それは三蔵に見いだされて傍に居るようになってそれほど時間の経っていない頃だったと悟空はそぼ降る雨の景色を見つめながら思い出していた。 その姿を見たのは偶然だった。
無防備でいることの方が稀な人だから忘れられない光景となったのかも知れなかった。
毎日強く弱く雨が降り続いていた。
雨の季節の到来が告げられてから本当に毎日雨が休まず降る。
重くたれ込めた空の暗い色が気持ちまでその色に染めてしまいそうで、悟空は雨が奏でる歌を聴きながら重くなりがちなため息を吐いた。
悟空を岩牢から連れ出してくれたあの人、三蔵は、晴れの日であろうが、雨の日であろうが、”仕事”という悟空には理解できない紙の山と戦っていた。
けれど、雨の日は気持ちが重たくなるのか、三蔵は”仕事”を放り出してどこかへ行ってしまう。
そんな時はいつも漕瑛が困った顔で寺院の中をあちこち探していた。
悟空はそんな漕瑛を余所に、どかで遊ぼうと回廊を寺院の奥へ奥へと辿った先で三蔵をあの人を見つけた。
物陰から見つめるあの人は、どこか痛そうで淋しそうで。
かける言葉が見つからない程、纏う空気までが痛々しかった。
ただ、降る雨を見つめて、時折苛ついたように煙草を踏みつけては、深いため息を吐いていた。
一体、何がそんなに痛いのだろう。
一体、何がそれほど腹立たしいのだろう。
見つめる悟空に伝わるのはあの人──三蔵の深い痛み。
血を流したまま、傷口が膿んだようになっている三蔵の想い。
その姿を見ていられなくて、悟空は三蔵に背を向けた。
けれど傍を離れることもできずに、物陰に蹲った。
雨の降る音が回廊に響く。
休まず、途切れず雨を見つめる三蔵と物陰に蹲った悟空を打つように降り続いた。
どれほどそうしていただろう。
ふと、違う気配を感じて悟空は三蔵を振り返った。
そこには、小さな子供のように蹲る三蔵の姿があった。
そして、足許に散らばる吸い殻の上に広がる小さな染み。
それが何の染みか、わからない悟空ではなかった。
一瞬、悟空の息が止まる。
強い人だと思っていた。
何があっても折れない精神の持ち主だと思っていた。
優しいけれど怖い人だと───
無防備に蹲って銀の雫をこぼす姿は何よりも儚く見えて、悟空は何時までも動けずにいた。
「何、ぼうっとしてる?」
こつんと、頭を軽く小突かれて、悟空は我に返った。
「さんぞ…」
きょとんと、夢から覚めたような顔を三蔵に向ける。
その顔に三蔵は軽く瞳を眇めて暫く見つめたあと、
「飯に行くぞ」
そう言って、踵を返した。
「…うん」
頷きながら悟空は三蔵の背中を見つめる。
その視線に気付いた三蔵が、どうした?と、目顔で聞き返すのへ、悟空は何でもないと首を振って、寝台から降りた。
外はまだ雨が降っている。
けれど、三蔵──あの人の涙はあれ以来知らないと、悟空は仄かに笑ったのだった。
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