その日、妙なものを拾う羽目になった。

「何だ?」

小学四年生八歳の江流、学校帰りに自分の家でもある寺の山門入り口にてうつ伏せでぴくりとも動かない行き倒れと遭遇。
長い茶の髪に上半身裸、と言うのはどこぞの変質者だろうか。
思わずその、丸い後ろ頭を踏んでみてしまった。

「ぶぎゅ」

……何か妙な音がするのは、踏んだせいか。

「生きてるのか」

よろよろと見上げてくる顔は、つっぷしていたせいなのか踏んだせいなのか判らなかったけれど薄汚れていた。
だが、この異様なまでに尖った耳と、ようよう手をついたと言う感のある指先の異様さに、眉を顰める。

……どうやら人間のようで、人間じゃ、ないようだ。

大地に立てた爪は心持ち長く鋭く、肘辺りまで硬そうな獣毛に覆われている。
腰から下も服ではなく同じように獣毛で覆われていて、どうやら尻尾まであるようだ。
何より人間とは形状すら異なって見えるのは気のせいではあるまい。
義父に聞いている妖魔とやらなのだろうか。
それにしてはどうも違う気がする。

「……オマエ誰」

呟きを耳にして、どうやら意思の疎通は出来るらしいと判断する。
唸るようなその声を耳にして江流は初めて、顔をあげた行き倒れと視線を合わせた。

――――目に飛び込んできたのは、背筋が凍りそうなほどにきつく鮮やかな、黄金の双玉。

思わず止まった息に、江流は、時間まで止まったような、気が、した。

「うわぁ」

躊躇うことなく伸ばされた手に、その鋭い爪に、警戒心すら起きなかったのは、何故だろう。
余りにも、子どものような表情だったから、だろうか。
一瞬前と、180度違うとしか表現出来ない表情に変わったからだろうか。
日常、義父であり師匠である光明にすら、江流はここまで不躾に無警戒に触れさせた記憶がなかった。

「キラキラ、綺麗。太陽みたいだ」

髪を掬い上げ、滑り落ちる指先の感触に、目の前の子どものような異形の、無邪気としか良いようのない笑顔がこぼれた。
目を奪われるとは、このことを言うのだろうか。

「………………」

べしゃりと、再び目の前の異形が突っ伏して、はと江流は我に返った。

「……おい?」

再び余りにも不審過ぎる行き倒れに立ち戻ったソレに、江流は珍しく、恐る恐ると言った感で声をかける。
口について出た言葉は、凡そ子どもらしい問いかけでは、決してなかったが。
まるで返事の代わりとばかりに、ぱた、と、尻尾が一つ、上下に揺れる。

「……腹、減ったぁ……」

やはりらしくなくコケた江流は、目の前の茶色い頭に頭突きをかますところだった。




It's a beautiful day #0




「良い食べっぷりですねぇ」

ほう。目の前の光景に、白髪頭と呼んで差し支えないだろう長髪の初老の紳士がにこやかに溜息をついた。

「……もうおひつののご飯が空ですが」
「炊けば良いんですよ、炊けば」
「何合炊けば良いんですか……」
「いっぱい炊いて差し上げてください」

だからいっぱいってどれほどだ。
いっそのこと本殿に上げてあるお供えご飯(記憶違いでなければ、一つ一合ほどの筈だ)を、そのまま前に出してやった方が早いんじゃないか。
江流は義父にそうツッコむことはしなかった。しても無駄だからだ。
きっと、のらりくらりとかわされ続けるに違いない。そう知っている自分が、ちょっと不憫だと思わないでもなかった。

「ごちそーさまでしたっ」

結局、比喩でなく一升飯を平らげるまで、目の前の異形は飯を食い続けた。
ちゃんと挨拶をするのは良いことだが、ソレにしたってこのさして大きくもない身体のどこに、あの量が入るというのだ。
消費された食物の量に江流は唖然としていたが、光明はただにこにことそれを眺めていた。
やはり、この義父は飄々と見えても侮れない。
さすが自分の養い親だと、賞賛すべきなのだろうか。
子どもらしく思考ががすかずとすっ飛んでいることに、普段から随分と大人びていると自他共に認識されている江流自身、気付いてはいなかった。

「お伺いしてもよろしいでしょうか」
「うん」

にこにことやはり笑顔を崩さないままの光明の言葉に、きょとんとした異形は首を傾げた。
ざんばらな長い茶の髪が、さらりと意外と柔らかに、耳の縁から肩口から滑り落ちる。

