「海に行こう。」




 書。




七月の半ばだった。
お盆が近くなってきた所為で、日数の数に比例して徐々に増えてゆく書類を乗せた机の前に三蔵は座っていた。
少しずつ高くなる、気温。
苛立ちが増してきたような空気の中で、蜂蜜色の瞳を持った少年はその空気を作り出している張本人に向かって言い放ったのだった。


「お前、今のこの情況が解っていっているか?」
「うん。忙しさがピークになる前に準備、みたいなカンジで骨休めに行こうよ。三蔵この頃休み取ってないし。」


呆れたように目を見て言った台詞を、同じく目を見て返された。
窓から入ってくる風で、茶色の短い髪が涼しげに揺れていた。
時間は正午を丁度回った頃。
雲はまばら、遮りと照明の繰り返し。
白いカーテンが夏が近づいた事を教えてくる。


「ピークに仕事放り出して行った方が良いんじゃねぇのか。」
「えー、八月は何処でも人多いじゃん。人ごみが無いとこでも、何人か必ず居るよ。」


入りこんだ風がぱらぱらと書類を捲っていく。
目の前の少年は涼しげな顔をしていた。
熱が篭らないように、と胸元を大きめに取ったゆったりとした白いノースリープ。
其処から出た腕は胸元の鎖骨と同じくらい白かった。
透明な瞳で、透けていきそうな笑顔を浮かべていた。
涼しげに。


「それに、どうせだから三蔵と二人っきりで過ごしたいじゃん。」


「・・・・そうか。」


雲は白かった。
空は青かった。
風が涼しかった。

まだ、なにも変わってはいない。
まだ、日常は日常のままで。
なにも変わらないうちに、


「さっさと準備しろ。言い出したのはお前だ、気が変わらんうちに行くぞ。」

「うん、ありがと。」


話題が飛び出て、10分。
積もった書類をそのままに、開けた窓もそのままに。
ただ一番下の紙切れに最低限の捨て台詞だけ書き逃げをして、最低限の荷物だけを持って二人は寺から離れた。



―――逃げ出そう、ここから。
どうせだから、誰もいないような場所がいい。
さんさんと照らしつける太陽の下じゃなくて、少し翳りそうな晴れた空の下がいい。
燃えるほど熱い太陽は、隣に居る金色だけで充分だから。

















ザザ―・・・・・・・・・

波の押し寄せる音。

・・・ン―――――。

引く音。



「気持ち良いねぇ―――。」

少年は麦藁帽子を被り、白い腕と、白い足と、白い首を晒して其処に居た。

其処は、蒼。
全てが藍。
空も、海も、空気でさえも、全て。
そして雲と波が白かった。
青い世界に白が混じり、その中心に少年は居た。

白い腕と足と首とを晒して、今にも、溶けて消えそうなくらいに。


「おい、こっち来い。」
後姿を見ていた青年は、不機嫌そうに焦りを隠そうとはせず、そして静かに音で少年を呼んだ。

「さんぞーも海入らない?」

サンダルを脱ぎ捨て、踝まで海水に浸していた悟空が、ころころと笑いながらこちらを見ていた。
溜息をつきながら、三蔵は思い腰を上げて足を踏み出した。




何故、拒まないのか。




一歩ずつ、踏み出す。
着ているジーンズの裾も上げず、靴と靴下だけを脱いで悟空と同じ位置に立った。
手を自分から絡めた。




今、手を離せば、消えて逝くことを知っているから。



だから、拒まない。
大切だから。
亡くしたくないから。
置いて逝かれたくは無いから。


「あのさ、俺世界旅行ってしてみたい。」
「・・・行きたいなら少なくてもあと10年は生きてから言うんだな。」
「違うよォ、独りで。」
「・・・。」
「三蔵を待っている間だけ、世界を見ていたい。」



