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もうすぐ冬が終わると言うのに、未だに身に射すような肌寒さを感じて俺は自分を抱くように腕を両手で擦りつけた。
社員の人がビルから出てくる度に軽い会釈を交し合いながら、俺はようやく決意を固めてビルの入り口から一歩踏み出す。
吐く息が白く、それを意識するようにいつもより多く息を吐き出せば、その分目の前に広がる白さが膨らみを増しては消えていった。
何故だかもの悲しい気持ちになったのを首を軽く振って追い出せば、更に歩を進めて歩き続ける。
いっそ雪でも降ってくれれば、寒さなどあまり嫌ではなくなるのに。
上目使いで上を盗み見たが、今夜は綺麗な星空を約束しているような空が広がっているだけで、到底雪など降ってくるはずもない。
それでも今夜は星が見れるのか、と少し俺はその口元を緩めてから、ふと、そこで立ち止まる。

「遅かったな」

低い、通る響きを持った声で、三蔵は俺へと近づいてくる。

「え、三蔵。仕事は?」
「さぼった」

と三蔵はすっぱりと答える。

「さぼったの?」

と俺も驚いて思わずそう漏らす。

「さぼった」
「さぼったんだ」
「何笑ってんだ」

にやけてしまう顔にそっと手を当てて隠そうとしてみても、収まる所か益々口元が綻んでしまう。
こつり、と額を軽く叩かれたが、三蔵もくすりと笑うように、俺の肩をそっと抱き寄せた。
白くなる息は、今は二つ分の膨らみを持っては消えていく。
それを見て、俺はさっきとは違う、心が暖かくなるような気分になった。

俺たちがまた再会を交わしたからと言って、何かが変わる訳でもなく、お互いいつもと同じ生活リズムを崩したりはしなかった。
無理矢理何かを変えたり、求められたりされるよりはずっと良い。少しでも長く一緒に居たい、という思いもどこかにはあったのだけれど、それよりも大切なものはもっと別にあると思えたし、三蔵自身に負担が掛からないように、俺は自分のリズムを決して崩したりはしなかった。

「どうかした?」

俺は横を歩く三蔵に、さり気なさを装って訪ねた。
三蔵は俺をちらりと見下ろし、また顔を前へと向けた。
俺もそれに習うように正面へと顔を向け、またひとつ、白い息を吐いた。

「偽善ばかりの中にいるのは、案外辛い」

と三蔵は言った。

「だから、本物を見に来た」
「何、それ?」

目を細めるようにして話を促そうとしたが、三蔵はそれを軽く受け流す。
俺は諦めたように肩を竦めて、ライトアップされた看板を視線に捕らえた。
「それでも信じてる」そう書かれたポスターに、俺は小さく首をかしげた。
一体、何を信じているのだろう?

「興味があるのか?」

三蔵も同じポスターを見上げて、少し眉を細めて呟いた。
その顔を見て、俺は三蔵の仕事の中のひとつにこう言った宣伝やポスターを扱う物もあったのを思い出した。

「何を信じてるんだろう、って。ちょっと気になった」
「そうか」

三蔵は未だにその看板を見詰めながら、確認するかのように頷く。
また、お互いの間に沈黙が訪れた。でもそれすら心地よいと思えるのは、相手が三蔵だからだろうか。
俺はぐっと掌に力を込めて、また三蔵を見上げる。

「電話番号」

俺は巻いていたマフラーに顔を埋めながら呟いた。

「電話番号、教えて」

前、最後に掛けた電話番号。それがずっと携帯の中に残っているのが辛くて、俺は全てを消していた。
履歴も、着信も、登録だって、三蔵に繋がる物全てを途絶えさせた。
でも、それだけでは駄目だった。
どうしても消せない俺自身が、三蔵を覚えていたから。
三蔵も此方をじぃっと見返していた。俺もそらすことなく、三蔵の返事を待つ。
どこから流れているのか、微かに捉えることが出来る音量で音楽が聞こえた。

