葡萄の葉



一匹の鹿が、猟師たちから逃れて葡萄の下に隠れました。
鹿は、もう大丈夫、気付かれることはないと思って、
葡萄の葉を食べ始めました。
すると、葉が揺れましたから、猟師たちは後へ戻って来て、

そして───





「何をそんなに熱心に読んでいるんですか?」

洗濯物を取り込んできた笙玄が、長椅子を机代わりにして絵本を読んでいる悟空の後ろから覗き込んできた。

「…えっと、イソップ童話っていうの」
「面白いですか?」
「うん…」

頷く悟空の顔が、答えとは正反対に曇っている。

「悟空?」

笙玄の問いかけに悟空は、何でもないとぎこちない笑顔を浮かべた。
そして、外へ行って来ると、言い置くなり、読んでいた絵本を持って寝所を飛び出して行った。
その後ろ姿を笙玄は、訳が分からないなりの心配を抱えて見送った。




絵本を抱えて回廊を走った悟空は、大扉を出た所で修行僧とぶつかった。

「──…って!」

小柄な悟空の身体は、勢い跳ね飛んで回廊に転がった。
修行僧は、一緒にいた他の僧侶に支えられ、転ぶことはなかったが、悟空の頭が丁度鳩尾に当たったらしく、腹を押さえて呻き声を上げた。
その呻き声に、悟空は慌てて起き上がって、僧侶に近づいた。

「ご、ごめん。大丈夫か?」

呻く僧侶を心配げに見上げる悟空の身体が、また、今度は力一杯突き飛ばされた。
それと同時に降ってくる声に、悟空はその円らを見開く。

「妖怪に触れたなど、汚れたわ」
「大丈夫か?汚れは早く落としたほうがいい」
「三蔵様もこのような妖怪、さっさとどこぞへやっておしまいになればいいのに」
「ああ、三蔵様のお慈悲に縋ってしか生きられない妖怪を哀れと思われて、出て行けとは仰らないんだろうさ」

回廊に座り込んだままの悟空に冷たい一瞥を投げると、僧侶達は行ってしまった。
一人回廊に残された悟空は、修行僧達の姿が見えなくなってから立ち上がった。
そして、跳ね飛んで回廊の端に落ちた絵本を拾うと、悟空は大扉の中へ戻った。






───これは、本当だったのですが、

何か動物が葡萄の葉の下に隠れていると思って、
矢でその鹿を殺しました。
鹿は、息を引き取りながらこのようなことを言いました。

「こんな目に遭うのも当たり前だ。
何故って、
私を救ってくれた葡萄に酷いことをしちゃいけなかったんだ」






悟空の足は、無意識に三蔵の居る執務室へ向かった。
扉の前まで来ると、声が聞こえた。
それは、先程修行僧が言っていた言葉と寸分違わぬ言葉で。
言っている人間が違うというだけのことで。
悟空はきゅっと、唇を噛むとそのまま奥の院の庭へ駆け去って行った。






「なあ、俺…三蔵に逢えてすっげー嬉しい。暗い岩牢から見てるしかなかった外の世界を俺にくれた。俺、今毎日が幸せっていう気分なんだ」

奥の院にある沙羅の木にもたれて、悟空は話す。
その悟空の声に、沙羅の梢が風に関係なく、意志を持って揺れる。

「…うん。三蔵のこと大好き。でも…でもさ、俺、妖怪だから、寺の奴らが三蔵に相応しくないって、汚れてるからダメだって…」

はらりと咲き始めた白い花の花弁が、悟空の膝に落ちた。

「なあ、俺、三蔵の傍に居ても良いのかな?俺が居ると迷惑かな?俺の所為で三蔵が酷い目に遭ったりしないかな…?」

そう言って見上げた沙羅の梢に、悟空は眩しそうにその金瞳を眇めた。

「傍に居ても良いのか、訊いても三蔵、怒んないかな?寺の奴らが俺に何かするのは、俺が三蔵に迷惑かけてるからか、訊いてもいいかな?」

投げ出していた足を両腕で抱え、悟空は丸くなった。

「…役に立つようにもっと、いっぱい覚えなきゃいけないかな…」

また、はらりと白い花弁が、悟空の髪に舞い降りた。

「………俺…三蔵と居たいって、言っても…」
「いいんだよ、馬鹿猿」

呆れた三蔵の声が、悟空の声に答えた。
ここに居るはずのない人の声に悟空は、びっくりして顔を上げた。

「さ…んぞ?」

自分を見上げてくる心なしか潤んだ金眼に、三蔵は小さく息を吐くと、悟空の目の前にしゃがんだ。

「……?」

三蔵の仕草を何処か怯えたような気配を纏って、悟空は見つめる。
それに三蔵は、法衣の中で手を握り占めた。
そして、

「言いたいことがあるならはっきり言えと、いつも言ってるだろうが。それにお前に少々迷惑を掛けられても、俺は痛くも痒くもねぇ。お前は、お前の望む通りに生きて、俺の傍に居ればいいんだよ」

と言って、くしゃくしゃと悟空の頭を掻き混ぜた。
悟空は三蔵の言葉に半ば呆然とし、やがてくしゃっと顔を歪ませた。

「泣くな、笑ってろよ」
「…うん……うん、さんぞぉ…」

頷く悟空に三蔵は、微かに口角を上げて笑った。




リクエスト:文字を覚えるために読んでいた絵本の中のお話を読んで、このままここに居ていいのか、迷うようなお話
180180Hit ありがとうございます。
謹んで、みつまめ様に捧げます。
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