波の、音がする。
音の中にいる。
揺れる白は立ち続ける地球の鼓動によるもので。




「なんにも、いらない。」


翳っている日を欲したのは自分で、昔見た輝く「太陽」を望んでいるのも、
自分。



「三蔵に貰った物も、全部要らない。なんにも持たずに旅に出るの。」

「―――離れて、いくのか。」

「ううん、待ってるだけだよ、三蔵を。」






少年の身体が、あと1年持つかどうか分からない・と自分たちは知っていた。
永い永い旅からの帰り道から、少しずつ「日常」と認識していたものが壊れはじめた事にお互い気付いていた。
それでも泣く事は、まだ無い。
まだ終わっていないから。
浅く日に焼けていた腕が白くなっても、子供体温だった身体が低くなっても、まだ終わっていない。

「なんかねー、少しだけ休みたくなったんだ。」


・・・そんな言葉が聞きたいんじゃない。



「自惚れてみたい・ってヤツだよ。三蔵がさ、ちゃんと俺のコト好きなんだー、って自己満足したいだけなんだ。」
「なにか不満でも有るっていうのか。」
「ううん。でも満足する気ないし。ってゆーかしたくないんだ、満足なんて。自分で思った途端に終わりが近くなっちゃうから。」

「何も遺さないよ。」
形のある物全てを消して。
終わりの無い、ゼロの状態を保つために。


「だから、全部燃やしてね。」
身体も、骨も、思い出も。

「海に捨ててね?」



旅に出るから。














「―――俺に独りで生きろと言うのか。」
「―――うん。」
「お前が死んだ後に追うかもしれんぞ。」
「大丈夫。約束だけ置いていくから。」
「約束?」


・・・そう。残酷だと知っていて、置いていく。


「死んだら、三蔵の手で瞳を閉じさせて欲しい。それから全部全部燃やして、海に捨てて欲しい。墓も何にも残さないで欲しい。」
「・・・・それは遺書代わりか。」
「うん。」
「それを終えても駄目か。」
「そんなコトしたら俺三蔵の事捨ててやる。」






少しずつ、日が傾いてきた。
まるで赤いオレンジジュースが混じりはじめたみたいで。
ちょっと空気が冷たくなったのを感じて、青年は少年を後ろから抱き締めた。
まるで離さないと、護るように。
足元の波が、ゆっくり絡みついて、消えた。

「俺が殺してやろうか。」

不意に出てきたのはそんな言葉。
せめて。
自分の手で、この腕の中にいる存在と自分自身に痕をつけることが出来たなら。
・・返ってくる答えを自分は予想できていた。
知っているよ、

「殺されてなんかやらない。」

ほら。

「・・・何故?」
「殺さなくてもさ、他に大切な人が三蔵に出来てもそれでも、死ぬまで三蔵の1番が俺だって思いたいから。」



ゼロで。
それでも、1番大切で。

「永遠」なんて言葉の区切りが無い程、想いが続くと、・・・信じたくて。



空はもうオレンジ色。
足元は青とオレンジがマーブル状に混ざって絡まっている。
バシャンという音と共に、二人分の体積の水が空中に舞いあがった。



あぁ、きれい。



「冷てーよっ、三蔵ッ!!」
「うるせぇ、黙れ。」

後ろから悟空を抱き締めたまま、三蔵は悟空と一緒に横に、マーブルの水へダイブした。
夕方の、少しだけ冷たい水。
バシャバシャと水の中でじゃれ合いながら、ふとした時には二人水の中で見詰め合っていた。
長い時間、見詰め合っていた。

その空気の後で、ぽつりと呟かれた言葉。



「―――三蔵が独りでいる間、俺も独りでいるから。」



だから、海へ捨ててね、と。


―――たゆたう波に逆らわずに、あなたが自分のところへ来てくれる時まで、
自分はあなたに気付かれない場所であなたを見ていよう。
あなたの傍に、もし自分より大切な人が出来たとしても、それでも私はあなたを独り想い続ける。

