「・・・・冗談だろ?」

その日、三蔵からちょっとした用事を言い渡された悟空は、ひとり滞在する町から離れた寺へと出かけていた。

用事自体はたいした事は無かったからすぐにすんでしまったし、何より長居をしたいような場所ではなかったから、早々に引き上げてきた。後は真っ直ぐに、三蔵達が待つ宿に帰るだけ。ぶらぶらとご機嫌で歩く悟空は、来た時には気がつかなかった綺麗な森を見つけてしまった。緑の美しい木々が、遊んでおいでと悟空を誘う。

それになんだか奥のほうから美味しそうな臭いも漂ってきたのだから、こんなチャンスをやすやすと見逃す悟空ではない。なんといっても、今日は煩い小姑・・・もとい、保護者に怒られる事は無いのだ。誰にも咎められることなく伸び伸びとした時間を過ごせるなんて久しぶりの事だったから、ついつい時間を忘れて遊びに夢中になってしまった。

気がついたときには、もう日が傾きかけていて。

慌てて戻った悟空が目にしたのは、一目で襲われたと明らかなほどに崩れ果てた宿の姿。

「悟浄!!八戒!・・・」

名前を呼んでも返事は無い。

「・・・・三蔵・・・。」

気を張り巡らしてみたところで、何時も側にあった気配すら感じられはしなかった。




The end and beginning

終わる世界、はじまりの物語




「兎に角。ここから一番近い町に行こう。」

幸いな事に、壊された宿以外には怪我人も無く。何とか宿の主から聞きだしたところによると、襲ってきたのは妖怪たち。もちろん三蔵の経文が目当てだ。

多分、町の人たちを巻き込みたくなかったからだろう。だから敵を引きつけて町から遠ざけた。宿の主が最後に見たという、三蔵達が向かった方角には、かなり遠いが町があるという。妖怪たちを倒してところで、三蔵達が此処へと戻ってくる事は有得ない。

だったら自分が追いかけて行くしかない。

「まったく・・・。俺を置いてくなんて、三蔵酷すぎ。」

遊んでいて帰りが遅くなった原因は自分にあるのに。それを棚に上げて、悟空は三蔵の行動を責めた。

「・・・・俺が間に合わなかったから。だから仕方なかったんだよな?」

故意に置いていったのではないと、判ってる。信じていないわけじゃあない。だけど言い知れない不安が悟空の心を苛んでいるのだ。

「歩いていったら、一体何日かかるんだよ・・・。」

誰が聞いているのでもないけれど。努めて気持ちが沈まないように、明るく振舞おうとする悟空。考えたら、きっと余計な事まで疑ってしまう。悲しみに押しつぶされてしまうだろう。

「・・・よし!!」

暗闇の中。月明かりを頼りに悟空は一歩を踏み出した。

「・・・・?」

幾らも行かないうちに、遠くから聞こえる音に耳を済ませた悟空が立ち止まった。

聞きなれない音。

今は微かに風に乗って聞こえるだけのその音は、だが確実にこちらに向かって近づきつつある。こんな荒野の真ん中で、身を隠すものなんて何も無い。

ここで妖怪に襲われたりでもしたら、幾ら悟空といえどもただではすまないだろう。

でも、逃げる事もかなわないのなら。正面から受け止めてやる!!と、決意を滲ませた瞳が音のする方角を睨み据えた。

耳障りな音は次第にその姿を見せはじめた。音の大きさの割には小さな影。第一、この音は自分達が乗っているジ-プの出す音にかなり近かった。

こんな夜に、こんな荒野を行くものなんてたかが知れている。どうせ碌なヤツではないはずと、気を引き締める悟空の瞳に、その影はだんだんと大きく、はっきりとした姿を見せ始めた。その見慣れない姿に、暫し驚愕する悟空の目の前を、それは一陣の風のように通り過ぎた。

「・・・え?わっぷ?!」

巻き上がる砂塵に視界を奪われ、吸い込んでしまった砂に激しく悟空がむせ返る。

―――ばるん・・・!

