CIGARETTE
苦いキス









「ねえ?それって美味しいの?」









西へと向かう旅の途中。今日もお約束とばかりに行く手を阻もうとする妖怪様ご一行を倒した後で、ぷは-!!うめぇ!とばかりにタバコを堪能する悟浄を見上げる子供が聞いた。

「あったりまえだろ?特に一仕事した後の一服なんざ、天にも上る格別の味だぜ?」
「・・ふ-ん。」

深く肺の奥まで吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出す様子を、まじまじと興味深そうに見つめる悟空に向かって意地の悪そうな笑みを浮かべる悟浄。

「なに?小猿ちゃんも吸ってみたいの?」

図星を指されたお子様が、感ずかれてしまったことを恥じるように顔を紅く染めて俯いた。

”お-お-。可愛い事。”

18と言っても信じられぬほどあどけない仕草を見せられる度についついからかってしまう悟浄だが、決して本気で手を出したりはしない。
そんな事をしたら最後。

し留める術も覚えてしまった。

俺もこんなふうに背伸びしたかった頃もあったよなあ・・・。”

だが、しかし。

きょろきょろとあたりを見回す悟浄の視界に、その恐るべき姿をした男2人は映らない。

「・・・吸ってみる?」

からかう様な言葉ととも目の前に差し出された手に、びっくりしたように悟空が目を見張った。

「でも、そんなことしたら三・・・・」
「だあいじょうぶだって。まだもどってこねえよ、二人とも。」

悟空の心配そうな声を遮るように悟浄が悪戯な笑みを浮かべた。

最強の男三蔵と、屈強の男八戒。
自分達の中で最強と屈強を誇るそのふたりは、仲良くル−トの散策にお出かけ中。
出かけたのはつい今しがただから、戻ってくるのはあと半時ほど掛かると悟浄は睨んでいた。

「・・・内緒にしてくれるんだろ?」

三蔵が怖い悟空とて、目の前の誘惑には適わないらしい。

「ったりまえじゃん。俺が薦めたとわかったら、殺されんのは俺ちゃんよ?」

黙っといてやるよ、とほのめかされた悟空の顔がぱあと好奇心いっぱいの子供のそれに取って代わった。
そしておずおずとした仕草で悟浄の差し出す煙草に口を近付ける。

「ゆっくり吸うんだぞ?」

悟浄が言うのとほぼ同時に悟空がゆっくりとタバコを咥えて息を吸い込んだ。

「!!げほっ・・・!!」

吸うが早いか、途端にむせ返る悟空を前に悟浄の堪えていた笑いが爆発する。

「ぎゃははは!!ぶぅわ-かめ-!お子様が煙草を吸うなんて、一万年早ぇえんだよ!!」
「て・・め・・げほ・・!!げほっごほ・・・!!」

腹を抱えて笑い転げる悟浄。それを見て今更ながらに嵌められたのだと解っても、満足に息さえ継げずに苦しむ悟空にはどうする事も出来ない。



がう・・・ん!!



と、その悟浄の頬すれすれに笑い声さえ二分するような響きを伴った衝撃が走った。

「?!」

悟浄の笑いが瞬時に凍りつく。そろりと視線を上げて見上げるむせ返る悟空の向こうに見えるのは、紛れも無く金色の輝き。その艶やかさとは裏腹な、きつい眼差し。



「悟空?!大丈夫ですか?」

その声にぎくりと身体を竦ませた悟浄の視界に、苦しそうな息を繰り返している悟空の背を優しく摩る八戒の姿が映った。
いったい何時の間にきたんだ?こと悟空の事となると目の色が変わる八戒の恐ろしさを、身をもって知る悟浄の顔が引きつった。

そろり、そろり・・・。
未だ銃口を向けられているとわかっていても、本能が逃げろ!と勝手に身体を突き動かしてゆく。

「この馬鹿猿。未成年が煙草なんてやっていいと思ってんのか?」

自分を差し置いて悟空の背を摩る八戒に心中穏やかでない三蔵は、目の前の哀れな男にその分の八つ当たりも含ませようと決めたらしい。
じりじりと距離を詰められて、悟浄の身体も後退する。

が、どん!と背中当たった木に、ついにその行く手を阻まれてしまった。

「そうですよ?煙草なんて吸ったら、あ・ん・な・人とおんなじレベルになっちゃうんですよ?」

優しい言葉で背中を摩ってやる八戒が、言葉とは裏腹にあんな人と言いながらちらりと流す視線に正気さえ失うほどの恐怖が悟浄を襲う。

「・・・それは困るな。あ・ん・な・ふうになる前にいっそ殺しておいたほうが懸命かも知れんな?」

八戒と同じく、あ・ん・な・という部分をやけに強調させて、幾らか呼吸の落ち着き始めた悟空の傍に立った三蔵が、再び引き金にかけている指に力を入れた。



がうん!がうん!!



