その笑顔に出会えた喜び
この気持ちを知った幸せ

見上げていた空よりも広く
焦がれていた太陽よりも眩しく、温かな世界

そこに在る幸せをありがとう




Come for you




「悟空、おはよう」
「おっはよう!」

市場の開く頃、悟空の姿が寺院の麓の町に見られる。
この街は、三蔵の住む寺院の門前町として栄えていた。

寺院の参道へと続く大通りは、様々な露店や商店が並ぶ。
寺院への参拝客やその供の者、寺院の僧侶達とその家族など、様々な人たちが集い、賑わう。
街の向こうには長安の中心地があり、皇帝の住まう宮殿の屋根がその偉容を見せていた。

悟空は三蔵が執務に就く頃、寺院を出て麓の街へ降りてくる。
と言っても毎日ではなく、ひと月に片手で足りるほどでしかない。
それ以外の時は、三蔵の側係の僧侶、笙玄と一緒だったり、三蔵法師本人が悟空と連れだったりして、街に降りてくるからだ。
それでも、物怖じしない様子や生来の明るさと素直さは、街の人々に好感を持たれ、可愛がられていた。
何より、三蔵法師の養い子だということが、大きかったかも知れないが。

友達が居る広場に向かって市場を駆け抜ける悟空の姿に気が付いた大人達が、悟空に声をかける。
その声にいちいち笑顔で悟空は答える。

「お昼にお寄り。美味しいハッサクをあげるよ」
「うん!ありがと」

果物屋の女将が手を振る。

「後でみんなで来ると良い。うちのかみさんが菓子を焼いたからな」
「ありがと!みんなと行くね」

雑貨屋の亭主が店先に商品を並べながら、声をかける。

「悟空、三蔵様はお元気かい?」
「元気だよ」

煙草屋の女将が声をかける。

「これ持っていきな」
「サンキュー」

菓子屋の従業員が、飴の袋を投げる。

「昨日の売れ残りだから、心配すんなよ」
「うん!」

その言葉に悟空は、大輪の笑顔を咲かせた。

悟空は、現金を持たせてもらっていない。
だからといって、金を出して買わないといけないモノをタダでもらう行為を三蔵は禁じていた。
そのことを街に住む人間は皆、承知していたので、悟空に渡されるモノは、手作りのお菓子、売り物にならないけれど、十分食べられるものなどだ。
勝手に食べ物をもらうなと、三蔵や笙玄と固い約束をしている悟空は、もらった食べ物を口にすることはなかった。
もらった食べ物は友達に分けたり、寺院に持って帰って三蔵に許しを得てから食べたりしていた。
それでも、時々、我慢しきれずに食べてしまうこともあった。
そう言う時は、隠しても三蔵に必ずばれて怒られるので、素直に「ゴメンナサイ」と謝る。
すると、三蔵は困ったようなため息を吐いて、何も言わずに許してくれるのだった。
だが許されて嬉しい反面、ハリセンで殴られて怒られるより胸に堪える。
だから、どんなに食べたくても我慢する悟空だった。

両手でもらったお菓子を大事にそうに抱えて、悟空は友達が居る広場へ走った。





















昼前、寺院へ食事に帰る悟空は、果物屋の前を通った。
今朝、昼前に寄れと、店の女将が言っていたことを思い出す。
が、生憎と店先に女将の姿は、なかった。
悟空は、果物屋の前で足を止めるが、今日は三蔵と一緒の昼ご飯だと言うことを思い出し、駆けだした。

街へ遊びに行く時よりも速い速度で、悟空は寺院を目指した。
総門を抜け、僧侶達に見つからないように回廊を音もなく駆け抜ける。
大扉を潜ったところで、ちょっと荒くなった呼吸を整えると、三蔵が待っている寝所に向かって軽やかに走って行った。




「たっだいまぁっ!」

勢いよく扉を開けた悟空の頭に、三蔵の振るうハリセンが見事に決まった。
途端、乾いた音が盛大に響き渡る。
その音に間髪入れず、三蔵の怒鳴り声が響いた。

「このサル頭!何度言えば静かに出入りできるんだ!」
「…だ、だってぇ〜」
「だっても、クソもあるか。てめぇには学習能力はねぇのか、ああ?」
「何だよ、せっかく走って帰って来たのに」
「喧しい!言いつけぐらいはちゃんと守れ、サル」
「サルって言うな、暴力坊主、バカ、ハゲぇ」

