小指の爪 (parallel)
左の小指の爪に真っ赤なマニキュアを塗った。
願掛けを始めた時に塗り始めたマニキュア。
そう、三蔵が帰って来なくなってもうすぐ一年。
俺が家から出なくなって明日で半年。
ふらりと何も言わずに三蔵が出掛けた時、俺は学校で期末試験の最後の教科と戦っていた。

その日、朝から俺は学校に行きたくなくて、のろのろと支度をしていた。

「ちんたらしてねえで、さっさと食え」

くわえ煙草でチーズとウィンナーの入った三蔵特製のスクランブルエッグとミルクがたっぷりと入ったカフェオレ、それと焼きたての分厚い食パンを俺の前に並べながら三蔵が睨んでくる。
でも、俺はさっさと用意が出来なくて、のたのたしてた。
そんな俺の態度に三蔵は綺麗な紫暗を顰めて、煙を吐き出すのと小さくため息が零れた。

「どっか具合が悪いのか?」

ひやりと、おでこに触れてくるのに俺は首を振って、

「違う…ちょっと疲れてるだけ」

って、笑った。

「日頃からちゃんとやっとかねぇから、自転車操業になるんだよ」
「何、それ?」
「止まったら転ぶ」
「うわぁ、ひでぇ」
「図星だろうが」

言われてぐっと言葉に詰まった。
実際、本当に一夜漬けで高校最後の試験を受けてるんだから言い返せるわけもなく。
黙った俺の頭を三蔵は掻き混ぜて、

「試験が終わったらどっか行くか?」

って、俺の顔覗き込んで笑った。

「えっ?マジ?」
「嫌なら行かねぇ」

疑えばそんな言葉が返ってきて、俺は大あわてで首を振った。
それに、三蔵が面白そうに瞳を眇めて、

「なら、さっさとするんだな」

って、煙草を灰皿に押し付けた。
俺はさっきまでの学校へ行きたくないって気分なんかどっかいっちゃって、嬉しさで一杯になった。

それが最後にかわした三蔵との会話になるなんて想いもしなかった。






学校から帰ると三蔵の姿はなくて、机に昼ご飯が置いてあった。
俺は何か用事が出来たのか、急に仕事で呼び出されたのかぐらいに思って、連日の徹夜でくたびれていたから、昼ご飯を食べた後、そのまま眠ってしまった。
気が付いたのは夜中で、家の中に三蔵が帰って来た様子はなかった。

「…さんぞ、まだ…帰ってないんだ…」

寝ぼけた頭で考えても何も思いつかなくて、俺はパジャマに着替えて、ちゃんとベットに潜り込んで眠ってしまった。
朝には三蔵が帰っていると信じて。




結局、三蔵はその日から今日まで帰って来ない。
急な仕事で一週間ぐらい帰って来ないのも、連絡がないのも珍しくないから最初は何も考えずにいた。
それが十日になり、半月になると心配で、心配で、三蔵の数少ない友達に連絡して探して貰ったけど、三蔵の行方は解らなかった。
いつ三蔵から連絡が入るかも解らなくて、家を出ることが出来なくなった。
高校の卒業式もせっかく受かった大学の入学式も出ないで、ひたすら電話の前に座っていた。

そうしていつの間にかひと月経ち、ふた月経ち、半年になった。
偶に三蔵の友達の八戒と悟浄が俺を心配して訪ねて来てくれるけれど、三蔵からの音沙汰は何もなかった。

考えてみれば、三蔵の仕事が何だったのか、俺は何も知らなかった。
本当に何も知らない。
家族のことも、三蔵自身のことも、何も。
ただ、三蔵が好きということ以外、何も持っていなくて。
信じることしか出来ない。
それも最近は揺らぐことが多いけれど、それでも俺の心も体も、俺を作る全てが三蔵を欲していることは変わらなくて。
想いばかりが募って。

「ねえ…今、何してるの?何処にいるの?…さんぞ…」

三蔵のシャツを抱き締めて蹲り、俺はいつの間にか眠ってしまった。

どれぐらい眠っただろう、人の気配に目が覚めた。

「…誰?…八戒?ごじょ…う…?」

振り返った先に立っていたのは─────






明日、除光液買ってこなくちゃ。

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