「今日から三蔵様のお側ご用をさせて頂きます、笙玄と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」 そう言って、その人は笑った。
Say hello to you for me
総支配の勒按が連れてきた新しい三蔵の側係は、笙玄と言った。
勒按に案内されて三蔵の住まう領域に向かう道すがら、笙玄は三蔵と三蔵の養い子である悟空について、勒按から大まかな話を聞かされた。 「知っての通り、三蔵様はその大きなお慈悲の心で妖怪の孤児をお側に置かれて養育なされている。漕瑛のこともある、くれぐれもその言動には注意し、長く勤めて欲しい」 そう話を終えた勒按に笙玄は頷きながら、三蔵と悟空に会えるのを楽しみに執務室に向かった。
「三蔵様、新しい側係の者を連れて参りました」
三蔵は無口で、必要なこと以外笙玄に口をきくこともなく、養い子は笙玄の姿を見ると逃げだし、声を掛ける事もままならなかった。
三蔵にとって自分は、ただの道具。 何も告げない三蔵の態度がそう語っていた。
まだ、側ご用を言いつかる前に寺院の庭先で見かけた悟空は、素直な明るい笑顔をしていた。 そして、時折垣間見る三蔵法師の気高く美しい姿に、見たこともない神の姿を重ね、憧れと尊敬を持って、彼を誇りに思ってきた。
それなのに・・・・・・
取り入れた洗濯物をたたみかけたまま、笙玄は、何度目になるかわからない深いため息を吐いた。 「…がんばりましょう」 自分で自分を励まして、仕事を再開した笙玄は微かな扉の開く音を聞きつけて、振り返った。 「どうしたんです?」 悟空の姿に思わず駆け寄れば、悟空は肩を大きく揺らして笙玄から逃げようと踵を返した。 「悟空、その姿はどうしたのですか?」 掴んだ腕を放さずにもう一度問えば、悟空は恐る恐る振り返った。 「…な…にが…?」 笙玄の問いかけに返された悟空の返事は、多分に怯えを含んでいた。 「ケガして、こんなに濡れて。何もないはずはないでしょう?」 優しいが有無を言わせない笙玄の言葉に悟空は、青ざめた。 「僧侶達にされたのですか?」 直感した言葉がそのまま口をついて出てしまった。 「待って、悟空!」 悟空のあとを追いかけて回廊へ飛び出した笙玄は、執務室側の扉の前に立つ三蔵に気が付いた。 「三蔵様、悟空が…」 笙玄を見つめる三蔵の刺すような視線に、言葉は途中で止まった。 「…三蔵…様?」 冷たい声音で三蔵はそう告げると、執務室へ踵を返した。 「どうしてですか?悟空のことがご心配ではないのですか?」 三蔵の答えはない。 「三蔵様!」 尚も言い募ろうとする笙玄に三蔵は振り向くと、 「俺たちに構うな。お前は言われた仕事だけしていればいい」 切って捨てる、そう言う言葉が相応しい口調で告げると、執務室へ入って行った。
「さんぞ、あいつ…笙玄って奴、変な奴」 夜、長椅子に座る三蔵の足下に両足を投げ出してもたれて座る悟空が、不思議そうな顔をして三蔵に告げた。 「笙玄が?」 ことんと、悟空は三蔵の膝に頭をもたれさせると、 「…イイ奴……かな」 と、呟いた。 「そうだといいな」 気持ち良さそうに瞳を細め、悟空は頷いた。
寺院の中で孤立無援な二人。
妖怪を蔑む僧侶達。 味方などいない。 悟空と二人で居ればいい。 悪意と敵意と妬み、憧憬───ドロドロした感情を一身に浴びる三蔵と悟空。
味方がいらないわけはなかった。
二人で居る時は、悟空に気を配ってやれる。
