もねえよ」
どうしようと、うなだれてしまう悟空に、店員は笑って悟空が手に持つマシュマロを指さした。
「それ、返しとけば?」
「これ?」
悟空は、店員が指さすマシュマロを困ったように見やる。
今、店員からもらったばかりのこのマシュマロを華に渡せと、いうのだろうか。
でも、これは悟空がもらった物であって、華のために手に入れた物ではない。
どうせお礼に返すのなら、ちゃんと自分で準備したいと、悟空は思った。
そんな悟空の気持ちなど知らぬげに店員は、楽しそうに言葉を続ける。
「友達だろ。だったら、それでいいんだ」
「でも、これは…」
「もうひとつ入れてあげるから、安心していいよ」
「でも…」
店員の申し出に、悟空は戸惑ってしまって、どうしていいか判らなくなってくる。
「大丈夫だって」
「う、うん…」
そう言われて、ウィンクまでもらい受けても、悟空は素直にありがとうが言えなかった。
店員は、困ったような何とも言えない表情の悟空に構わず、透明な袋にマシュマロを一杯詰め、青いサテンのリボンで口を結び、銀色の花のシールを貼って、薄水色の半透明の手提げ袋に入れてやった。
「はい。華ちゃん喜ぶよ」
差し出された袋を受け取ろうとしない悟空に店員は、もう一度大丈夫と笑って、袋を悟空の手に握らそうと、悟空の手を取った。
その時、ふいに影が差し、店員は顔を上げ、そのまま固まった。
見上げた先に、閃くような黄金を頂いた、目の覚めるような美貌の青年が立っていた。
「い…いらっしゃいませ」
反射的に口から出た挨拶に、その青年は表情も変えず、店員の側に立つ小柄な人間の方に視線を移した。
店員は、青年から目が離せない。
春の日差しに煌めく金糸の髪、深い紫暗の瞳、白い肌、そして、額に光る深紅のチャクラ。
痩身を包む白いセーターとGパンに上着を羽織ったラフな姿に、店員は今目の前に立つ青年が、三蔵法師だとは思いもせず、ただ、その美貌に見とれていた。
悟空は、店員の様子が変なことに気が付いて、その視線を辿れば、私服姿の三蔵がそこに立っていた。
「さんぞ」
びっくりしたような顔で見返す悟空に、呆れたようなため息をもらすと、三蔵は店員が手に持った薄水色の袋を指さした。
「それ、欲しいのか?」
「…っていうか…くれるって言うんだけど、売り物を勝手にもらえないだろ。でも…俺、お金持ってねえから……だから…」
答える声がだんだんと小さくなり、悟空はうつむいてしまった。
三蔵はそんな悟空を呆れた思いで見ていたが、もぞもぞといじっていた悟空の手の中のマシュマロに気が付いた。
「それは?」
「えっ?」
三蔵の指す物が自分の手の中のマシュマロだと気付いた悟空は、それを三蔵に差し出す。
「これは、さっきもらったんだ。マシュマロって言うお菓子なんだって」
うなだれたことも忘れて、嬉しそうな笑顔を見せる。
「礼は、言ったのか?」
「うん、ちゃんと言った」
「で、その袋はどうすんだ?」
「どーしよ」
困った顔で三蔵を見返す。
「お前は、どうしたいんだ?」
三蔵の言葉に悟空は少し考えると、しっかり三蔵を見返して答えた。
「あのね、今日はチョコレートもらった人が、くれた人にお返しする日なんだって。んで、俺、チョコレートもらったからお返ししないといけないんだ。だから、お返ししたい。もらった時、ありがとうをちゃんと言えなかったから、ちゃんとありがとうも言いたい」
三蔵は、悟空の言葉に黙って頷くと、ポケットから金を出して、惚けたようになっている店員に向かって言った。
「おい、その袋をもらう。代金だ」
「は、はい」
三蔵の声に店員は、我に返って、慌てて三蔵の差し出す代金を受け取り、手に持っていた袋を手渡す。
その袋を受け取った三蔵は、店員に静かだが、有無を言わせぬ口調で言った。
「以後、こいつにこんなマネはしないでくれ。こいつには金を渡していないから、こういうことをされても金が払えない。それに店の売り物をただでもらうことは、ルール違反だとこいつには教えてある。何より、お前の罪になる。いいな」
「は…はい」
店員は、三蔵の言葉に頷くと、申し訳ないと悟空に謝った。
悟空はびっくりしたが、首を振って自分も悪いと謝った。
そして、三蔵に悟空は小さな声で言った。
「ありがと、さんぞ」
三蔵はそれに悟空の頭をくしゃっとかき混ぜることで応えてやると、袋を渡してやった。
