三蔵様のホワイトデー

「もう、俺は知らないってばぁ」

瞬瑛に追いかけられながら悟空は、何度目になるか分からない答えを叫ぶ。

「そんなこと無いはずだって」
「三蔵がチョコレートを誰にあげたかなんて、俺は知らないってば」

ひらりと公園のベンチから手近な木の枝に飛び移り、枝の上に立つ。

「だって、一緒に住んでる悟空だったら知ってるはずだって、姉ちゃんがそう言うから」
「瞬瑛の姉ちゃんが言ってても、俺は知らない」
「本当に?」
「ホントにホント!」

枝の上で腕組みして悟空はふんぞり返るような格好で頷く。
その下から見上げる瞬瑛が、がっくりと肩を落とすのが見えた。
悟空は不思議そうな顔をすると、枝だから飛び降りた。

「何で瞬瑛がそんな顔するのさ」

枝から下りて瞬瑛の顔を覗き込めば、困り切った顔をしていたから。

「…聞いて帰らなかったら姉ちゃんに殺される」
「何で?」
「言っただろ。姉ちゃんは三蔵様が大好きで、大好きでしかたないって」
「う、うん」

瞬瑛の言葉に頷く悟空の腰が、僅かに引ける。

「その大好きな三蔵様が、誰かのためにバレンタインにチョコを買ったんだぜ。誰にあげたのか、気になるってもんだろ?」
「そりゃそうかもしんないけど…」

だからといって、自分に訊かれても困るのだ。
三蔵が買ったチョコレートは、先月のバレンタインの日に悟空が貰ったのだと言えないから。
そんなことを言おうものなら、三蔵に殺されかねない。
ただでさえ、三蔵に憧れ、恋する女達の嫉妬を受ける立場にあるのだから。

「三蔵は気まぐれだから、チョコ買ってもそのまま机の上にほっぽって、忘れてるかも知れないよ?」
「俺もそう思いたい。でもな、でも恋する女は怖いんだよ」

瞬瑛が悟空に縋る様な瞳を向けてきた。
知らず、悟空はその分後ずさってしまう。

「こ、怖いって…?」
「怖いんだよ」
「瞬瑛?」

泣きそうな顔で悟空に迫る瞬瑛に、悟空は既に逃げる体勢に入って。
そこへ若い女の声が二人にかけられた。

「瞬瑛!」

その声に振り返った俊英の顔から見事なほど血の気が引く。
悟空は逃げるタイミングを逸した。

「ね、姉ちゃん…」
「こんな所で遊んでたのね」
「…うん」

買い物袋を下げた瞬瑛の姉、瑛花が近づいてきた。
そして瑛花は、瞬瑛の傍らに立つ悟空を言葉もなく見つめた。

萌葱色のカンフーチャイナ。
それが大地色の柔らかな髪と華のような容によく似合っている。
自分を見返す大きく印象的な黄金の瞳と薄く色付いた桜唇。
同性でも滅多に居ない容姿の子供。

「瞬瑛、この子は?」

見惚れたまま、瞬瑛に問いかける声は、僅かに震えていた。
問われて、瞬瑛は反射的に悟空の顔を見る。
悟空は仕方ないと、頷いた。

「こいつ、悟空。俺の友達」
「こんにちは」

瞬瑛の紹介に悟空が挨拶すれば、瑛花もこんにちはと、挨拶を返すなり、瞬瑛の襟首をひっつかんで耳打ちした。

「ご、悟空って、三蔵様の養い子の?」
「…そうだよ。その悟空だよ」
「あんた後で好きなモノ買ったげる」
「ね、姉ちゃん…」

一方的な交渉成立。
瑛花は瞬瑛の襟首を離すと、悟空に笑いかけた。
が、瞬瑛から瑛花の所行を聞いている悟空は、及び腰になる。

「あのね、悟空ちゃん」
「は、はい?」

綺麗に頬笑まれても悟空は困る。
瑛花の聞きたいことはたった一つ。
今頃、寺院で書類に埋もれて、蒸気機関車の如く煙を生産しながら仕事をしている三蔵のことだ。
でも、聞かれても答えることなど何もない。
いや、出来ない。
三蔵法師のプライベートは極秘なのだから。
そう、偶に悟空が街の友達に零す内容以外は、だ。
悟空は助けを求めるように瞬瑛を見やったが、瞬瑛は瞬瑛で、この姉がよっぽど苦手なのか、怖いのか、顔の前で手を合わせている。
悟空はいつでも逃げ出せる体勢のまま、にこりと笑いかける瑛花に、引きつった笑顔を向けた。












三蔵は今朝、悟空から渡された白く柔らかな物体を前に、悩んでいた。

毎年、毎年、バレンタインデーは、大好きな人にチョコをあげる日なんだと、笙玄を練習台にチョコレートを作っては、幸せそうな笑顔とともに悟空から貰ってきた。
それが今年は、単なる気まぐれで、断じてラッピングされた箱の色を見て悟空を思い出したなどと言うことはなく、本当に気まぐれで買ったチョコレートを悟空にやった。

