「玄奘三蔵よ、そなたに命ずる。悟空・八戒・悟浄を連れ西域・天竺国へ向かえ。」
毎度の事のように、三仏神に火急の用があると呼びつけられ。 天竺に行くのなら、多分何年もかかる旅になるだろう。
悟空を共に連れてゆけ。
三仏神がどんな理由であいつを連れて行けといったかなんて、そんなことはどうでもいい。
「さて。これから忙しくなるな。」
おれは三仏神の前から退座するなり、思わずにやりと笑ってしまった。
Dark ocean in
the Heart.
いつものように三仏神に呼ばれて出て行った三蔵は、いつもなら苦虫をかみ殺したような顔で帰って来るのに。どうしたことか、その日だけはかなりの上機嫌で帰ってきた。
「三仏神の命で、西域・天竺に行く事になった。出発は一週間後。それまでに身の周りの整理をしておけよ?」
三蔵が出かけるのに、なんで俺の整理なんだ? 「まあお前の場合、整理するほどのものもないから関係ないがな。」 それなら、俺はとうとう捨てられる事になったのか。 「天竺までの道のりは遠い。我侭言いやがったら、容赦なく捨てていくから、そのつもりでいろよ?それから、俺とおまえと、あとは八戒と悟浄も連れて行くから。せいぜい俺達の脚を引っ張らないよう、頑張るんだな。」 突然何を言い出すかと思ったら、まさか今のが聞き違いだなんて。
「仕方ねえだろう。三仏神が連れて行けと、そう言いやがったんだ。」
三蔵のいった言葉に、俺はこれで二回目になるだろう、死ぬまで忘れないくらいの幸せを聞いた。
「連れてってやるよ。仕方がないから。」
いつかは誰かが迎えに来てくれるのではないか。
なのに今聞いた言葉は、それ以上の光を伴って俺の心に刻み込まれたのだ。
だって・・・。
三蔵が。
仕方ないとか言いながら、自分と共に在ることを。
岩牢から連れ出してくれたのはただの情けじゃないかって・・。
「俺のほうもいろいろと片付けなきゃならない事があるから、出発まで留守にする事も多い。だからって最後まで面倒で終わらせたりするんじゃねえぞ?」 わかったか? にやにやと、しまりのない顔を見れば、自分の言ったことがどれだけ嬉しいと思っているかなんて一目両全。隠し事のできないやつだと、三蔵はぽかりと悟空の頭をひとつ小突いてやった。 「わかってるよ-」 いてえとか言いながら、にやけた顔で抗議されても、ぜんぜん真実味がないって事。 「まあ、おまえもこの寺で長いこと厄介になったんだから、坊主どもに別れの挨拶でもしてやるんだな?」
お前が此処から出て行くと聞いたなら、きっとやつらは喜ぶだろうよ?
・・・・三蔵はそういって笑ったけど、そんな事言おうものならどんな嫌がらせをされるかわかったもんじゃない。
もう二度と此処には戻らないつもりでいろと。
三蔵は、覚悟しろって言ってるんだ。 俺のほうは挨拶っていっても、町で優しくしてくれた駄菓子屋のばあちゃんとか、裏山の動物達や、森の木なんかだけだったからはじめの2日でする事なんてなくなっていた。 何時ものように、三蔵の帰りを待つだけの退屈な時間。
「・・・あ・・」
ぐるぐると、慣れないことを考えていたおかげで眩暈のおこしかけた悟空の頭の中に、あるひとつの考えが閃いた。 「・・・どうせ三蔵は帰ってこないし。前の日までに帰ってきてれば問題ないよね?」 誰に言うでもなく、独り言みたいに呟いて・・。
「・・・う-ん?こっちでいいのかな???」
森の木々を縫うように、悟空はひとり先を急いでいた。 「・・・なんか、三蔵が一緒でないと駄目とかだったりしたら、すんごくムカツク!」 握りこぶしにぐっと力を入れて、自分のことを棚にあげた悟空は、見えない相手に向かって悪態をついた。 「絶対!ぜ---ったい!!わかってて、俺を遠ざけようとしてるんだ-・・・って?あれ?」 自分の浅はかな考えを他人のせいにしながら、後にはひけない悟空は半ばヤケクソ気味に森の木々を分けながら歩いていた。 「なんだろ?」 悟空が近づくと、まるで悟空を導くかのように、先にたって走っては、ちゃんと後を突いてきてるか確かめるように立ち止まって後ろを振り向いている。
「・・・あ!」
どれくらい兎の後を追いかけていただろう。 「やっぱり、お前は俺を迎えに来てくれたんだ。」 兎は、悟空が町の姿を確認したと見ると、振り向くことなく一心に駆け出してゆく。