と、通り過ぎた風が、聞きなれた音を立てて停止した気配に、悟空はなんとか片目を開けて音の止んだ方向を見据えた。

「・・・おや。こんなところで誰かと思えば。悟空じゃないか。」

未だ視界の悪い向こうから、これも聞きなれた声が聞こえる。

「こんなところで、ひとりで散歩でもしてるのか?悟空。」

次第に煙の収まりかけているその場所には、見た事もない機械に跨った一人の男が乗っていた。

「・・・・壊・・?」

「とうとう三蔵に愛想を尽かされちゃった?」

ばるん・・・と、ひときわ大きな音を立て。跨っていたそれから降立った男が、顔を覆っていたグラスを脱ぎ捨てた。

「・・・おまえこそ!なんでこんなトコにいるんだよ!!大体、何だよ!あれ?!」

悟空の気に障るようなことを次から次へと指摘しながら近づく男の、その姿。

悟空を見下ろすほどの長身。闇夜に紛れてしまいそうな漆黒の髪。髪よりももっと深い、底なしの闇を思いおこさせるような黒い瞳。

「ああ。あれ?あれはね、バイクって言う前世紀の遺物さ。少し前に、とある遺跡から掘り起こされたのを、とあるつてから譲り受けたって訳。」

優しいとさえ言えそうな笑みを湛えた男は、そういって肩を竦ませる。

「さて。こんな夜中に、迷子くんは何処まで行くつもりなのかな?」

言葉の最後にかちんときた悟空は、顔を真っ赤にして大きな声を上げる。

「迷子じゃない!!三蔵達とは別行動を取って、隣町で待ち合わせてるんだい!!」

おやおや・・・。拗ねてしまった可愛らしい顔に、思わず壊が苦笑する。そんな壊を見て、笑われた事すら気に入らないと、ますます悟空が頬を膨らませた。

「ちょうどいい。俺もこれからその近くに用事があっていくところだったんだ。少し遠回りになるけど、隣町まで俺が乗せていってあげよう。」

壊はそう言って、自分の被っていたメットを悟空の頭にちょこんと被らせた。

「げっ!アレに乗るのかよ?!」

身につけたことも無い硬いメットを嫌そうに手で押さえながら、すでにバイクに跨っている壊の横で、悟空が唸るような声を上げた。

「嫌なら歩いていくかい?隣町までは悟空の足で3日はかかるけど。」

「・・・うっ・・・」

にやにやと、意地の悪そうな笑みで見返す壊の一言が止めを刺した。

「飲まず食わずで?」

「し、仕方ないから一緒に行ってやるよっ!」

飲まず食わずで3日なんてとんでもない!壊の気が変わらぬうちにとばかりに、悟空はそそくさとバイクに跨る壊の後ろに乗り込んだ。

「しっかりつかまってないと振り落とされるから。堕ちたらそのまま置いていくぜ?」

爆音を立てるバイクの音に耳を塞いでいた悟空は、慌てて壊の背中にぎゅっと抱きついた。

「それではお姫様。夜のドライブと洒落込みましょうか?」

「俺は女じゃない!姫って言うな!!」

「じゃあ、小猿ちゃん??」

続けて抗議の声を上げそうになった悟空に構わず、いきなり壊はバイクを走らせた。あおりを食らって後ろに仰け反りそうになる身体を何とか持ち直して。さっきよりも、もっと強い力で悟空が壊に抱きついた。

「・・おれは姫でも、猿でもない!悟空だ―――――っ!!!!」

切付ける風に負けじと悟空が声の限りに叫ぶ。その声に重なるように、壊がさも面白いとばかりに笑い声を響かせた。

とくん・・・とくん・・・。

重ね合わせた耳から聞こえる、規則正しい音。

はじめのうちは、落とされまいと必死にしがみ付いていただけだったけれど、慣れてくるにしたがって聞こえる騒音を消し去るようなその音に、悟空は静かに聞き入っていた。

ぎゅっと瞑っていた瞳を開ければ、流れ行く景色がまるで走馬灯のように後方へと消えて行く。

世界は静寂の中にある。こんなにも人の体温を身近に感じながら、この世界にいるのが自分だけであるような錯覚さえも感じさせられて、思わずぞくりと身体を震わせた。

別にたいした事じゃない。

三蔵と別行動するなんて今に始まった事ではないし、だいたい置いてかれるのなんて慣れっこだった。三蔵と暮らしたあの寺で、いつだって留守番を強いられたのは自分のほう。はじめのうちは帰ってこないのではないかと眠る事すら出来なかったけど。それだって一年もする頃には、だいぶ落ち着いた。

あそこが三蔵の帰るべき場所だとは到底信じがたいものだったけど、不安がる悟空に、たった一度だけくれた言葉を信じていられたからこそ、孤独にも耐えられた。

「お前が俺の帰るべき場所だ。」

だから必ず三蔵は帰ってくる。

絶対に、置いてなんかいかないって。逝くのなら一緒だと、そう言ってくれたのだ。

それは悟空にとって一番欲しかった言葉。

好きな気持ちも、悲しみも。なんにも知らなかったころになんてもう、もどれっこない。

そんな悟空の気持ちをわかってくれた。ひとり在る事を望んだ孤高のひとが。自分を受け入れてくれた。だから悟空は、三蔵が自分の側に在る事を疑わない。

今度の事だって、きっと意にそぐわない結果ゆえの事と。思っているのに、内なる声が悟空の心を惑わすのだ。

お前を使いに出したのは、妖怪の強襲に足手まといと思ってのこと。

厄介者を追いはらえて、きっと三蔵はせいせいしてる事だろう。

確かにたいした用でも、急ぐほどの内容でもなかったのに・・・。と。

考えかけて、はっと我に返る。

と同時に、きっ・・・と甲高い機械音を響かせて、乗っていたバイクが停止した。

ばるん・・・・ひときわ大きい爆音を最後に。ふたりを乗せたバイクは完全に沈黙をする。

「・・・・壊?」

よいしょ・・と跨っていたバイクから降りた壊に、何事かと悟空は首を傾けた。

「走りつかれたから、少し休憩。・・・それにあのまま走ってたら、うとうとし始めた悟空を落っことしかねなかったからね。」

「//////!」

真っ赤になって俯いてしまった悟空をせかして、荒野に突き出た岩場へと壊はバイクを移動させる。

・・・・そう。あまりにも気持ちがよかったから。なんてこと、絶対に言えないから。

疲れが出たんだろうと笑う壊の言葉にも、何も言い返すことは出来なかった。

「夜が明けるまで少し眠ろう。」

岩場で遅めの夕食にありついて。揺れる火の側で身体を横たえた。

さっきまではあんなに眠くて仕方が無かったのに、今は何でか目が冴えてしまった。それでも何度も眠る努力はしてみた。けれど、眠ろうと抗えば抗うほどはっきりと覚醒する思考。はあ、と大きな溜息をついて悟空は眠る努力を放棄した。

そっと向かい側に眠る壊を伺ってみれば、かの人はよほど疲れていたのであろう。静かな寝息が聞こえている。こんなときの三蔵は、よほどの事が無い限り起こすとその後の機嫌は最悪だ。眠れるときは寝る。そうやって、幼い頃から教え込まれていた悟空は。

