――――帰り来たれや、大地の御子よ。
――――我らは汝と共に在る。
小鳥の見上げる空は。
今日もまた麗しい。
小鳥の見つめる大地は。
今日もまた美しい。
小鳥の傍らの太陽は。
今日もまた……
なんと、あたたかいのだろう。
Call
for you
一雨ごとに季節が塗り替えられていく。
木々が自らを燃え立たせるような紅葉を見たのはもう随分前。
ハラリ、ハラリと。
誰に引き止められることもなく。
大地の上にその身を折り重ね、新たなる季節の苗床へと姿を変えた木の葉たち。
たった一枚だけの葉を残して立っている大木を悟空はじっと見つめていた。
ゆらりゆらりと、頼りなげに揺れている枯れた色の葉は、それでも大地に入り混じることを逡巡するかのように枝を離れることをしない。
冷たい風がむき出しの肌を容赦なく叩く。
ゆらりゆらりと揺れる木の葉。
風はもう、秋の名残などとどめてはいない。
ゆっくりと目を閉じれば、聞こえるのは確かなる冬の声。
冬の空は、どうしてこんなにも青いのだろう。
こうして目を閉じていてすら、抜けるような青空が透けて見えるかのようだ。
寒々しい木の上には、青い小鳥のかけていた巣がそのままの形で残っていた。
可愛らしい夫婦が、せっせと子育てに勤しんでいた季節を鮮明に覚えている。
三羽のヒナが美しい成鳥となって巣立ちを迎えた日。
彼ら夫婦もまた、この地を後にした。
いつ帰ってくるのかは知らない、帰ってくるのかも分からない。
みんな、飛び立っていったのだ。
遠い、空へ。
寺の坊主が掃除し残した乾ききった落ち葉を見つけるたび、その足でくしゃりと踏み潰す。
そんなことを何度繰り返しただろう。
あの一枚が落ちてこないだろうかと随分待っていたが、ついにはあきらめて背を向けた。
悟空を呼ぶ声だけが、何度も何度も背を叩いた。
もう鳥はいないのだと、久々に仕事を休んで私室でくつろいでいた三蔵に報告した。
すると、そうか、とただ一言だけ返ってきた。
続く言葉は何もない、続けるべき言葉も分からない。
だからそのまま、じっと三蔵の前に立ち尽くしていた。
そうすると、不意に彼が言った。
「……寂しいなら、そう言えばいいだろうが」
かけられたその言葉は、やさしすぎた。
いつものように、突き放してくれればよかったのに。
悟空はぐっと奥歯を噛み締めた。
ああ、ほら。
また、耐えられない。
熱い塊がせりあがってくる。
胸の奥を引きちぎられるような痛みを伴って。
「悟空」
声に、まるで引き寄せられるかのように。
やさしく自分を縛るその腕に飛び込んで、胸元に顔を擦り付けて。
泣いていたのなんて、彼はすぐに分かってしまっただろうけれど。
三蔵は、何も云わずに悟空を抱きすくめた。
悟空が欲しがるだけの強さで。
だから、泣く。
ポロポロ、ポロポロ。
とめどなく、泣いて、泣いて……
「悟空」
彼はずっと、腕の中で震える塊を撫で続けた。
声を殺してすすり泣くだけだった塊が、やがて声を上げて泣き始めても。
そっと、そっと。
腕の中で怯える塊が、腕の外へ逃げ出さぬように。
大事そうに、宝物のように……
彼に似合わぬひどく優しいしぐさで、彼は悟空を抱き上げてやわらかい寝台の上に腰を下ろした。
「泣くな」
そういいながら、悟空が泣くことを促すように悟空を扱う。
母が子を慈しむようにやさしく髪や頬を撫で、恋人にするように愛しげに首筋や背を撫でた。
甘やかしてくれる彼の腕に、まるで子猫のように悟空は頬を擦り付ける。
どこにも行かないで。
ねぇ、どこにも……
誰も彼もが自分を置いていく。
自分を置いて大人になり、巣立ち……。
自分の前から姿を消す。
あるいは、目の前の貴方もそうであるのかもしれない。
大地ならば、自分と同じ時を生きてくれるでしょう。
空ならば、何者にも犯されぬ安寧を与えてくれるでしょう。