「〜〜〜って?!マジで当たったらどうするんだよ!???」

八つ当たりを含ませた続けざまの二発を、僅かのところで攻撃をかわした悟浄がマジ顔で喚き散らした。

「いつも言ってると思うがマジで当てようと思ってんだよ、こっちは。」

「・・・・まて。話せば解る。落ちつけって、な?」

何とかこの場を収めようとする悟浄の声は裏返ってさえいる。
悟空がらみの三蔵の怒りは本気に近い。
ここで事を収められなければ、多分明日の朝日は拝めない事だろう。

「吸ってみたいって言ったのは悟空だぞ?此処でとめたら影でこそこそ吸ったりするかもしれないだろうが?子供なんて一度痛い目みなきゃわからねえんだから、早く目を覚ましてやったほうが身のためってモンだろう?」

な?と話のわかるお兄さんよろしく、愛想笑いを浮かべた悟浄の顔は引きつっていた。

「まったく、相変わらずのご都合主義ですね?」

優しく背中を摩っていた悟空の息が落ち着いたのを見計らったように、それまで二人の会話を黙って聞いていた、実はこの世で一番恐ろしいのはこの男ではないのかと最近やっと解りかけてきたその人がゆらりと立ち上がった。

三蔵の銃を向けられた時よりもさらに上回る恐怖。
背筋を流れる冷たい汗の音がはっきりと悟浄の耳に届いてきた。

「・・まて!八戒。平和的にいこう!!」

伏せたままの八戒の顔は影になって、その表情を見る事は適わない。
優しく背中を摩っていたその手が、仄かに光りだす事に気付いた時にはすべてが遅かった。

反射的に身を捩るように背を向けて逃げ出そうとした悟浄の背中に、八戒の怒りのオ−ラが炸裂した。



ぎゃ-----!!



ど----ん!!!!!



静かな森にけたたましい声と、耳を劈くような音がほぼ同時に木霊した。



「・・・これもいつも言ってますけど。問答無用ですよ?悟浄。」



つい1秒前まで、悟浄がその身体を持たれかけさせていた樹齢100年は経っていたであろう大木も。
八戒が放った気の後には、影も形も無く吹っ飛ばされていた。



「げほ・・・ん。」



あっけに見とれている悟空の口から未だ消えない堰がひとつ。
情け容赦なく大木ともども悟浄を吹っ飛ばした八戒に見とれていた悟空の頭に、ごつん!と容赦の無い拳が落ちる。

「〜〜〜?!」

目から星が飛び出そうなほどの痛さに、言葉を失った悟空がなみだ目で訴えた。

「このくらいですんでありがたく思えよ?猿。」































しかしその訴えも、保護者のドスの聞いたひとことの前に無残に散ってしまうのだった。

「あんなもんのどこがいいんだか・・・・。」

荒野を走るジ−プの上。
息の詰りそうなくらいに静まり返ったなかで、ぼそりと悟空が呟いた。

「なんか言ったか?猿?!」

機嫌の悪そうな声で悟浄が目の前に座る悟空をじろりと睨みつけた。



「・・・・あとどのくらいで着けそうなの?八戒。」



それを敢えて無視して。
悟空が自分と同じに、正気を保ったままでいるもう一人の人物に話の矛先を向ける。

「そうですねえ・・・。あと2時間もすれば見えてくると思いますよ?」

それきりまた重苦しい雰囲気の中を、ひたすら西に向かってジ−プは走る。



照りつける日差しは情け容赦が無い。
だが、この今にも押しつぶされそうな空気の原因はその情け容赦のない日差しでのせいではない。



ここ3日というもの。
野宿を余儀なくされ続けた一行の疲労はピ−クに達していた。
食料もすでに底を付き、騒ぎ立てる元気すら残されてはいなかったのだ。

だが、ジ-プの助手席に陣取る一行の主導者的存在である最高僧玄奘三蔵と、その斜め後ろに陣取る赤い髪をした男二人が、見るからに苛苛としているのにはまったく別の理由が存在した。

