Possess
初夏の日差しを浴びて、悟空は塔頭の屋根の上で鳩と遊んでいた。 「三蔵ってばさ、すんげー不機嫌な顔して行ったんだぜ」 出掛けの三蔵の悪足掻きを思い出して、悟空はくすくす笑う。
どうしても逃げられない出張の仕事。 ただでさえ溜まる仕事をわざと溜めてみたり。 外せないが、したくない仕事を前にしてじたばたする行動パターンは、既に側係の長い笙玄に通るわけもなく、着々と準備は進められ、あっと言う間に出発の日となった。 理不尽極まりない三蔵の八つ当たりを一身に受けて泣き出した悟空に、笙玄はお土産に悟空の大好物の肉まんを買ってくると約束して、渋る三蔵を引きずるようにして出掛けて行った。 帰って来るのは、明後日の昼過ぎの予定だった。
「当たり散らしてさ、力一杯ハリセンで殴って行くんだ。外せねぇ仕事で、嫌だからってひでぇよな」 鳩が、悟空の言葉に喉を鳴らして啼く。 「当たられんのは、ヤダけど、三蔵のことは大好きなんだって」 周囲に集まった鳩に言い訳がましいことを言っていると、下から大きな音が聞こえた。 「何だぁ?!」 その大きな音に鳩達が、一斉に飛び立った。 「どーしたのさ?」 背後から掛けられた悟空の声に見習い僧は飛び上がって振り返った。 「…!」 悟空はそんな見習い僧の様子を気にせず、側に近づきながら話しかけた。 「ひっくり返したんだ。でも、何で?」 見習い僧の消え入りそうな返事に悟空は、その顔を見上げた。 だから、自分の問いかけに答えてくれた。 見習い僧の返事に頷きながら悟空は供物台の側に行くと、散らばった供え物を拾い集め始めた。 「拾えば?」 そう声を掛けて、悟空は供え物を拾い集めてゆく。 「どうしたのだ?」 開け放たれた扉から駆け込んできた修行僧の声に、散らばった供え物を拾いかけた見習い僧がまた、すくみ上がった。 「きさま、なんて事をしてくれたんだ!」 きょとんとする悟空に修行僧は、掴みかかった。 「何すんだ!」 反射的に両手に持っていた供え物を向かってくる修行僧に投げつけると、悟空は逃げ出した。 「待て!捕まえろ!!」 入り口を塞いで成り行きを見守っていた修行僧達が、慌てて悟空を捕まえようと手を伸ばした。 「捕まえてくれ!!」 と、悟空を追いかける修行僧が叫んだ。 「じょーだん」 その声に答えるようにあちこちから悟空を捕まえようと腕が伸ばされ、行く手を塞がれる。 「どこだろ?」 きょろきょろと辺りを見回していると、悟空を見失っていた修行僧が、悟空の姿を見つけて叫ぶ声を聞いた。 「やべっ!」 首を竦めると、また、走り出した。 「ったく、今日はしつけーな」 走りながらため息が漏れる。 「っつ…!何す…」 上げ掛けた声を大きな手が塞ぎ、耳元で声がした。 「しっ!じっとしてろ」 口を塞がれ、後ろから抱き込まれてしまった悟空は暴れ掛けた動きを止めた。 「大人しくしてれば、あいつらには見つからねえ」 その声に振り返ろうとして、すぐ頭の上でする修行僧達の声に気が付いて、体を硬くした。 「どこ行った、あの妖怪は」 口々に言い合うと、僧侶達はそこから立ち去っていった。 「行ったぜ」 そう言われて、抱き込まれた腕から解放されても悟空はしばらく動けなかった。
怯えて立ちすくむ見習い僧があまりにも痛々しくて、手を貸したことが誤解を招き、果ては三蔵への非難の声を聞くことになってしまった。 「なあ、お前、何やったんだ?」 少し呆れたような声に悟空は、後ろを振り返った。 「よっ。」 振り返った悟空ににっと、笑いかけた。 「坊主共が、血相変えてお前を追いかけてたけどよぉ、何やったんだ?」 面白そうに笑いながら青年が、訊いてくる。 「何、訊いちゃいけねえことか?」 違うと、悟空は首を振る。 「なら、何だよ」 今にも泣きそうな声音で答える悟空の様子に青年は、ぼりぼりと頭を掻いた。 「あっちに俺の小屋があるんだけど、行かね?」 青年の言葉にきょとんとするが、悟空は頷いた。 「…何、ここ…」 魅入られたように所狭しと立つ墓石の群れを見つめる悟空に青年は、話す。 「そ、俺はここの墓守、湶ってんだ」 青年の自己紹介に、悟空も慌てて名前を告げた。 「あ、俺は悟空、孫悟空」 差し出された湶の手と握手をすると、二人は湶の小屋に向かって歩き出した。
