雨垂れ
紫陽花の色が青から紫、そしてピンクへ変わってゆく。
ピンクから赤紫、そして青へ紫陽花の色が変わる。

雨の季節───

何日も降り続いた雨がようやく上がった。
切れた灰色の雨雲の隙間から、太陽が光の腕を伸ばす。
やがてその光は、透き通った青空を連れてくる。

悟空は回廊の一番端の柱にもたれて、空が晴れてゆく様子を眺めていた。




雨の降る日は、三蔵の機嫌が悪い。
そして、どことなく痛みをこらえるような瞳の色を悟空に向ける。
いつもより不機嫌で、いつもよりもっと無口になって、眉間の皺が何本も増える。
なのに、煙草の本数は減って、遠くを見ている時間が増える。

何も言わない。
何も言えない。

何も聞かない。
何も聞けない。

そんな時の三蔵の傍に居たくない。
そんな時は三蔵の傍に居られない。

今は、雨の季節。
だから、ずっと三蔵の機嫌は、悪い。

寂しい背中。
ひとりぼっちの背中。




悟空は陽の光に輝く水滴に、顔をほころばせた。
ぽたぽたと、回廊の屋根を伝う雨の名残が雨垂れとなって光の中へ落ちてゆく。

透明な涙型の宝石。

夏を迎える季節だというのに、雨上がりの陽ざしは優しく、悟空の身体を包む。
その陽ざしに悟空は柔らかな笑顔を浮かべた。

「…大丈夫だって。雨止んだから、三蔵の機嫌も治るよ」

湿気を含んだ風が、悟空の柔らかな頬を撫で、吹きすぎてゆく。

「そう…だね。雨の歌、聞こえたら三蔵の機嫌も悪くならないかなぁ…」

透明な青空を眺める悟空の金眼は、儚い色を掃く。

「辛くないよ。だって、俺、三蔵のこと大好きだもん」

一瞬強く、風が吹き、雨の痕跡を吹き散らす。
舞い上がった水が、悟空の目の前に七色の帯を結んだ。

「きれー…」

輝く小さな虹を悟空は、何時までも見つめていた。






かたんと、細く開けた窓の桟が小さく鳴った音に、三蔵は字面を追っていた書類から顔を上げた。
見やれば、薄日が射して、雨が音もなく降っていた。

明るい雨・・・。

三蔵は執務机から立つと、窓に近づき、開け放った。
外の色彩は先程とは一変していた。
暗く重い空が、透明な青空に衣を変え、濡れるモノ、見るものを色のない世界へ追いやる雨が、今は細く明るい光の糸となって降り注ぐ。
その姿は柔らかな養い子の笑顔に似て、三蔵の荒れた気持ちを包み込む。

三蔵の唇に、久しぶりの微笑みが微かに浮かんだ。
そして、踵を返すと、三蔵は執務室を後にした。






三蔵の向かった先で、悟空は回廊の柱にもたれたまま、寝入っていた。
お天気雨の光の中、眠る悟空の姿に、三蔵はゆっくりと頬笑んだ。



───雨の歌は優しいんだよ。雨垂れだって楽しそうに歌うんだ



悟空の傍にしゃがみ込んで、三蔵は流れ落ちた悟空の髪を払ってやる。



───綺麗な声で雨は歌うんだ



眠る悟空から視線を移せば、色変わりを始めた紫陽花が銀糸の雨と柔らかな陽の光を浴びてひっそりと息づいていた。

「…確かに、優しいな」

くっと、喉を鳴らして三蔵は笑うと、悟空の横に腰を下ろした。
そして、そっと悟空を抱き込むと、柔らかく音もなく振り続く雨と小さく響く雨垂れの音に心を委ねた。

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