「・・・・ごくろうさま。」
すでに兎の姿は見えなくなってしまったけれど、町に入ってさえしまえばどこになにがあるのか悟空にだってわかる位には通いなれた町。 見れば、先ほどの兎も目的は同じ家のようで、器用に扉を開けて家の中に入って行くところだった。 「そんなところに隠れてないで、早くお入り?」 兎をそっと床に下ろしながら、男は扉から中を覗いていた悟空に向かって微笑んだ。 「・・久しぶり。元気そうだね?悟空。」 男の足元では、兎が美味しそうに用意されていたであろう草を食んでいる。 「やっぱり壊がそいつを迎えによこしてくれたんだ?」 よほど慣れているのか、警戒心の強い兎にしては悟空が近づく気配にも微動だにすることなく、嬉しそうに草を食べ続けている。 「俺が来るって判ってたんなら、壊が迎えに来てくれればよかったのに。」 ぷ-っと頬を膨らませて抗議するそんな可愛らしい子供の顔を見て、壊は思わず苦笑した。 「俺はやる事があったから、仕方なく彼に頼んだんだ。・・・ほら・・。」 ほらと言って、手招きする壊の目の前のテ-ブルに視線を向けた悟空の瞳が、きらきらと嬉しそうに輝いた。 「どうせお前の事だから、来る早々腹が減ったというだろうと思って。俺はこれを作っていたのさ。だから、迎えに行く役目は彼に頼んで行ってもらった。」 テ-ブルには、普段お目にかかることのないくらい豪華な食事が、所狭しと並べられている。 「これ・・・全部食べていいのか?!」 躾には事の他煩い三蔵の顔をちらりと頭の隅に浮かべながら、悟空は心にもない言葉を呟いた。 「もちろん。全部お前のためにだけ作られたものだからな。」 遠慮なんてしなくていい。
「わ--い!!いっただきま-す!!」
流石の兎も、そのあまりの大声と騒がしさにびくりと身体を竦ませた。
「それで、三蔵の目を盗んでこんなところにまで来るなんて。俺に何の用があったんだ?」 用意された食事をあらかた平らげてしまった悟空に、最後の締めくくりだと、いたせりつくせりな壊がデザートのプティングを差し出した。 「あっ?!そうそう、肝心なこというの忘れるトコだった。」 差し出されたプティングを、ぱくりと口に押し込むと、悟空は姿勢を正して壊を正面から見つめた。 「今までいろいろとありがとうございました。」 まるで何かに書いてある文章をまる読みしたみたいな言い方で、悟空がぺこりと頭を下げた。 「なんだ?新手のギャグかなんかか??」 自分用にと、壊は熱いお茶をポットに入れながら、顔も上げずに呟いただけ。 「んん〜。三蔵が、挨拶するんならきちんと礼儀正しくやれっていうんだもん。」 ひっで-な-・・・折角こちらが真剣に挨拶をしたのに、冗談にしちゃうなんて。 「ごめん、ごめん。そんなつもりで言った訳じゃないんだ。ただ、何を今更改まって挨拶なんてするのかと思っただけさ。」 まさか死ぬわけでもあるまいし。 「で?」 それに・・・。 最後に残ったプティングを、美味しそうに頬張った後、ご馳走様と手を合わせた悟空は、なんでもない事のようにその先を続ける。 「危険な旅だから、生きて帰れるかどうかもわからないって、三蔵が言ってた。」 正面に座る壊に、真剣な表情で悟空は挨拶に籠められた真意を告げる。 「それに、目的を達して生き残れたとしても、此処に帰るかどうかも判らないとも言ってた。俺は三蔵ががいれば、別に何処だって構わないから・・・。三蔵が帰らないって言うのなら、俺は黙ってついてゆく。」
だから、二度と会うことはないだろう。
「・・・そうか。」
壊はそれきり追求する事もなく、見つめていた瞳を伏せて、静かにカップの中身を飲み干した。
「悟空。」
暫くの沈黙の後、壊が再び伏せていた瞳を開き、その名を呟いた。 「・・お前が望むのなら、この町も、俺も。お前を快く迎え入れるだけの覚悟があるつもりだ。」 受け入れた事とはいえ、それを改めて他のものから告げられるのは初めての事。 「望むと望まないとに係わらず、三蔵が天寿をまっとうし、惜しまれながらこの世を去っても・・。残されたお前は、時がお前という存在を解き放つその日までたったひとりで悲しみを背負ったまま生き続けていかなければならない。」 残された者の痛みは、お前が一番よくわかっているだろう。 「俺は、お前が逝ったあとも永久の時の中を彷徨い続けていかなければならない運命を背負った者。だから、お前の最後を看取ってやることもできるだろう・・・。」