野宿を余儀なくされる事、早3日。
たとえそれがあと3日続こうとも、それがありさえすればなんてことは無かったはず。
むさくるしいヤロウだけの毎日でも。
硬い土の上の就寝も。
そんなことはこの旅のなかで慣れっこにさえ思える出来事に過ぎないのだから。

この男たちを苛苛とさせている原因。
それはこの二人が心の支えにしていると言っても過言ではない、煙草が切れたという事実。
最後の一本を吸い終わってすでに3時間。
無いと思うと余計に吸いたくなるのが喫煙者の悲しい性。

なんとかこの重苦しい空気を取り除こうと、悟空が腹減っただの熱いだのと騒ぎ立ててみても、一言も口を開こうとはせずに黙ったまま。

そんな二人を見て、いやそんな三蔵を見て。だから悟空はあることを硬く決意していたのだった。




それからきっかり2時間。
やっと付いた町は、町と言うには村と言ったほうがいいくらいのひっそりとした集落であった。

取り敢えず町に着いたら宿を探す。
これはこの旅が始まってから何となく決まっていたル−ル。
腹が減っていても、何はともあれ今夜の寝床の確保が優先される。
だからこの日も、どんなにふたりの苛立ちが深かろうがそれが覆される事は無かった。

と言っても、小さな町。
目的の宿も一軒しか見当たらずに、やけにあっさりと今夜の寝床は確保した。
そうと決まって、宿に荷物を運び入れようとする他の3人を尻目に真っ先に外へと飛びだしたのは悟空。

先に荷物を運び入れた八戒と三蔵の後から、残りの荷物を悟空と運ぶべくジ-プの傍で待つ悟浄の脇を飛ぶように走り抜ける背中にその名を呼ぶ。

「悟空っ?!」
「俺、煙草買いに言ってくるから!!」

言うが早いか、待っててね!と言い残して。
すばしっこさに関しては定評のある悟空の姿はすでに通りの角を曲がっていた。

「・・あんのやろう。逃げやがったな。」

自分だって何をさておいても、いの一番に買出しに行きたかったのに。
先を越された悟浄が毒づいた。

宿の主と交渉する八戒の傍らで、何やらしきりと聞き出そうとしている悟空が気にはなっていたのだが。
どうせ上手いもんを食わせる店を教えろとか、その手の話だろうとタカを括っていた。

失念した。
と内心思うが、どんな状況でも三蔵の事を一番に先読みする悟空に対して可愛いヤツだとさえ思えてしまうから仕方が無い。

「アイツ俺の煙草も買ってきてくれんのかね?」

まあ、それはないだろうなと苦笑する悟浄は、さっさと荷物を片付けて悟空の後を追おうと仕方なく残った荷物を担ぎ上げた。




「え---?売り切れなの?」

三蔵の愛用する煙草はマルボロ、赤のソフトと決まっている。

宿の主から煙草を扱っているこの町で唯一の店の場所を聞き出していた悟空が、駆け込むなり口にした品物の名前に見せの主が渋い顔を作っていった言葉。

「悪いねえ・・・。ちょうどそれだけ切らしてしまったんだよ。明日になれば隣町から他の荷物と一書に届く筈だから、あと一日まってくれないかい?」

申し訳なさそうにあやまる店の主人に対して、怒ってみても仕方の無い事。
だが明日までなんて、到底待てるものではない。
第一、悟浄の愛用する煙草は在庫があるのだ。

目の前でおいしそうに煙草をふかす悟浄に、三蔵が切れないはずは無い。
これ以上のごたごたはごめんだと悟空は思う。
そうでなくても連日の強行が疲労を極限にまで追い詰めているのだから。
せめて三蔵が大好きな煙草くらい早く吸わせてあげたい。

「その隣町って遠いの?」

だったら自分に出来る最大限の努力は惜しまない。
三蔵のためなら、尚の事。

「いや、そんなに遠くも無いかな。歩いて2.3時間いけばつくはずだよ?」

そこに行けば欲しいものは簡単に手に入るのだ。
だったら、選択の余地は無い。
きっと少し怒った顔で、でも嬉しそうに煙草を吸うだろう三蔵を想像した悟空の顔が綻んだ。

「もしかして、今から行くつもりかい?駄目!駄目!!町に行くには深い森を通らなくちゃならないんだよ?今から言ったとしても、帰るころには日が暮れてしまうじゃないか?!」

