名 前
「悟空」

三蔵が名前を呼んでくれる。
返事をしないと、ほら、

「おい、悟空」

また、呼んでくれる。

三蔵に見つけてもらうまで、呼ばれることの無かった俺の名前。
自分でも忘れてしまいそうになる程の間、呼ばれなかった名前。



孫悟空。



今はもう遠い、失くした記憶の向こうに居る誰かが、付けてくれた名前。
あの日、三蔵が岩牢から出してくれた日、ほんの一瞬かすめた優しい声。



───悟空、それがお前の名だ。



誰だったんだろう。
思い出そうとすると、胸がぎゅっとなって痛くなる。

でも、今は違う。

三蔵が俺の名前を呼んでくれるたびに、ほかほかと胸が暖かくなる。
嬉しくなる。
幸せになる。

失くした記憶にへこんでる時、寺院の坊主に嫌なコトされた時、一人が寂しい時、三蔵が名前を呼んでくれるだけで、大丈夫になる。

「悟空、返事をしねぇか」

ほら、また呼んでくれた。

ちょっと不機嫌な声で、ちょっと甘い声で、ちょっと優しい声で、ねえ、三蔵、俺の名前、呼んでよ。











「三蔵?」

悟空が俺の名を呼ぶ。
返事をしないと、ほら、

「なあ、三蔵ってば」

また、呼ぶ。

悟空を見つけるまでは、重荷だった名前。
自分のモノだと認められなかった名前。



玄奘三蔵法師。



お師匠様があの日、強く在れと言う言葉と共に付けて下さった名前。
悟空を見つけ出した時、素直に名乗れた名前。



肩の力が抜けた瞬間。



悟空が舌足らずな口調で名前を呼ぶ。
気安く、何の衒いもなく、自然に名前を呼ぶ。
そのたびに、まとわりつく瘧のような息苦しさが無くなる。
気持ちがほぐれてくる。
柔らかくなる。

苛ついた時、気持ちが弱くなった時、折れそうになった時、悟空が名前を呼ぶだけでしゃんと、立つことが出来る。

「返事してよ、三蔵」

ほら、また呼ぶ。

ちょっと拗ねた声で、ちょっと甘えた声で、ちょっと艶やかな声で、おい、ちゃんと俺の名前、呼べよ。

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