だから細心の注意を払って、眠る壊の邪魔をしないように静かにその場を離れた。

広い荒野に、突き出たように影を落とす岩場の淵に座り込んで悟空はそらを見上げる。

何も判らずに閉じ込められていた岩牢で、ただ空を見上げるしかなかったあの頃。

暗い世界を一掃し、色鮮やかな世界を齎す太陽。その眩しさに憧れていた。

なのにその一方で、闇夜に浮かぶ月もまた好きだった。何も見えない夜の世界を、白一色に浮かび上がらせる月。

どうしてなのか、もちろんわかるはずなんて無かったけれど。月を見ていると胸が締め付けられるように苦しくて、涙が溢れるくらいに切なくなる。だけど瞳を逸らす事さえ出来なくて。

三蔵は太陽。

何も持たなかった自分に、色鮮やかな世界をくれた大切な人。

なのに、こうして今でも悟空は月を見上げて涙する。消えてしまった記憶の彼方に見え隠れする、微かな想いだけがそれを求めて止まないのだ。拾われた頃はよく夜中に寺を抜け出しては、こうして飽きることなく月を見つめていた。それを知った三蔵は、悟空を責める事はなく。ただ黙って悟空の好きにさせていた。何時からだろう。悟空の意識から月の存在が薄れていったのは。決して想いを断ち切ったわけではなかったけれど、見てくれだけではない、太陽の。自分に向けられた暖かさが嬉しくて。もう月に心囚われる事はないのだと、目の前の現実が全てなんだと思えるほどになっていた。

だけど、たまにこうして胸が苦しいときがある。原因なんて些細な事。いつもは目まぐるしく訪れる出来事に隠れて、意識の奥に沈んでいるけれど。

「・・眠れないのか?」

静寂を破って、唐突に声がしたことに驚いた悟空の身体がびくりと竦みあがった。

「眠くなくても、少しでいいから身体を休めておかないと明日が辛いぞ。」

「・・・・壊。」

振り向いた先には、月明かりが無ければ見つけることは不可能と言ってもいいだろう男の姿があった。まるで闇の中から生まれ出たようなその姿は、気配ですら闇に解けて感じる事さえ困難なほど。だがその姿に反して、悟空に近づいた壊の浮かべた笑みは、まるでこの月のように穏やかな光が灯っているかのようであった。

「・・・・不安で眠れない?」

悟空から事の経緯を聞いていた壊は、その心を見透かすかのように瞳を細めて問いかける。そうではない、そういいたくて緩やかな仕草で首を振ってそれを否定した。

壊が言う、不安がないと言えば嘘になる。だけどそれを認めてしまったら、結局は自分は何一つ変わることが出来ないのだと認めるようで嫌だった。

「・・・月を・・・。見てた。」

無言で隣に腰掛ける壊から視線を逸らせて、再び頭上に輝く月を見上げながら悟空は独り言のように呟いた。

「悟空は月が好きなんだ。」

太陽が側にあるのに。その言葉の裏側に揶揄された意味を知らぬ振りで受け流し、まあねとそっけなく悟空は壊に応えを返す。

「俺さ。昔の記憶がぜんぜんなくて。なのになんでか月を見てると気持ちだけが溢れてくるんだ。」

月を見上げる悟空の瞳は、まるでその光を映しとったかのような金の色。

「何時かどこかで、誰かとこうして月を見上げて。他愛もない話とかさ、してのかもしれない。そんな事さえも覚えていなくて、だからきっと失くしてしまった記憶が悲しいって、そういってるような気がするんだ。」

その悲しみがあまりにも大きくて、だからそれに押しつぶされそうなときがある。

「三蔵には内緒だけどさ。」

三蔵に知られたら、きっとまだそんな事に囚われてるのかって怒られる。そういって、悟空は微かに笑った。

「悟空は自分の過去が知りたい?」

ややあって、壊が静かに呟いた言葉。

「自分がなんで、何処から来たのか。・・・・月を見て込み上げる悲しみの理由を。」

知りたくないとは言えなかった。過去は過去。知ってどうなるものではない事も十分承知しているけれど。記憶の中でしか生きることの出来ない誰か。自分が忘れてしまったら、記憶の中でしか生きることの出来ない誰かが悲しすぎると悟空は思う。

「・・・よく・・・わかんない・・・。」

人は皆、過去において経験した記憶を踏まえて明日を生きる。二度と同じ過ちを犯すまいと、足掻き続けて生きてゆく。その過去を持たない自分が、同じ罪を犯さないと誰が言えよう。

「三蔵は、今を精一杯生きて行けと言っただろう?」

大切な事は今をどう生きてゆくのか。たとえ過去においてどんな罪を犯していたとしても、そのどんな罪をも犯さないような生き方をすればいいのだと。三蔵はいとも簡単に悟空の苦しみを解き放ってしまった。

「過去を持たないものの悲しみは、記憶の無いやつにしかわからないかもしれない。だが何時までも無くしたものに囚われて、一番大切なものを再び失くすような事はするな。」

だろ?

まるで三蔵の言葉を聞いていたかのように、同じ言葉を壊が告げる。

「うん。」

判っている。けれど、幾ら頭でそうと思っていても、あふれ出す思いを止める術を人は持ち得ない。吹っ切れたと思っても、ふとした拍子に流れ出す感情は隠せない。

「・・・・前から一度聞きたいと思ってたんだけど・・・。」

唐突に話の矛先を自分へと向けられて、だが壊は無言で悟空の次の言葉を促した。

「壊はあそこでずっとひとりでいるって、三蔵が言ってた。壊は寂しい事ってないの?」

壊と自分では、ひとりという意味が違っても。ひとりの寂しさは同じだと思っている悟空には、どうして壊が今でも孤独のままでいるのかが理解できなかったのだ。

「・・そうだな。過去を持たないという点においては、俺と悟空は近い存在なのかもしれないな。」

「・・・・過去を持たないって・・・?」

いつも側にあるわけではないけれど、壊との係わり合いはかなり長いほうだといえるだろう。なのに、悟空も三蔵も。壊という男の事は、何ひとつといっても過言ではないくらい知りえる事は無いに等しかった。

