ふと、新聞を読んでいて目に付いた。
何となく興味が湧いた。
小猿の笑った顔を思い浮かべた。



それは、気まぐれ────



recipe
朝、ちょきちょきと新聞にハサミを入れる。
家庭欄のレシピ。
三月十四日のためのちょっとした紹介記事だったのだ。
存外、几帳面な三蔵は、丁寧にその記事を切り抜くと、もう一度読み返し、メモを取った。

材料は、コーンスターチ、粉ゼラチン、砂糖、卵、バニラエッセンス、ペパーミント、グレナデンシロップ。

「…意外に簡単に作れるんだな」

一人で感心しながらメモを書き終えると三蔵は、私服に着替えて何処かへ出掛けて行った。








昼過ぎ、笙玄に用を言いつけて寺院から追っ払い、悟空がまた、外へ遊びに出掛けたのを見届けて、三蔵は厨に入った。

徐に調理台の下に隠してあった紙袋を引っ張りだした。
そして、今朝、切り抜いた新聞記事を見やすい場所に貼ると、袋の中のモノを並べ、レシピの指示通りに計量を始めた。

「…粉ゼラチンが35g、水が90cc、砂糖…200g、もう一度、水が100cc。それで、卵白が2個分って…ああ、黄身と分けるのか。で、コレにも砂糖がいるのか?大さじ4杯だと?何でこれだけ、こんな何だ?」

ぶつぶつと言いながらも、正確に計量し、材料を揃えていく。
そう、ここでも三蔵の几帳面さがでる。
1グラムも間違わずに計量していくのだ、それも意外に丁寧な手つきで。

お菓子作りの基本は正確な計量。
意外に、三蔵は菓子作りに向いているのかも知れなかった。

「何、粉ゼラチンを90ccの水でふやかす?ああ、小鉢に入れた水の上に振り入れておくんだな。で、大さじ4の砂糖をふるいにかける…。下準備の最後は、バット?野球の?」

これは、ご愛敬で。
三蔵はプラスチックの平たいバットの厚み半分ほどに、コーンスターチを敷き詰めると、卵の尖った方で窪みを付けて行った。



何となく楽しい。



知らず、小さく鼻歌を口ずさみながら、今は外で遊んでいる小猿の笑顔を思い出す。
いつだったか、街の子供からチョコレートをもらったとはしゃいでいた。
意味など何も知らずに。
翌月、そう、街でチョコレートをもらったらお返しをするのだと教えられ、律儀にお返しをしていた。
本当に意味など知らず。

今年、意味を知ってチョコレートをくれた。
泥団子のような手作りのチョコレート。
あの小猿の想いが溢れるほどに詰まった甘いお菓子。

その想いに答えるには、自分はあまりにもひねくれているのだが、向けられる想いは嬉しくて。
たまたま目に付いた今日の新聞記事。
自分が作ったとは口が裂けても言えないが、己の中の綺麗な気持ちだけを小猿に向けるのは許されるような気がするから。
ほんの気まぐれに、作ってみる。



喜ぶ顔が見たくて。



ほころぶ口元もそのままに、三蔵は水100ccと砂糖200gを鍋に入れて煮溶かし、弱火で焦がさないように2〜3分煮詰めた。

「70度以下に冷めてから、ふやかしたゼラチンを入れるぅ?どうやりゃ、温度が…ああ、温度計か…」

ごそごそと引き出しを探し、目当ての温度計を見つけると、三蔵は鍋にそれを入れて、温度が下がるのを待った。
そして、まるで理科の実験でもするような調子で温度が下がるのを見届けると、ゼラチン液を鍋に入れ、木べらで混ぜながらゼラチンを丁寧に溶かしていく。

「溶けたぞ。で、卵白を泡立てるか…」

小難しい顔をしてレシピを睨んだ後、三蔵は卵白を泡立て始めた。

自分が料理なんぞするとは思ってもみなかったが、やってみればなかなかに楽しいことに気が付く。
だが、こんな姿を笙玄に見られようものなら、何を言われるか。
想像するだに、背筋が寒くなる。
たまに、本当にごくたまに、小猿のためにしてやる分にはやぶさかでない三蔵だった。

かちゃかちゃと卵白を角が立つ程に泡立て、ふるった砂糖を少しずつ加えながら、更に艶が出るまで泡立てる。

「こんなもんか…」

それに溶かしたゼラチンを入れて更にまた、泡立ててゆく。

「簡単だが、面倒くせえな」

言いながらも手つきは、ひたすらに丁寧で。
気持ちの隅では、美味しくできるように祈っていたりする。

十分に混ぜ合わさったそれを更に、氷の入ったボールに当てて、とろりとするまで泡立て続けた。
その後、それを三つに分け、一つにはバニラエッセンスを、一つにはペパーミントを、もう一つにはグレナデンシロップを少量混ぜ合わせ、白と緑とピンクのタネができあがった。