墓石の間を縫って歩く悟空は、きょろきょろと物珍しげに周囲を見渡して歩いていた。 初めて訪れた場所だった。
連れられてきたそこは、丁度墓地の東の端に位置していた。 「入ってよ」 促されて入る小屋は、板を打ち付けて漆喰で固めた簡素なものだった。 「今、お茶入れるから、そこらに座っててくれ」 物珍しげに小屋の中を見回しながら悟空は、板の間に上がって腰を下ろした。 「で、さっきの続きな。何で坊主共がお前を追いかけてたんだ?んで、三蔵って、ひょっとして三蔵様か?」 座るなりそう切り出した湶に悟空は、びくっと肩を揺らして湶を見やった。 「三蔵って…三蔵だよ。俺を見つけてくれた大事な人」 言いながら泣き出した悟空の頭を湶は、軽く叩くと、 「三蔵様は良いって言って下さってるんなら、悟空が気にすること無いと思うぞ。迷惑を掛けないようにって思うなら、俺んとに遊びに来いよ。墓守っていっても毎日暇してっからよ、遊ぼうぜ」 そう言って笑った。 「ありがとう…」 と、呟いた。
悟空は湶と友達になった。
予定よりも延びた出張から帰って来た三蔵と笙玄を嬉しそうに出迎えた悟空の様子に二人は違和感を覚えた。 「供物は皇帝陛下から頂いたもので、貴重な瑠璃や玻璃の品々もございました。全て砕けたり、欠けたりと無惨な状態になってしまいました。これは不敬な行為の何ものではなく、どうぞ厳罰に処して頂きますようお願い申し上げます」 そう締めくくった勒按の言葉に三蔵は、わかったとだけ答え、下がるように命じた。 「っつてぇな!何すんだよいきなりぃ!!」 あまりの痛さに涙を流しながら戸口に立つ三蔵を睨みつける。 「喧しい!あれほど居ない間に騒ぎを起こすなと言っといただろうが!」 三蔵の言葉に言い返そうとした悟空は、ぐっと詰まった。 「みろ、当たりじゃねえか」 そこまで言いかけて、悟空は口を噤んだ。 「ごめん」 何か言いかけた口を急に噤んで、うつむいたかと思うと謝罪を口にする悟空に三蔵は、急激に怒気が冷めるのを感じた。 「悟空?」 訝しげな三蔵の声音に悟空は恐る恐る顔を上げると、呆れた顔をした三蔵が悟空を見下ろしていた。 「さんぞ?」 問いかければ、大きくため息を吐いた三蔵は、長椅子に腰を下ろし、悟空を手招いた。 「何?」 請われるままに近づけば、三蔵は悟空を足の間に挟むように抱き込んだ。 「人を庇うのも良いが、ほどほどにしとけ」 怒鳴られた勢いで口にした言葉を三蔵は正確に聞き取っていた。 「ごめん……でも、あいつを怒んないでよね」 嬉しそうに話す悟空に三蔵は、先程とは別の理由で頭痛を覚えた。 「なんで、墓守なんだ?」 その言葉に三蔵は、悟空から漂う死臭の理由を知った。
三蔵が帰ってきてからも悟空は、湶の所へ遊びに出掛けていた。 その間に笙玄は、笙玄なりに悟空の様子に疑問を覚え、墓守の湶について調べ始めていた。 そんな二人の心配をよそに、悟空は湶の元へ日参しては、新しい遊びを教わって、楽しさに浮かれていた。
そんなある日、いつものように湶を訪ねてきた悟空は、小屋の前で倒れてしまった。 「悟空、大丈夫か?」 気が付けば、湶の小屋の中に寝かされていた。 「なら、いいけどよ」 言いながら、悟空は寝入ってしまった。 「そろそろ、いいか。大地の精霊の身体をもらって、俺はもう一度生きるんだ」 ふっと、湶の姿が揺らめくと、意識を失った様に眠る悟空の首にその手を掛けた。 「お前は!」 ぎっと、凄まじい形相を向けた湶の身体の下で、悟空が目を覚ました。 「…な…に?どうしたの?」 ぼやんとした声音で湶を見、その視線を辿って、戸口に立つ三蔵を見つけた。 「さんぞ、どうしたの?何してんの?」 身体を起こそうとして、起こせないことに悟空は気が付いた。 「あれ?」 きょとんとする悟空を尻目に、湶は三蔵に飛びかかった。 「三蔵様!」 とっさに笙玄が三蔵を庇おうとするのを突き飛ばして、三蔵は悟空の方へ身体を投げだして避けた。 「…さん…ぞ?」 状況の掴めていない悟空は、不思議そうに三蔵を見やり、湶の方へ顔を向けた。 そこにいたのは邪気を振りまき、鬼の形相をした湶だった。 「何で…?どうしてさ」 訊ねる言葉は震えて、悟空を抱きかかえる三蔵に掴みかかろうとした湶を打った。 「決まっている。その身体をもらって、俺がもう一度この世で生きるんだよ」 邪気に満ちた湶の言葉が、悟空を打ちのめす。 「オンマニハツメイウン」 全ての魔を打ち砕く三蔵の凛とした声が、小屋の中に響き渡った。 「魔戒天浄!」 続く言葉に経文は鋭い光を放った。 「……ふぇ…」 三蔵にしがみついて泣く悟空の泣き声が、いつまでも小屋の中に響いていた。
