その日、妙なものを拾う羽目になった。 「何だ?」 小学四年生八歳の江流、学校帰りに自分の家でもある寺の山門入り口にてうつ伏せでぴくりとも動かない行き倒れと遭遇。 「ぶぎゅ」 ……何か妙な音がするのは、踏んだせいか。 「生きてるのか」 よろよろと見上げてくる顔は、つっぷしていたせいなのか踏んだせいなのか判らなかったけれど薄汚れていた。 ……どうやら人間のようで、人間じゃ、ないようだ。 大地に立てた爪は心持ち長く鋭く、肘辺りまで硬そうな獣毛に覆われている。 「……オマエ誰」 呟きを耳にして、どうやら意思の疎通は出来るらしいと判断する。 ――――目に飛び込んできたのは、背筋が凍りそうなほどにきつく鮮やかな、黄金の双玉。 思わず止まった息に、江流は、時間まで止まったような、気が、した。 「うわぁ」 躊躇うことなく伸ばされた手に、その鋭い爪に、警戒心すら起きなかったのは、何故だろう。 「キラキラ、綺麗。太陽みたいだ」 髪を掬い上げ、滑り落ちる指先の感触に、目の前の子どものような異形の、無邪気としか良いようのない笑顔がこぼれた。 「………………」 べしゃりと、再び目の前の異形が突っ伏して、はと江流は我に返った。 「……おい?」 再び余りにも不審過ぎる行き倒れに立ち戻ったソレに、江流は珍しく、恐る恐ると言った感で声をかける。 「……腹、減ったぁ……」 やはりらしくなくコケた江流は、目の前の茶色い頭に頭突きをかますところだった。
It's a beautiful day #0
「良い食べっぷりですねぇ」 ほう。目の前の光景に、白髪頭と呼んで差し支えないだろう長髪の初老の紳士がにこやかに溜息をついた。 「……もうおひつののご飯が空ですが」 だからいっぱいってどれほどだ。 「ごちそーさまでしたっ」 結局、比喩でなく一升飯を平らげるまで、目の前の異形は飯を食い続けた。 「お伺いしてもよろしいでしょうか」 にこにことやはり笑顔を崩さないままの光明の言葉に、きょとんとした異形は首を傾げた。 「人魔とお見受けしますが、彼の地より出でてこちらに何用でしょう?」 小さいくせに妙に重いこの異形は江流に石段をずるずる引き摺り上げられて、この寺の結界を難なく越えた。 だが、よりによって人魔とは。 彼の種族は何か特別なことでもない限り、あの地から出てくることはないのではなかったのか。 ――――しかし光明にしても組織にしても、人魔は判らないことが多すぎるのは確かだ。 「うん、そう人魔。何でこっち来ちゃったのかなぁ、覚えがないんだよなぁ」 よく姉さまたちに「この方向音痴が」と殴られたからなぁと、その子ども子どもした表情で呟く。 「確か……人魔は女性しか、今はいないようなお話でしたけれど」 男が生まれるってそれだけで一世紀ぶりって何だ。 「それで、どうしてこちらへ?」 そして、元の質問へと戻る。 「……えーと……なんだったっけ……。あ、多分道に迷った」 すぱぁんっ。
「ここにいるなら、ヒトガタの方が良さそう?」 たったそれだけの会話で、その異形は見た目普通の人間と変わらなくなった。 異形に慣れていない、というか、基本的な日本人と違うだけでも、この国では注目を集める。 「それで、お名前は、なんとお呼びしたらよろしいですか」 ……そこで初めて、互いに名乗ることもしていないことに気が付いた。 「――――悟空。悟空って、呼んで」 にぱりと微笑った少年が、その表情を形作るのに一拍遅れたのは何故だったのか。 「悟空さんですか、良いお名前ですね」 すぱん。後頭部に、一発。 「……江流。いい加減になさい?」 にっこり。 「お前、こうりゅうっての? 俺、悟空。ヨロシクなっ」 かくりと、疲れたように子どもの首が、前に倒れた。
