三蔵様のチョコレート

「悟空、昨日、三蔵様がチョコレート買ってたんだって」

遊びに出掛けた街中で、悟空は友達の瞬瑛からそんなことを聞いた。

「ええ…三蔵、そんなことするわけないじゃん」

三蔵がチョコレートを買うなど、天地がひっくり返ってもなさそうなことをまことしやかに話して聞かせる瞬瑛に、悟空は顔を顰めてみせる。

「本当だって。だって、あんな綺麗な金髪の人って、三蔵様ぐらいじゃん」
「見たの?」

綺麗な金髪──そう聞いただけで悟空の気持ちが揺れる。

「俺じゃなくて、姉ちゃん」
「姉ちゃん?」
「おお!俺の姉ちゃん、すっげぇ三蔵様が好きで、よく用事もないのに寺に行っては、三蔵様が出てこないかなって思ってる。その姉ちゃんが、チョコレートを買ってる三蔵様、見たんだって大騒ぎしてたから、きっと、本当だぜ」

その剣幕に思わず頷きながら、悟空は昨日の三蔵の様子を思い出していた。

この時期は行事や何かで忙しくて、いつも何処にも出掛ける暇もない。
不機嫌な顔で山積みの書類から逃げだそうとしては、笙玄に見つかって怒られている。
そんな三蔵が、昨日笙玄に知られずに街へ下りたなんて、どう考えても信じられなかった。

「…でも、今、仕事忙しいって、言ってたけど…」

どうにも納得できずに反論すれば、瞬瑛は怒り出してしまった。
それはそうだろう。
何度言っても信じてもらえないのだから。
でも、自分が嘘を言っているわけではないと、悟空に食い下がった。

「何だよぉ!じゃあ、お菓子屋さんに確認に行こうぜ」
「えっ…」

ぷっと頬を膨らませ、瞬瑛は悟空の腕を取ると、お菓子屋に向かって歩き出した。
悟空はされるがまま、お菓子屋に向かいながらそんなこと無いのにと、信じられない。
そして、お菓子屋に着く。
そこは、買い物客で溢れかえっていた。

「すっげぇ…」
「…うん」

三蔵がチョコレートを買ったかどうか、確認に来た二人だったが、店に群がる客達の熱気に気圧されて、立ちつくすばかりだった。
悟空は大きな金眼を見開いて店を見つめていたが、そこに貼られているポスターに目を留めた。

「…バレンタインデー…あっ!」

突然、悟空が上げた声に、瞬瑛がびっくりして振り返った。

「バレンタインデーって、好きな人にチョコレートあげる日だよな?」
「うん」
「それって、今日?」
「えっと…うん、十四日だから、今日」
「俺、帰らなくちゃ」
「悟空?」

急に焦りだした悟空に、瞬瑛は戸惑う。
と、声が聞こえた。

「ねえ、三蔵様がお買いになったチョコレートってどれ?」
「それなら、この分ですよ」
「きゃぁ、可愛い」
「私、それ貰うわ」
「あら、三蔵様と一緒なんてずるいわ。私も」
「え、三蔵様のチョコレート?」
「私もそれが良いわ」

その声に悟空は、瞬瑛の顔を見返し、瞬瑛は「な、本当だろ?」と、相好を崩した。
悟空はギクシャクと頷くと、

「帰るね」

そう言って、踵を返した。
その背中を見つめて、瞬瑛は不思議そうに小首を傾げたのだった。











目の前の机に置かれたそれはラブリーな小箱。
薄いオレンジの地色に濃淡でハート柄が描かれている。
そして、金色の縁取りがしてある濃いオレンジ色のリボンが結ばれていた。

昨日の夕暮れ、仕事が一段落ついて私服に着替えた三蔵は、散歩がてら街に下りた。
丁度、煙草も切れていたので、それを買うつもりでもいたのだ。
ぶらぶらと商店や露店を冷やかしながら歩いていて、ふと、その色が目に留まった。
それだけのことだ。
だが、何となくその色に、いつも小うるさい小猿の瞳の色が一瞬重なって。
三蔵は買い求めてしまったのだ。

折しも今日はバレンタインデー。

世間の行事に関心のない三蔵でも毎年、悟空の奇妙なチョコレートや菓子に付き合わされていればその内、気になって来るというモノで。
買い求めた中身は、小さなチョコレート。
自分で食べるには甘すぎるミルクチョコレート。

先程、笙玄に見つかってしまった。
そして、

「悟空に差し上げるんでしょう?」

そう言って笑っていた顔を思い出す。

「たまには、三蔵様から悟空にお渡しなさいますのも良いものですよ」

渡してあげて下さいね、と、念を押して仕事に戻って行った。
時計を見れば、そろそろ悟空が遊びから戻ってくる時間だ。

「…こっぱずかしい…」

がしがしと頭を掻いて、煙草をくわえた。
ちょうどそこへ、悟空が飛び込んできた。

「さんぞ、ただい…」

悟空が扉を開けた瞬間、三蔵の手元から悟空の元へ何かが飛んだ。
反射的に悟空がそれを受け取る。
それを視界の端に留めながら、三蔵は逃げるように寝所へ通じる扉へ身体を投げ込んだ。

それに気付かず、悟空は受けとめたモノを目の前にかざした。

「…これ…何?」

可愛い小箱を両手でもって三蔵を見やれば、そこに三蔵の姿はなくて。
悟空は怪訝な顔で小箱のリボンをほどいた。

「………さん、ぞ…」

小箱の中身は小さなハートのチョコレートがぎっしりと詰まっていた。
悟空はそっと、蓋を閉めると、その小さな箱を両手で抱きしめた。

「ありがと…さんぞ」

呟きは夕闇に染まった執務室に解けた。






その夜、笑み崩れた悟空の顔が、元に戻ることはなく、ほんのりと桜色に染まった三蔵の頬も元に戻ることはなかった。




end

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