燃え上がる炎の中、その子供は、大地色の髪に黄金の瞳をしていた。
本当は今、ここで冥府へ連れて行くべき子供であった。
だが、目の前で傷付き、父と母を呼んで泣きじゃくる姿に、動かされてしまったのだ。
泣くその声に。
今にも壊れそうなその姿に。
黄金の髪をした冥府の使いは、子供を抱き上げた。
「泣くな」
そっと呟き、涙に濡れたまろい頬に軽く手を触れる。
子供はその触れた手の僅かな温もりに泣いていた顔を上げて、自分を抱き上げている人間を見返した。
その涙に濡れて光る黄金の宝石に、囚われたのかも知れなかった。
「生きろよ」
深く底知れない紫暗の瞳に優しい色を浮かべて、冥府の使いはそう告げると、子供の意識を奪った。
そして、燃え上がる炎から守るように結界を張って、姿を消した。
人間の手によって助け出されるその時まで。
relieve
自宅の火災現場から奇跡的に助けられた子供は親戚に引き取られ、無事高校入学を果たすまでに成長した。
幼い頃の火災の記憶と両親の死はその心に深い傷を残してはいたが、それも過ぎてゆく時間の中で少しずつ癒されていた。
大地色の髪と黄金の澄んだ瞳、愛くるしい容は人目を引き、いつの間にか芸能界にその籍を置くこととなった。
後押しをしたのは、悟空を引き取った伯母だというが、真偽のほどは定かではない。
ただ、早く独立して、引き取って育ててくれた伯母の負担を軽くしたいと思っていた子供は、芸能界という世界に身を置くことを躊躇なく決めたのだった。
だが、子供の通っている高校は、原則、アルバイト禁止である。
が、子供の置かれた事情により特別に許可をもらっていた。
クラスメイトは、子供が一人暮らししていることも、親がいないことも知ってはいたが、アルバイトの内容までは知らなかった。
子供はデビュー間もなく、その歌声で瞬く間にトップアイドルに上り詰めた。
だが、高校を卒業するまでは普通に生活がしたいと、一部の人間以外にその素性は明かされることなく、その姿も非公開のまま現在に至る。
それでも子供の人気は衰えるどころか、その素顔を知りたいというファン心理を煽るばかりで、その熱が冷めることはなかった。
「お前、今日日直だぞ」
「ウソぉ」
朝、登校するなりクラスメイトから告げられた事実に、悟空は自分の机にへたり込む。
「何、疲れてんだよ」
と、友達の那托がへたり込んだ悟空の顔を覗き込めば、盛大なため息が悟空の口から漏れた。
「…忙しいんだって、今、バイトが…」
「そっか、大変だなお前も」
「うん…」
そう仕事が今、忙しいのだ。
この春の卒業と同時に、各方面へ顔を見せることになったからだ。
それに伴う新曲やアルバム、プロモーションビデオの作成、ポスター取りなど短期間にこれでもかと仕事が詰め込まれていた。
昨夜もいや、今朝と言った方が正しい時間まで悟空は打ち合わせと曲のレコーディングをしていたのだ。
正直、二時間ほどしか寝ていない。
「マジ、眠てぇ…」
大きなあくびを一つして、悟空は席を立った。
一時間目の授業のために、特別教室の準備に行かなければならない。
日直の相棒は、玄奘三蔵。
金糸の髪と紫暗の瞳の美丈夫だが、すこぶる愛想のない男だった。
女子に言わすと、そこがクールでカッコイイのだそうだ。
悟空は教科書と筆記具を持つと、特別教室に向かった。
先に三蔵が向かったと、那托が言っていたことを思い出し、足早に職員室へ向かう。
職員室で鍵を受け取り、特別教室へ行けば、その前の廊下の窓辺に三蔵が不機嫌な顔で佇んでいた。
「おはよ」