「よおっ、面白いイキモノがいるんだってな!!」 スタイル抜群無駄に美女と称されることの多い、長い黒髪を結い上げた女性の声が、普段は静かな寺にそれこそ無駄に響く。 「うちにいらしたのは昨日のことですよ?」 寝惚けた表情で突っ込むのは、起き抜けの、不機嫌を隠そうともしない金色の子ども。 「よお、江流。まだちっこいな!!」 何が楽しいのか、無駄に高いテンションに江流はイライラと眉間に皺を寄せる。 「……なぁにー」 そんな声を煩く思ったのだろう、ずるずると毛布を中途半端にひっかけて引き摺ってくる少年の姿は、余りにも実際年齢よりも幼く、あられもない。 「もうちょっと綺麗に着てらんねぇのかよ。つか起きてくるときに直せ」 少しばかり高い位置の浴衣の合わせを、強引に引き寄せて整える。 「……ほお?」 珍しいものを見たと言わんばかりに片眉を上げ、唇の端を吊り上げた観世音が楽しげな声を零す。 「あのヒネクレ坊主が。何だ、あの甲斐甲斐しさ。可愛くて微笑っちまうぞ」 くくく、と観世音が押し殺しきれない声を漏す。 「私としては、逆を狙っていたんですけれどねぇ」 光明の言葉に、観世音が更に微笑う。 「……御用事は、それだけでは、ないのでしょう?」 そう、笑顔のままぽつりと呟く光明に、観世音は小さく肩をすくめた。
「悟空、と、そういったんだな?」 確認するような観世音の言葉に、光明は一つ、重々しい仕草で頷く。 「名乗る際に、一瞬戸惑ったような表情をしたのも気になったんですが。何より、人魔の少年で「悟空」と言う名に、全く覚えがなかったわけではありませんでしたし」 貴女からお聞きしたものだった筈ですが、と。光明は、思っていてもソレを口にしない。 「……金蝉たちの、消息が途絶えた」 別室に移動したというのに、観世音は、声を抑えている。 「な……っ」 観世音の赤い唇から零れ落ちた音に、光明が驚愕した。 「もう、生きちゃいねぇと見るのが正しいんだろう……。あいつらが生きているなら、何があってもちびを一人にする筈がねぇからな」 悟空を呼ぶとき、観世音は「ちび」と呼ぶ。 「……そう、なんでしょうね」 ようやく視線を下ろした観世音の瞳に、強いものが混じる。 「ええ。外見ではなく、これほど恐ろしいものに出会ったことがないんじゃないかと思うほどの瞳で。しかし次の瞬間の、今の悟空とは全く噛みあわないのだと」
斉天大聖。 それが、彼の少年の、力の名。 名を貰った。 仏頂面のまま怒鳴り、殴り、それでも自分の傍にいることが当然だと、甘えるのが子どもの特権だと言外に告げてくれていた。
「――――斉天大聖の出現条件は、お分かりですか」 女の、再び釣り上がった唇の端に、光明は少しだけ安堵する。 「感情がマイナスに振り切らなきゃ、大丈夫だ。元々の性質なのかなんなのかはしらねぇが、普段のアイツは底抜けにポジティヴなんだよ。……何よりちびは、こっちにきてからも、大事に大切に育てられたみてーだしな」 少なくとも金蝉は、情操教育をするにはすでにとうが経ちすぎていただろう。 「面白ぇ面子になったと、思ってたんだがなぁ」 過去形にしかならない。 「すまないがちびを暫く、預かっててくれるか。金蝉たちもそうだが、李塔天と……那托、の、様子も、今もって判らん。中をちっと、色々叩き直してこにゃならんのでな」
そんな、大人の会話の後、ひょこりと二人の大人が悟空に宛がわれた部屋を覗けば。
そんな、騒がしい――――失くせない全ての、始まり。
了 |
<佐野崎みつる様 作>
佐野崎様に、以前頂いた「It's
a beautiful day」の続きのお話を頂きました。
三蔵…もとい江流が凄く大人撲ってるくせに子供らしくて、そんな江流を暖かく見守って、可愛がってる光明さまがステキです。
そして、江流に拾われた悟空。
屈託なく江流に懐いて、本当は何か深い子細があるはずなのに、明るくて。
光明と江流、そして悟空の三人での生活、波乱もありそうですが、楽しそうでわくわくしました。
もうねえ、この先〜というか、何と言いましょうか…次回作を期待してしまう私を許して下さいね。
だって、「#0」があったら「#1」も「#2」もあるはず…(黙れ)
また、強請ってしまそうな自分が怖いです。
佐野崎さま、こんなにステキで優しいお話を本当にありがとうございました。
次回があれば是非!(まだ言う/笑)