そして、いつもなら三蔵が笙玄にせっつかれたり、気まぐれを起こしたりしながら、ホワイトデーに気持ちのお返しなるモノを悟空にやっていた。
が、今年は悟空から気持ちのお返しを貰ったのだ。

それが、目の前にある白く柔らかい物体。
世間で言うところのマシュマロらしい。

笙玄の報告では、昨日頑張って作ったらしい。
通りで昨日一日、静かだったわけだ。



頑張ったじゃねぇか。



とは、正直な気持ち。
でも、でもなのだ。



食べられるんだろうな…



疑惑が頭をもたげる。
確かに毎年、不器用なりに一生懸命菓子作りに精を出す悟空は、悟空なりのペースでその腕は上達を見せていた。
見せてはいたが、やはり、実験台になった笙玄の変調を見るに付け、口入れる勇気がない。
本人が目の前で、あのこぼれ落ちそうな金瞳を期待に輝かせて見つめていれば、口に入れる決心もつこうというもので。



食べないとうるせぇしな。



結局、三蔵は無自覚に悟空に甘い。
なんのかんのと自分に言い訳しながら、悟空が作ったマシュマロを口に入れた。











「ねえ、本当に悟空ちゃんは知らないの?」
「う、うん。何度聞かれても、本当に俺は、知らないから」

買って貰ったジュースに口も付けられず、悟空は公園のベンチで瑛花の質問攻めに遭っていた。

三蔵が好きなモノ、好きな食べ物、洋服の好み。
三蔵が日頃何を着ているのか、私服は着ないのか。
三蔵が使っているシャンプーは何処の製品か。
三蔵の好きなタイプの女性の性格、容姿。

などなど。
悟空のよく知らないことばかり。

その中でも、三蔵が好きなモノとか好きな食べ物とシャンプーや石鹸のメーカーぐらいは答えられる。
が、何故かその時、悟空は答えてはいけない気がして、ごまかすのが大変だった。

「一緒に住んでるのに、どうして知らないかなぁ…」
「だって、三蔵はいつも忙しいし、朝起きたらもう、仕事に出掛けてるし、俺が寝てから戻ってくるから」
「三蔵様って忙しいんだ」
「うん」
「そっか…でも、なんでもっと行事にお姿を見せて下さらないんだろ?」
「…さあ」

小首を傾げて悟空は、曖昧な表情を浮かべた。
そして、思う。
三蔵に憧れている瑛花が知ったら怒る本当の理由。

───面倒くせぇ…

それが理由。
そう、面倒くさがりの三蔵。
でも生真面目で、一生懸命な三蔵。
ぶっきらぼうで、不器用で、でも気持ちのとても優しい三蔵。

「ねえ、悟空ちゃんは三蔵様が好き?」
「えっ?」

ふと見やった悟空の柔らかな笑顔に、瑛花は何となくではあったが三蔵が優しいのだと思った。
三蔵の事を答える悟空の表情が、本当に嬉しそうだったこともあったが。

「ねえ、好き?」
「うん!大好きっ!」

そう言って笑った笑顔は、大輪の花を思わせた。

「そう。私も三蔵様が大好きよ」
「うん!」

頷いた悟空の顔が、不意に輝いた。
瑛花と瞬瑛が顔を見合わせる。
と、

「悟空」

悟空を呼ぶ良く通る声。
その声と共に私服姿の三蔵が姿を見せた。
瞬時に固まる、瑛花。

「三蔵──っ!」

ぶんぶんと手を振って悟空が三蔵を呼んだ。

「こんな所にいやがった」
「何?」

ベンチから飛び降りて三蔵の元へ駆け寄る。
午後の暮れかけた陽差しに三蔵の金糸が、豪奢な輝きを放つ。
黒いハーフコートを羽織った私服姿の三蔵法師。
遠くからしかその姿を見たことがなかった三蔵法師。
間近で見るその姿は、夢見るように綺麗で。

「瑛花姉ちゃん」

三蔵の姿に見惚れた瑛花の服をくいっと、悟空が引っ張った。

「え、あ、ああ、えっと…」

しどろもどろな瑛花に、悟空はにこりと笑って、

「ジュース、ありがとうな」
「すまんな」

礼を述べる。
それに続く三蔵の言葉に、瑛花は黙って首を振るばかり。

「じゃあな、瞬瑛」
「うん、またな」

悟空は瞬瑛に手を振り、三蔵の傍に戻ると、連れだって帰って行った。











日も暮れ、夕食を街で食べた帰り道、悟空は三蔵から小さなありがとうをもらった。
そして、憧れの三蔵様と接近遭遇した瑛花の三蔵様熱は、益々ヒートアップしたのは言うまでもない。

ささやかな三蔵様のホワイトデー。




end

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