観察日記
それは三蔵のお供で出掛けた公務の帰り道。 ささやかながらもてなしの膳を用意したと告げる主人の誘いを至極真面目な顔で丁寧に辞し、腹さえ減っていなければ決して長くは無い長安までの道のりを二人で歩いていた。 ぐぅ〜きゅるるる〜…。 何度目かの派手な鳴き声が響いたかと思うと、往来のど真ん中にも関わらず悟空の足取りがピタリと止まってしまった。 「三蔵ぉ〜腹減ったぁ〜…メシぃ〜ッ!」 半ば涙声になりながら、とうとう我慢の限界を超えた悟空が訴える。 「煩せぇッ!さっさと歩けバカ猿ッ!」 すっぱあぁ〜〜〜んッ!…と軽快な音を響かせ、問答無用の勢いで三蔵のハリセンが悟空の後頭部にクリーンヒットした。 「いってえぇ〜ッ!何だよ、殴ることないじゃんかッ!」 三蔵とて、腹が減っていない訳ではない。 仏僧界での最高位、三蔵法師の位に引き寄せられるのは、純粋に救いを求める者だけではない。 不本意ながらもそんな理由で腹の虫を無視する事に決め込み、早々に席を辞したのだ。 「…せっかくメシ食わせてくれるって言ってたのに」 ぷぅ…と元から丸い頬をますます丸く膨らませ、幼い眉根に似合わない皺を刻むと三蔵を睨むように見上げた。 まだ夕方前の太陽は柔らかな陽射しを放ち、春の訪れが近い事を告げていた。 「…途中で何か買えばいいだろうが」 ふぅ…と形の良い唇から紫煙を吐き出しながら三蔵が告げた。 「いいのッ?」 途端にパッと悟空が顔を上げ、零れそうな程に大きな金色の瞳を煌めかせながら、明るい声で聞き返してきた。 基本、仕事で出掛けた際に三蔵は悟空に食べ物の類を買い与えはしない。 「仕方ねえからな…」 どうやら三蔵も相当な空腹に襲われているようだった。 「やっりぃ〜ッ!にっくまん♪にっくまん〜ッ!」 三蔵の許可を確認した悟空は、小さな体をぴょんぴょんと跳ねさせ腕を大きく振りながら途端に元気良く歩き出した。 「…ガキ」 咥えていた煙草を足元で揉み消すと半ば呆れながら、大地色の長い髪が尻尾のように揺れている小さな背中を見つめ、ぼそりと三蔵が呟いた。 「おいサル…それは何だ?」 三蔵に声を掛けられ悟空は肩越しに振り向くと、腰に手を回し、思い出したように巾着を掴んでごそごそと中を探り出す。 「そういや、さっきお土産にって…貰ったんだ♪」 眉間に更に深く皺を寄せ、もう一度後頭部に向けてハリセンを打ち下ろそうとしていた矢先に、悟空が歓喜の声を上げ巾着の中身を取り出した。 「見て見て三蔵ッ!すっごく綺麗ッ!」 そう言って小さな掌に乗せられたのは、淡いパステルカラーの可愛らしい豆菓子。 「なぁなぁ、これってちっちゃくて綺麗だけど、食いモンだよなッ?」 悟空の野生動物並みの嗅覚が、甘く香ばしい香りに敏感な反応をみせ、嬉しそうにうずうずと見上げてくる。 「…あられという菓子だ…何でまたそんなモンを…」 確かに世間的に良く知られてはいる菓子であることに間違いは無いが、普段はあまり口にすることの無い部類のものだ。 「なんかお祭りだからくれるって…言ってたよ?」 かさかさと巾着の中から色とりどりのあられを探り、楽しそうに悟空が告げた。 「祭り…?」 そこまで聞いて、三蔵はハタと気が付いた。 今日は三月三日。 「うっまぁ〜い!あっまぁ〜いッ♪」 早速ぽりぽりと菓子を頬張りながら悟空がウキウキと声を上げる。 確かに、仕事が終わるまでは大人しくしていろとは言いつけてあった。 三蔵は隣で嬉しそうに小さな菓子を口に運ぶ悟空を、改めてまじまじと見遣る。 今日は公式のお供なので、余所行き用にと特別に誂えたシルクのチャイナ服を纏っていた。 バカが付くほど良く食べるというのに、相変わらず線は細いままで。 …確かに、大人しくしていれば、少女のように・・・見えなくも・・・無いかもしれない。 中身はただのバカでガキな野生児そのままなのだが、三蔵がそれなりに厳しく躾けているせいもあり、上手く悟空の本性がカムフラージュしているらしい。 それは、悟空の本当の姿…この世に生を受けた全ての物から、愛されるべき至高の魂の持ち主・・・斉天大聖の魂の成せる業なのかもしれない。 「はい、三蔵ッ!」 