危ないだろうと、険しい主の顔にはこんな子供が・・!という言葉がはっきりと浮かんでいた。

それも仕方ない事だろう。
なんていっても、この煙草を買い求めにきた少年の年を18だと言ったところで信じられない事は、この男に限った事ではないのだから。

多分、両親に頼まれた御遣い物。
そんな風にしかこの男の目に、悟空は映ってはいないはず。
黙って行かせて途中でもしもの事でもあったら大変だとばかりに声を荒げる店の主人の声も。
頭の中が三蔵一色の悟空の耳に届くはずも無い。

「へ-き、へ-き!!俺なら1時間で着いて見せるぜ?!」

言うが早いか、脱兎のごとく店を飛び出してゆこうとした悟空の足が止まってしまった。

「・・・で?隣町ってどういくの?」

惚けた質問に主人の肩ががくりと落ちた。



「あ。悟浄、どうでした?」



その頃。
残された3人は待てど暮らせど帰ってこない悟空を心配して、結局自分の煙草を買いに行くと言い出した悟浄の帰りを八戒と三蔵が待つ。
と言う事態に陥っていた。

どうせ悟空の事だから、おいしそうな食べ物の匂いに釣られてふらふらと道草を食っているのだろうと言うのんきな考えを破ったのは、迎えに出たはずの悟浄の姿。
小さな町だから、てっきりあとから迎えに行った悟浄とともに騒がしく帰ってくるだろう姿の無い事に怪訝そうに顔を曇らせた八戒。

「最悪。三蔵の煙草が切れてるらしくて、子猿ちゃんてば隣町まで遠征しちゃったらしいぜ?」

そう言いつつ、ちらりと視線を促した三蔵はテ−ブルに座って新聞を広げたまま微動だにしない。

「まあ、そう遠くないみたいだからもうそろそろ帰ってくるんじゃないかって店の主人も言ってた事だし。」

だから待とうぜ?立ち上がりかけた八戒を、悟浄の視線が制する。

「・・・でも、そろそろ日も暮れますし・・・」

「ガキじゃあるまいし。心配する事もねえだろうよ?」

八戒の言葉を途中で遮ぎるように呟いた悟浄が空いているイスへと腰掛けた。
悟浄の手には愛用のタバコが握られている。
それでも吸わないのはこの男なりの気遣いなのだろう。

そこまで言われてそれでも何時もの八戒なら迎えに言ってくるといいそうなものだ。
なのに、悟空の意図するところがわかってしまっただけに仕方なく八戒は、浮かしかけた腰を再び下ろしてしまった。

悟空はただ三蔵に喜んで欲しいのだ。
言葉なんて無くても、きっと美味しそうに煙草を吸う三蔵を見るだけで悟空の幸せは満たされる。
苛々を募らせた三蔵の喜ぶ顔が見たくて、此処につくなり一目散に出かけていったのだろう。
だったら、ここでその手助けをして喜びを半減させてしまうのは忍びない事。
悟空にとって、ひとりで買ってくる事にこそ意義があるのだから。



がたん・・・!



とそれまで我関せずを決め込んでいた三蔵が、いきなり座っていたイスを倒さんばかりの勢いで立ち上がった。あっけに取られる二人の目の前で、三蔵の目は遠くを見つめている。
まるで何かを聞き入るようなその仕草にはっと我に返った八戒の顔が強張った。

「三蔵・・・?!悟空がどうかしたんですね?」

八戒の言葉を最後まで聞き入れずに、徐に三蔵が外へと通じる扉に向かって歩き出した。

「三蔵?!」
「・・・お前らはここで待て。」

振り向きもせずに言うだけ言うと、三蔵はひとりで言ってしまった。
それを追いかけようと立ち上がる八戒の腕を掴んで制する悟浄。

「・・・っ?!離してください悟浄!!」
「おれらが待っててやんなきゃ、万が一帰ってきたとき心細いだろうが?」

悟空が。
だろ?とさりげなくウインクをする悟浄に、溜息交じりの苦笑が漏れる。

「・・・そうですね。」

三蔵が出て行った扉を見つめて八戒が呟いた。
その隣で、カチリと乾いた音が響き、悟浄が久しぶりとなった煙草を深く吸い込んだ。





















なかば脅すように聞き出した隣町までの道は意外と簡単なもので、これなら方向音痴の自分にも行かれそうだと思ったのに。
近いと言われて行ったその町はかなりの距離で、帰路に着いた頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。
きっと三蔵たちは心配してるに違いない。

