満 月
帰りの道を急ぐ影が一つ。
帰りを待つ子供の元へひたすらに。
呼ぶ聲に追い立てられて。

その姿を見つめるのは中天にかかった満月。
煌々と夜道を照らし、空を黄金に染めて、静謐な夜空に横たう。




深い秋の夜は、子供が呼ばれる。

還っておいで。
戻ってこい。

そこは辛いだろう。
そこは哀しいだろう。

ここは優しい。
ここは温かい。

還ってこい。
戻っておいで。

と、甘く囁き、柔らかく包んで、子供を呼ぶ。

聲が─────届かなくなる。
聴こえなくなる。




「…さ、んぞぉ…」

悟空は途切れそうになる意識を何とか引き留めようと、イバラの枝を握りしめる。
鋭い棘が柔らかな皮膚を破って、痛みと共に紅い花が咲く。

「還らない…って…言……るのに…」

力無く首が振られるが、膝は身体を支えられず、悟空はその場に座り込んだ。
秋の一番深い時期は、悟空を呼ぶ聲が強く、差し伸べる腕が強くなる。
抗い難い甘い聲と、泣きそうなほどに優しいかいなに悟空の意志は引きずられる。

「……んぞぉ…」

ぎゅっと、更に力を入れてイバラの茎を握りしめ、悟空は抗う。
あと少し、もう少しで、あの人が帰ってくるのだ。
気配がする。
急いでくれている気配がする。
聴こえる。

「やぁ…やだぁ…」

ぽろりと、真珠が悟空の頬からこぼれ落ちた。
透明な真珠が、満月の光を浴びて一瞬輝く。

それは悟空の心に似て。
それは悟空の願いにも見えて。

「さ…ん……」

イバラを握りしめたまま、悟空は前へ倒れ込む。
その身体を受け止めて、三蔵が中天の満月を睨み上げた。

「味方をするなら、きっちり味方しやがれ」

息を切らして三蔵は、そう言うと、悟空の身体を抱き直した。
そして、イバラを握りしめた手をほどく。
三蔵は、血だらけの掌にそっと唇を寄せると、その血を舐めた。

「頑張ったな…」

襦袢の袂を引きちぎると、それを悟空の手に巻いてやった。
そして、悟空を抱き上げると寝所へと歩き始めた。
その背を満月の柔らかな光が照らす。
夜風が三蔵を引き留めようとその足に絡み付く。

「触るな」

地を這う声が夜風を振り払い、冷えた声が大地を揺らした。

「俺のものだ」

すっと、笑みの形に刻まれた三蔵の口元を満月が照らしていた。

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