「記憶が無いと言う意味じゃない。昔の事なんて思い出せもしないほど、長い時間を生きてきたから。」

永遠の棲む場所。

何時からそこにいるのか。いったい何時まで時の狭間を旅して行くのか。

そんな事は忘れてしまった。

そんな事に興味は無い。

言葉にしない壊の瞳が、如実に心のうちを告げてくる。

「だって・・・」

思い出すことも出来ないくらい、ずっとひとりなんて寂しすぎる。言葉には出さなくても。悟空の悲しげな瞳は、その奥底に潜む心のうちを曝け出していた。

「誰もが必ずしも寂しいと言うことはないのさ。・・・けど、そうだな。俺は悟空とだったら一緒にいてもいいと思うぞ?」

「・・・な?!それだけは絶対に駄目!!」

告白とも言える壊の言葉に、顔を真っ赤に染めて悟空が大きな声で否定した。

「なんで?」

くすくすと笑い出した壊に、からかわれたのだと気がついた悟空は赤くなった顔をよりいっそう赤くしてぷい、と壊から視線を逸らした。

「あたりまえじゃん!!俺には三蔵がいるんだから!!」

「そうか?」

「そうだよ!!」

不機嫌丸出しの悟空とは裏腹に、嬉しそうな壊がふむ、と頷いた。

「なら、その三蔵のところに早く戻ってやらないと。今頃、件の彼も痺れを切らせている頃だろうよ。」

過去に囚われなくとも、お前にはすでにそれ以上の大切なものがあるじゃないか。

「夜が明けたら出発しよう。」

だから少しでも身体を休めておけ。

「・・・うん。」

他愛もないやりとり、それで悟空の不安が消えたわけではない。けれど、何時だってこんな風に自分を甘やかしてくれる人たちが側にいる。今が悲しいわけじゃない。

失くさなければいけない痛みではないのだ。それを抱えて、その全てをひっくるめた自分を好きでいてくれる人たちがいるから。

「あ-。三蔵、絶対、激怒ってるんだろうなあ・・・。」

言葉とは裏腹に、嬉しそうに笑いながら悟空はう-んとひとつ伸びをした。

迷いも憂いも。全て消し去ってくれる太陽を思って。まだ明けぬ夜空に向かって、届けとばかりに手を差し伸べた。






横になるなり、あっという間に寝付いた悟空が壊に起こされたのは夜明け前。

まだ、半分夢身心地の悟空をせかしてバイクに乗った壊は、それから休むことなく走り続けた。朝飯もろくに食べなかった悟空が、空腹のためかはっきりと目を覚ましてから一時間あまり。もうこれ以上は耐えられないと、悟空が叫ぶ一歩手前で地平の彼方にぼんやりとした町の姿が見えてきた。

昨夜眠る前に、三蔵達が向かった確率の高い町に悟空を連れてゆく前に、壊の目的地である町によることを聞かされ、承諾した。承諾というよりは、仕方なく。といったほうが正しいだろう。なにせ自分は壊にとっては、途中で拾ってしまったお荷物のような存在。

嫌だといったら,置いて行かれるだけとあれば仕方あるまい。まあ、壊の用事は一日で済むというくらいたいした事ではないらしいから、今更少しくらいの寄り道をしたところで、悟空が三蔵に大目玉を食らうことに変わりはないだろう。言われて見ればその通りではあるから承諾をしたものの、よくよく考えてみたらあんまりな表現がなんだか面白くない悟空だった。

それでも着いた町は案外ににぎやかなところで。ご飯も美味しいし、町の人達は気さくで楽しい人ばかりだった。壊は、悟空の言う事を何でも聞いてくれるし。だから、たまにはこんな寄り道も悪くないと、悟空は始終ご満悦だった。

「壊ぃ・・・?用事はいいのか??」

町の人に紹介された宿の寝床で、おなかが一杯になったことで瞼の重くなった悟空が、眠い目をこすりこすり問いかける。 だが壊は悟空の問いかけに、ただ無言で微笑むだけ。なんとなく聞いては見たものの、それほど壊の用事について興味の無かった悟空は言いたくないのなら無理をして聞くまでも無いと、誘われるままに深い眠りの淵に落ちていった。

三蔵達を探し始めてから、それ以前に思いっきり遊んでいた事も手伝って、ゆっくりと休む事をしなかった身体は久しぶりの柔らかく暖かな寝床に満足したようだった。

自分の身に危険が迫っていようが、一度寝付いたらちょっとやそっとでは目の冷めない悟空。だが僅かに漂ってきた異臭が、さしもの悟空でさえもゆらゆらと眠りの底から引き上げた。

はじめのうちはまだ意識がはっきりしないせいもあって、夢の中の出来事と混同した。

臭いまで感じられるなんて、なんてリアルな夢だろう。だがそんな悟空の思いとは裏腹に、次第に強さを増してきつくなる異臭にそれが現実のものだと認識した。

「・・・なんだ・・・これ?」

のろのろと身体を起こしながら、臭いの原因を探るように周囲を見渡した悟空は、隣に寝ている筈の壊の姿が無い事に気がついて、はっと身構えた。

途端に研ぎ澄まされる思考に、ばっと布団を跳ね除けて飛び起きた。そのまま乱暴に扉を開け放ち、外へと一気に躍り出る。

「・・・・・?!」

外へと続く扉を開け放つなり、鼻を覆いたくなるような異臭が悟空を襲った。

町は物音ひとつしないほどの静寂に包まれている。こんな夜更けだから、それもあたりまえといえるだろう。だが何故だか今は、その静寂がかえって悟空に不信を抱かせた。

何処にいけばこの町全体を覆い尽くす異臭の原因に突き当たるのかは判らない。だから悟空は、闇雲に町の中を走り回った。

この異臭。これは十中八九、血の臭い。考えたくは無いけれど、ここまで痛烈な血の臭いがすると言う事は、それだけ誰かの血が流れたという事に他ならない。

誰が。

何のために。

壊の姿も一向に見つからない。もしかしたら、自分が安穏と眠っている間に、妖怪たちがこの町を襲ってきたのだろうか?壊はひとりでそれと対峙しているのだろうか?