黙ってきてしまったけど、きっと後から自分の煙草を買いに来たであろう悟浄あたりが自分の行く先を聞き出しているに違いない。
だったら心配をしているのは八戒。
三蔵はきっと今を遅しと待ちくたびれている事だろう。

「早く帰らなくちゃ・・・。」

胸に抱えた包みを大事そうに抱えなおして、悟空が帰るその足を速めた。



「・・・へへへ・・。こんなところを一人で歩いてるなんて、馬鹿なガキだぜ。」



唐突に目の前に現れた人物に、悟空の歩みが止まる。
気がつけば、いつのまにかすっかり周りを取り囲まれてしまっているではないか。
帰りを急ぐ事に気をとられて、こんなにも囲まれてしまうまでの距離を許した自分の甘さに悟空が舌を打つ。

「そんなに急いでどこに行くのかなあ?」
「少しでいいから、俺たちと遊んでくんない?」

くすくすと下卑た笑いが沸きあがる。

「・・・お前たちには関係ないだろう。急いでるんだから邪魔するなよ・・・!」

きつく相手を睨んでも、ただの子供だと思う彼らには怯える気配すらない。

”2....30人てとこか・・・”

ぐるりと自分の周りを見渡した悟空は、仕方ないと言ったように腹を括った。
所詮相手は妖怪。
何を言ったところで聞く耳を持つはずも無いだろう。
だったら、さっさと肩をつけてしまうに越した事は無い。

今にも飛び掛ろうとする妖怪たちに身構えた悟空は、如意棒を召還しようとして腕に抱えた包みに気付く。
一瞬だが、悟空の気が反れた事を察知した妖怪たちが目の前の獲物にいっせいに飛びかかった。






「・・っ・・・!あと・・・3人・・・!!」

そこかしこに浅いとはいえ傷を負った身体をなんとか踏ん張って、手にした如意棒を握りなおす。

「て・・めぇ・・・!!ガキだと思って下でにでてりゃあ好き勝手やりやがって!」

ぜえぜえと荒い息をついている悟空とは対照的に、息も乱していない残りの妖怪たちが怒りをあらわに手にした刀を振りかざす。
たかが子供、と侮って招いた仲間の死に。
血走った目が小さな身体を睨みつけていた。

「うおおおおお!!!」

甲高い叫び声とともに切りかかってきた妖怪のひとりの胸に、情け容赦の無い一突きが繰り出され、その身体を塵となす。

「・・・くぅ・・・!」

手に伝わる衝撃が殺した妖怪の身体の消滅とともに軽くなる。
途端に肩膝をついて崩れる悟空の背に、残った片方の刀が間髪をいれずに振り下ろされた。
それを何とか身を捩って逃れた悟空の肩に、声も出ないほどの痛みが走った。

「・・・?!」

から・・・ん・・・

乾いた音を立てて悟空の手から、血に濡れた如意棒が落ちた。
ぬるりと腕を伝う気持ちの悪い感触。

落ちた如意棒を掴もうと力を入れようとしても。
すでに血に染まった右手は使い物にはならない。

残った片方の手を伸ばせばその目的は達する事が可能なのに。

悟空は未だ大事そうに抱えた腕の中のものを離そうとはしなかった。
よろよろと立ち上がった悟空の姿を見て、妖怪の口から勝ち誇ったような笑みが漏れた。

「これで終わりだ・・・!!」

すでに打つべき手立ては残されてはいない。
せめてこれだけは。

次にわが身に降りかかるであろう衝撃から、腕の中に抱えているものを守ろうと懐深く抱き込んでゆく。
ふらりと倒れ掛かった悟空の身体。
だが、その身体を襲うはずの衝撃は感じられず。
地に身体を打ちつけた痛みも無かった。

ふわり・・・。その身体はまるで重さを失ったかのように力強い腕の中に抱えられていたのだ。
そう感じたときには悟空の意識は半ば失われてゆく途中であった。
だが、力の無い身体を受け止めている胸に微かに残る香り。
嗅ぎなれたその懐かしい匂いが、悟空の意識の底で大切な人と重なりあう。

