はらはらと雪の舞う はらりはらりと雪の降り積もる 音もなく世界を変える白 音もなく────
雪の華
三蔵と仕事で出掛けた街の大通りに繋がる広場に、罪人が晒されていた。 「三蔵、何であんなことするんだ?」 高札に視線を当てていた三蔵の袂を引いて悟空が問うた。 「あれか?あれはアイツの刑罰だからだ」 きゅっと、三蔵の袂を握る手に力を入れて悟空は三蔵が離れると促すまで、その罪人を見つめ続けた。
深夜、仕事に出掛けたまま、まだ戻らない三蔵を待っていた悟空は、降り止まない雪を宿の窓から見つめていた。 何の音も聞こえない世界。 ただ、曇天から降る白い花びらが世界の何もかもを覆い尽くしてゆく。 ひとり。 それが恐かった。 冷たい風と空気と暗い空と白い色のない世界。 何も覚えていない自分が悪いと、重ねた罪を忘れた自分が悪いと責められて。 岩牢での記憶があの罪人と重なる。
思った以上に仕事に手間取ってしまった三蔵は、足早に深夜の道を悟空を待たせている宿屋へ向かっていた。 心に引っかかりを生んだ、昼間の悟空のどこか思い詰めたような様子。 あの寒々しい姿に、何を思い出し、何を重ね、何を思ったのか。 長安の街でも晒し刑の罪人など決して珍しい訳ではない。 「あの、アホウの考えることなんざ、どうせろくなことじゃねぇ…」 三蔵は苦々しい舌打ちをすると、足を速めた。
目の前に立った人の気配に男は俯いていた顔を上げた。 「何だぁ?」 鬱陶しそうに問いかければ、そのしわがれた声に、子供の肩が震えた。 「用がねぇなら行っちまいな」 男はじゃらりと乾いた音を立てて、繋がれた手を追い払うように振る。 「淋しくないの?」 震える唇から紡がれた子供の言葉に、男の瞳が一瞬、見開かれた。 この子供は何を言っているのか。 男の困惑はそのまま口をついて出た。 「何、訳分かんねぇこと訊きやがる」 男は子供の言うことが理解できない。 後悔などしていない。 面白可笑しく、己の欲望に忠実に、犯し、殺し、奪い、焼き尽くし、蹂躙してきた。 そんな自分が淋しいだと? バカにするなと、嘲りの笑みを浮かべて子供の顔を睨みつけた。 「一人なのに?」 ───貴方が好き… 「俺は、一人がいいんだよ」 口角を上げて笑ってやる。 「…俺は、淋しかったよ」 と、瞳を歪めた。 ───捨てないで… 「何…言って…」 ぽろりと、涙が子供の瞳からこぼれ落ちた。 「ねえ、本当に?」 ───逃げてぇ─っ 「後悔は無いの?俺はいっぱい、後悔したよ…胸が痛くて堪らないほど」 涙を流しながら静かな声音で、自分には理解できない言葉を紡ぐ子供を見上げる男の瞳が、僅かに揺れる。 「……俺は…」 ───…生きて…いて…… あの面影は、誰だ? 「教えてよ…ねえ…」 子供の濡れた硬質な光と、闇のような慟哭に染まった瞳から目が離せない。 男は目の前に立つ子供を恐れるように、檻の奥へ身を寄せた。 「ねぇ…」 ───貴方を…愛して…… 「あ、あっちへ行きやがれ!クソガキィーっ!!」 あの女は、誰だ? 男は目の前の子供めがけて、昼間、自分に投げられた石を掴むと、投げた。 「行け!行っちまえぇぇぇ──っ!!」 男は手に触る石を子供に向かって投げ続けた。 石は子供の顔と言わず、肩と言わず、当たった。
三蔵は何かがモノに当たる鈍い音を聞きつけた。 「何だ?」 ふとした予感が胸を過ぎ、三蔵は音のする方へ向かった。 「あのバカ猿っ!」 三蔵は盛大な舌打ちを漏らして、悟空の元へ走った。 「おい、悟空!」 ぐいっと、腕を引けば、悟空は三蔵の腕の中に崩れ折れた。 三蔵は意識を失った悟空を抱え上げると、檻の隅に踞った罪人の男を見下ろした。 三蔵は疲れたようなため息を吐くと、抱き上げた悟空の身体を抱え直し、宿へ向かって踵を返した。
