はらはらと雪の舞う
はらはらと淋しさの舞う

はらりはらりと雪の降り積もる
はらりはらりと哀しみの降り積もる

音もなく世界を変える白

音もなく────




雪の華




三蔵と仕事で出掛けた街の大通りに繋がる広場に、罪人が晒されていた。
雪の降る冷たい寒気の中、薄い衣類に身を包んだ罪人は重い鎖に繋がれて、四角い檻に入れられていた。
その側に立てられた高札には罪状が墨痕も鮮やかに記され、行き交う人々の関心を集めていた。
その人だかりの中に、三蔵に連れられた悟空の姿があった。

「三蔵、何であんなことするんだ?」

高札に視線を当てていた三蔵の袂を引いて悟空が問うた。

「あれか?あれはアイツの刑罰だからだ」
「け、い…罰?」
「ああ、お仕置きってこった」
「じゃあ、アイツ…悪い事したのか?」
「そうだ。悪い事したからあそこでお仕置きされているんだ」
「……そ、っか」

きゅっと、三蔵の袂を握る手に力を入れて悟空は三蔵が離れると促すまで、その罪人を見つめ続けた。











深夜、仕事に出掛けたまま、まだ戻らない三蔵を待っていた悟空は、降り止まない雪を宿の窓から見つめていた。

何の音も聞こえない世界。
何も見えない白一色の世界。

ただ、曇天から降る白い花びらが世界の何もかもを覆い尽くしてゆく。

ひとり。
ただひとり。
この世界に自分一人。

それが恐かった。
それが淋しかった。
哀しかった。

冷たい風と空気と暗い空と白い色のない世界。

何も覚えていない自分が悪いと、重ねた罪を忘れた自分が悪いと責められて。

岩牢での記憶があの罪人と重なる。
雪の中、暗い広場に今も置かれているだろうあの罪人の凍えた姿が忘れられなかった。
悟空は徐に上着を掴むと、思い詰めた顔で深夜の街へ飛び出して行った。















思った以上に仕事に手間取ってしまった三蔵は、足早に深夜の道を悟空を待たせている宿屋へ向かっていた。

心に引っかかりを生んだ、昼間の悟空のどこか思い詰めたような様子。
その姿が、三蔵の気持ちを落ち着かなくさせる。
仕事をしていても思い出すのは、悟空の様子ばかりで。
寒さの中、晒された罪人を見つめていた黄金の瞳。
その曖昧に揺れる光の思い詰めた色。

あの寒々しい姿に、何を思い出し、何を重ね、何を思ったのか。

長安の街でも晒し刑の罪人など決して珍しい訳ではない。
だが、大通りの広場で晒されることはない。
刑場と決められた場所があるからだ。
それは長安の中心部にあり、悟空がそこまで足を伸ばすこともなければ、罪人を見ることなど全く無かった。
たまに、寺院へ連れてこられる罪人は大抵改心して、仏門に入ろうかと言う殊勝な者ばかりで、晒された後に極刑が待っている罪人などが連れて来られた試しはなかった。
ために、悟空は三蔵の元へ来て初めて、本当に罪人らしい人間を見たのだった。

「あの、アホウの考えることなんざ、どうせろくなことじゃねぇ…」

三蔵は苦々しい舌打ちをすると、足を速めた。
その心に響く悟空の聲は、痛みを伴うほどの哀しみに彩られていた。















目の前に立った人の気配に男は俯いていた顔を上げた。
立っていたのは、子供。
大地色の髪に、夜目にも鮮やかな黄金の瞳を持った子供が、檻の中に踞る自分を見下ろしていた。

「何だぁ?」

鬱陶しそうに問いかければ、そのしわがれた声に、子供の肩が震えた。

「用がねぇなら行っちまいな」

男はじゃらりと乾いた音を立てて、繋がれた手を追い払うように振る。
子供は鎖の音に怯えたような顔をすると、唇を振るわせた。
自分を見下ろす黄金の瞳が、飴色に塗れている。

「淋しくないの?」

震える唇から紡がれた子供の言葉に、男の瞳が一瞬、見開かれた。

この子供は何を言っているのか。
淋しいだと?
寒くないかと、訊かれるならまだしも、淋しいなどと何を訊く。

男の困惑はそのまま口をついて出た。

「何、訳分かんねぇこと訊きやがる」
「…哀しくないの?」
「あぁ?」

男は子供の言うことが理解できない。
自分は大罪と言われる罪を犯してきた。
こうして捕まって晒された後は、処刑され、もう一度、この首が晒されることが決まっている。

後悔などしていない。

面白可笑しく、己の欲望に忠実に、犯し、殺し、奪い、焼き尽くし、蹂躙してきた。
欲しいモノはどんな手段でも手に入れたし、飽きればまた、新しいモノを求めた。
熱く激しく、思いのままに生きてきたのだ。

そんな自分が淋しいだと?
哀しいだと?