俺もまた、お前と同じように残された者の悲しみを痛いほどわかっているから・・・
「・・・ありがと・・・」
胸の奥にしまった悲しみを、人に打ち明ける事の辛さは、悟空もまた一番よくわかっている。
「でもね?俺は、この先にどんな悲しみが待っていても。三蔵の側にいられればそれでいいんだ・・。」
もしかしたら、自分なんかよりももっともっと三蔵の事を好きで、三蔵もその人を一番と考える日が来るかもしれない。
もしかしたら三蔵が刃にかかって、志半ばで倒れる事だって、自分がひとり死ななければならない事だってある。
「先のことを憂いて大切な今をなくしてしまうなんて、俺は嫌なんだ。」
今という時を精一杯に生きてゆきたい。
「・・悟空。」
「壊の言ってくれた事はすごく嬉しかった。そんな事言われたの初めてだし、本当はそのほうがいいのかもって・・思う。だけどさ俺は三蔵が幸せなら、それでいいんだ。それは俺の幸せでもあるんだもん。」
わかってくれとは言わないけれど。
「さ-ってと。そろそろ帰らないと、三蔵が痺れを切らして俺のこと置いてっちゃうと困るからね!」
晴れやかな顔で笑う。
「・・・そうだ。さっき、お前は旅に出ると、もう俺には会えないといっていたな?」
町の外れまで悟空を見送りに来た壊は、思い出したように呟いた。 「この町はこの地に根を下ろしているわけではない。時空の狭間を、どこへともなく流離う・・・いわば流浪の町だという事を、お前は知らなかったのか?」 壊の言わんとする意味を理解しかねて、悟空が不思議そうに振り返る。 「何処にでも存在し、何処にも存在しない町。それがこの、ノイエジ−ルという町の宿命だ。」 ニヤリと、意地の悪そうな笑みを口元に浮かべる壊は、先ほどとは打って変わった。 「・・・それって・・・ようするに・・・」 そこで、言葉を区切った壊の大きな手が。悟空の柔らかい髪をくしゃりと撫でた。 「この町が、お前を気に入っているから。だから、お前が望めば、そこが何処であろうとも町はこの世界に形を成す。ということだ。」 また逢えるかも知れないって事なの? 「そういうことになるな。」 あまりのことに、呆けてしまった悟空に。壊の止めの言葉が突き刺さった。
「・・・な・・なんだよ〜!!じゃあ、俺がした事って無駄じゃんか-!!」
情けなく、叫び悟空の横では、あいも変わらずくすくすと、面白そうに笑う壊。 「もういいよ!俺帰るんだから!!」 悟空にはかわいそうだが、喧嘩を売った相手が悪い。
「悟空。」
その背に向かって、壊が静かに声をかける。
なんだよ?不機嫌な顔で、それでも振り向く律儀な子供に。 「・・・また、時の重なり合う遠い地で。」 お前に逢える日を、楽しみにしているよ? 「・・・うん。また、ね?壊。」 それまでは変わらない貴方でいて欲しい。
そうして再び、くるりと背を向けると。
「あ-あ。三蔵、とっくに帰って、俺がいないって怒ってるんだろうな―・・・。」
駆ける悟空の背後で、音もなく。
"俺は何時でも此処にいる。ここでお前を待っている。"
聞こえないはずの、そこに住む男の声が耳を掠めた。
欲しかったのは暗い世界を照らし出す光。
ただ・・・・
ひとり此処に囚われたまま、世界から忘れ去られたこの魂。
俺はけして忘れない。
絶対に
忘れない。
「また・・・ね!」
悟空の呟いたその言葉は、頬を撫でる風が彼方へと運んで行く。
END |
<高草木にあ 様 作>
サイト開設二周年のお祝いに、高草木にあ様から頂いた小説です。
予想もしない頂き物に、幸せと嬉しさの余り、遠い宇宙の彼方まで飛んでいってしまいました。
西へ旅立つ前の悟空と三蔵の少し浮き立つ気持ちと少しの不安と期待が、読んでいる私の胸に温かな思いとなって伝わってきました。
危険は百も承知。
それを上回るいつも、どこでも一緒に居られるという事実。
お邪魔虫だろう八戒と悟浄の存在はこの際横に置いておいて、無条件に嬉しいんですね。
最後の悟空が壊に向けた言葉に、私も思わず、
「行っておいで。楽しんでおいで」
と言ってしまいました。
にあ様、素敵なお話と嬉しいお心遣いとたくさんお幸せをありがとうございました。