ラッカー (parallel)
剥き出しのコンクリートの壁に極彩色のシュールな落書きが所狭しと殴り書きされている。
配管から漏れだした水が垂れる音とそれが作り出す水たまり、そしてうち捨てられたがらくたが狭い路地をなお一層狭くしていた。
その壁に張りつくように作られた非常階段の中程で、三蔵は曇りがちな夜空を見上げていた。

先程一つ仕事を終えた現場から離れたこのビル。
何気なく見やった壁に描かれた落書きが三蔵の気を惹いた。
そのままその落書きを暫く見つめ、ふいに差した月光に誘われるように空を見上げたのだ。

雲間から覗く月は、柔らかな黄金。
愛して止まぬ恋人の蜂蜜色の瞳を連想させる。



お前はもう眠ってるか…?



今日は本当なら一緒に居て、誕生日を祝ってやるはずだった。
幸せに輝くあの笑顔を独り占めして、喜びに彩られた笑い声を一晩中聞いているはずだったのだ。

それがどうしても外せない仕事のために、久しぶりの逢瀬をふいにし、また、淋しい想いをさせている。

逢えなくなったと告げた電話の向こうの声は、気にしないでと笑っていたが、紡がれる言葉の端々に落胆を感じた。
仕事の方が大事だからと、笑った声に淋しさの影を見つけた。

それでも三蔵の負担になりたくないと、何も訊かず、我が侭も言わず、健気に笑う恋人が愛しくて堪らない。

常に手元に置いて、その吐息の一つも漏らさず、その華奢な甘い身体を愛していたい。
何も知らない金色の宝石。



お前はそれで幸せか…?



問いかける気持ちは届くことなく、夜風に消える。

三蔵はもう一度、壁の落書きに視線を戻すと、小さく嘆息した。
そして、短くなった煙草を投げ捨てると、雲が月を隠したのを待っていたように、その姿を闇に紛らせたのだった。

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