過 去
夜中に悟空は何の前触れもなく目が覚めた。

長旅の途中、何日も続いた野宿から解放されて、ようやく辿り着いた町の小さな宿屋。
夕食は美味しかった。
お風呂も気持ちよかった。
三蔵達と久しぶりにカードをやって、いつものように負けたけど、楽しかった。
その時、ちょっとだけ飲ませて貰ったお酒が回って、ふわふわして、心地よくて、幸せで。
そのまま眠った。

けれど──夢を見ていた様な気がする。
懐かしくて、哀しいような…夢。

悟空は寝返りを打って、隣で眠っている今夜の同室者を見た。

カーテンのない窓から差し込む淡い月の光に照らされた金糸が、夜目にも鮮やかな光を放つ。
向けられた背中はいつも自分が追いかけている見慣れたシルエットで、微かに上下する肩が安らかな眠りに沈んでいることを伝えてくる。

その姿に重なる白い影。

白い背中に流れ落ちる金色の波。
薄い肩と広い背中。

「…ぁ…れ?」

こしこしと目を擦って、何度か瞬いて、それでも見える白い影。

「………ぁ…」

僅かに身体を起こしてもう一度その影を見れば、滲んでくるその輪郭。
同時に湧き上がる胸の痛みに、悟空はぎゅっと胸の辺りの夜着を握りしめた。

胸の痛みと共に不意に湧き上がってきた恐ろしい程の喪失感に悟空は、思わず背中を向けて眠る人に重なる白い影に向かって手を伸ばした。
けれど手が届く前にその影は消え、乗り出した身体は寝台から転げ落ちた。

「……っ!」

したたかに打った肩の痛みも忘れて悟空は声にならない叫びを上げた。
その途端、頭の上で小さな呻き声と身じろぐ気配が聞こえた。
それに顔を上げれば、眠りを邪魔された怒りに染まった紫暗と出逢った。

「…ぁ」

吐息のような声を上げたまま、悟空はそのまま固まり、見下ろす紫暗は怒りから次第に困惑の色に染まった。
そして、

「…悟空?」
「ぇ…?」

名前を呼ばれて、今度は悟空が困惑しきった顔を見下ろす紫暗に向けた。

「何、やってんだ?お前は…」
「…ぁ…え…?」

呆れた声音と共に寝台の上から伸びてきた手が頬に触れた。
その微かな温もりに悟空の肩が揺れる。

「泣いてんじゃねえ」

そう言われて初めて、自分が泣いていることに気が付いた。
そして、痛む肩に顔を顰めながら起きあがり、床にそのまま座り込んだ。
その様子を見つめていた三蔵も身体を起こし、寝台に腰掛ける。
見下ろされる視線に促されるように悟空はぽつりぽつりと話し出した。

「…何で泣いたのかわかんねえ…でも…」
「でも?」
「三蔵がいなくなってしまう気がして…そんで、白い影が見えて…えっと…──夢?かなぁ…」
「俺にわかるか…」
「だよなあ…でもさ、でもこう…胸が痛くなって、大事なもん失くした気がしたのは確かで…なんだろ?何だったのかなあ…」
「さあな…ま、酒なんぞ飲んで寝るから夢見が悪かったんだろうさ」
「そうかな?」
「だろうさ」
「うん…」

何処か納得しきれない顔付きで頷く悟空の様子に三蔵は、解らないようにため息を吐く。

わかっている。

時折、こうして失った記憶の欠片が悟空を無意識に苛むことを。
感情が覚えている痛みや哀しみが悟空に涙を零させることも。
が、今こうして考えても埒があくわけではない。
どんな手段を使おうと悟空の過去が戻るわけではないのだ。
失っていた方が良い記憶なら、過去なら取り戻すことなど考えなければいい。

だから、素知らぬふりをする。
声なき聲が訴える痛みに目を瞑るのだ。

それが最良の方法だと三蔵は、三蔵なりに学んでいた。
だから、普段通りに、何も変わらずに振る舞う。
何も気付かないふりで。

「いいから寝ろ。夜中に起こすんじゃねえ」
「…ごめん」

三蔵はそう言って、悟空の頭を軽く小突くと、寝台に横になった。
それを見た悟空も立ち上がって自分の寝台に寝直す。

「おやすみ」
「…ああ」

返った返事に悟空は薄く笑うと目を閉じた。
やがて聞こえだした規則正しい寝息に悟空は、ほうっと息を吐いてゆっくりと訪れた眠気に身を委ねた。

思い出と呼ぶ記憶が欠片もない。
けれど、三蔵と出会ってからのたくさんの思い出が此処にあるから大丈夫なのだ。
そこに三蔵がいるから、きっと────

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