それが、あなたを置いて逝く、私への罰。




「・・・見ていろ。」




返事か返ってくるとは思っていなかった。
少し驚いて視線を合わせると、紫暗の色を持った真摯な瞳が目の前に合った。

「お前が、独りきりが堪えられなくなって俺を呼んだら、・・・そうしたらそっちに逝ってやる。」







水色と、オレンジと。
相反する色の光の洪水の中で、波の音だけ響いていた。
嬉しかった。この時が。
全てが優しく包んでくれているようで、欲する物など何一つ無かった。
オレンジの光が照らす目の前の顔を、どちらともなく見ていた。

「・・・・・っふ、」

だから、そのまま光で目が霞むように、視界がぼやけてきたのは必然。
生まれ出た音を掻き消すように、三蔵は白い身体を両腕の中に抱きこんだ。
その腕に縋る様に、悟空は初めて、―――自分の命の期限を知って初めて、泣いた。




悲しくないわけがない。

寂しくないわけがない。

僕等はもう、お互いが半身。

お互いが傍に居なくては生きてなどいけない。






「忘れ、ないで。」

「さんぞに、俺よりももっと大切な人が出来たって良いんだ。出来たなら幸せになって欲しいんだ。でも、」

「1年に1日で良いから、それだけでいいから、俺の事思い出して。」



縋りつく腕の強さと、その腕の白さと。

やっと本音を口にした少年の想いと、自分の想いと。

相反するリアルだけが三蔵の目に焼き付いて。





「・・・ンなケチくせぇ言ってんじゃねぇよ。」

「毎日、毎時間、・・・・想っててやる。」



水色が紺色になりそうな水の中、オレンジと赤の中間をさまよう光が溢れ出ていた。
後ろの砂浜などみえない。見る気もなくて。
ただ先の見えない水平線だけを、大切な人の肩半分から見ていた。

半分以上沈んだ太陽。
赤く、消える直前の恒星のように赤く、頭の奥底にまで影を焼き付けて。


余計な言葉など要らない。
ただ、この時間が幸せで、幸せで、幸せ過ぎて、・・・・大切だった。
何よりも、この一瞬だけ。












               *   *   *











つい最近まで日常を共にしていたというのに、半年前からぱったり顔を合わせなくなってしまっていた友人から、一通のはがきが届いていた。


「おぉーい。生臭坊主からはがき届いてんだけど。」

珍しく夜遊びをしなかった所為か、真面目に午前8時には起床していた悟浄は、新聞受けから朝刊と、一通のはがきを手にしてリビングに戻ってきた。

「三蔵が、ですか?珍しい事もあるもんですね、明日台風でしょうか?」

ここ最近顔会わせてませんねぇ、と、旅を終えても変わらず悟浄と同居生活を始めた八戒は、キッチンから朝食を運びながら相変わらず毒づいた。
その様子に悟浄は苦笑いをしながらテーブルにつき、はがきをひっくり返す。

「うぇ、暑中見舞いだぞ!?あー・・・・・・。・・・?何だコレ。」

はがきの裏面に目を通していた悟浄は、内容を確認するなり、顔を顰めながら首を傾げた。
その悟浄の様子に八戒は悟浄からはがきを受け取り、自分も裏面に目を走らせる。



  ”暑中見舞い申し上げます

   二人とも元気にしてる?今年の夏はいつもよりずっと涼しかったね。
   折角涼しかったんだから、もう一度くらい二人に会っておけばよかったなぁ。
   二人とも身体には気をつけてな。
                             孫悟空  玄奘三蔵


   このはがきが付いて後、二日以内に揃って東のXX岬まで来い”




