散 歩




木漏れ日が、柔らかな日陰を作っている。
風は、ほどよい湿り気を含んで緩やかに流れていた。

下草を踏む足取りは軽い。

前を行く悟空は、何がそんなに嬉しいのか跳ね回り、立ち止まっては振り返る。
そして、後ろをゆっくりとくわえ煙草で歩いてくる普段着の三蔵の姿を確かめては、嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ては、三蔵は口の端に苦笑いを浮かべた。

「バカ猿」

呟きは森の中に溶けて、木々の葉ずれに消えてゆく。
鳥のさえずりに空を見上げて、三蔵は立ち止まった。



大地の愛し子、悟空。



こうして瑞々しい命に溢れた自然に囲まれていると、大地の思いが三蔵の心の中にも流れ込んでくる。
どれ程悟空が大地に愛されているか。
どれ程大地が悟空を大切にしているか。

輝く太陽そのままのまっすぐな命。
誰よりも愛しく、何よりも大切な存在。

気まぐれな思いや揺らぎの中にあっても、無条件に寄せられる信頼が嬉しい。
全身全霊で向けてくる好意が嬉しい。

自分の中にあるどうしようもない欲や暗い澱みを払拭して余りある輝き。
戯れにしか示してやれない不器用な好意を正確に受け取って、幸せだと笑う。

失いたくない。
還したくない。



「…俺も湧いてんな」

己の思いに苦笑を漏らす。
短くなった煙草を落として踏み消し前を向けば、悟空の姿が消えていた。

「どこ行った?」

小さく舌打ちをすると、先へ足早に進む。
と、不意に森が途切れ、小さな広場に出た。
そこに、悟空はじっと空を見上げて立っていた。

その姿に、岩牢から出てすぐの悟空の姿が重なる。

消え入りそうな儚く幼い姿が。

思わず三蔵は、呼んでいた。

まるで、つなぎ止めるように。
微かに震える声で。

その声にゆっくり悟空は振り返った。
黄金の瞳が三蔵の姿を認めて、ほころぶ。

「さんぞ…」

浮かべた笑顔が、今にも泣きそうな気がして、三蔵は駆け寄った。

「何…?」

駆け寄った三蔵に悟空は、不思議そうな顔を向ける。

「…いや」

腕を掴もうと伸ばした手が、目標を失ったように彷徨う。
その手に悟空はそっと触れると、柔らかな笑顔を浮かべた。

「何だ?」

バツの悪さを誤魔化すように視線を逸らせば、ふわっと重みが掛かる。
見れば悟空が腕に抱きついていた。

「何してやがる?」

いつもの不機嫌を取り繕う暇もなく、三蔵は素のままの表情が出る。
滅多に見られない年相応の三蔵の表情に、悟空しか知らない三蔵の表情に悟空は嬉しそうに声を立てて笑う。

「っつてめぇ」

三蔵は腕に抱きついた悟空を引きはがそうと腕を振った。
その力に逆らうことなく悟空は、三蔵の腕から離れた。

「さんぞ」

にこにこと笑いながら三蔵を呼ぶ。
何だ、と三蔵が瞳を眇めると、悟空はゆっくり三蔵に近づく。
どうするのかと様子を見ていると、そっと、壊れ物にでも触れるように三蔵のシャツを掴んだ。
そして、額をその胸に預け、小さな声で告げた。

「好きだよ、さんぞ」

今にも泣き出しそうな声の震えを微かに感じて、三蔵は瞳を眇めたまま悟空の頭を軽く叩く。

「…ん、さんぞ…」

シャツを掴んでいた手は三蔵の腰に回り、緩やかに三蔵を抱きしめる。
三蔵も悟空の身体に腕を回して、悟空を抱きしめた。

「置いて行かねぇよ」

と、空を見上げて三蔵は言った。
その言葉に促されるように悟空も顔を空に向けた。




見上げる空は澄んで、どこまでも高い。




三蔵の姿が見えなくなっただけで感じる不安。

いつでも側に居て欲しい。
どんな時も側に居たい。

こんなに弱くはなかったはずの自分の心に戸惑う。

不安と戸惑いと、いわれのない喪失感。

言葉ではっきり言えない気持ちが、どうして三蔵にだけわかるのだろうか。

欲しい時に欲しい言葉をくれる。
ぬくもりをくれる。

言葉に出来ないほどの幸せ。
喜び、愛しい思い。



いつも─────



こうして抱き合って、吐息がかかるほど側によって、その存在を確かめる。
この触れ合っている部分全てから伝わるぬくもりが、そこに在ると教えてくれる。


それで、十分。


悟空は空から視線を三蔵の顔に戻すと、穏やかな色を掃いた紫暗と出逢った。
一瞬、見開かれる黄金は、金色の花に変わる。

「…うん」

答えは、落とされる口づけに溶けた。




夏まだ浅い、森の一日。




end

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