笙玄───モノ言いたげに自分を見つめてくる側係。 三蔵も悟空も笙玄に対して、我知らず、淡い期待を抱いてしまっていた。
金色の瞳に涙を一杯に溜めて三蔵を見送る悟空の姿に、笙玄はどうしようもない庇護欲を掻き立てられた。
三蔵と悟空の世話を初めて二ヶ月。
いっこうに気を許してはくれない二人だったが、初めの頃に比べると幾分態度は和らいだように見受けられた。 会った当初は姿を見せただけで逃げていた。 それは二人がほんの少しだが笙玄という存在を認めた証のようで、笙玄は嬉しかった。
せっかく、顔を見ても逃げないでくれるようになったのに。 そんな自らが招いた結果にどうして良いのかわからず、たまりかねて三蔵に助言を求めれば、 「ここに住む以上は、我慢が必要だ。やられたらやり返す、そんなことはあいつも十分知っている。だが、それをすればバカ共に格好のエサをやることなるんだよ。あいつがここで暮らすための代償だ。だからお前は、何もするな」 そう淡々と三蔵は告げた。 それから笙玄は、口を出す代わりにケガをした悟空を見つければ、逃げる身体を押さえつけて、何も言わずに手当をしてやった。
小さな積み重ねが、小さな信頼の種をまき、小さな努力が、小さな信頼の芽を育てていた。
笙玄と悟空、二人だけの初めての留守番。
涙をこらえ、三蔵の姿が見えなくなるまで見送った悟空は、傍らに立つ笙玄を振り返ることなく、寝所に戻って行った。
悟空の食欲は、同じ年頃の子供にしては底知れず、軽く四、五人分は平らげてしまう。 今夜は、いつ悟空が起き出して食べても良いように、冷めても美味しいと思える献立を用意した。 今日からしばらく三蔵は、三仏神の命令で遠出をするのだ。
結局、悟空は泣き寝入ったまま朝を迎えた。 「おはようございます、悟空」 目を眠そうに擦りながら、返事を返す。 「シャワーを浴びてきてはいかがですか?汗をかいていて気持ち悪いでしょう?着替え、置いてありますから、ね」 笙玄の言葉に悟空は黙って頷くと、湯殿へぺたぺたと向かった。 「おはようございます。朝食の用意が出来ましたので、食べて下さいね」 笙玄の明るい声に悟空は気圧されたように頷く。 「悟空は、牛乳とジュースとどちらにします?それとも両方飲みます?」 満面笑顔で訊かれた悟空は、怪訝な顔から驚いた顔になる。 この人は何? 固まった様子で答えない悟空に笙玄は、声を掛けた。 「悟空?どうかしました?」 笙玄の声に我に返った悟空は、うつむいてしまった。 「何で…笑ってる…の?」 思いも掛けない問いかけ。 「それは、私が悟空を大好きだからです」 本当にそう思うから。 「本当に私は、悟空が大好きです」 念を押せば、見開かれた金の瞳が微かに潤んでゆく。 「…ウソ…信じな…い。信じられない」 盛り上がった透明な滴は、金色の宝石から溢れ出し、幼い頬を濡らし始めた。
希望は言葉になった。 「はい。私は悟空を裏切ったりしません。どんなことがあっても。だから、悟空も私を信じて下さい」 思いの丈を込めて悟空に告げれば、悟空は何も言わずただ、涙を流し続けた。 触れて知る悟空の小さな身体。 「悟空、大丈夫ですよ。信じてくださいね」 宥めるように背中を撫でながら、笙玄は静かに言葉を紡いだ。 ほうっと、息を吐いて笙玄は悟空から離れると、これ以上ないと言うほどの笑顔を悟空に見せた。 「朝ご飯、食べましょうね」
笙玄の心からの言葉は確かに、悟空の心に届いたようだった。
そして、その日の夜、悟空が笙玄の私室の扉を叩いた。