「人魔とお見受けしますが、彼の地より出でてこちらに何用でしょう?」
「じん……ま?」

小さいくせに妙に重いこの異形は江流に石段をずるずる引き摺り上げられて、この寺の結界を難なく越えた。
光明三蔵と呼ばれる、当代きっての退魔師の結界を、だ。
だからこそ、異形だけど妖魔じゃないなぁとは思っていたのだ。

だが、よりによって人魔とは。

彼の種族は何か特別なことでもない限り、あの地から出てくることはないのではなかったのか。
何より、確かにヒトとは違うとは耳にしていたが、ここまで判り易い異形だったのかと自分の勉強不足に、江流は歯噛みする。
そう滅多に相見える存在ではないからまだ知らずとも構わないでしょうと、存在だけ伝えた光明の言葉は何の慰めにもならない。

――――しかし光明にしても組織にしても、人魔は判らないことが多すぎるのは確かだ。
彼の種が彼の地より外に出てくることなどまずなかったし、基本的にヒトと妖魔の喧嘩にも不干渉なのである。
辛うじて人寄りであることは確かであるけれど、自然界の代弁者でもある彼の種族がいつヒトと決別する、いやヒトに見切りをつけるかなど、ヒトなどには皆目判らない。

「うん、そう人魔。何でこっち来ちゃったのかなぁ、覚えがないんだよなぁ」

よく姉さまたちに「この方向音痴が」と殴られたからなぁと、その子ども子どもした表情で呟く。
いや、次元を超えてる時点で方向音痴とかそういうものとは、根本的に何か違う。

「確か……人魔は女性しか、今はいないようなお話でしたけれど」
「うん。今、男は俺だけだと思う。随分全体数も減っちゃったとかの上に、俺が生まれて男は1000年ぶりだとか何とか、姉さまたちは言ってた。まあ、女もそんなに生まれないんだけど、長生きだから結構それでもそんなに減らないし」

男が生まれるってそれだけで一世紀ぶりって何だ。
つーか、どう見ても10代半ばにしか見えない体格と顔で、年齢幾つだ。
さしもの江流もぽかんと目の前の異形……人魔の少年を見返した。

「それで、どうしてこちらへ?」

そして、元の質問へと戻る。
覚えがない、とは言っていたけれど、次元越えなどそう易々とするものではあるまい。

「……えーと……なんだったっけ……。あ、多分道に迷った」
「方向音痴だからってそれで済ますなッ」

すぱぁんっ。
――――この江流のハリセンの一撃が、後々まで続くとは、誰も思っていなかった。




「ここにいるなら、ヒトガタの方が良さそう?」
「お帰りになるまでは、その方がよろしいと思いますよ。ただでさえ今時の世の中は、異形に慣れていませんからねぇ」

たったそれだけの会話で、その異形は見た目普通の人間と変わらなくなった。
単に化ける、というのとちょっと違うらしい。
よく判らなかったけれど。
まあ、変身ってヤツだよ、と胸を張って言いやがるのだが、今時の子ども全てが戦隊モノやライダーモノに狂喜するとは思わないで欲しいと江流は思う。
つうか、何でそんなモン知ってんだと、色々色々ツッコミたかったけれど。

異形に慣れていない、というか、基本的な日本人と違うだけでも、この国では注目を集める。
金晴眼と言うのですよと義父に教えられた異形の金色の目は、充分普通ではないと思うのだけれど。
それ以外は尖り耳を江流たちに似せ、手足をヒトと変わらぬものにしただけで、この異形はあっという間に凡庸になった。
これならば、余程江流の金髪紫眼の方が、ヒトと同じ分だけ歪かもしれない。

「それで、お名前は、なんとお呼びしたらよろしいですか」

……そこで初めて、互いに名乗ることもしていないことに気が付いた。

「――――悟空。悟空って、呼んで」

にぱりと微笑った少年が、その表情を形作るのに一拍遅れたのは何故だったのか。
気にはなりこそすれ光明が問わないことを、江流が訊くのは憚られた。

「悟空さんですか、良いお名前ですね」
「悟空、って呼んで。その方が、スキ」
「承知しました。では私のことは光明と」
「こうみょう? 何か舌噛みそーだなっ」
「失礼なこと、言ってんじゃねぇ」

すぱん。後頭部に、一発。

「……江流。いい加減になさい?」
「だって、お師匠様、」
「私だってそう思っているのですから、江流がそれを責めてはいけません」

にっこり。
江流は、というか大概の人間は、光明のにっこりには勝てない。
逆に怯えることもある。
後に出会う笑顔魔人と、そういうところで同種の迫力を持つ男なのだ。……昔から。