悟空の悪態に三蔵が、もう一度ハリセンをその頭に振り下ろした。

「どの口が言ってやがる、この口か?この口か?」
「…ってぇってば、もうぉ!」

三蔵のハリセンを振り払うように立ち上がると、悟空は三蔵を睨んだ。

「んだよ、せっかく一緒に昼ご飯食べられると思って急いで帰ってきたのにぃ」
「楽しみにしていたんですよ」

と、援護の声が入った。

「笙玄」
「お帰りなさい、悟空。さ、手を洗って来て下さい。お昼の用意ができていますよ」

にこにこと、悟空を洗面所に導いてゆく。

「甘やかしやがって」

ちっと舌打ちをして三蔵はハリセンをしまうと、食卓に着いた。
ばたばたと手と顔を洗った悟空が嬉しそうに戻って来る。

「さあ、召し上がれ」

笙玄が悟空の前にご飯茶碗を置いて、昼食が始まった。
















「いってきまーす」

大きく手を振って悟空は、また、街に遊びに出掛けた。
その後ろ姿を見送りながら、三蔵は悟空の零した言葉を考えていた。



───俺も友達と一緒に食べたいなぁ…



その何気なく零れた言葉。
それは悟空の本心なのだろう。

好意と信じてもらった菓子に毒が仕込まれていた。
敵意ばかりの中で与えられた好意を素直に信じた悟空は、酷く傷付いた。
目の届かない所で悟空に与えられるその悪意の深さに、三蔵は心が冷えた。
だから、食べることに目のない悟空の為に約束させた。
それは悟空のためを思うよりも、三蔵自身の不安を少しでも軽くするためだった。

だが、街での悟空は皆に可愛がられている。
以前、所用で街に降りた時、偶然、町中で遊ぶ悟空を見かけた。
屈託なく笑い、街の大人達に可愛がられ、同じ年頃の友達に囲まれた姿は、寺院で一人過ごすあの姿より、よほど幸せに見えた。

そして、大人達が悟空を初めとする子供らに菓子を配っていた。
悟空は嬉しそうに受け取るが、決して口にしたりせず、笙玄が持たせた袋にしまった。
だが、三蔵はその時悟空の瞳に浮かんだ寂しげな色を見逃すことはなかった。
それは、ほんの一瞬だったのだが、三蔵にはそれで十分、悟空の気持ちが知れた。

それでも、街で友達と一緒にもらう食べ物は、食べても良いと許可を出せなかった。
理由など考えたくもなかったが。

三蔵の想いなど悟空は知るよしもなく、今日悟空の口から紡がれた言葉に、三蔵は小さく自嘲の微笑みをその口元にはいた。



信用しねぇと、いけねぇのか…



書きかけの書類に意識を戻しながら、三蔵は街で遊ぶ悟空の姿を思い浮かべていた。




















昼過ぎ、悟空は街の入り口で友達と待ち合わせ、いつもの広場に騒ぎながら通りを歩いていた。

「…そんでさ、俺が…てっ!」

横を歩く友達に昼食の時の話をしていた悟空は、前から来る人の集団に気が付かず、見事にぶつかって道に転がった。

「気を付けろ!」

転がった悟空の頭の上から怒声が、降る。

「ご、ごめんなさ…い…」

慌てて謝って顔を上げれば、そこにいたのは寺院の僧侶達で。
途中で小さくなった悟空の謝罪など耳に入らなかった様に、立ち上がりかけた悟空の腹をその僧侶は蹴り上げた。
無防備な状態で蹴られた悟空は、声もなく道に転がった。

突然の僧侶達の暴力に、子供達は竦み上がる。

「お前ら、こんな妖怪と遊んでいるとろくな人間にならないぞ」

一塊りになった子供達に、そう告げると僧侶達は歩き去って行った。
僧侶達の姿が人混みに紛れてようやく子供達は、口々に悟空の名を呼んで、悟空の傍に走り寄った。

「大丈夫?悟空…」
「悟空!悟空!」

泣きそうな華の声に、そっと肩を揺する艮の声に、悟空は咳き込みながら身体を起こすと、笑った。

「大丈夫…へーき」
「そんなわけないだろ」

後ろから聞こえた声に振り向けば、露店の女将が呆れた顔をして立っていた。
そして、道にへたり込んだままの悟空の身体を抱き上げると、自分の店へ連れて行き、手当をしてくれた。

「ごめんね。止める間もなくってさ」

手当をしながら女将が、悟空に謝る。

「…ううん、大丈夫。ホントへーきだよ」

女将の言葉に悟空は何でもないと、笑う。
その笑顔を見ながら、寺院から漏れ聞こえる噂は本当なんだと女将は実感する。
こんな幼い子供に何が出来るのか。
こんなに素直で、明るく優しいこの子が、災厄の源などとよく言えるモノだ。
寺院の僧侶達は、確かに頭も堅く、信仰に凝り固まっているのかも知れないが、人間的にこれほど未熟だとは思わなかった。
そんな中でこんなにまっすぐに、綺麗なままで居る悟空は、本当に三蔵に守られて居るのだとそう思うと、悟空にも三蔵にすら愛しさが募る。