悟空が言えば、
「ああ…」
と返事が返る。
「待った?」
鍵を開けながら問えば、
「今、来たばかりだ」
と、すぐ後ろで声がした。
振り返れば、すぐ傍に三蔵の紫暗が悟空を見下ろしている。
特別教室のドアと三蔵に挟まれた悟空は、困ったように視線を泳がせた。
その姿に三蔵は口角を少し上げて笑うと、悟空の顎を掬い上げ、唇を重ねた。
「…んっ…ぅ…」
ばさっと悟空が持っていた教科書が床に散らばる。
その音に促されるように、何度かついばむような口付けを残して、三蔵が離れた。
「…スケベ」
「朝の挨拶だろ?」
目元を赤く染めて睨む悟空に三蔵はしれっとそう言うと、特別教室のドアを開けた。
三蔵と悟空は世に言う、恋人同士だ。
出会いや切っ掛けは良く覚えていないが、お互いに出逢った瞬間、恋に落ちた。
出逢って、その日の内に身体を重ねていた。
それが、三蔵が悟空のクラスに転校してきた日だった。
以降、二人は密やかにこの関係を続けている。
それでも悟空は自分が芸能人であることを三蔵にも隠していた。
別に三蔵に知られたからと言って、どうこうなるわけではなかったが、自分が歌を歌っているということが気恥ずかしくて、三蔵に言えないだけなのだった。
教室の窓を開け、空気を入れ換える悟空の背中を見つめながら、三蔵は感慨が深かった。
炎の中で泣きじゃくり、両親を求めて泣いていた幼子が、今、目の前に成長した姿を見せている。
気まぐれに助けた命の最期を見届ける罰を受けた三蔵は、悟空の成長を影ながら見つめ続けてきた。
が、稚い子供が大きく成長し、その輝く光を放ち始めた頃、三蔵は自分がどうしようもなくあの子供に囚われていることに気が付いた。
それは恥ずかしくも愛しいという想い。
冥府の使いにあるまじき感情を三蔵は悟空に対して抱いてしまった。
やがてそれは押さえのきかない奔流となって三蔵を苛むようになった。
もともとうだうだと考えることが嫌いな三蔵は、自分の気持ちに正直に行動することにする。
実際の年齢よりも遙かに若いのが少々問題ではあったが、悟空を手に入れる為なら厭うことはなかった。
悟空にとっては偶然で、突然の出会いと一目惚れ。
三蔵にとっては、計算され尽くした出会いと一目惚れだった。
悟空の命が終わるその時まで離すものかと、手に入れた存在を慈しむ三蔵だった。
撮影現場へ向かう車の中で、マネージャーの八戒から今日の撮影についてのあらましを夢うつつで悟空は聞いていた。
「悟空、ちゃんと手順、理解して下さいね」
穏和な声で念を押す八戒に、こくりと頷いたまま悟空は眠ってしまった。
そんな悟空に八戒は、苦笑を漏らす。
「この忙しさもあと少しですから、頑張って下さいね」
セットのあまりの大きさに悟空はぽかんと見上げたまま、動こうとはしなかった。
今回のプロモーションビデオのコンセプトは、アクション映画。
顔出しと一緒に売り出すアルバムのテーマが、そうだから。
バラードからアップテンポの曲まで、一本のストーリーになっている。
その曲に沿った場面構成で、ビデオは撮影されるのだ。
悟空は制服から用意された衣装に着替える。
白いTシャツと膝の破れたジーンズ。
足下は素足にスニーカー。
首に銀の少し太めの鎖のネックレス。
そんな出で立ちで、皆の前に姿を見せた。
正体不明のトップアイドルがまだ、幼さを色濃く残した少女と見間違う少年であったことに皆、驚きを隠せなかったが、その容姿とそこはかとなく漂う艶っぽさに、そこにいた人間は瞬く間に魅了された。