「・・・ん・・ぞ・・・」

全ての意識を手放してしまった悟空の身体を、大事そうに抱えなおした男が俯いて見えなかった顔を上げた。
その男がつまらなさそうに目の前に転がる妖怪の死体に目を向ける。

「人の獲物を横取りしようなんてするから、天罰があたったのさ。」

静かに呟いた男が、再び腕の中の身体に視線を落とす。
愛しそうに細められた男の瞳は漆黒の闇を髣髴とさせる。
血なまぐさい風に揺れる髪もまた、黒。

月明かりに照らし出された男の姿を目にするものはすでに誰一人いない。
だが、もしも誰かがその姿を目にしたとしたら、この場にそぐわない姿の中で気をも失わせてしまいそうな瞳に身体を震わせていた事だろう。

悟空の力の無い身体を抱えていた男が、ふと気付いたように己の手を持ち上げる。
目の前に掲げられたその腕を染めているのは暖かな赤。
じっと見つめた手から流れるその血に。
何を思ったのか、いきなり男が腕を引き寄せて伝う血をぺろりと舐め取った。

「・・・あまい。」

呟く男の瞳が怪しげに揺れている。
抱き込んだ小さな身体を抱えあげようとして、その腕に抱えていたものが男の視線を捉えた。

「なるほど。怪我の原因はそれか。」

子供には不釣合いなその包みに、自分の知る限りではこんな雑魚どもに負けるはずの無いだろう理由を悟った男が笑う。

「愛されてるねぇ・・・。」

妬けちゃうなあ・・と意識のない悟空の耳元でそっと囁く。
ふいに何かを聞き分けるように耳を済ませた男は、何事も無かったかのように手近な木を選んでその根元にかけた子供ごと腰を下ろした。
そのまま血の気の無い青ざめた悟空の身体をより深くその腕に抱きこむと、何かを待つようにまっすぐに何も存在しない空間を見据えた。




































隣町へと続いている森に伸びている道を歩く三蔵は、暫く歩いてゆくうちに鼻を突く異様な臭いに顔を歪めた。この臭いは紛れも無く血の臭い。

「ちっ・・・!」

悟空の声は宿で一度だけ聞こえた。
切羽詰ったような声はそれきり聞こえてはこない。

三蔵は頭に浮かぶ不吉な考えを振り払うように、森の置く深くへと足を速める。



その三蔵の行く手に広がる光景。
多分そんな事だろうと想像はしていたのだが、あまりの惨状に思わず慣れているはずの三蔵でさえ目を覆いたくなってしまった。
倒れているのは妖怪。重なり合う死体には、原型を留めていないものもある。

誰がやったのかは想像がつくつくが、ここまで手当たり次第に敵を倒すなんて事は無かったはず。
常の悟空なら倒すのに容易い相手。
ここまで見境も無しに切り刻むほどの切羽詰った理由があったとしか考えられない。
だがその理由がわからない。

そんな事を考えながら死体の山を慎重に通り抜け、 その中に目当ての者がいないことにほっとした三蔵がはっと顔を上げた。
その鋭いまでの視線が森の中を睨みつける。
あからさまに怒りをあらわにした三蔵は、静かに視線の先へと足を進ませて いった。

がさり・・・と掻き分けたその先にも転がる死体。
だが、それよりも三蔵の瞳が捉えた光景が、堪えていた怒りを爆発させた。



「・・・壊ぃ・・・・きさま・・・?!」



捜し求めていた大切なものを大事そうに抱えて座っているのは、この世でもっとも嫌いな男の姿。



「やあ。遅いじゃない?三蔵。」



まるで見せ付けるように。
悟空の頬に唇を寄せて呟くその姿に。
三蔵が切れないはずは無い。



がう・・・んっ!!



先ほどから愛用の銃をその額に構えていた指に、知れず力がこもってしまった。
この位置からでは腕の中の悟空にも幾らかの衝撃が伝わってしまう。

しまった!と思ったときには引き金を引いた後。
だがそんな三蔵の心配もよそに、涼しげな顔の壊は避けるそぶりすら見せずに笑っていた。



ぱん!



