a scramble

蓮池に映る満月。

澄んだ秋の空気により一層輝く、いつになく大きく見える十五夜の月。
悟空は池の畔に座って、ぼんやりと水に映る月を見つめていた。

空気が澄み渡り、大地の気が満ちる季節。
悟空を呼ぶ声が、強くなる季節。

それは、悟空の気持ちを不安定にする。



声が聴こえる。
ぼんやりと、緩んだ心に訴える。

「還らないって…言ってるのに…」

無意識に呟いた答えは、蓮の葉の露に溶ける。

「呼ばないでよ…」

淋しさに乾いた心に、その声は温かくて。
悟空は、今にも泣き出しそうで。

「……意地悪…」

抱えた膝に顔を埋めて、小さく丸まってしまった。
月光がその悟空の小さな身体を抱きしめた。

「…やだよ…還らないから……」

くぐもって聞こえる声は、涙色に淡く染まっている。

「離し…て…」

月光が悟空を抱きしめたことが分かるのか、悟空は小さく身を捩った。






三仏神の命令で三蔵が出掛けてすぐ、「三蔵法師行方不明」の知らせが、寺院にもたらされた。
騒ぎ立つ僧侶達の中にあって、悟空と笙玄だけが、酷く冷静であった。
なぜなら、行方不明の知らせを聞いて、すぐにでも捜しに飛び出し掛けた悟空を引き留めたもの、それは、出掛ける間際の三蔵の言葉を思い出したからだ。



───何があっても、寺から動くな。俺は、必ず帰ってくるから。いいな、悟空



そう言い置いて、固く約束して出掛けたから。
出掛けてゆく背中に誓ったから。

それでも心配なのは当然で。
不安なのも当たり前で。






「三蔵の傍に居るんだ……から…」

三蔵の居ない不安が、大地が差し伸べる手を拒絶する声を弱くする。

大地の気の満ちる季節。
悟空を呼ぶ力が強くなる。

「……三蔵が…居るんだ……か…うっく……」

悟空を抱きしめる力が強くなる。
夜風が宥めるように、悟空の髪を撫でた。

と、悟空を中心に燐光が溢れ出した。
それは、悟空の足下から湧き上がってきていた。

「……ぁ…」

悟空が気付いた時には遅く、既に身動きもままならない状態に陥っていた。
涙に濡れた黄金が、縋りつくように彷徨う。

「やっ……」

身じろぎすら出来ず、悟空の身体が次第に透け始めた。

「…!さんぞ、さんぞぉ……やぁ…」

叫ぶ声が弱々しい。
無理矢理伸ばそうとする腕が、痛んだ。
抗う身体が、痛んだ。

それでも大地のかいなから逃げだそうと、悟空は足掻いた。



「俺のモノに触れんじゃねぇ」



聞きたかった声が、一発の銃声と共に夜の静寂に響き渡った。

一瞬で、悟空を包む燐光は霧散し、月光のかいなも解かれる。
後には、ぽろぽろと金瞳から透明な宝石を零し続ける子供が残った。




「……さんぞ…」
「ったく…人がちょっと手が離せなくて帰れなくなると、こうなるんだな。油断も隙もあったもんじゃねぇ」

銃をしまいながら、三蔵は呆然と、突っ立ったままの悟空の傍にゆくと、その身体を抱きしめた。

「お前も、ぼうっとするな、バカ猿」

その声とぬくもり、煙草の香りに、悟空は三蔵にしがみついた。

「…だって…だって…」
「バーカ…」

悟空を抱きしめる腕に力を込めて、三蔵は口元をほころばせたのだった。
















三蔵は三仏神の命令で、隠密行動を取らなければならなかった。

その為に自ら流した「三蔵法師行方不明」の情報。
お陰で、順調に事は運び、予定よりずいぶんと早く、仕事を終えることが出来た。

戻った居間で、三蔵は心配と不安でなかなか泣きやまない悟空と、何も言わずに出迎えた心配性の側係に、そう話して聞かせた。

「…ご無事で、安心致しました」

笙玄はそう言って、大きく息を吐き、

「悟空、良かったですね」

と、笑った。
悟空はそんな笙玄に三蔵にしがみついたまま頷き、ようやく微かに笑顔を浮かべたのだった。






満月が西の空に姿を隠す頃、ふと、悟空は呼ばれて目が覚めた。

そっと、三蔵の腕から抜け出て、窓に歩み寄る。
音もなく、窓を開け放てば、沈む最後の月光が、悟空の頬を撫でた。
それに小さく体を震わせた悟空は、静かに首を振った。



……ごめん…



そう音もなく悟空は呟くと、ゆっくりと窓を閉めた。
そして、また、三蔵の腕の中に潜り込む。

「……大好き…さんぞ…だから、傍に居てよね…」

三蔵の静かな寝顔にそう告げて、触れるだけの口付けをする。
やがて、寝心地の良い場所に落ち着くと、悟空は寝息を立て始めた。
それと入れ替わりに、三蔵の瞳が開いた。

窓から見える半分沈んだ月を睨み、音のない言葉を告げる。



やらねぇよ…



と。

そして、穏やかな寝顔を見せる腕の中の愛しい存在に、三蔵は視線を移した。

「お前は、誰にもやらねぇよ…」

今度は声に出して告げると、大地色の髪に口付けを落として、三蔵は小さく満足げに笑った。




秋も盛りの小さな闘争─────。




end

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