「お前は、番号変えたのか?」
「変えたよ」

と俺は言ってみる。
本当は変えてなどあるはずもなかったけど、まさか三蔵が掛けてくれるかもしれない、と少しでも期待していただなんて、どうしても三蔵には知られたくなかった。

「携帯が駄目なら、家だけでも良いし。ほら、仕事で邪魔になるかもしれない。三蔵、忙しいから」

少し早口で言い切れば、三蔵の顔がゆっくりと怒ったような表情を作った。
俺は更に慌てて言葉を繋ごうとしたが、突然立ち止まった三蔵の手によって口を塞がれた。

「今言おうとした事を本気にしてるなら、俺は本気で切れる」

俺は目を大きく見開き、覆っている三蔵の手を引き剥がす。

「切れるって・・・まだ何も言ってないし、それに俺が言おうとしてた事なんて解んないだろ?」

三蔵は、言うと思った、と言いたげな顔を見せると、ひとつため息を吐いて自分のポケットを弄り始めた。
そこから携帯を取り出し、一度目線を合わせてから画面を開いてボタンを何度か押して見せる。
俺は訝しげに三蔵の片手を握ったまま、その行動を見遣っていた。

「何?」
「黙って見てろ」

今に解る。
俺は渋々と黙り込むと、三蔵が最後のボタンを押したのを確認して、誰かに電話を掛けているのだろうと検討を付けた。
その途端、俺の携帯が着信を伝えるように鳴り出した。
はっとした顔を向ければ、三蔵は笑いを殺したような表情で自分の携帯を顔の近くで振って見せた。

「番号、変わってなかったな?」
「嘘」

と俺は放心したような声を漏らす。
三蔵はそんな俺を見て俺の手を逆に掴み返すと、益々口元を吊り上げた。

「嘘はどっちだ」
「俺、だけど。でも、三蔵だって。・・・嘘だぁ」
「これに懲りたんなら、先が見えた賭けはするなよ?お前はすぐ顔に出るからな」

でも、妙なところは表に出さない。
音楽はどうやら洋楽だったらしい。
年代を感じさせるようなその音色は、何だかとても懐かしく響いた。

「番号」

と三蔵はぶっきら棒に呟く。

「登録しとけ」
「うん」
「二度と消すな」
「うん」

俺は急いで後ろポケットから携帯を取り出して画面を開くと、その画面に写った番号に更に目を見開いた。
問いかけるように三蔵の手を強く握れば、三蔵は答えるようにまたその手に力を込める。

「言っただろ?」

三蔵はその綺麗な眉を寄せながら、子供に言いつけるような仕草で言った。

「お前は顔に出る」

三蔵なら、当然番号など変えているものだと思っていた。
けれど、画面にあるその番号はあの時の番号のままだった。
だとしたら、もしかして三蔵も。

「信じてた?」

俺から、掛かってくるのかもしれないと。
その番号にたった少ししかないだろう期待を込めて?

「信じてなんかいねぇよ」

俺は、と三蔵は乱暴に携帯を閉じて、ポケットに仕舞い込む。

「だた、信頼してた」

そのまま手を絡めるようにして繋ぎ合うと、また俺たちは歩き始めた。

「馬鹿だなぁ」

進めば進むほど、その音楽はよりリアルに伝わってくる。
勝手だとは解っていながらも、俺はそう呟かずにはいられなかった。
黙っていれば、涙が溢れそうだった。

「良い言われようだな」
「あ、何か食べて行かない?」

俺は話を逸らすように視界に捉えた店に指を指しながら、にっこりと微笑んだ。
三蔵は呆れた顔を向けたが、それでも指した店へと歩き始める。
どうやらずっと気に掛けていた音楽は、この店から流れていたらしい。
優しい雰囲気を纏ったようなその店のドアを手に取り、中へ入るように一歩引いた三蔵は、とても紳士らしい仕草でそのドアを押し開いた。
笑みを零した俺が店内へと足を踏み入れようとした時、ふいに三蔵の携帯が鳴り出す。
三蔵は忌々しい、とでも言うように携帯を取り出すと、相手を確信してから更にその顔を歪ませた。