バカにするなと、嘲りの笑みを浮かべて子供の顔を睨みつけた。
だが、見下ろしてくる子供の瞳は、深い慟哭に彩られて見えた。

「一人なのに?」

───貴方が好き…

「俺は、一人がいいんだよ」

口角を上げて笑ってやる。
すると、子供はふるふると緩やかに首を振って、

「…俺は、淋しかったよ」

と、瞳を歪めた。
それに重なる声。

───捨てないで…

「何…言って…」
「俺は哀しかったし、怖かった」

ぽろりと、涙が子供の瞳からこぼれ落ちた。
その涙に重なる面影。

「ねえ、本当に?」

───逃げてぇ─っ

「後悔は無いの?俺はいっぱい、後悔したよ…胸が痛くて堪らないほど」

涙を流しながら静かな声音で、自分には理解できない言葉を紡ぐ子供を見上げる男の瞳が、僅かに揺れる。

「……俺は…」
「ねえ…一人で平気?」

───…生きて…いて……

あの面影は、誰だ?

「教えてよ…ねえ…」

子供の濡れた硬質な光と、闇のような慟哭に染まった瞳から目が離せない。
その幼い容に重なる女の面影。

男は目の前に立つ子供を恐れるように、檻の奥へ身を寄せた。
その動きに繋がれた鎖が、乾いた音を立てる。

「ねぇ…」

───貴方を…愛して……

「あ、あっちへ行きやがれ!クソガキィーっ!!」

あの女は、誰だ?

男は目の前の子供めがけて、昼間、自分に投げられた石を掴むと、投げた。
石は、鈍い音を立てて子供の額に当たる。
石の当たった衝撃に、子供の身体が僅かに揺れた。

「行け!行っちまえぇぇぇ──っ!!」

男は手に触る石を子供に向かって投げ続けた。
その瞳は恐怖と怯えに見開かれ、口から訳の分からない叫びを迸らせて。

石は子供の顔と言わず、肩と言わず、当たった。
それでも子供はその場を動こうとせず、涙を流しながら恐慌を来した男を見つめ続けた。












三蔵は何かがモノに当たる鈍い音を聞きつけた。
それは、宿まであと少しの所。

「何だ?」

ふとした予感が胸を過ぎ、三蔵は音のする方へ向かった。
そして見たのは、恐慌を来たし、あらぬ叫びを上げながら悟空に向かって石を投げる罪人と、その罪人を泣きながら見つめる悟空の姿だった。

「あのバカ猿っ!」

三蔵は盛大な舌打ちを漏らして、悟空の元へ走った。

「おい、悟空!」

ぐいっと、腕を引けば、悟空は三蔵の腕の中に崩れ折れた。
罪人は悟空が倒れたのを見た瞬間、頭を抱えて踞ってしまった。

三蔵は意識を失った悟空を抱え上げると、檻の隅に踞った罪人の男を見下ろした。
男はぶつぶつと何か、取り憑かれたように聞き取れない言葉を呟いていた。
一体、悟空はこの男に何をしたのか。
聞き出したいと思ったが、今の男の様子ではまともな答えは期待できなかった。

三蔵は疲れたようなため息を吐くと、抱き上げた悟空の身体を抱え直し、宿へ向かって踵を返した。
後には、男の低く呟く声と、時折上げられる引きつったような笑い声が、振り落ちる雪の中に木霊していた。