寝台へ取りあえず悟空を寝かせ、三蔵はその傍らへ椅子を持って来て腰を下ろした。 「何考えてやがる…お前は…」 初めて雪を見た時、綺麗だ、冷たいと言いながらはしゃぎ回っていた。 そして、明るかった黄金に落ちる朧な闇。 雪に何を思い、何を思い出すのか。 計り知れない五百年という歳月の幼い子供に科せられた孤独。 「お前はまだ、あの岩牢にいるのか…」 顔にかかった髪を払い、傷だらけの頬に触れる。 拭いきれない影。 こんな時、いつも己の無力を知り、悟空を岩牢へ追いやったモノへの怒りが心を占める。 「……悟空」 呟いた声に呼ばれたように、ゆっくりと金瞳が開いた。 「…………さ、んぞ…?」 覚束ない声音で名前を呼んで、手を伸ばしてきた。 「さ…ん、ぞ」 頷いてその瞳を覗き込めば、痛みを我慢する自分の顔が金眼に見えた。 「悟空」 ぽつりと、呟かれた言葉。 「雪の中、暗い中、一人でいて、淋しくないのか、哀しくないのかって…」 雪が降れば世界は色を失くす。 三蔵と出会えたことも、岩牢から連れ出して貰ったことも、何もかもが信じられなくなる。 「俺、淋しかったんだ。一人で何の色もなくなった白一色の世界に取り残された気がして…哀しかったんだ。何に対してかはわかんねぇけど、何かを失くした思いが強くてさ…」 三蔵は何も言わない。 「胸が刺すように痛くて、訳もわかんないのに後悔して…そんで、悪いことをしたんだって気持ちばかりが膨らんで……」 言葉を切って悟空は、三蔵の顔を見上げた。 「俺…俺、このまま三蔵の傍に居てもいいのかなって…」 三蔵を見上げる瞳が、潤み出す。 「あの人も俺と同じか訊きたかったんだ……でも…」 俯き、瞬いた瞳から透明な雫が流れ落ちた。 「………違って、た」 悟空の言葉に三蔵は、大きく息を吐いた。 「さんぞ…?」 呆れ返った三蔵の言葉に、悟空の瞳は見開かれ、ぽかんとした顔付きになる。 「その上、どうしようもないバカ面とは」 軽く頭をはたかれ、悟空が勢いよく身体を起こした。 「お前はお前、あの罪人はあの罪人。同じな訳ねぇだろうが。犯した罪の重さも大きさも違う。それに…」 お前は俺と出会った。 失った記憶は、お前が覚えていても辛いばかりだからと、与えられた慈悲かもしれない。 お前を大切に、愛しいと思う者が確かにいたという、証じゃないか? 「それに…何?」 三蔵に抱き込まれた身体を少し離して、悟空は三蔵を見やった。 「それにお前は、今、自由だ」 三蔵の言葉に悟空は、小さく頷いた。 「それって、三蔵と一緒に居てもいいってこと?ずっと、三蔵と一緒に居られるってこと?」 結局、お前はそこへ戻るのか。 ぎゅっと、三蔵の上着握り締め、自分を見上げてくる円らに、三蔵は頷いてやった。 「うん…うん、三蔵……」 自身を納得させるように何度も頷く悟空を三蔵はいつまでも柔らかく抱きしめていた。
はらはらと雪の舞う はらりはらりと雪の降り積もる 音もなく世界を変える白 それでも僕は、貴方と生きてゆく
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リクエスト:切ない感じのお話で、内容はおまかせ |
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ありがとうございました。 謹んで菖 蒲様に捧げます。 |
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