大きくて、柔らかくて、ほんのり甘くて、ちょっとちくちくする白い果物。 水蜜桃。 たまたま困っていた人を助けた。 そのお礼にもらった、白い宝石のような大きな桃。 嬉しくて、嬉しくて。 人の役に立て事が、嬉しくて。 子供は、小さなカゴに鉋屑と一緒に入れられた水蜜桃と呼ばれる、至宝の果物を大切にその両腕に抱えて、大好きな人のもとへ帰って行く。 木漏れ日に光る桃のほんのりと赤く染まった白い肌が、子供の幸せな笑顔を見つめていた。
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水蜜桃 |
回廊を大事そうにカゴを抱えて、悟空は走っていた。 その姿を見かけた修行僧がいた。
ぎりぎり、奥の院の大扉へ向かう回廊の入り口で悟空を捕まえることが出来た。 周囲を修行僧に囲まれた悟空は、その金色の瞳で修行僧の顔を睨みつけた。 「何だよ!」 手に抱えたカゴと水蜜桃を守るようにして、悟空は修行僧達と向き合った。 「それは、観世音菩薩様にお供えする蟠桃の実。妖怪風情が盗んで良いモノではない」 口々に悟空を攻める修行僧達の言葉を黙って悟空は聞いていたが、盗んだと言われて黙っているわけにはいかなかった。 「盗んでなんかいない!これは、街から帰る途中でもらったんだ!」 こう言えば、ああ言う、僧侶達にただでさえ語彙の少ない悟空は、最後にはだだっ子のように首を振って拒否するしかない。 「ええい、その蟠桃を返せ!」 悟空との言い合いに業を煮やした一人の僧侶が、悟空が抱えるカゴに手を伸ばした。 「何すんだ!」 反射的に悟空は、その僧侶の手を払った。 「このぉ…!」 手を払われたその痛みが、抑えていた気持ちに火をつけた。 「ヤだ!!」 カゴを取られまいと、その場に踞った悟空の身体を僧侶達は蹴り飛ばした。 と、背後から凛とした声が、僧侶達の動きを止めた。 「こんな所で何をしているのですか!」 一斉に振り向く。 「さ、さ、三蔵様…!」 音を立てて僧侶達の顔から血の気が引いて行く。 「大丈夫ですか?」 心配する笙玄にふわりと笑いかけると、大事に抱えていたカゴを見せた。 「桃ですか?」 笙玄に言いかけた悟空の言葉を説明していた修行僧が、大きな声で遮った。 「ウソじゃない!もらったんだもん」 言い切る修行僧に悟空はそれ以上言い返すことが出来ずに、唇を噛んだ。 「…そうか、あれが蟠桃の実か」 さも感心したと、三蔵が呟いた。 「…三蔵…?」 きょとんとする悟空と笙玄の様子に三蔵は、微かに笑うと、修行僧達に向き直った。 「お前は、見たことがあるのか?」 三蔵の問いかけに、修行僧は我が意を得たりと、大きく肯いた。 「はい、入山して間もない頃に拝見致しました。美しい白い宝石のような桃でございました」 誉めてもらえると思ったらしい修行僧の話はまだ、続いていたが、三蔵は聞く降りをしながら、笙玄に支えられるようにして立つ悟空のケガの様子を見ていた。
剥き出しの二の腕や顔が赤く腫れている。
修行僧の話が途切れるや、三蔵は笙玄に声を掛けた。 「あ、栢宋僧正様です」 笙玄は三蔵に一礼すると、栢宋僧正のもとへ急ぎ走った。 「栢宋僧正様が何か…」 怪訝な面持ちの修行僧を無視し、三蔵は悟空を傍に呼んだ。 人のモンに傷つけた償いは、ちゃんと払ってもらうぞ
「さんぞ?」 じっと、桃を見つめる三蔵の僧衣の袂を悟空は、軽く引っ張った。
栢宋僧正の居室の前で、笙玄が三蔵達を待っていた。 「三蔵様、今し方、笙玄から聞いたのですが、掟破りとは一体、何があったのでございますか?」 三蔵と共に入ってきた修行僧六人と悟空の姿に怪訝な顔をする。 「栢宋僧正、薬草苑は係の者以外の人間が入れば罰を受けると聞いているが?」 そう言って三蔵は後ろの修行僧を見やった。 「蟠桃の実というのはこれか?」 三蔵は悟空が持っていた桃を一つ掴むと、栢宋の前に差し出した。 「いいえ、これは水蜜桃という桃でございます。蟠桃の実はこのように大きくなりませぬ。これより二回りほど小さく、全体にほんのりと赤みの差したモノでございます」 誇らしげに告げる栢宋の言葉に頷いた三蔵は、桃を悟空に返す。 「三蔵様、この者達はいったい何なのでしょう」 改めて、三蔵に連れて来られた修行僧達を指して、事の次第を三蔵に尋ねた。 「入山したての頃、薬草苑に入って蟠桃を見たとぬかしていたから、連れてきたまでだ。どうするかは、栢宋僧正殿が決められるが良かろう。俺は、何も言わねえよ」 そう言って、三蔵は悟空と笙玄を促して栢宋の居室を後にした。 三蔵は暗に栢宋に言っているのだ。 栢宋は助け起こされながら、小さくなっている修行僧達の行いを胸の内で罵っていた。
悟空にいらぬ疑いを掛けた件の修行僧達は、破門とまではいかなかったが、反省を促すために法力僧の荒々しい修行に一月ばかり出されたらしい。
部屋に戻り、ケガの手当を終えた悟空を前に、三蔵はため息混じりで悟空に問うた。 「で、その桃はどうしたんだ?」 三蔵の呆れた果てたようなため息を聞いて悟空は、思わず肩を大きく揺らした。
結局、三蔵は騒ぎ以降の仕事を全て放棄した。 だから、目の前でうなだれている悟空が気に病むことはないのだ。
「ちゃんと答えろ」 自分を見つめる紫暗の瞳の暖かさに気が付いた。 悟空は、ようやく安心したのか、薄い笑みを浮かべると話し出した。
「…だから、三蔵に見せたかったんだ」 にこっと笑うその笑顔にウソはなかった。 「そうか」 力一杯頷く悟空の柔らかい髪をくしゃっと掻き混ぜると、三蔵は僧衣を脱いで、普段着に着替え始めた。 「…さんぞ?」 きょとんとする悟空をよそに、三蔵は着替え終わると、悟空に声を掛けた。 「行くぞ」 まだわからない。 「行かねえのか?」 ちょっと三蔵に近づいて、 「飯食いにだよ」 考えて、 「…褒美だ」 背けた顔がほんのり赤くて、 「行かねえのなら、一人で…」 満面の笑顔が、三蔵の腕に降り立った。
食事の帰り、悟空が助けた露天商のもとに立ち寄り、袋一杯、水蜜桃を悟空は買ってもらった。
嬉しい気持ちそのままの甘く、幸せな味がした。
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