「…良い子だね、悟空は」

女将は心配する友達に、笑いながら「大丈夫」と言う悟空の頭をくしゃっと掻き混ぜる。
それにくすぐったそうに、また悟空が笑った。

「おばちゃん、ありがと」

立ち上がった悟空は、女将にぺこりと頭を下げると、友達と駆けだして行った。




















日暮れ前、三蔵はふらりと寺院を出て、街へ向かった。

暮れなずむ空は、柔らかい太陽の光に満ちて、気持ちを和らげる。
三蔵は法衣のまま、煙草をくゆらせながら悟空が遊んでいる街へゆっくりと足を向けた。






「あ、もう帰んなきゃ」

鬼ごっこの途中で立ち止まった悟空が、うっすらと茜色に染まりだした空を見つめて呟いた。

「悟空、つーかまえた」

ぱふっと、悟空の背中に飛びついた瞬瑛を受けとめる。

「ゴメン、もう帰んなきゃ」

瞬瑛を振り返って、悟空が謝る。
その声に子供達がわらわらと悟空の傍に寄ってきた。

「もう帰るの?」
「うん」
「まだいいじゃんか」
「だって、日が暮れるし」
「三蔵様とお約束したから?」
「うん。約束、守んねぇといけないだろ」

悟空の言葉にそれぞれが頷く。
と、艮が道端に置いていたカゴを取り、中から饅頭を取りだした。

「やる。街の入り口まで一緒に行くから、その間に食べようぜ」

そう言って、笑った。
悟空は差し出された饅頭を受け取り、困った顔をするが、それに気付かない艮は他の者にも饅頭を配り、カゴを肩に担ぐと歩き出した。
その後を悟空も慌てて追うが、饅頭は手に持ったままだ。

「ねえ、悟空、食べちゃえば?」

萌春が小首を傾げて、悟空の顔を覗き込む。

「でも…」
「食べちゃだめなの?」
「…っていうか、えっと…」
「食べて良いぞ」

萌春が声を発する前に、聞き慣れた声が許可を下した。

「へっ?」

見れば、三蔵が立っていた。

「どうした?食わねえのか?」
「いいの?」
「嫌なら食うな」
「食べる!」

そう言って悟空は嬉しそうに笑うと、饅頭にかじりついた。
夕日に光る金糸、純白の法衣、自分達を見る瞳は恐ろしいほどに澄んだ深い紫暗。
綺麗に整った容の白い額に垣間見える深紅の星と噂以上に美しいその姿と先程聞いた心地よい声。
子供達は、目の前に突然現れた三蔵法師の姿に、ぽかんと見とれていた。

「帰るぞ」
「うん!じゃあな」

三蔵が踵を返す。
悟空はぽかんと立ちつくしたままの子供達に手を振ると、三蔵の背中を追って行ってしまった。




夕暮れの買い物に賑わう通りを歩きながら、悟空は嬉しくてしかたなかった。
三蔵が自分を迎えに来てくれるなんて、思ってもみないことが起きたから。

「なあ、もう仕事終わったのか?」

艮にもらった饅頭を食べてしまった悟空は、三蔵の法衣の袂を引っ張ってみる。

「終わったからここに居るんだよ、サル」
「サルって言うなよ」

ぷっと膨れて見せても三蔵と一緒に歩けることの方が嬉しくて、悟空の顔はすぐに笑み崩れてしまう。
そんな悟空と三蔵に、大人達は優しい笑みを浮かべて声をかける。

「三蔵様のお迎えかい?」
「うん!またね」

露天商の女将が声を掛ける。

「また、遊びにお出でよ」
「ありがと、また来るね」

果物屋の女将が、手を振る。

「悟空、これ三蔵様と一緒に食べな」
「えっ?」

ぽんと、菓子屋の主人が悟空の手にせんべいの袋をのせた。

「さんぞ…」

どうしようと傍らの三蔵を見上げれば、

「すまんな」

そう言って菓子屋の主人に礼を言った。

「ありがと、おっちゃん!」

満面の笑顔が、悟空から溢れた。
菓子屋の主人は、三蔵の礼にどぎまぎし、悟空の笑顔にほっとした。

街から出るまでの間に、さまざまな人々から声をかけられる悟空の様子に、三蔵は複雑な想いを抱く。
自分だけを見ていて欲しいくせに、外界へも目を向けて欲しい。
相反する想いに困って傍らの悟空を見れば、この上もなく幸せそうな顔をして歩いている。
その姿を見れば、何も言えなくて。
自分の抱える複雑な想いなど、馬鹿らしくなる。

寺院への道を歩きながら、三蔵はとある決心を固めた。
そして、寺院の総門を入る前に立ち止まって、悟空に告げた。

「悟空、街で街の人間から貰った食いモンに限り、食って良い」
「…ほぇ?」

三蔵の突然の言葉に、悟空がきょとんとする。

「街の人間がお前にくれるものは、俺や笙玄に見せてから食わなくても良いつってんだよ」

再び告げられた言葉に、悟空は今度はその瞳を見開く。

「お前、信じてねえな」

と三蔵が言えば、ブンブンと音がしそうな程首を振って、悟空は三蔵に抱きついた。

「悟空…?」
「すっげー嬉しい。ありがとな三蔵」

上げた顔は、輝くような笑顔に染まっていた。

「ふん。だがな、坊主達からのモノは、今まで通りだからな」

限定での許しだと、念を押す三蔵に、悟空はしっかり頷くのだった。

その後、街で友達と菓子や果物を頬ばる悟空の姿が、見られるようになった。
それでも三蔵に許しをもらってから食べる習慣は、何時までも悟空の中から抜けなかったらしい。




end




リクエスト:町の人と悟空の交流と、お迎え三蔵。
15000Hitありがとうございました。
謹んで、堂本 誠 様に捧げます。
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