不意に名を呼ばれ、目の前に現れた悟空の指先には、白い糖衣を纏った小粒のあられが摘まれていた。 「まだ食い物屋見つからなさそうだからさ、二人で半分コな?」 真っ直ぐに腕を伸ばして三蔵の目の前にあられをかざし、金色の瞳を嬉しそうに細め、溢れんばかりの笑顔で見上げてくる悟空の姿。 三蔵は何も考えずにそのままぱくり…と悟空の指先にあったあられを口に含んだ。 途端、悟空の金色の瞳が何かに驚いたように大きく見開かれる。 「…どうした、食わねぇのか?」 大した腹の足しにもなりはしないが、この甘さが心のイライラを多少は緩和させてくれそうだ。 「う、うん…」 歯切れの悪い返事を返すと、がさがさと巾着の中からあられを摘み、口に運ぶ仕草を繰り返し出した。 「三蔵も…食べる?」 先程は有無を言わさぬ勢いで差し出してきたくせに、何故かわざわざそんな事を聞いてくる。 「いいから寄越せ」 そう言いながら手を差し出すも、そこにあられは乗せられず。 「はい♪」 嬉しそうに差し出す悟空をチラリと見下ろすも、先程と同じようにあられをぱくり、と直接口に含んだ。 それから、一粒悟空が食べては、一粒三蔵に差し出す・・・といった調子で何度か繰り返され。 「三蔵…可愛い…」 その小さな呟きに三蔵の足がピタリと止まる。 しまった…っ!と悟空が気付いた時には、秀麗な眉が片方だけピクリと引き攣り、紫暗の瞳が冷ややかに顰められる。 「てめェ…」 悟空は慌てて否定しようと口を開くも、結果として火に油どころかジェット燃料を注いでしまったようだ。 「…言いたいことはそれだけか、悟空?」 じり…と三蔵がいつの間にかハリセンを肩に背負い、少しづつ悟空との間合いを計りながら迫ってくる。 「だって…仕方ないじゃんっ!そう思っちゃったんだもんッ!それに、俺ッ…そんな三蔵が…」 そこまで口にすると、悟空は顔からぼんッ!と音が聞こえてきそうな勢いで、一気に耳まで真っ赤に染め上げてしまった。 今にもハリセンを振り下ろそうとしていた三蔵の肩が、突然の悟空の変化に驚き、ぴくりと震える。
「す…好きなんだもん…ッ!」
ぐわん…ッ!と大きな銅鑼が三蔵の耳元で鳴り響く。
幼い両手であられの入った巾着を握り締めながら、恥ずかしそうに俯いてしまった悟空の姿。 マオカラーから微かに覗く項までもが真っ赤に染まり、自らの告白で発した熱に潤んだ金色の瞳を微かに揺らしながら悟空がちらりと三蔵を見上げてくる。
…壮絶。
それしか言葉が浮かんでこない。 いや、それさえも相応しくはない。 この姿を言葉でなど表せる訳が無いのだ。
三蔵は無言のままハリセンを無造作に投げ打ち、巾着を持った悟空の手を乱暴に引っ掴むと、そのまま早足でずんずんと歩き出した。 「ちょ…どうしたんだよ、三蔵ッ!」 半ば駆け足で三蔵に引き摺られながら、悟空が声を荒げると。 「ん…ッ!」 突然の行為に驚いたのはむしろ悟空の方で。 二人の足元にぱらぱらと色とりどりのあられが零れて広がってゆく。 ここは往来のど真中で。 だが、さすがに三蔵もその辺りの理性は辛うじて残っていたらしく。 口づけが深くなる一歩手前で、名残惜しげに悟空の上唇を甘噛みしてから、離れていった。 「…さっさと帰るぞ。メシは後回しだ」 悟空の桜色の唇を長い親指でなぞりながら、きっぱりと三蔵が言い放つ。 「ええ〜ッ!」 今の状態では色気よりも食い気が勝る悟空にとっては、信じられない台詞だった。 「煩せェ…俺はメシよりお前が食いてェっつってんだよ」 紫暗の瞳を不敵に綻ばせ、形の良い唇に悪戯な笑みを浮かべると、低く悟空しか知らない艶やかな響きを含んだ声音で囁いた。
その顔が、悪戯を仕掛ける子供のように可愛くて。 それは悟空にしか見せない、やんちゃな三蔵の素顔で。
悟空は丸い頬をますます赤く染め上げたのだった。
END (2011.03.03 ranko araragi) |
バカップル万歳ッ!もう好きにしちゃって〜♪
<蘭 蘭子様 作> 蘭子様のサイト「汝愛-KNIGHT-」のサイト開設1周年記念企画「召しませ悟空〜♪ 〜私はこんな悟空が見てみたい!〜」に、 |