最後の一行以外は全て悟空の筆跡だった。三蔵の書名も悟空が書いたらしい。
三蔵がそれらしい事を書くとは思えなかったので、長さ的には特に違和感を感じない。
問題は文章の内容だ。
悟空があまり文を書く事に長けていない事は知っている。だが、今回の内容はあまりに支離滅裂だった。
三蔵も筆跡を残しているのだから、あまりに文法がおかしい場合、今までなら悟空をハリセンで叩きながら直させるだろうに今回はそれも無い。
その上三蔵の書いてある事も意味が通じなかった。
これのどこが「暑中見舞いのはがき」なのだろうか。

「本当に。おかしいですねぇ。」
「だろ?一体なんだっつーの。」

二人して首を捻りながら怪文書のようなはがきを見つめていた、その時。


ドンドン、ドン。


玄関の扉を大きく叩く音が聞こえた。


「誰だぁ?こんな朝っぱらから。」
「悟浄、一応もう8時半過ぎてるんですけどね。」


苦笑しながら立ち上がった八戒は、そのまま玄関の扉を「どちら様ですか?」の声を掛けつつ開いた。
すると、其処にいたのは三蔵の住まう寺院の僧侶で、酷く慌てた様子でその場に立っていた。

「こちらに三蔵様はいらしておりませんか!?もしくは居場所をご存知ならお教え願いたいのですが・・・・!」

僧侶は、走ってきたのだろう、乱れた息も整えずに勢いに任せて要件を告げた。
挨拶も無しに用件を開口一番に告げるほど焦っているらしい。

「三蔵、ですか?」

その勢いに、いつもなら軽く受け流す八戒も思わず息を呑む。そして、告げられた内容に思わず悟浄のほうへと振り向いた。
悟浄も息を呑みながら八戒と目を合わせている。

さっきのはがきにあった「東のXX岬」、これが今の三蔵がいる場所の確率が非常に高い。
だが、三蔵は何も言わないで寺院を出た。
これほど僧侶が慌てるくらいなのだからもう丸2日は経っているのだろう。
三蔵が要件を告げずに逃げ出すことはこれまでも多々あったが、今回は何かが違う気がした。



「・・・・いえ、分からないです。」

「・・・そうですか・・・・。」



八戒は自然に「知らない」と誤魔化していた。
それを聞いた僧侶は酷くがっかりした様子で、「朝早くにお邪魔致しました」と帰って行った。
その後姿を見送った後、八戒はゆっくり悟浄の座るダイニングテーブルへ向かい、腰を掛ける。

「いーのかよ、嘘言っちまって。」
「止めなかったあなたも同罪です。それより、・・・・行きますか?」
「なんか知らねーけど、行くべきなんじゃねぇ?」
「そうですね。ここからXX岬って急いでも一日半掛かりますよ。」

あいつ、読んだら直ぐ来いってことなのかね、とぶつくさ文句を言いながら悟浄は立ち上がった。
笑ながら八戒も腰を上げた。
そのまま必要最低限の準備を終えた二人は、ジープを三蔵が指定したXX岬へ向かって走らせた。








               *   *   *






そこに、三蔵は一人きりで立っていた。


一日半の時間を掛け、指定の場所へやってきた二人は、背中を向けたままの三蔵の姿に何故か息を呑んだ。

此方を見ようとはしない三蔵は、いつもの「三蔵法師」の服装を身につけてはいなかった。
私服の上に、白く長い布のようなものをコート替わりのように身につけている。
足元には少し大きめの鞄が一つ。足と鞄の陰に、此方からは見えないが何かがあるようだ。


「来るのが遅ぇ。」


振りかえった三蔵は、半年前と変わらない仏頂面で此方を見ていた。両手で白い、小さ目の正方形の箱を持って。


「お前なー、いきなりはがきで呼び出しくらわしといてそりゃねーだろーよ。」
「そうですよ三蔵。ところで、悟空は居ないんですか?」


久々に顔を合わせて行き成りの言われ様に、悟浄は溜息を吐きつつ煙草をくわえ、火をつける。
八戒は辺りを軽く見まわし、もう習慣のようにいつも三蔵と行動を共にする少年の姿を探した。
八戒のその一言を耳にした三蔵は、黙って二人の前に足を進め、手にしていた箱を差し出し、蓋を開けた。
中に入っているものを目に止めた二人は、・・・息を止めた。