「はい?」 遠慮がちなノックの音に笙玄は、ゆっくり自室の扉を開けた。 「どうしたんですか?」 驚いて問いかければ、悟空は唇を噛んで夜着を握りしめる。 「そちらの椅子に座って下さい。何か飲み物を持ってきます」 何も答えない悟空に椅子を示して、笙玄は厨へ飲み物を取りに行った。 「そんなところに居ないで、こっちへ来て座って下さい」 ね、っと笑顔を向けると、悟空は黙って笙玄の示す椅子の側に寄ってきた。 「はい、牛乳です。飲めば気持ちが楽になりますよ」 マグカップを差し出す。 「悟空…?」 そっと問いかければ、悟空は肩を震わせ、ぎゅっとマグカップを握りしめる。 「何か、あったのですか?」 うつむく悟空の顔を下から覗き込むようにすれば、吐息のような答えが返ってきた。 「……て…」 聞き逃して、もう一度問いかければ、悟空はマグカップを笙玄に押しつけるように渡すと、逃げるように部屋を飛び出していった。 「悟空!」 慌てた笙玄は、マグカップを取り落とし、床に落ちた堅い音が響いた。
あれほど警戒していた悟空が、自分から笙玄の元へ来てくれたというのに。
悟空は誰もいない寝所に戻っていた。 今夜から三蔵は居ない。 でも、ダメだった・・・・。 暗い部屋は嫌い。 この世にたった一人、取り残されたとしか思えないから。 誰でも良い、側に居て欲しいと願ってしまう。 「……さんぞ…」 今、一番側に居て欲しい人の名前を呟く。 「…さん…ぞぉ…」 膝を抱えて踞る。
笙玄は寝所の前で、荒くなった息を沈めようと何度か深呼吸を繰り返した。 明かりのない三蔵の寝所は、窓から入るか細い月明かりに暗い陰鬱な翳りに包まれていた。 出来るだけ悟空を驚かさないように静かに近づく。 「悟空…」 笙玄の声に悟空は大きく肩を揺らした。 「悟空…悟空」 静かに優しく、悟空の名を呼ぶ。 「…笙玄…?」 初めて、悟空は笙玄の名を呼んだ。 「はい。ここに居ますよ」 答えれば、悟空は弾かれたように笙玄に抱きついてきた。 「悟空?」 抱き留めた小さな身体が小刻みに震えていることに気が付いた笙玄は、宥めるように悟空の背中を撫でた。
どれほどそうしていただろう。 悟空の震えが止まったことに気が付いた笙玄は、腕の中の悟空を覗いた。 三蔵が居ない淋しさに耐えかねて、自分の所に来たのだろう。 今更ながらに悟空の気持ちに気付く。 「大丈夫、ずっとここに居ますよ」 小さな声で囁けば、悟空の顔がほころんだような気がした。
翌朝、悟空は布団の重みで目が覚めた。 見れば、自分の手を握った笙玄が、上掛けの布団の上に上半身をもたれさせて眠っていた。 「…一緒に居てくれたんだ」 気が付いた悟空は、嬉しそうに笑った。 「おはよ、笙玄」 悟空の声に笙玄は、飛び起きた。 「おはようございます、悟空」 朝日に輝く、笑顔が笙玄に向けられる。 「あのね…今までごめんね。笙玄のこと俺、信じるから、だから笙玄も俺のこと嫌いにならないでね」 そう言って笙玄に向けられるまっすぐな黄金の瞳。 「はい。決して悟空を嫌いになったりしません。私の誇りに掛けて」 力強く頷けば、悟空は零れんばかりの笑顔を浮かべた。
笙玄は立ち上がると、いずまいを正し、 「初めまして悟空、どうぞよろしくお願いします」 と、笑って頭を下げた。
予定より早く帰還した三蔵は、笙玄と楽しそうに過ごす悟空の姿を見る。 その姿に安堵と言われない苛つきを三蔵は感じることとなった。 それはまた、別の話。
end |
リクエスト:悟空と笙玄の出会い |
13579 Hit
ありがとうございました。 謹んで、華 香様に捧げます。 |
close |