乾いた音を立てて弾丸が壊の目の前で消滅する。

この弾には目の前で憎らしいまでの笑みを湛える男、壊の気が込められている。
だからこれがこの男を傷つける事など万に一つもありはしないのだ。
そうと解っていても、少なからず放ってしまった弾丸を悔いた事を、内心しまったと毒づいた。
だがそんな事はオクビにもださない三蔵の顔は微動だにせず壊を睨みつけたまま。



この男がどうしてこんなところにいるのかは愚問。



今更、この男の神出鬼没さに苛ついて見せたところで何の特にもなりはしない。
それどころか逆に面白がせるだけなのは過去の経験から十分にわかっているから。
なるべくなら係わりたくなど無いのに。

どういうわけだか悟空をえらく気に入っている男の事。
悟空が三蔵を呼ぶ声を聞きつけて、からかってやろうとふらりと現れたに違いない。



その視線を腕の中の悟空へと移した三蔵は息を呑む。



悟空を抱く壊の周りは血の海と化していた。

この男の事だ。
自分が痛手を負うなんて事を許すはずが無い、だとしたら、これはその腕の中で意識を失っている悟空のもの。



「さっさとそいつを渡しやがれ・・・!!」



ずかずかと近づいてくる三蔵に、やれやれと溜息をついた壊が悟空を抱き上げて立ち上がる。
目の前の三蔵にその身体を渡してやりながら、三蔵の耳元でそっと壊が呟いた。

「この子に怒っちゃ駄目、だぞ?」

なにをと言いかけた三蔵に、壊が意味ありげな視線で悟空の手元を指差した。
何が?とその視線を追った三蔵が悟空の腕の中で大事そうに抱えている包みをみつけてはっとする。



マルボロ・・・1カ−トン。



傷つきながらも最後まで放そうとしなかったそれを見て、三蔵が苦い笑いを口元に浮かべた。



「それを守るために、ひとりで頑張ったんだから。」



ね?と壊が悟空の血に濡れた髪を撫でた。
その手から悟空の身体を引き離すように後図さって、三蔵は再びきつい眼差しを壊へと向ける。



「で?猿の手当てもせずにお前は何をしにきたんだ?」



受け取った悟空の背から流れるぬるりとした感触。
それは未だ受けた傷から流れる血。
せめて一時も早く血止めだけでもしていてさえくれていたのなら。
この男に対する嫌悪も幾分かは薄れていただろうに。
以前にもまして、いやそれ以上の怒りに身体が震えてしまう。



「・・・死に瀕する悟空の顔は、いつになく美しかったぜ?」



流れ落ちようとする命の甘い疼きを思い出したように、彷彿とした顔を見せる壊。

それに怒りをぶつけたい衝動が突き上げるが、今は悟空の身体のほうが優先する。
これ以上この男の顔を見ていると気が変になりそうだとばかりに、無言で背を向けて立ち去る背中に壊の一言。



「近いうちにまた会おう。」



その言葉とともに男の気配が消滅する。

これは本気で銃の弾を変える算段をしなければならんな・・・。
三蔵が誰もいない闇の中で呟いた。

それを聞いていたのは、天井からやわらかい光を注いでいる月だけであった。































・・・・?






なんか・・・・懐かしい臭いがする・・・?






うっすらと、重い瞼を開けてみた。
ぼんやりと霞む瞳を何度か瞬かせて、悟空が暗闇の中でほのかに光る灯火を捉えた。



「・・・目が覚めたか?」



その光の方角から、低くて透き通った声がした。



「・・・さん・・・ぞ・・?」



ぼんやりと霞む目の前と同じに、記憶の曖昧な悟空が部屋にいるであろう声の主へと身体を起こしかけて、身体に走った痛みに声を詰らせた。

「・・・っ?!」

なんで?と身体を抱きこむように蹲った悟空の背中に、大きくて暖かな手がそっと添えられた。

「無理するんじゃねえよ。八戒が傷を塞いでくれたが、けっこうな血が流れたんだ。もう少しおとなしくしてやがれ。」

添えられた手が促すままに寝台に身体を横たえる。
すると、真上から自分を心配そうに見下ろす紫暗の瞳と視線がぶつかった。
途端にあふれ出す記憶の波。一気に突き上げてくるいろいろな出来事が、頭の中をめまぐるしく駆け巡り、気持ちが悪くなるような衝動に慌てて口元を押さえて耐えた。

「だから無理するなって言ってんだ。」
「・・・う・・ん・・ごめ・・・・さい・・・」

優しく囁かれる声に突っ込む元気すらない。
絶対に怒られると思ってたのに。
思っていたけど、結局は呼んでしまったのだろう。
声なき声で。その名を。だから、きてくれた。