「これが、お前達を”ここ”へ呼び出した”理由”だ。」



・・・中にあったのは、全て細かく砕かれた骨と、その上に嫌と言うほどy見覚えのある金鈷。



「・・・・さ、んぞう、まさかこれ、」

「―――あいつの骨だ。」










―――悟空は、あの日海から帰ってきた次の日にはもうベットから動く事は出来なくなっていた。
まだ八月にも入らない時だった。
その日から、完全な梅雨明けと共に気温が高くなった。

どんどん、日を負う事に肌の色は白くなった。
まるで消えていく事を、――死ぬことが近い事を示すように。
その時に悟空が呟いたのがこの一言。

”最期に八戒と悟浄に手紙を出したい”

お別れの言葉も言えそうに無いから、と笑っていって。

半年前まで日常を共にしてきた、――する事が出来た二人は、間違いなく三蔵と悟空にとって大切な友人だった。
その二人に別れの挨拶が言いたい、と悟空が言った願いを、三蔵は何も言わずに叶えた。

もう、少し動く事も辛いから手紙ではなくはがきにした。
時期を考えて暑中見舞い、と付け足した。
「八月になったら出すからな」、そう言った三蔵に、悟空は「うん」と満面の笑みを浮かべた。


その二日後の燃え盛るような気温の日の真昼に、悟空は死んだ。
八月の一日だった。











「あいつがお前等に別れの挨拶を言いたいと言ってたからな。態々呼んでやったんだよ。」

三蔵は自嘲の笑みを浮かべるでもなく、悲しみを滲ませるでもなく。
ただ、真っ直ぐ目の前の二人を見据えて言葉を紡ぐ。





―――何もせず、何も考えず、”その気温の高い日”を、三蔵は少年の傍らで終わらせた。
次の日に一人少年の亡骸を抱きかかえて裏山で燃やした。
残った骨を欠片も残さずに集め、砕き、金鈷と一緒に白い箱へ入れて、そのまま抱き抱えて裏山のその場所で丸二日過ごした。
それから1週間、最低限の仕事と寺を出る準備を行い、合間を見つけては悟空の持ち物をすべて燃やした。
服も、本も、それこそ寝台さえも燃やして、その灰は裏山の亡骸を焼いた場所へ捨てた。
少年が死んで十日目の朝。
総長の早い時間に三蔵は寺を出、そのまま手にしていた一枚の暑中見舞いのはがきだけをポストへ落とし、今のこの場所へと立った。



全ては海で交わした約束のために。






三蔵は、八戒と悟浄が呆然と見ている中で、箱の中に収められた骨を思いきり手の平いっぱいに掴み取った。

「っな!!」
「何するんですか三蔵!!」 

「――――こうするんだよ。」


イキナリ三蔵が行った行動に、八戒と悟浄は慌てて三蔵の手を掴み、手を開かせようともがく。
そんな二人に気を向けるでもなく、三蔵はそのまま眼前に広がる蒼い蒼い水溜りへ向かって手を開く。