悟空は台本とアクション監督、撮影監督達と最終的な打ち合わせをすると、他の出演者と共にセットの定位置へ着いた。
一呼吸置いて、監督のスタートの号令がかかった。
少年が逃げる。
組織を抜けようとして、まだ綺麗だったその手を血に染めて。
古びた廃ビルに逃げ込んで、逃れられない追っ手を待ち受ける。
手にした銃が、鈍色に太陽を反射する。
少年は、迫り来る追っ手を一人、また一人と打ち倒してゆくが、やがて狡猾な策略によって追いつめられた。
逃げ場のない場所で、廃ビル共々少年は葬られようとしていた。
カメラが物陰に隠れる悟空の姿を追う。
そのモニターを見ながら、八戒はいいできだと頬を緩めた。
そこへ、アクション監督からの指示が特殊効果班に飛ぶ。
その声に八戒は、反射的にカメラの前に飛び出そうとしたが、時既に遅く、轟音と共に仕掛けられた火薬が爆発した。
八戒は悟空を追うカメラのモニターにかじりつく。
が、そこに悟空の姿はなかった。
「悟空…」
燃え上がるセットを八戒は、不安げに見つめていた。
予定通り、火薬に火が入った合図が、スタントからくる。
その合図と共に悟空は低く身体を伏せて、最初の爆発をやり過ごした。
轟音と爆風とが、伏せた悟空の身体を打つ。
「三つ数えて、向こうの階段から外へ出る…」
顔を上げた途端、炎が目に入った。
その瞬間、フラッシュバックする記憶。
出火直後、火だるまになった母。
炎の中で自分を庇って燃え落ちてきた梁の下敷きになった父。
その傍らで動けずに泣いていた自分。
原因なんて知らない。
ただ、覚えているのは優しかった母が火の柱になったこと。
強くて暖かい父が、血にまみれたこと。
「…ぁあぁぁ……いや…ぁ…」
迫ってくる炎と熱に、悟空は動けなくなった。
炎に対する恐怖が、その身体をがちがちに固まらせ、指一本すら動かせない。
金眼を見開き、かたかたと小刻みに震えて。
一方、セットの外では、悟空が飛び出してくるはずの階段出口で、カメラが待っていた。
が、一向に悟空が出てこないことに、スタッフがざわめきだした。
悟空が飛び出してすぐ、セットをもう一度爆発させるための火薬にこのままでは引火してしまう。
計算された爆発とは違い、誘発ともなれば止める手だてはない。
何より、まだ中に残っている悟空の身の安全が危ぶまれる。
すぐさま、消火の指示が出た。
スタッフが待機させていた消防車を誘導する。
その時、地面を揺るがす轟音が響き渡った。
その音に一斉に振り返る人々が目にしたのは、セットから上がる火柱だった。
「ご、悟空──っ!」
八戒の悲鳴が上がる。
その悲鳴に、消防隊員達は我に返ると、消火活動を始めた。
恐怖に零れ落ちる涙を拭う、温かな感触に悟空は焦点の定まらない瞳を向けた。
そこに黒一色の緩やかなローブを纏った三蔵が、悟空を見下ろしていた。
燃え上がる炎に煽られて三蔵の金糸が舞う。
赤い炎を映す紫暗が、優しく眇められた。
「…さん…ぞ…?」
信じられないと瞳を見開く悟空をその腕に抱き上げる。
「お前は本当に、危なっかしい」
そう言って微かに笑みを零した。
その笑みに、紫暗の瞳に、悟空はあの日のことを思い出した。
泣きじゃくる自分を抱き上げ、「生きろ」と告げた人物のことを。
「…あれは、夢なんかじゃなかったんだ…三蔵、だったんだ…」
確信を持って悟空が告げた言葉に、三蔵は小さく頷く。
「嬉しい…また、助けてくれるんだ」
「お前は、俺のものだからな」
三蔵は掠め取るように悟空に口付ける。
それに顔を赤く染めて、悟空は三蔵の首にかじりついた。
