壊れた時計
「三蔵のバカ──っ!」

悟空の叫び声と一緒に投げられた時計は、戸口に立った三蔵を逸れて、壁に当たって砕けた。

「なら、勝手にしろ」

寝台の上で小さな子供の様に泣きわめく悟空に背を向けると、三蔵は寝室を出て行った。
閉じられた扉に向かって枕が投げられ、ぽすんという音と共に砕けた時計の上に落ちた。

「──……バカぁ…っくぅ…」

悟空は掛布を頭から被ると、寝台に踞って泣き出した。






くぐもった悟空の泣き声を扉の外で聞きながら、三蔵は深いため息を吐いた。

連れて行けるものなら連れて行ってやりたい。
だが、今回向かう先は異端の存在を極端に嫌う寺院だ。
そんな所へ悟空を連れて行こうものなら、何をされるか分からない。
三蔵の目の届くこの寺院ですら、悟空は何度も酷い目に遭っているのだ。
出先で、仕事に追われていれば、悟空に何があっても手遅れになるやもしれない。
極力、危険は避けてやりたかった。

それが、約束を破ることになっても。

今年の誕生日、悟空とかわした約束。
悟空の誕生日の次に入った遠出の仕事に、悟空を連れてゆくこと。
どんな仕事でも、どんな場所でも。

固く約束はしたが、それでも今回ばかりは連れて行けない。
それは悟空の命すら危険に曝す場所だから。
それだけは、承知できなかった。

三蔵は居間で心配に顔を曇らせている笙玄に近づくと、

「後は、頼む」

そう告げて荷物を受け取り、出掛けていった。






三蔵が出掛けた気配を感じて、悟空はもそもそと寝台から這い出した。
そして、カーテンの影から回廊を歩いてゆく三蔵の後ろ姿を見つめた。

「三蔵の嘘つき…連れて行ってくれるって言ったくせに……」

止まったはずの涙がまた、金色の瞳から溢れた。
と、扉を叩く音に気が付いた。
悟空は服の袖で涙を拭うと、掛布を被ったまま寝台を降りて扉を開けた。

「…何…?」

開けた扉の隙間から覗いた悟空の姿に、笙玄は小さく笑うと、声をかけた。

「おやつ食べませんか?」
「…いらない」

うつむいたまま、悟空が首を振る。

「そうですか。せっかく昨日、三蔵様が悟空にと、街へお出かけになった折りに買ってお出でになったのに?」
「えっ…?」

笙玄の言葉に思わず悟空の顔が、上がった。

「ここのお饅頭は美味しいんです。でも、作ってる数が少ないとかでなかなか買えないんですよ」
「…そう…なの?」
「はい」

泣き腫らした瞳が、困惑した色を浮かべて笙玄を見返している。

「悟空とお食べになるおつもりだったんですが、お仕事でお出かけになってしまわれちゃって…。だから、悟空、食べちゃいましょうか?って、お誘いしてるんですよ」

にこっと笑う笙玄の笑顔をしばらく見つめた後、悟空はうっすらと膜の張りだした瞳を笑う形に歪めた。

「…待ってるよ。さんぞ、帰ってくるの…んで、一緒に食べる…」
「はい」

悟空の言葉に笙玄は優しく返事を返した。






少し眠ると笙玄に告げて、悟空は寝室に戻った。

身体に纏った掛布を引きずりながら寝台に戻る足に、砕けた時計が当たった。
薄水色の四角いプラスチックの時計。
壁に力一杯投げつけた衝撃で四角い角は割れ砕け、中のムーブメントも壊れていた。
拾い上げれば、三蔵が扉を閉めた時間で止まっている。

「…帰ったら、お帰りって笑って言うんだ…」

そう言って微笑って、ぎゅっと、壊れた時計を悟空は抱きしめた。

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