そんな考えが、悟空の頭の中でぐるぐると駆け回った。最悪の結末を想定して、悟空は身体をぶるりと震わせた。

だが。

程なくして、悟空は己の考えがいかに浅はかであったかを思い知る事となる。

町を走る悟空の目の前に、最悪の結末を上回る惨劇が幕を開けた。

町を走り続けた悟空は、いつしか町の中心に向かっていた。

そしてぽつり、ぽつりと道端に横たわる人。駆け寄ったどの人も、すでに息はなく。

横たわるその一面には血の海が広がっていた。

倒れている人を辿りながら、次第にその数が増すにしたがって、道といわずそこら中の赤が視界を埋め尽くして行く。倒れているのは、男だけではない。男も女も、大人も子供も見境無く絶命しているのだ。

怒りと悲しみが悟空の身体を突き抜ける。

謂れのない憤り。悟空はぐっと拳を握り締め、最後の角をゆっくりと曲がっていた。

「・・・・!」

そこは待ちの中心ともいえる、広場のようなところで、真ん中にある噴水を中心に広く開けた場所であった。

その噴水を取り囲むように、重なりあって倒れる人の群れ。

おびただしい血の海の中。一人の男が立っている。男の目の前には、子供を庇うように蹲る女の姿。

「・・かいっ!!!」

静寂を引き裂くように悟空は、声の限りに男の名前を叫んでいた。絶叫ともいえると思えたその声は、だがあまりの惨劇に掠れてさえいた。

ざしゅ・・・!

縺れる足を叱咤して、なんとかその女を庇おうと走ってきた悟空の目の前で。

無残にもふたりの身体は切り裂かれる。

壊は、髪の毛ひとつも動いた様子は無い。ただ張り詰められた気が、空気をも切り裂いて人の形を成すものの姿をも共に道ずれに選んだかのようであった。

切り刻まれたものの断末魔が、迸る血と混ざり合って悟空の身体に降り注ぐ。

己の小さな身体で覆ってしまおうとした親子の身体が力なく崩れ去る。その身体を支えようと差し出した手をすり抜けて、どさりと地面に転がる音。悟空は差し出したその手にべたりと張り付く血を見つめたまま動く事が出来なかった。がくりと膝から力が抜け落ち、転がる死体の前に悟空がなす術もなく崩れ落ちる。未だ目の前で起こった惨劇を信じることが出来ないままに、悟空が静かに背後を振り返った。その瞳が、血の海の中で唯一血に染まることなく立っている男の姿を捉えて見開かれる。

男の表情は、彼の真後ろに上る月のせいでてはっきりと見ることは出来なかった。だが、微かに口元を形作る笑みに、ぞくりと背筋を冷たい汗が流れる。その姿こそは、さながらこの世の彼方なる世界から降臨した悪魔の御使い。

・・・・否。

この世を血で染めつくす魔王、その人そのもの。

「・・・なんで・・・?!」

喉の奥から搾り出すように悟空が問う。

「何の権利があってこんな酷い事をする・・・!」

がたがたと震える身体を抱きしめるように、両手で己を抱きしめながら悟空はのろのろと立ち上がった。

「誰かの命を奪うものは、それと同時に己の命もまた奪われる立場となる。」

何事もなかったように、声のト−ンもそのままに、壊が静かに答えを返した。

「この宝玉はね、ある一族に代々伝わる命の輝きといわれていた。」

背後に控える月の光に、手にした宝玉を翳しながら壊はゆっくりと悟空に向かって歩き出した。

「ここの住人達は、無抵抗な村を焼き払って、己の欲望の為にこの宝玉を盗み出したのさ。今回の依頼は、この宝玉を取り返すこと。」

それから、と言いながら壊がくつくつと小さな笑い声を漏らした。

「自分達の一族を惨殺した町の住人達への復讐。」

村のものは全て惨殺されたと言っておきながら、その報復を頼まれたという辻褄の合わない説明も、この男のまだ見ぬ本来の姿に由来するのか。不思議と嘘だとは思えずに。

ただいくら請け負った復讐とはいえ、顔色ひとつ変えることなく、罪なき幼子までをも手に掛けた壊の恐ろしさをまざまざと見せ付けられた気がした。

だがそんな壊に驚きながらも、悟空が見ていたのは、壊でも、この惨劇でもなかったのだ。

「誰かの命を奪うものは、それと同時に己の命もまた奪われる立場となる。」

こんな悲しみや、命を奪う大罪を背負う苦しみなんてとっくの昔に受け入れた事。

見方を変えれば、どちらがより悪いという事さえ判らなくなる理なんぞに本気で怒りを感じるまでもない。壊が言った言葉は、三蔵が自分に対してくれた言霊。

だが、今の悟空にはその言霊さえも遠くで聞こえる共鳴りのような小さな音でしかなかった。

血に濡れて微笑む壊の姿。

悟空は月に照らし出された壊の姿を通り越して、いつでも記憶の奥に眠り続けていた己の血塗れた姿を見ていたのだった。

自分の勝手な我侭で、三蔵と共にありたいと決めたのだ。

今更血の臭いの染み付いた身体なんかに構う事は無い。そうやって生きてきた。

それでも。三蔵に、それがお前の甘さだと責められようとも、理不尽な殺戮には憤りを隠せない悟空も捨てられず。だがそれは、そうした理不尽に対する憤りではなくて。

何故に?と問うまえに、何だ?と思うこの光景は、果たして己がなくしてしまった過去の映像であるのか。その言葉という形にさえ成すことの出来ない感情だけが、今の悟空を支配していた。

「・・・・ぅあ!!」

どくん!!