寝台へ取りあえず悟空を寝かせ、三蔵はその傍らへ椅子を持って来て腰を下ろした。
そして、傷付いた悟空の顔の手当をする。

「何考えてやがる…お前は…」

初めて雪を見た時、綺麗だ、冷たいと言いながらはしゃぎ回っていた。
それが年を追う事に、雪を恐れるようになった。

そして、明るかった黄金に落ちる朧な闇。

雪に何を思い、何を思い出すのか。
消された記憶の断片か、岩牢での孤独な日々か。

計り知れない五百年という歳月の幼い子供に科せられた孤独。
誰よりも、何より陽の光が似合う子供の心の奥底に巣くう闇。

「お前はまだ、あの岩牢にいるのか…」

顔にかかった髪を払い、傷だらけの頬に触れる。
冷えた肌の感触が、三蔵に唇を噛ませた。

拭いきれない影。
痛みを伴うほどの声なき聲。
差し伸べたいと思うこの腕は、悟空の元へは届かない。
囚われたままの幼い心。

こんな時、いつも己の無力を知り、悟空を岩牢へ追いやったモノへの怒りが心を占める。

「……悟空」

呟いた声に呼ばれたように、ゆっくりと金瞳が開いた。

「…………さ、んぞ…?」

覚束ない声音で名前を呼んで、手を伸ばしてきた。
その手を掴んでやれば、儚い笑みが浮かぶ。

「さ…ん、ぞ」
「ああ…」

頷いてその瞳を覗き込めば、痛みを我慢する自分の顔が金眼に見えた。

「悟空」
「…俺……知りたかったんだ」

ぽつりと、呟かれた言葉。
その言葉と共に、僅かに焦点のぶれた瞳が、不安の色に染まり始める。
悟空は自分の手を握る三蔵の手に、縋るように身体を寄せた。

「雪の中、暗い中、一人でいて、淋しくないのか、哀しくないのかって…」

雪が降れば世界は色を失くす。
音も消える。
無音無色の世界に取り残される自分。

三蔵と出会えたことも、岩牢から連れ出して貰ったことも、何もかもが信じられなくなる。
押し寄せる不安と疑惑。
湧き上がる絶望と罪の意識。

「俺、淋しかったんだ。一人で何の色もなくなった白一色の世界に取り残された気がして…哀しかったんだ。何に対してかはわかんねぇけど、何かを失くした思いが強くてさ…」

三蔵は何も言わない。
悟空に話の先を促すことも、悟空の言葉を肯定も否定もしない。
ただ、痛む思いを湛えた静かな瞳で訥々と話す悟空の話を聞いていた。

「胸が刺すように痛くて、訳もわかんないのに後悔して…そんで、悪いことをしたんだって気持ちばかりが膨らんで……」

言葉を切って悟空は、三蔵の顔を見上げた。
自分を見下ろす紫暗の瞳は静かで、穏やかな色に見えた。

「俺…俺、このまま三蔵の傍に居てもいいのかなって…」

三蔵を見上げる瞳が、潤み出す。

「あの人も俺と同じか訊きたかったんだ……でも…」

俯き、瞬いた瞳から透明な雫が流れ落ちた。

「………違って、た」

悟空の言葉に三蔵は、大きく息を吐いた。
それに、悟空の肩が小さく震える。

「さんぞ…?」
「バカだとは思っていたが、ここまでバカだとは思わなかった」

呆れ返った三蔵の言葉に、悟空の瞳は見開かれ、ぽかんとした顔付きになる。

「その上、どうしようもないバカ面とは」
「な……」

軽く頭をはたかれ、悟空が勢いよく身体を起こした。
その身体を抱き寄せ、三蔵は続けた。

「お前はお前、あの罪人はあの罪人。同じな訳ねぇだろうが。犯した罪の重さも大きさも違う。それに…」

お前は俺と出会った。
そして、お前は岩牢から出られた。
それはお前が許されたことになるんじゃないか?

失った記憶は、お前が覚えていても辛いばかりだからと、与えられた慈悲かもしれない。
誰かが願った結果かも知れない。
それはお前が愛されていたことになるんじゃないか?

お前を大切に、愛しいと思う者が確かにいたという、証じゃないか?

「それに…何?」

三蔵に抱き込まれた身体を少し離して、悟空は三蔵を見やった。
三蔵は見上げてくる濡れた瞳に軽く口付け、また、続けた。

「それにお前は、今、自由だ」
「…自由?」
「ああ、その足で好きなところへ行ける。その手で何でも触れることも、掴むことも出来る。生きることも死ぬこともお前の意志で決めることが出来る。違うか?」
「違わない…」
「なら、わかるな?」

三蔵の言葉に悟空は、小さく頷いた。

「それって、三蔵と一緒に居てもいいってこと?ずっと、三蔵と一緒に居られるってこと?」

結局、お前はそこへ戻るのか。
あの罪人の姿に、岩牢での記憶を思い出し、消えた記憶の中の罪悪感と哀しみと恐怖に苛まれていたはずなのに。
結局、お前の思いはここへ戻ってくるんだな。

ぎゅっと、三蔵の上着握り締め、自分を見上げてくる円らに、三蔵は頷いてやった。
すると、不安に彩られた黄金の霞が晴れてゆく。
それと同時に広がる微笑み。

「うん…うん、三蔵……」

自身を納得させるように何度も頷く悟空を三蔵はいつまでも柔らかく抱きしめていた。






はらはらと雪の舞う
はらはらと淋しさの舞う

はらりはらりと雪の降り積もる
はらりはらりと哀しみの降り積もる

音もなく世界を変える白
音もなく花開く、雪の華

それでも僕は、貴方と生きてゆく
雪の華咲くこの世界で─────




end




リクエスト:切ない感じのお話で、内容はおまかせ
111111Hit ありがとうございました。
謹んで菖 蒲様に捧げます。
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