別 れ
「なあ…三蔵はどこにも行かない?」

珍しく一日大人しいと思えば、寝る頃になって何を言い出すんだと、三蔵は夜着の端を握って見上げてくる養い子の顔を思わずまじまじと見返した。
悟空は、見返してくる紫暗の瞳に呆れた色を見つけて俯く。

「…何なんだ、急に」

寝台に入りかけていた身体を返して、三蔵は悟空と向き合うように寝台に座った。
目の前に立つ悟空は、三蔵の夜着の端を掴んで俯いたまま。

「悟空」

名前を呼べば薄い肩が微かに震えて。

「…置いて……行かないよな」

紡がれたか細い言葉に三蔵は眉を顰めた。

何があったと言うのだろう。
今朝はいつものように煩くまとわりつき、自分にハリセンを貰っていた。
それが一変していたのは昼前だったか。
どこか考えに沈んだ様子で居たと、笙玄が言っていたのを思い出す。

「おい、悟空」

話せと声に意志を込める。
その三蔵の有無を言わせない声に、悟空はゆっくりと顔を上げた。

「………見たんだ。血まみれで金髪の人が倒れてるのを…」

三蔵の夜着を握る手が震える。

「…馬車に子供を庇って轢かれたんだって。傍で子供が泣いてた」

その姿を見た時、悟空は既視感に襲われたのだ。
どこかで見た記憶。
どこかで体験した記憶。

紅い記憶。
紅い感触。

金髪のその人が不意に知っている人に思えて。

「………逝かないって、言ったのに…」

口をついてでた言葉に悟空は呆然とし、逃げるように帰ってきたのだった。
だが、帰ってきても馬車に轢かれた血まみれな姿が忘れられず、その内あれが三蔵だったらと、思い始めて。
そうなれば思考は奈落へと落ちてゆく。

三蔵は悟空のたどたどしく話す内容に、ため息が零れる。

悟空は岩牢に入る以前の記憶がない。
忘れていた方が幸せな記憶だったのかも知れない。
それとも、大罪を犯した刑罰で記憶を封印されたのかも知れない。
それが時折断片的に甦る。
その欠片が謂われのない不安で悟空を苦しめる。
それならいっそ、綺麗さっぱりと消しておけばいい。



中途半端なことしやがって…



三蔵は不安に揺れる金瞳を見やって、小さく息を吐き、くしゃっとその頭を掻き混ぜた。

「何処にも行かねぇよ。お前みたいな煩い奴を置いて何処にも行けねぇよ」

三蔵の言葉に悟空は一瞬、瞳を見開き、ついで小さく笑った。

「…なんかそれって…ひでぇ…」
「お前は本当に煩いからな。自覚しておけ」
「……ん」

三蔵の言葉に「ひでぇ…」と呟きながら、悟空は漸く笑った。
その笑顔に三蔵はぽんと、今度は軽く悟空の頭を叩いた。

「寝るぞ」
「うん」

引きずられるな。
迷うな。
別れる時は、ちゃんと思いを残さないようにしてやるから、今は、笑って生きていろ。

規則正しい寝息を立て始めた悟空の金鈷に、小さな温もりが触れた。

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