「お前、こうりゅうっての? 俺、悟空。ヨロシクなっ」
「どうでもいいが、平仮名で発音するな……」

かくりと、疲れたように子どもの首が、前に倒れた。

















「よおっ、面白いイキモノがいるんだってな!!」
「……どこでお聞きになったんですが、観世音」

スタイル抜群無駄に美女と称されることの多い、長い黒髪を結い上げた女性の声が、普段は静かな寺にそれこそ無駄に響く。

「うちにいらしたのは昨日のことですよ?」
「オレに不可能はねぇ」
「噛み合ってねぇよ」

寝惚けた表情で突っ込むのは、起き抜けの、不機嫌を隠そうともしない金色の子ども。

「よお、江流。まだちっこいな!!」
「うるせぇ」

何が楽しいのか、無駄に高いテンションに江流はイライラと眉間に皺を寄せる。
何もこの年齢で眉間の縦皺をトレードマークにする羽目になるとは思ってもみなかった。……かもしれない。

「……なぁにー」

そんな声を煩く思ったのだろう、ずるずると毛布を中途半端にひっかけて引き摺ってくる少年の姿は、余りにも実際年齢よりも幼く、あられもない。
昨夜江流に着せてもらった浴衣は、毛布と共に「引っかかっている」程度でしかなかったからだ。
ごしごしと目元を擦りながら大きく口を開けて、あくびを一つ。
まだボケている金晴眼に、薄く薄く、皮膜が張る。
それまで観世音にやさぐれた表情を見せていた江流が、ソレを認めた瞬間、ぱたぱたと踵を返した。

「もうちょっと綺麗に着てらんねぇのかよ。つか起きてくるときに直せ」
「んー……なにー」

少しばかり高い位置の浴衣の合わせを、強引に引き寄せて整える。
寝覚めが悪い、と言うことは、それだけで生か死かの二つに一つの生活はしていなかったと言うことなのだろう。
まあ、この世界で普通に暮らしていれば、普通はそんなものなど縁がなくて当然だ。
江流にしたところで、殺気や嫌悪感でもなければ相当寝起きは悪いのだから。
――――そんな、彼の地で久し振りに生まれた男の子は、どれほど慈しまれ守護られていたのだろう。

「……ほお?」
「ねぇ? 可愛いでしょう?」

珍しいものを見たと言わんばかりに片眉を上げ、唇の端を吊り上げた観世音が楽しげな声を零す。
それに同意するように、光明がふうわりと微笑った。

「あのヒネクレ坊主が。何だ、あの甲斐甲斐しさ。可愛くて微笑っちまうぞ」

くくく、と観世音が押し殺しきれない声を漏す。

「私としては、逆を狙っていたんですけれどねぇ」
「江流が甘えるってか。アリエネェだろ、ソレ」
「ある意味、甘えてると思うんですけど、どーでしょーねぇ」

光明の言葉に、観世音が更に微笑う。

「……御用事は、それだけでは、ないのでしょう?」

そう、笑顔のままぽつりと呟く光明に、観世音は小さく肩をすくめた。







「悟空、と、そういったんだな?」

確認するような観世音の言葉に、光明は一つ、重々しい仕草で頷く。

「名乗る際に、一瞬戸惑ったような表情をしたのも気になったんですが。何より、人魔の少年で「悟空」と言う名に、全く覚えがなかったわけではありませんでしたし」

貴女からお聞きしたものだった筈ですが、と。光明は、思っていてもソレを口にしない。
掻き揚げた漆黒の前髪を押さえるように、掌を額に押し付ける。
ふうと一つ、観世音が息をついた。

「……金蝉たちの、消息が途絶えた」

別室に移動したというのに、観世音は、声を抑えている。

「な……っ」

観世音の赤い唇から零れ落ちた音に、光明が驚愕した。
その名は、いつぞや確かに悟空とセットで耳にしていたもので。
その消息が途絶え、更には悟空がここで一人行き倒れていたことを鑑みるに、その結論は。

「もう、生きちゃいねぇと見るのが正しいんだろう……。あいつらが生きているなら、何があってもちびを一人にする筈がねぇからな」

悟空を呼ぶとき、観世音は「ちび」と呼ぶ。
一人彼の地からやってきた当初、人魔の幼子は名を覚えていなかったからだ。
いや、正しくは名をつけられてはいなかった。
幼子には別の、力としての名前があったから。
仕方がないので暫定的に金蝉がつける羽目になって「悟空」と呼んだなら、そのまま彼の地でも「悟空」と呼ばれることになった、というお笑い話だ。
しかし、その名がつけられた今も観世音は「ちび」としか呼ばない。
その意味は、理由は、彼女にしか判らないけれど。