「仕事?」

ああ、と三蔵は鬱陶しそうに頷く。

「なら、今日は諦めよう」
「そうだな」

俺は足取りを変えて店を出ようとしたのだが、三蔵は無理矢理に押し込むように俺の肩を掴んだ。
電話に応答もせずに、俺に見せ付けながら切って見せると、何事も無かったかのようにそれをまたポケットへと仕舞い込む。

「奴らに諦めて貰う」

呆然としていた俺を店内に連れ込むと、案内されるがままに俺たちは一角の席へと案内されていた。

「ほんとにいいの?」

三蔵は正面に腰を降ろすと、メニューを受け取りながら俺を見返す。

「ひとつ、言っといてやる」

俺も店員からメニューを受け取ると、それを開きながら頷いた。

「お前から掛かってくる電話ならいいが、奴らから掛かってくる物は全て邪魔で仕方ない」
「それは」
「それは?」
「どうしよう」

と俺は歯を食いしばるように笑って見せた。

「凄く嬉しい」

そうか、と三蔵はまたメニューに視線を落とした。

「後で、キスがしたいんだけど」

と言って見せれば、三蔵はまた視線を上げて俺を見返した。
返事を待っている俺を暫く眺めた後、三蔵は複雑で読み取れないような顔を作るとぱたりと音を立ててメニューを閉じた。

「嫌でもしてやる」

だか、と三蔵は益々渋るような表情をして、机に肘を付けながら額を押さえた。

「それを今言ってどうする?」

したくても出来ねぇだろ。
俺は三蔵の反応に驚きながらも、次の瞬間にはくっ、と声を押し殺すように笑っていた。
音楽の曲調が変わり、辺りはすっと雰囲気を取り替えながらまた店内に染み渡っていく。
それを肌に感じながらようやく笑いを飲み込むと、三蔵に今まで伝えられられずにいた愛しさを込めた笑みを零してみせる。

「ごめんね」

そう言った俺に、三蔵はまた困ったように眉を顰めたが、気にしちゃいねぇよ。とぶっきら棒に答えた。
三蔵のさり気ない優しさが、店内に広がるコーヒーの匂いに混じり舞うように、俺の鼻を突いた。




2006/2.26




『「本当は」「唯」「止まれ止まれ」に続くお話』でした。
リクして下さった
michikoさま、本当にありがとうございました!
突発に書いた
100titleの続きものだったのですが、
この話のリクをして下さるとは思ってもいなかったので、リクを頂いた時凄く嬉しかったんです!(笑)
それにしても、この話の三蔵はほんとに悟空が居ないと駄目だなぁ。
リクして頂いた本人さまに限り、お持ち帰り
OKになっております。
もちろん、強制ではありませんので・・・。もしよろしければで
Okです。
本当に企画にご参加いただきまして、ありがとうございましたーー!




 

<露 湖 様 作>

露湖さまのサイト「derashine」で8000Hit記念のリクエスト企画に参加させて頂いて書いて頂きました。
露湖さまのサイトで書いていらっしゃる100titleの中の連載もの「本当は」「唯」「止まれ止まれ」の続きが読みたいと
我が儘なリクエストをさせて頂きましたなら、幸せな終わりのお話を書いて頂きました。
最初、別れてしまった二人のその後が気になって、別れても離れてもお互いを思い合って、忘れられない二人の姿にドキドキしていました。
ちゃんと、元通りになるのか心配でしかたなかったんです。
悟空がいない所為で三蔵は不安定だし、悟空は立ち直っているようで少しも立ち直れなくて…。
そんな二人がようやく落ち着くように落ち着いてよかったです。
どちらもお互いがいないと駄目なようで、ひとつの辛い山を越えた二人は、前以上に自然に絆を深めて、前を向いて歩いてゆくんでしょうね。
切なくてでも、暖かくて、優しい素敵なお話をありがとうございました。
リクエストしてよかったです。
ああ、幸せvv

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