心臓が、音を立てて高鳴って行く。

現実を映さないその瞳が見つめるのは、金色に輝く長い髪をなびかせる人。

「・・・ぅがあっ!!」

身体中の細胞が痛みを伴って、軋んだ音を立てていた。

"悟空"

その人の唇が、僅かに動いて聞こえない声が聞こえたような気がした。

懐かしい、大好きだった人。

なのに、その綺麗な姿は一瞬のうちに真っ赤な血で染まってしまうのだ。

そうして。

その血を浴びた己が、倒れて動かなくなったその人を冷めた瞳で見下ろしている。

イヤダ!!

思い出したくない記憶が波となって悟空の身体を浚って逝こうとする。

どんなに抗っても、押さえ切れない衝動に。まさに悟空が意識を手放そうとした、その時。

「・・・悟空。」

冷たくて、大きな手が悟空の燃えるほど熱く滾る額の上に添えられた。

「生きている、お前の存在意義をそうやすやすと手放すんじゃない。」

ひやりとした手の冷たさと、それとは対照的な暖かさの滲むような言葉に。悟空を苛んでいた慟哭が嘘のように引いてゆく。

「命を奪うものがいれば、命を育む者がいる。光あるところに闇が必ずあるのと同じように、どちらが欠けてもこの世は成り立たない。」

終わりがあるからこそ、新しく生まれいずるものがある。

「だから、終わってしまったお前の世界を憂うのはやめて。失くす悲しみよりも、出会い、共に生きて行くことの出来る幸せを噛み締めろ。」

今にも割れるかと思われた、額の禁錮を壊の暖かい手がそっと撫でた。

箍を喪失してしまったら最後。もう悟空の意志では、暴走する本能を止める術はない。

今までは、それを制する事が出来るのは三蔵しかいないのだと思っていた。まさかこの男が、自我を手放すなと抑えてくれるだなどとは思ってもいなかった。むしろ、自分が齎した殺戮を見せることで、悟空の箍が外れる事を望んでいるのではないかと思ってさえいたのに。

壊の手によって再び本来の力を取り戻した禁錮が悟空の気を静めてゆく。それと同時に次第に身体から力が抜け落ち、ぐらりと悟空の身体が傾いた。その身体を逞しい腕が抱きとめる。意識を手放す瞬間に、悟空は広い胸の中で懐かしい臭いをかいだような気がした。

「・・・さん・・・ぞ・・・」

ことりと胸の中で意識を手放した小さな身体。意識を失う前に呟いた言葉に、壊は思わず苦い笑みを浮かべ、背後の空に高々と昇りきった月を振り返る。月は何も語らず、ただ黙って悟空を見守っているかのように冴え冴えとした輝きを揺らめかせていた。

「だ-か-らあっ!!猿だってもう子供じゃないんだからよ。なにも揃って迎えにいくこともないと思うぜ?俺は。」

宿の玄関先で、しぶしぶジ-プに乗り込もうとする悟浄が、頭をがしがしと掻きながらこれ見よがしに大きな声を上げた。

「だけど、悟浄。きっと悟空は三蔵の言いつけどおり、あの場を動かず僕等が迎えに来てくれるのを待っていると思います。」

もしもはぐれてしまったら、むやみやたらに動き回らずその場で迎えを待っていること。これは迷子の鉄則だ。

悟空が出かけて暫くして、お約束のように押しかけた妖怪様ご一向。相手の力量がたいしたものではないにしても、その数に任せた戦法とまともに対峙しようものなら、今夜の宿を快く受け入れてくれたこの宿どころか、町全体に被害が及ぶ事は否めない。

仕方なく町の外に妖怪たちを誘導したまではよかったのだが、最後にのしたヤツの捨て台詞が気に入らなかった。

「俺達を倒しても、すぐに仲間が敵をとりに来るぞ!」

そういわれて、今更のこのこ後にしてきた町なんぞに帰れるわけがないではないか。

ここは疲れたこともあるし。まあ悟空の事だから、子犬宜しく三蔵の臭いを頼りにこちらに向かってくるだろうと踏んでの事。向かった方角は宿の主がしっかり見ていたはずだから、それを聞いた悟空なら今夜のうちには合流するだろう。なんて考えたのは誰だったか。兎に角、待てど暮らせど悟空がくる気配すら感じられず。業を煮やした三蔵が、夜が明けるなりなり、行くぞと短い一言で眠る二人を叩き起こしたのだった。