三蔵は指を入れて味見をしてみる。
意外に甘くないその味に、ちょっと嬉しそうに頬笑んだ。

「…案外、甘くないな」

あんこの甘さは平気だが、洋菓子の甘いのは苦手だ。
だから、レシピ通りに作って、甘かったらどうしようかと心配だったのだ。
小猿にやるタイミングが取れず、渡しそこねた場合、自分が食べて始末を付けなければならないと思っていたのだから。
そう、こんな所に三蔵の生真面目さというか、まっすぐな心根がかいま見えるのだ。

三蔵はコーンスターチに付けた窪みに、スプーンで慎重にタネを流し込んで行く。

見てる間に三色の丸い半透明なボールができあがって行く。
全てを流し込み終わると、それを冷蔵庫に入れ、5分ほど待つ。
その間に、汚した鍋やボールなどの道具を片付ける。
そう、証拠は残さないようにしなければならない。
完璧に、跡形もなく綺麗に片付ける。
でなければ、困るのだ。
本当に。

タイマーが瞬く間に時間が来たと知らせ、三蔵は表面のべたつきが無くなった半透明なボールを裏返して、また、冷蔵庫に5分入れた。

残った材料は、笙玄が食材を閉まっている棚に紛れ込ますように並べ、洗った道具も片付ける。

調理台に残っていた紙袋からセロファンでできた透明な袋を取り出し、口を広げて準備を整えたところで、また、タイマーが時間を知らせた。

三蔵は冷蔵庫から取り出し、一つずつ丁寧にコーンスターチをまぶしては余分な粉を落とし、口を広げた袋に入れてゆく。
全てを入れ終わると、それなりに大きな袋が一杯になっていた。
先に、コーンスターチを片付け、綺麗にそこここを拭いてから、三蔵は袋の口を閉じ、金色のリボンで結わえた。
その手つきは、まるで悟空の髪を結う時のようだと、笙玄が見ていれば言ったかも知れないほどに丁寧だった。

「できたじゃねぇか」

三蔵は三色のマシュマロを満足げに眺めると、それを持って厨を後にしたのだった。
後には、使う前と何も変わらない綺麗に片付けられた台所がそこにあった。







夜、今日一日の報告を楽しげに語る悟空の話を聞きながら、三蔵は寝室の枕の下に隠してあるマシュマロが気になる。
どうやってこの愛しい小猿に渡そうか。
タイミングが見つからない。

「…さんぞ?」

上の空の三蔵の様子に気が付いた悟空が、どうしたのかと三蔵の顔を覗き込んできた。
それに一瞬、狼狽えて。

「どうかしたのか?」

怪訝な顔をする悟空を何でもないと押しのけて、三蔵は寝室に向かった。
渡す良い案が浮かばないなら、今日は寝てしまおうと、現実逃避を決め込む。
いつにない三蔵の様子に、悟空は気持ちがざわめき、その理由を問いただそうと寝室に向かった三蔵の後を追った。

「三蔵、何かあった?なあ、三蔵…」

寝室の入り口から寝台に腰掛けて煙草をくゆらす三蔵に、悟空は声をかけた。
と、何かが悟空めがけて投げられた。

「あ、っと…」

慌てて手を出し、投げられたモノを受け取る。
その様子を視界の端に入れながら、何と色気のない渡し方だと内心苦笑する。
もっと、気持ちが伝わるような場面を考えないでもなかったが、こんな風なぶっきらぼうな渡し方こそ、自分らしいかも知れないと思い直す。
どんな場面でも、タイミングでも、この小猿が愛しい気持ちに嘘偽りはないのだから。

悟空は受け取ったモノを見つめて、しばらくバカみたいに呆けた顔をしていたが、そこに込められた気持ちに信じられないと言う表情を浮かべる。

「…もらっていいの?」
「嫌なら返せ」
「やだ、返さない」
「なら、受けとっとけ」
「うん…うん…」

ぎゅっと、抱きしめて悟空は泣きそうな顔を三蔵に向けたのだった。







深夜、同じ寝床でマシュマロを抱えて眠る腕の中の小猿の寝顔を見つめながら、今日という日の意味を知っていたことに少し驚きながら、何も言わずにいた小猿の気持ちが面映ゆい。

どこまでもまっすぐに、いつまでも綺麗でいて欲しい。
手の届く近くで、いつでも笑っていて欲しい。

ささやかな願いと愛しさを込めて。

大地色の髪を緩やかに梳きながら、三蔵の紫暗は温かな光に満ちていた。




end

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