「良い子だ」
悟空の身体を抱き直すと、三蔵はその場から姿を消した。
その直後、廃ビルのセットが、崩れ落ちた。
「本当に心配したんですよ」
検査で入院した病院で、悟空は散々八戒から説教をもらった。
そして、
「撮影は大成功だったんですよ。不幸中の幸いっていうんでしょうが」
と報告をくれた。
もうもうと上がる砂埃と煙、舞い上がる炎。
その中をゆっくりと歩いて、悟空が姿を見せた。
「…ご、悟空……」
八戒が走り寄ろうとするのを監督が止める。
それを振り切ろうとして、カメラが廻っていることに気が付いた。
カメラは粉塵の中から緩く頭を振って姿を見せた悟空を追ってゆく。
黒煙の切れ目から射した陽の光に、一瞬、金眼が煌めいた。
「カーット!」
監督の声が響き渡った。
その声を聞いた瞬間、悟空は意識を失ったのだ。
その時のフィルムが、こうしてプロモーションビデオとして仕上がって、悟空の手元にデモテープが届けられたのだ。
「…八戒、ごめんな…」
「もう良いですよ。それより検査結果が何もなくてよかったです。来月の卒業式の後は、忙しくなりますから、覚悟しておいて下さいね」
「うん…頑張るよ」
「期待していますよ」
そう言うと、八戒は立ち上がった。
「じゃ、明日は午後一時に迎えに来ますから、それまでに用意をすませておいて下さいね」
「わかった」
悟空の返事に八戒は、安心した笑顔を浮かべると、帰っていった。
そのすぐ後、ひっそりと三蔵が悟空の元を訪れた。
病室に入ってくる三蔵の姿を悟空は、不思議な面持ちで見つめていた。
あの炎の中で見た三蔵は、日頃自分が知っている三蔵ではなかった。
もっと年上の大人。
大切な存在だと想いをかわした三蔵と同じはずなのに、何処かが違って見えた。
そんな悟空の気持ちを酌んでか、三蔵はベットに身体を起こしている悟空を静かに見下ろすばかりで、何も話そうとはしない。
その沈黙に、悟空が先に音を上げた。
「…あの…助けてくれて、ありがと」
うつむいて礼を言えば、答えの代わりに頭をくしゃっと掻き混ぜられた。
「……さんぞは…一体………誰?」
顔を上げれば、穏やかな紫暗とぶつかった。
答えを期待する黄金を見つめたあと、三蔵が呆れきったため息を盛大に吐いた。
「お前、炎に捲かれた時、どっか頭打ったんじゃないないのか?」
「へっ?」
「それとも、湧いたか、その脳みそ」
「…えぇ、ええぇ?!」
三蔵の呆れ返った言葉に、悟空はまじまじと三蔵の顔を見る。
そこにはいつも見慣れたちょっと不機嫌な顔をした三蔵が、居る。
「ホントに、三蔵?あの、ぶっきらぼうで無愛想で、いつも不機嫌な顔してるくせに、ホントは優しくって、暖かい三蔵、なの?」
「てめぇ、喧嘩売ってんのか?」
「俺の大好きな、本当に三蔵?」
「死ぬか、サル」
三蔵が自分をサル呼ばわりした途端、悟空は三蔵に抱きついていた。
その行動が、理解できない三蔵は、困惑した顔をする。
「本物だ…」
くぐもった声に、涙の色を感じて三蔵は、そっと悟空の背中に腕を回した。
そして、身体を屈めて、悟空の耳元に唇を寄せると、
「…心配させるんじゃねぇぞ」
そう告げた。
そのいつになく優しい声音に、悟空は何度も頷き返すのだった。
この入院で悟空のバイトが何であるか、三蔵に知れることとなった。
だが、三蔵はそれがどうしたと、一蹴し、「お前の歌も悪くない」と言って、悟空を酷く喜ばせたのだった。
end
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