「だからって、なにもこんな朝早くから・・・」

じゃき・・・

ぼやき続ける悟浄の眉間の真ん中に、硬くて冷たいものが押し当てられた。

「・・・残ってひとり途方にくれるか、一緒についてくるのか。お前の好きなほうを選ばせてやろう。」

これ以上はないくらい不機嫌極まりない低い声。

「三つだけ数える。返答次第では容赦なくぶっ放す。」

かちりと弾を込める乾いた音。

「・・い・・いきます!!お供しますって、嫌だなあ、三蔵さまったら。俺ちゃん行かないなんて、これっぽちも言ってないのに-。」

「だったら四の五の御託を並べてないで、さっさと乗りやがれ!」

吐き捨てるように言う三蔵が、愛用の銃を懐にしまって。助手席に向き直った、その時。

「・・・・?!」

座りかけた三蔵の動きが止まってしまったことに気がついた八戒が、どうしたのかと隣の三蔵の顔を覗き込んだ。

「どうかしたんですか?三蔵。」

三蔵は八戒の言葉も聞こえていないかのように、じっと前を見据えて、まるで聞こえない何かに耳を澄ませるかのように動こうとはしない。

「おい、三蔵?」

その異変にようやく気がついた悟浄も、恐る恐る後部座席から未を乗り出した。暫くいぶかしんだ八戒が、はっと我に返ったように三蔵の視線の先を見つめて。

「・・・飛ばしますよ!」

一言告げるなり、いきなりアクセルを全開まで踏み込んだ。

「・・・着いたぞ。」

ばるんとひとつ轟音を立てたバイクが、静かにその動きを止める。

着いたと告げられてもまだ、動かずに自分の背に張り付いたままの悟空に、ふうと溜息をついた壊は、軽くその足を叩いてやった。

「三蔵のところまで送って行きたいのはやまやまだがな。アイツに逢うと又ひと悶着ありそうだし。今日のところはこのまま大人しく引き下がるから・・・。」

実はまだ仕事中だし。これを早くもって帰りたいのだと、壊は悟空を促した。そう言われて、やっとの事で戒の背中を握り締めていた手が離される。

そうして俯いたまま、顔をあげずのろのろと悟空がバイクから悟空が降立った。

「此処からなら歩いても半時も掛からずに三蔵達のいる町が見えてくる。」

そう言って視線を巡らせた方向に、悟空もやっとのことで伏せていた瞳を上げた。

「・・・三蔵には、近いうちに逢いにくると伝えておいてくれ。」

ぱちりと片目を瞑って、合図を送る壊にも悟空は無言。

あのあと悟空の意識が戻るのを待って、血に濡れた町を後にした。

意識が戻っても、町を出る時も。悟空は一言も話さない。まるで口を開いてしまったら、箍の外れた自分が何を言うのか判らないと言うように、唇を噛み締めて。

壊もそんな悟空に何も言わない。

「・・・お。寒いと思ったら、とうとう降ってきやがった。」

そういって頭上を見上げる壊にはっと我に返った悟空は、目の前にふわりと舞い降りてきた白く小さなものに気がついた。そっと手を差し伸べれば、それは手の中でじわりと消えて水となる。

「これは急いで帰らないと。」

雪が降っているのにもかかわらず、見上げた空には雲ひとつない晴れた青。多分遠くで降る雪が、風に吹かれてここまで飛んできたのだろう。今は晴れた空があっても、そう遅くないうちに、風邪が流れる雪雲を連れてくるだろう。そうすれば此処に本格的に雪が降るのも時間の問題だ。そうなる前に、と壊はおまえも急いで行けと呟いた。

ばるんと再び音を立ててエンジンをかけた壊にも無関心な悟空は、ただ黙って雪が舞い降りる空を見上げていた。

「舞い散る雪は、死んで逝った者たちの魂だ。」

大地に降り注ぐ魂は、やがて溶けて水となり。その腕へと還ってゆくのだ。

「母なる大地に帰ることで、再び命を育む体内から生まれ出るその時を待っているのさ。

・・・・だからお前は生きている意味を違えるんじゃない。」

母なる大地に望まれて生まれてきた。稀有なる存在。

「生きているものには、生きてるものにしか出来ない事がある。」

身体に降り注ぐ雪と共に、悟空の意識に深く壊の言葉が染みこんでゆく。

「・・・・・じゃあな。」

ぽんと後ろから、悟空の頭をひとつ叩いて。壊がバイクを走らせた。

「壊っ!!」

離れてゆく後姿に向かって。もう聞こえないかもしれないなんて考えもせず、悟空は声の限りに叫んでいた。

「俺、お前の事好きじゃない!!でも、嫌いでもないからっ!」

その言葉が届いたのかはわからない。後ろを振り向かないまま走り去る壊は、片手をあげてひらひらと降っていた。わかっているさ、と。言われたみたいな気がした。

やがて壊の姿が地平の彼方に消えた頃、悟空は三蔵のいるだろう町の方角に振り返って。

「よし!」

嬉しそうに頷いて、大地を蹴って駆け出した。

天に向かって手を差し出して。

降り注ぐ雪を受け止めながら、悟空は晴れやかな笑みを浮かべて叫んでいた。

「三蔵!」

他の誰にも聞こえないその声が、他の誰でもない名前を呼んでいる。

走るジ-プの風に吹かれながら、次第にこちらに向かってくる愛しい気配を感じ取って、知れず三蔵の口元に笑みがこぼれた。

この町に着いてからというもの。心細いと手に取るようにわかる声が、絶えず頭の中で自分の名前を呼び続けていた。仕方ないと、迎えにいくことを決めた矢先。その声が、今までにないくらいの痛切な響きを伴って痛みを訴えた。その声を最後に、何度問いかけようとも弄いはなく。残された痛みだけが三蔵を不安に貶めた。