運び込まれた寝台で、泣きはらした金の瞳が、怯えたように枕元に立つ三蔵と笙玄を見上げていた。 「…怒って…る?」 おずおずと訊いてくる悟空に三蔵は怒鳴った。 「あったりめえだ!この俺に手間かけさすたぁいい度胸じゃねえか。それもあんなくそみたいな自縛霊に取り憑かれやがって。ちったぁ気付けってんだ」 そうだと笙玄が大きく頷いた。 「そうです。もしあのままあいつに悟空の身体が乗っ取られて、悟空が居なくなったらどうなるんですか」 三蔵の言葉を引き取るように笙玄は、悟空を叱りだした。 「あなたの体力が人並み以上だったから、こうして生きていられますが、普通の人間なら、三蔵様がお帰りになる前に身体を乗っ取られてしまっていたんですよ。わかっていますか」 笙玄の剣幕に悟空は黙って頷く。 「あなたが衰弱していく姿を黙って見ていなければならなかった三蔵様のお気持ちを考えなさい。どれ程心配なさっていらしたか。それすら気付かず、あなたは毎日あいつの所へ行っては、衰弱して帰って来る。そんな姿を見るのがどれ程お辛いか」 笙玄の言葉に三蔵が、瞳を見開く。 「わかりました。反省しないのなら私にも考えがあります。三蔵様?」 三蔵を振り返った笙玄は、これ以上ないほどの穏やかな笑顔を浮かべていた。 「悟空が元気になるまで、わ・た・しが世話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」 訊ねる笑顔は極上で、三蔵はその言葉に引きつった顔で頷かざるを得なかった。 「回復するまで、私の部屋で過ごしましょうね。その間は三蔵様とお話できませんからね」 その言葉に悟空の顔は、青ざめる。 「ヤダ!三蔵の側がいい」 反射的に抗えば、真綿で絞めるような優しい言葉が降りてきた。 「では、三蔵様のお手をこれ以上煩わすことを悟空は望んでいるのですね」 蛇が獲物を追いつめるような笙玄の言葉に三蔵は、我知らず止めに入っていた。 「もう、いい。サルも反省してる。だから、もう…」 三蔵の言葉は途中で途切れた。 「お許しになられると仰るんですか?」 額に汗まで浮かべて三蔵は頷いた。 「そうですか。三蔵様がそう仰るのなら仕方ないですが、悟空?」 飛び上がるようにして、悟空は返事をする。 「以後、見知らぬ人に懐いてはいけませんよ。今度こんな騒ぎになったら、私が許しませんからね」 しおらしく謝る悟空に頷くと、笙玄は夕食の支度をすると寝室を後にした。 「さんぞ、こ、恐かった。マジ、笙玄が恐かった」 涙目になって三蔵を見上げる。 「さんぞ…?」 不安そうに三蔵を呼ぶ悟空に三蔵は、安心させるように頷いてやった。 「ああ、よくわかった。あいつを怒らすな、いいな」 そう言って、悟空は目を閉じた。 悟空の寝顔を見つめながら三蔵は、怒りにまかせて怒鳴る人間の方がどれ程単純で、冷めやすいか、そして、本当に怒ってしまった人間は、激昂するよりも静かな水面のようになることを何より、笑顔を浮かべて怒っている人間がどれほど恐ろしいか、認識を新たにした。 それほどに笙玄は、恐かったのだ。 悟空を心配するあまりとはいえ、笙玄の忘れられない一面を見てしまった三蔵と悟空は、しばらくの間、笙玄には逆らわず、大人しくしていたし、笙玄に対する三蔵の態度がどことなくぎこちなかったとか、そうでなかったとか。
穏やかな日常のとある断片。
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リクエスト:怒れる笙玄 |
10101 Hitありがとうございました。 謹んで、雪 夜様に捧げます。 |
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