それがとても嬉しかった。

おとなしく瞳を閉じてしょげる悟空に見えないように、ふと三蔵の口元を彩る笑み。
きっとそれを悟空が見る事が出来たなら。
例えようも無く愛しいと顔に書いてあるようなその笑みに、顔を赤らめて魅入ってしまったに違いない。

だが今は勝気なその金の瞳は、力なく閉じられたまま。
ぽんぽん、と柔らかな髪を揺らして三蔵が悟空の頭をそっと、あやすように叩いた。

悟空がその手のあまりの優しさに瞳を開けたときには、すでに悟空から少し離れた場所で煙草に火をつける三蔵がいた。
ゆっくりと、味わうように吸い込む煙を吐き出す三蔵を見る悟空の瞳が満足げに細められた。

「・・なんだ?」

その視線に気付いた三蔵が照れくさそうな顔で振り返る。

「・・・ん。おいしい?」

悟空の意図するところを解ってか、三蔵が瞳を伏せてああと呟いた。




よかった。

喜んでくれたんだ。




結局、その手を煩わせてしまった事を差し引いても。
自分のした事が役に立った事に、悟空は安堵の表情を浮かべる。




あの時。



確かに感じた気配は、三蔵のものだったと思えるのに。

何故だか、何かが引っかかっているような胸の仕えが残るけど。
それでも今、こうして三蔵が傍にいてくれるから。どうでもいいや、と記憶の底に蓋をする。

煙草をふかす三蔵の姿。それが悟空が見慣れた何時もの光景。
何となく、煙草を吸わない三蔵は違う人のように見えて、悟空だって居心地が悪い。

目の前の三蔵は、もう何時もの三蔵だから。
だから、それだけでいいのだ。そう心の中で呟いた。




「そういえばお前、煙草を吸ってみたかったんだよな?」



何を突然、と驚きに目を見開く悟空。
きっと、先日の悟浄との一件を根に持つ三蔵の意地悪だろうと踏んだ悟空の顔が一瞬で曇ってしまった。

「・・・もうそんな事思ってないもん!!」

誰が好き好んであんな不味いものを吸いたいと思うもんか!!

年に似合わず可愛さを残したままの顔を膨らませて悟空が抗議の声を上げた。
くつくつと笑っている三蔵にからかわれたと気付いたときには、今一度自分を見下ろす紫暗の瞳の間近なことに悟空の肩が揺れていた。










「そんなに吸いたきゃこれでも吸っとけ。」










え?と僅かに開かれた唇に重なる柔らかな感触。
重ねた唇から注ぎ込まれたのは、いつもの熱いそれではなくて彼の吸っていた煙草の煙。
三蔵の唇が離れた後に広がる、苦い味。



「・・・やっぱ苦いじゃんか。」



悟空がぼそりと本音を漏らす。

その呟きを聞いた三蔵の肩が僅かに揺れて。
とうとう堪えきれなくなった笑い声が暗い室内に軽やかに響き渡る。











「たまには苦いキスもいいモンだろう?」











END




* * *



おめでとうございます!

祝・100000HIT!!

沢山の人が来てくださるからでも、そうして沢山の人を集めるだけの魅力を持っているサイトだから出来る事。
それはひとえにmichikoさんの魅力の賜物だと思います。
いつぞやは私のサイトに笙玄さんを頂きましたので、代わりといってはお恥ずかしい限りのお話ですが、
うちの荒くれ者(?)壊くんを謹んで贈呈させていただきます。
折角のお祝いの席に、血なまぐさい話を持ち込んだご無礼をお許し下さいませvv
これからも沢山の言葉で、私達に幸せを分けてください!




<高草木にあ 様 作>

サイトの10万Hitのお祝いに、にあ様から頂きました。
煙草に興味を持って、悟浄にそそのかされる悟空が可愛いと思いきや、一途に三蔵のために煙草を買いに走る悟空。
危機一髪を助けてくれた壊は、屈折してるくせに悟空がお気に入りで…血生臭いとにあ様は仰っていますが、
もうそんなの何処吹く風のように甘さ満載の三蔵と悟空でした。
そして、背景に三蔵のイラストを一緒に頂いたのですが、もったいないので別に飾らせて頂きました。
ぜひ、
こちらから飛んでいって、ご覧になって下さいませ。
素敵な三蔵と逢えること必死です。
にあ様、素敵なお祝いををありがとうございました。
私は世界一の幸せ者です。

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