貴方の居ない苦しみを、生きてこの身に受けるなら。
いっそ貴方の居ない世に、朽ち果てるまで身をおきたい。
自由を、自由を、自由を、と。
だから、小鳥は泣くのです。
どんなに小鳥が愛しても。
どんなに小鳥を愛しても。
貴方もやがては居なくなる。
ずっとずっとと言いながら。
短い時を生き急ぎ。
小鳥の想いを知りながら。
小鳥の願いを叶えない。
けれど小鳥は。
けれど、小鳥は……
「―――さんぞう」
三蔵の膝の上に抱かれたまま、悟空はそっと三蔵の胸元に頬を押し付けた。
三蔵の法衣は自分のこぼした涙で濡れてしまっている。
きっとこの涙が止まったら、いつものように怒られなければならないだろう。
人の服をハンカチにするな、とか。
鼻水をつけるな、とか。
いつまでたってもガキだ、とか。
いくらでも聞くから、何度でも聞くから。
せめて涙が止まるまで。
ああ、どうしてここはこんなにも暖かいのか。
聞こえるだろうか。
貴方にこの声は聞こえるだろうか。
「………バカだ、お前は」
苦笑したような、少し哀しそうな、そんな三蔵の声が聞こえた。
長く細い三蔵の指が、大地色した髪に絡んで優しく梳く。
くしゃりと髪をかき撫でられるたびに、胸の奥はあたたかく。
惜しみなく注がれる恋情に、絡めとられ。
ああ、共に在りたいのは……
―――― 帰り来たれや、大地の御子よ。
―――― 我らは汝と共に在る。
行きたい。
遥かなる空へ。
帰りたい。
永久なる大地へ。
「三蔵……」
「ああ……」
「行きたいよ、帰りたいよぉ……」
「行かねぇのか」
「…ック……行き、たくない」
きゅっと自分の胸元を握り締めながら搾り出すように云い、小さく震えながら、悟空はそっと様子を伺うように三蔵を見上げた。
「どうしようもねぇバカだな……」
ポン、と悟空と視線が合うことを避けるようにいつもの口調の三蔵の声と手が落ちてきた。
そして悟空は、そんな彼の仕草に微かに笑んだ。
「―――さんぞぉ」
貴方の側が心地いいと。
知りすぎた身体は耐えられない。
痛みのない世界に。
其の壊れることなき安寧に。
「お前は……もっと楽に生きられるんだ」
きっとそうだろう。
空に抱かれ、大地を寝床に。
その翼が届くあらゆる場所の風と遊び……
ああ、けれど……
共に在りたいのは……
ああ、共に在りたいのは。
「それでも……俺の側に、いるというのか」
「うん。そう、ずっとずっと居るんだ……」
限りある永遠が続く限り。
永遠が貴方を殺さない限り。
―――― 帰り来たれや、大地の御子よ。
―――― 我らは汝と共に在る。
空よ、大地よ。
籠の中から見える貴方がたは、眩しくそして美しい。
求めてやまない、愛してやまない。
けれども自分は知ったのです。
籠の中から見える空に。
恋している。
籠の中から見える大地を。
愛している。
そんな自分を知ったのです。
飢えてしまうのです。
干からびてしまうのです
さえずる喉は凍りつき。
羽ばたく翼は朽ち果てる。
そこに自分の太陽はないのです。
どんなに空に恋しても。
どんなに大地を愛しても。
太陽を失った自分はどんなにみすぼらしく見えるでしょう。
欲しいものは、
籠の中から見える空。
籠の中から見える大地。
籠の中から見える自由。
そして、傍らの太陽。
――――帰り来たれや、大地の御子よ。
――――我らは汝と共に在る。
「ずーっと……ずっと、ね。三蔵……」
しっかりと三蔵の腕に抱かれ、悟空は静かに目を閉じた。
抱きしめる腕の強さが、たまらなく心地よかった。
日当たりのいい籠の中で、その美しい白い羽を広げ。
小鳥は今日も、空と大地を見つめています。
END
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