夜中に目が覚めた。
朔の日
ひゅっと、息を呑む音と共に黄金が開いた。
誰か!
こわばった身体。
蠢く闇。
耳鳴りのように響く己の鼓動。
……!!
跳ね起きた。
音のしない空間に子供の荒い呼吸音だけが響く。
世界にたった一人。
一人。
ひとり。
子供は小さく丸まるように膝を抱えて、寝台に踞った。
ざわりと、闇が動いた。
子供は寝台から飛び降りた。 「っつ・・・」 痛みに苦鳴が漏れた。
おいで・・・
声が、聞こえた。 甘く、気怠げな女の声で。 子供は、恐怖に抱きすくめられ、身動きすらできない。
・・・おいで、坊や
母親が、子供を呼ぶ声で。 子供は、金の瞳を見開いて、後ずさる。 「・・・やっ・・や・・だ」 呟く声は、闇に飲まれ、子供の瞳から透明な滴が舞い落ちる。 闇は、その腕を伸ばし、子供を捕まえた。
誰か・・!
のしかかる闇の重量に耐えきれず、子供は長い悲鳴の尾を引いて、闇と一つになった。
ふと、三蔵は顔を上げた。 誰かが、呼んだ気がしたからだ 「気のせい・・」 ハンマーで殴られたような頭痛が、その時三蔵を襲った。 「・・・あんの・・くっ!」 がんがんと、破鐘のように。 「・・・るせぇ」 三蔵は、机にすがるようにして身体を起こし、立ち上がった。 「バカが・・・」 軽くずきずきと痛む頭を振って、悲鳴を発しているものの所へ向かった。
寝所へ続く扉を開ければ、何かが倒れる音がした。 「・・・・朔か」 最後に大きく息をすると、三蔵は寝所の扉を開けた。
子供は、声も上げずに泣き叫んでいた。
誰か、誰か・・・!!
闇に一筋の光りが、不意に射した。 「てめぇ、俺を殺す気か」 と。
「・・わあぁぁ──っっ!!」 声を上げて、子供は光りに向かって走った。 「助けて、助けてよぉ!!」 泣きじゃくり、すがりつく子供の身体を受けとめながら、三蔵は深いため息を吐いた。 「悟空」 びくっと悟空の肩が震え、戸惑うように顔が上げられた。 「・・・さ・・んぞ・・」 焦点が引き結ばれる。 目の前に居るのは金色の光りを持った人。
「てめぇ、こんな夜中に何、騒いでやがる」 不機嫌な声で問えば、悟空は嬉しそうに笑った。 「湧いてんのか?」 それには答えず、ぎゅっと、悟空はしがみつく。 「さんぞぉ・・・だ」 僧衣に顔を埋めて、確かめるように顔をこすりつける。 「悟空?」 名を呼べば、そっと顔を上げて見返す瞳に怯えを見つけた。 「・・・・恐かった・・・赤くて、紅くて・・・痛くて・・・・悲しくて・・・・」 続く言葉は、漏れだした嗚咽の中に消えてゆく。 あの暗闇で自分にまとわりついていたのは、寝台から落ちた上掛けだった。
暗闇の中に一人で居る。 消し去ることのできない喪失感に悟空は、怯えた。 それは、今、目の前にあるこの黄金の光りもまた失うかも知れない恐怖。
泣き濡れた金色の視線を感じて、三蔵は黙って悟空の前に腰掛けた。 「さんぞ・・・は、居なく・・・ならない?」 三蔵が口を開くより早く、悟空が消え入りそうな声で訊いてきた。 答えは、一つ。 「・・・ああ」 頷けば、ぎゅっと、三蔵の僧衣を握りしめてくる。 「ホントに?どこにも行かない?」 涙で煌めく金の瞳に紫暗が映る。 「お・・置いて行ったりしない?」 振るえる腕が三蔵に向かって伸ばされ、その腕を三蔵は自身に引き寄せる。 「・・・さんぞ・・俺・・・」 まだ何か言おうとする悟空の言葉を遮って、 「寝ろ。俺も眠てぇ」 そう告げる。 「・・・・・うん」 戸惑う悟空を抱えるようにして、寝台に横になると、三蔵は上掛けを被った。 「さ、さんぞ・・お、俺、まだ・・」 告げる声はぶっきらぼうで。 「うん」 三蔵の腕の中で悟空は楽な姿勢に落ち着くと、ようやく安心した笑顔をこぼした。
三蔵は、腕の中の悟空が寝息を立て始めてようやく、緊張を解いた。 爆発的に聞こえた声。 不安と哀しみと恐怖と・・・様々な暗い感情を纏った悲鳴。 あの岩牢から連れ出して、日が経つほどに悟空の深淵を見る。 いつまで囚われ続けるのか。
それでも・・・・三蔵は思う。
少しでも己が側にいることで、この無垢な魂が救われるのなら、できる限り側に居てやりたいと。
朔の日。 月の見えない新月の夜は、子供が泣く。 朔の日。 陽が射す夜明けまで一緒に居よう。
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