一刻の猶予もならない。このまま失くすかもしれないという不安。それはきっと、悟空よりも三蔵のほうが強く引き摺っているトラウマなのかもしれない。

早くこの腕に、大切な存在を抱きしめたかった。

この、例えようもない不安を一掃する微笑が見たかった。

だいじょうだよ。舌ったらずなあの声で、今一番聴きたい言葉。

そんな心配を他所に、夜が明ける頃。また悟空の声が聞こえてきた。

ほっととする反面、何故だか頼りなく、まるで縋るように自分の名を呼ぶ声がもどかしくて・・・。

気がついた時には、隣で眠っていた二人を叩き起こし、朝も開け切らぬうちから出発を告げている自分がいた。

なにがあった。

何故、あんなに悲しい声で叫んでいた。

今もこうしてか細い声で名前を呼び続ける。そのわけが知りたい。

悟空を安心させるためではなく。自分が失っていないことを確認したいが為に。

「俺もつくづく頭が沸いていやがる。」

自嘲気味な笑みで口元が歪んでも。求める思いは止められない。

「さんぞ-!」

走るジ-プのその先に。ようやく姿を見せ始めた太陽が地平の彼方を染め上げる。

先ほどまでちらついていた雪さえも、その暖かな光に焼かれたように姿を消し去っていた。その眩い光の中から、小さな影がこちらに向かって走ってくる姿が見える。

「悟空!」

め一杯踏み込んでいたアクセルから足を浮かせて、徐々にスピ-ドの落ちるジ-プの上で八戒が嬉しそうにその小さな影に向かって答えを返した。

「お-、走ってる走ってる。迷子ちゃんは転びそうじゃん?」

煙草を口に咥えた悟浄も、心なしか楽しげな声を上げていた。

「お-い!置いてくなんてひどいじゃんか-!!」

それはまさしく、子犬が飼い主を見つけて喜んでいる姿そのもの。見えない尻尾まで見える気がするのは、多分このふたりの男達だって例外じゃあないだろう。

「三蔵ぅ-!」

あれは俺の太陽。

眩しい世界をくれた、かけがえのない大切な人。

壊が言ったとおり、俺には今、絶対になくしたくない今の俺が生きる世界が待っている。

それはこんなにも暖かい気持ちにさせてくれる、幸せな、大切な世界だ。

誰かを好きだった自分を思い出せないことは辛いけど。過ぎ去った時間は、にどとこの手に取り戻す事は出来ないのだ。だから俺は、俺の持てる精一杯でこの新しく生まれてきた世界を大事にしてゆこうと思う。

いつかきっと三蔵や、八戒。悟浄と別かれなければならない日が来るけれど。泣いても笑っても、その日を避けることはできはしない。だから、泣いて何時か来る別れを憂うよりも、笑って楽しんでいきてゆこう。

今度は絶対に忘れたりなんかしないように。

この瞳に、太陽を刻み付けて生きて行く。

「この、馬鹿猿っ!!」

走ってきた悟空が、止まるジ-プの側で荒い息をついて立ち止まる。

そのジ-プから、静かに降立った三蔵は、伏せていた顔を上げるなり、取り出したハリセンで思いっきり悟空の頭をぶった叩いた。

「い・・・て―っ!!何すんだよ!置いていったのは三蔵たちのほうじゃんかっ!!」

「何処ぞをほっつき歩いてたヤツには言われたくないセリフだなっ!」

ぱ-ん!!

「・・・えvちょっと待って・・。何で三蔵がそんなことしってんのさ???」

振り下ろされるハリセンを避けながら、悟空がしまったと表情を曇らせた。

「・・・・やっぱりか、この迷子猿っ!!!」

「やっぱりって・・・・あ―!騙したな!!坊主が嘘ついていいのかよっ?!」

「煩せえ!この大ボケ猿!!」

ぱぱ-ん。今日も晴れわたる青い空の下、賑やかな一日が始まろうとしていた。

きっと貴方を思い出す時、この痛みもついてまわるんだろうなあ・・・。

「何か言ったか?馬鹿猿。」

悟空の頭をこつんと叩きながら、言葉とは裏腹に微笑む三蔵が問いかけた。

「なんでもないよ―だ!」

嬉しそうな声を立てて笑って言った。




END






「あ―・・・ヤダヤダ。またこのバカップルと一緒の旅がはじまんのね・・・。

俺って不幸の星の下に生まれてきたのかも・・・。」

やれやれと、肩を竦ませながら悟浄が大げさな溜息をついた。

「そんな事を言ってると、三蔵に叱られちゃいますよ?」

がうん!がうんっ!!

八戒の言葉にかぶさるように数発の銃の音が静かな空気を切り裂く音が聞こえた。

「・・・・って。ああ、遅かったみたいですね。」

ジ-プから転がり落ちるように地面に突っ伏した悟浄を見て、八戒がご愁傷様。と呟いた。

ア−メン。胸の前で十字を切る仕草をするお茶らけた男に、

思わずお前は仏教徒だろうがっ!!と。突っ込みたくなる悟浄、あわれなり?

・・・・本当にお終いvv











戯言・・・v

優しくはない、冷たいとさえ言える壊の本質を書きたかった・・・。

それから、このお話のキ−ワ−ドにもなっている

「おわりとはじまり」

これをモチ-フにしたお話が書きたかったのですが・・・。

結局、終わってみたらどこまでも悟空には甘い三蔵と壊。

何時もとなんにも変わっていなかった気がするのは、果たして私の気のせいでしょうか・・・?

私のイメ-ジする壊は、私の理想そのものです。

誰かかっこよかったって・・・言ってくださる????






<高草木にあ 様 作>

にあ様から小説を頂きました。
と言うより、にあ様のオリジナルキャラ ”壊” 氏を頂いてしまいました。
この方は、とても本来は残酷で冷たいお方なのですが、どこか憎めなくて、何処か優しくて、私は大好きなのです。
で、にあ様のサイトで、壊氏のシリーズの中でどれでも持って帰って良いと、特別にお許しを頂きまして、
「The end and beginning」を頂戴致しました。
仕方なく置いてきぼりにされた悟空と仕事で移動中の壊が、荒野で出逢って、短い二人旅が始まるのです。
壊に警戒しながらも何となく懐いてる悟空が好きで、壊の冷酷な面も垣間見られる上に、
悟空のことが心配で堪らない三蔵の姿にも会えるというこの贅沢。
皆さま、是非、堪能して下さいませ。
にあ様、素敵なお話をありがとうございました。
大切に致します。

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