「……そう、なんでしょうね」
「初めて江流がちびと顔を合わせた時、全く別人のようだったと、言っていたんだな?」

ようやく視線を下ろした観世音の瞳に、強いものが混じる。

「ええ。外見ではなく、これほど恐ろしいものに出会ったことがないんじゃないかと思うほどの瞳で。しかし次の瞬間の、今の悟空とは全く噛みあわないのだと」
「そんなら、始めに江流が会ったのは、斉天大聖だったってこったな。あいつと会ったにしちゃあ、まあ、よく生きてたもんじゃねぇか」




斉天大聖。

それが、彼の少年の、力の名。
ヒトでもなく魔でもなく、かといって並の人魔でもない。
人魔としてさえ普通に生まれてこなかったコドモは、確かに大事に大切にされてはいたけれど『特殊なもの』としてしか扱ってもらえなかった。

名を貰った。

仏頂面のまま怒鳴り、殴り、それでも自分の傍にいることが当然だと、甘えるのが子どもの特権だと言外に告げてくれていた。
そんな笑うこともしない、世の中をつまらなさげに斜に構えてみたままの金色の無愛想な男に、どれほど幼子が懐いたかなんて考えずとも判ること。
血筋か故にそこに位置していることに飽いていた金色の男のその近くに、たまたまいただけの、やはりどこか浮いてしまっていた手練れ二人を、悟空が知らず誑し込んで。
それまで誰一人思いもしなかったパーティがいつの間にか出来上がったと気づいたときは、もう、何もかもが遅かった。




「――――斉天大聖の出現条件は、お分かりですか」

女の、再び釣り上がった唇の端に、光明は少しだけ安堵する。
彼女が不動であるのなら、動揺を見せることを良しとしないならば、それはまだ彼女が地に足をつけて立っていると結論付けたことを現している。
悲しむことも何をするにも何もかも、今を全て片付けて、何より不安材料全ての確証を得てからだと決めたからだ。
ならば、暫くは彼女に対して何を為さねばならぬかは見えてくる。

「感情がマイナスに振り切らなきゃ、大丈夫だ。元々の性質なのかなんなのかはしらねぇが、普段のアイツは底抜けにポジティヴなんだよ。……何よりちびは、こっちにきてからも、大事に大切に育てられたみてーだしな」
「そんな他人事な」
「他人だろ。たとえアイツの養い親が甥っ子であろうと、俺は殆ど手を出しちゃいないんだからな」
「……手を出すとか出さないとか言う前に、貴女が金蝉殿に押し付けたんではありませんでしたか……?」
「押し付けてねぇよ、情操教育だ」
「誰のですか」

少なくとも金蝉は、情操教育をするにはすでにとうが経ちすぎていただろう。

「面白ぇ面子になったと、思ってたんだがなぁ」
「確かにあのメンツは、どう見ても面白かったですけどねぇ」

過去形にしかならない。
恐らくは事実であるそれが、哀しい。

「すまないがちびを暫く、預かっててくれるか。金蝉たちもそうだが、李塔天と……那托、の、様子も、今もって判らん。中をちっと、色々叩き直してこにゃならんのでな」
「承知致しました。お受けいたしましょう」
「頼む」




 そんな、大人の会話の後、ひょこりと二人の大人が悟空に宛がわれた部屋を覗けば。
 大の字で眠る少年と、その腹に突っ伏して眠る子どもの姿があったとか。



 そんな、騒がしい――――失くせない全ての、始まり。







<佐野崎みつる様 作>

佐野崎様に、以前頂いた「It's a beautiful day」の続きのお話を頂きました。
三蔵…もとい江流が凄く大人撲ってるくせに子供らしくて、そんな江流を暖かく見守って、可愛がってる光明さまがステキです。
そして、江流に拾われた悟空。
屈託なく江流に懐いて、本当は何か深い子細があるはずなのに、明るくて。
光明と江流、そして悟空の三人での生活、波乱もありそうですが、楽しそうでわくわくしました。
もうねえ、この先〜というか、何と言いましょうか…次回作を期待してしまう私を許して下さいね。
だって、「#0」があったら「#1」も「#2」もあるはず…(黙れ)
また、強請ってしまそうな自分が怖いです。
佐野崎さま、こんなにステキで優しいお話を本当にありがとうございました。
次回があれば是非!(まだ言う/笑)

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