「行ってこい。俺は、いつもの所で待っててやるから」
「うん!ありがと」
悟空は輝くような笑顔を三蔵に向けると、チョコレートをくれた華という少女の所へ駆けていった。
三蔵は、代わりに渡されたマシュマロの袋を上着のポケットに入れると、悟空とは反対の方へ歩いて行った。
その後ろ姿を見送りながら、店員は仕事も忘れてしばらく呆然と立ちつくしていた。
あれが、噂に高い玄奘三蔵法師。
滅多に公の場に姿を見せない美貌の最高僧。
そして、あの天真爛漫な悟空の養い親。
店員は、噂なんて、真実の何分の一も言っていないことをその目で実感した。
目の前に現れた三蔵法師の美しさは想像以上で、店員はしばらく仕事にならないほどのぼせ上がってしまった。
ここにまた一人、三蔵法師の崇拝者が生まれた。
三蔵は、久しぶりの外出を楽しむようにゆっくりと、悟空のお気に入りの野原に向かって山道を歩いていた。
三月にしてはとても暖かく、すっかり春本番を思わせる日だった。
三蔵は悟空が以前教えてくれた野原に出ると、夏には木陰を作ってくれる樫の木の根元に座り込んだ。
野原は、春の指先が触れた喜びを表すように、そこかしこで小さな名も知らぬ花が花弁を広げていた。
少し汗ばんだ身体を冷ますように上着を脱ぐと、幹に持たれて、目を閉じた。
風のない穏やかで暖かな日差しに三蔵は、日頃の疲れも手伝ってか、うとうとし始め、やがて眠ってしまった。
悟空が野原に着いた時、三蔵は熟睡していた。
眠る顔は珍しく穏やかで、三蔵の心が緊張から解き放たれていることを示していた。
その寝顔に悟空はそっと、口づけを落とすと、三蔵の身体に寄り添うように座った。
今日は、滅多にない三蔵の仕事の休みの日。
この休みが終われば三蔵はお釈迦様の誕生日が終わるまで無茶苦茶忙しくなる。
本当は、寺院の部屋でゆっくり何もしないで休んでる方が、三蔵の身体にはいいはずなのに、遊んで欲しいとねだる自分に付き合ってくれた。
一緒に居たい自分の願いを聞いてくれた。
「ありがと…さんぞ」
はんなりとした幸せそうな笑顔を眠る三蔵に向けると、悟空も目を閉じた。
三蔵は、胸の辺りに重みを感じて目を覚ました。
頭を起こせば、悟空が三蔵の胸を枕に眠っていた。
三蔵は、少しの間その寝顔を眺めていたが、悟空の頭を支えて、器用に体を起こすと、膝に頭をのせた。
昼下がりの野原は、吹き過ぎる風もなく、静まりかえっていた。
まるで大地の子供の眠りを妨げることのない様に息を潜めている。
春に染まろうとする大地の思い。
変わらずに大地に愛されている愛し子。
この存在を愛しく思えば思うほどに大地に取られるという思いが強くなる。
だが、それもまた悟空の一部だと思えるようになってきたこともまた、事実で。
全てをひっくるめて、今は何もかもが愛おしい。
三蔵は、ゆっくりと大地色の髪を撫で、脱いでいた上着を掛けてやった。
その拍子に上着のポケットからマシュマロの袋が落ちた。
拾い上げてみれば、パステルピンク、パステルグリーンに白と、とりどりの柔らかな色彩とスポンジのような手触り。
悟空は、どんな顔をしてあのマシュマロを華という少女に渡したのだろう。
意味をろくに理解していない悟空からの返事は、悟空のことを恋愛対象として見ている人間には辛いだろう。
だが、本当の意味など知らなくていい。
これは、三蔵のエゴ。
意味を知ってしまえば、悟空の無邪気さが失われるようで。
何より自分の方を常に向いている悟空の気持ちが離れていくようで。
これは、三蔵の独占欲。
誰にも渡したくはない。
渡せない。
「その内、知るんだろうがな」
自分に言い聞かせるように三蔵は、呟くと、また、悟空の髪を撫でた。
その感触がくすぐったいのか、嫌々をするように緩く首を振ると、悟空はまた気持ちよさそうに寝息を立てた。
「てめぇ、起きねえと休み、終わっちまうぞ」
くすくすと笑いを含んだ小さな声で言いながら、三蔵は軽く悟空の髪を引っ張った。
それは珍しい休みの日。
誰にも邪魔されない二人だけの休日。
目が覚めたら何をしようか。
ふわふわと白い雲のようなマシュマロを帰りに買って帰ろうか。
白いチョコレート、色とりどりのマシュマロ、クッキー。
もらった思いに、返す思い。
両手一杯の溢れる思いをお前に。
end
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