サアアアアァ・・・

風に飛ばされるように、流されるように、骨は海へと運ばれていった。

・・・・還ってゆく。

全てが、あの約束の日のとおりに。





掌全ての灰が風に運ばれてから数瞬後、三蔵はまだ呆然と灰の飛んでいった方向を見つめ、三蔵の手首を握ったままだった二人の前へ箱を差し出した。

「言っただろう、あいつが別れを伝えたかったと。だから、お前等に一掴みだけ”あいつを還す権利”を与えてやると言っているんだ。」









「・・・・・・三蔵、あなた、これで良いんですか?」

八戒が、ぽつりと感情の無い呆然とした声で呟いた。




「――――お前等が嫌なら、やらんでも俺に依存は無い。」

・・・良いも悪いもない。
ただ、これだけが自分にとって絶対無二の現実。
他の事など必要なく、欲しくも無い。


「これだけが俺をここに留めている理由で、”約束”だ。」













―――満足なんて、しないよ。



そう、全てをゼロに戻して、お前は逝った。



俺の存在意義も、理由も、生きる意思すらも・・・・全て。



もう、何にも残ってなどいない。
空虚と化した心の中は、ただお前の声が、いつか俺を迎えに来る時だけの為にしか必要など無い。







―――待ってるから。









「「―――ッッ三蔵!!」」


呼びとめる声など、あいつの声で無ければなんの意味もない。



今度は八戒と悟浄が止める隙さえ与えず、三蔵は手にしていた箱をそのまま海へと空高く投げ出した。



これぐらい、文句など言わせねぇ。



―――待ってるよ。





















八戒と悟浄は、ただその場に呆然と立ちすくんでいた。
それは、月日としては決して長いとは言えないけれど、時間など関係無いくらいに深く付き合っていた友人のイキナリの死と、
その少年の一番傍にいた男の行動が大部分だったが。

「なんつーか、あいつ等らしいっていやあ、らしいんだろうな。」

悟浄は、遠く遥かにある水平線を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
八戒は何も言わずに黙って同じ方向を見つめている。

そこに三蔵の姿はもう無かった。



「てめぇが死んだら今日と同じように海へ捨てろー、なんって、意外とロマンチストなんだねぇ。」

「・・・ま、そうですよね。」


三蔵はもう寺院には戻らないだろうな、と八戒は思った。

彼もまた悟空と同じように今まで自分を築いてきたモノ全てを投げ捨てた。
地位も、居場所も、経文も、・・・自分たちでさえ。


「死ぬ時だけ戻ってくるなんて言う方が勝手なんですよ。」
「俺等あいつらにとっての便利屋だったりして。」


時間が経つにつれ少しづつ日常が戻りはじめる。
いつもの悪態も少しづつ出てくるようになる。
結局何も変わらないのだろう、と、思った。



「花束くらい、持って来ればよかったですねぇ。」









――――二人の足元には、今この場にいない彼から少年への、白い花束が一つ。



とある、八月十四日のお話です。







fin....




今更ながら後書き。
ずっと、長い時間を掛けて書いていた話です。てゆーか、書くのに膨大な時間を要した話です(爆)
最初、Coccoの曲を使って何か書きたいと思って「遺書。」という曲を選曲しました。
この歌が好き、と言うか、「好き」なだけだったら「ポロメリア」とか「樹海の糸」とか、そっちの方が断然好きなんですが。
なんて言いますか。歌詞がね、理想ピッタリなのですよ。
本文中に悟空さんに言わせた「全て燃やして海へ還えして」。
文体は変えましたが、こう言う事を歌っています。
いいですね、自然葬万歳(オイ)!
要は自分の希望する死に方・ってことで(それでいいのか)★

因みに、本人暑中見舞いのつもり(いつの話だ)となっていますのでお持ち帰りフリーです。
(こちらから一方的に押し付けた方もいらっしゃいます・・・ゴメンナサイ)




<七海空ちひろ 様 作>

七海空さまから暑中お見舞いとして頂きました。
悟空の命の尽きる時間と三蔵との何気ない日常の上にある微妙なバランスに
明るい夏の海に何処か漂う切なさが光を添えていて、二人の姿に微笑みながら胸が痛くなりました。
命が尽きるその瞬間まで悟空らしくて、ああ、大地に自然に悟空は還ったのだと納得した自分が居ました。
寂しくなって、三蔵を呼ぶその時まで、三蔵にも頑張って生きていて欲しいなと願って止みません。
七海空さま、ホントにステキなお話と言葉にならないほどの幸せをありがとうございました。

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