節分祭

寺院の中がざわめいて、華やかな飾りに彩られていく。
悟空はそんな様子を僧庵の屋根に登って見つめていた。



節分祭。



三蔵が金銀錦の衣装を着て、福を撒く日。

寺院の前庭には一年の幸せを祈り、撒かれる福を手にしようと、溢れるほどの人間が集う。
寺院の参道は、様々な露店が並ぶ。

節分の翌日は立春。

その前に向かえた春節に人々の心は沸き立って、その年の一番の祭りとなる。

街中が浮き立ち、華やぐに連れ、その気分と反比例するように三蔵の機嫌は下降線を辿る。
日頃、滅多に公の場に姿を見せない三蔵の数少ない外せない行事が、節分祭の豆撒きだったりする。
三蔵の端正な容姿に見惚れるヤツ、勘違いするヤツ、神々しいと伏し拝むヤツ、懸想するバカまで出る。
そんな奴らを全部まとめて、黄河の底か揚子江の底、果ては遠くの何処かへ捨ててしまいたい。
だが、この行事には祭り好きの皇帝までもが出張って、豆撒きをするというのだから、逃げ出すことも叶わなかった。




節分祭の日は、日の出よりも早く三蔵は起き、禊ぎを行って正装を身につける。
そして、日の出と共に大雄宝殿に入り、一年の感謝と翌年の豊穣と安寧を祈る。
本尊の前に山と積まれた福豆を祓い清める。
古式に則り、作法に準じて祭事は行われるのである。



三蔵が祭事を行う間に総門は解放され、信者達が寺院の前庭に集う。



祭事が行われている本殿に詣でる者、吉兆を買い求める者、三蔵の晴れやかな姿を少しでも間近で見ようとする者などで、境内は人だかりで熱気に包まれて行くのだ。



そんな様子を悟空は境内を見下ろす僧庵の屋根から見下ろしていた。



「めっちゃ機嫌わりぃくせに、やることはちゃんとするんだよな。どーでも良いとか言ってるくせに」

肩に止まった鳩に、悟空が話す。

本当に昨夜の荒れ方は酷かったのだ。
まるでだだっ子みたいで、見てる方が恥ずかしくなるほどに。

今年は皇帝が即位して丁度節目の年になるとかで、特に盛大に行われるとか言っていたのを思い出す。
基本的には同じでも規模が大きくなると参加する僧侶や貴族達の数は飛躍的に増え、接待地獄が待っているとか、いないとか、ぼやいていた。

嫌なら逃げ出させばいいのに、根が生真面目な所のある三蔵が、重要と分かっている行事を逃げ出せるはずもなく、苦虫を何十万匹も噛み殺した顔で昨夜は酒を浴びるほど飲んでくだを巻いていた。



眠い悟空相手にそれはもう珍しく。



で、今朝悟空が目を覚ました時には、もう三蔵の姿は何処にもなくて。
笙玄の綺麗な字で書かれた手紙と今日のために三蔵が新調してくれた新しい洋服が居間に朝食と一緒に置かれていた。

朝食を一人で食べて、真新しい洋服に着替える。
今年の洋服の色は紅梅の柔らかな紅色の男子正装のチャイナ。
縁取りは珍しくも銀。
裏地は鴇色。
結びボタンは、梅の花、地模様は繻子の梅花文。
くるりと鏡の前で回って、悟空は嬉しそうに笑った。




節分のこの日だけは、悟空も行事への参加が許されていた。
三蔵の傍に近づかない条件で、露店を冷やかし、三蔵の豆撒きを見物するのだ。
一年で一度だけ、悟空に許された日。

悟空は身支度を整えると、三蔵がくれた小遣いを首から提げ、境内へと向かった。

大扉を抜けた所で、三蔵が大雄宝殿から出てきたことを告げる太鼓が鳴った。
悟空は境内へ行かず、そのまま回廊の端にある木に登ると、僧庵の屋根へ登った。
屋根づたいに三蔵が豆撒きを皇帝と共に行う場所へ向かう。

「こっからの方が、三蔵がよく見えるんだよな」

悟空の傍に寄ってきた鳩に笑いかけ、悟空は特別に設えられた櫓に三蔵が姿を見せるのを待った。




二月も初めのこの時期、蝋梅の黄色い花弁が僅かに春めいた色を纏わせた陽差しに光っている。
今を満開と咲く蝋梅の黄色い花に混じって、ちらほらと梅の花も咲き始めていた。

「今年は早いんだ…」

梅の花を見つけて悟空が嬉しそうに笑った。
その笑顔に答えるように梅の枝が微かに震え、綻びかけていた花弁が一斉に開く。
その様子に悟空は、一瞬瞳を見開き、次いで破顔した。
小春日和の陽差しにも負けない輝くような笑顔。
梅の花達は、大地の御子の笑顔に負けじと誇らしげに花弁を揺らした。

と、歓声が上がった。
振り向けば、三蔵が皇帝やその寵姫達とともに、櫓に姿を見せたのだった。
日に照り映える金糸。
煌びやかな衣装に包まれた寵姫達の誰よりも三蔵の姿は輝いて悟空には見えた。
豪華な袈裟と衣に身を包み、金冠を頂いた悟空の大切な人。
その姿に見とれていれば、一際大きな歓声が上がり、豆撒きが始まった。

「福はうち、福はうち」

寺院の僧侶が唱和する中、三蔵と皇帝、その寵姫、寺院の幹部達が豆を撒く。
バラバラと霰が降るような音をさせて豆が、観衆の上に降った。
人々は袋を広げ、帽子をかざし、着ているモノを広げて撒かれる豆を手に入れようと躍起になっていた。

毎年の事ながら悟空はその熱気に目眩を覚える。

幸せなんて自分で掴むモノのように思えるのに、人は神仏や信仰に縋って、願う。
幸せなんていつでも、どこでも実感出来る。
必要とされ、必要とし、傍にいて温もりを分かち合う。
それが幸せ以外のなんであろうと言うのだろう。

いつだったか三蔵が、

「人間は欲張りに出来ているんだよ」

そう言って笑っていたことがあった。
なら、そうなのだろうと、悟空は撒かれる豆を奪い合う人々の姿に、小さなため息を吐いた。






豆撒きも終了間近、不意に風が皇帝の寵姫のベールをその手から舞上げた。
それは風に乗って悟空の顔へ。

驚いたのは悟空。

いきなり目の前が紗にかかって、屋根から降りようとしていた体勢が崩れた。

「…やべっ」

思ったか、口に出たか。
悟空はベールを身体に纏い付かせたまま、屋根から飛ぶ羽目になった。
崩れた体勢のまま、悟空は櫓に飛んだ。
距離にして三メートル足らず。

その姿を最初に見つけたのは三蔵。
次いで、ベールを飛ばした寵姫。
皇帝、僧侶達、観衆。

舞い飛ぶ姿は、紅梅の精に見えた。
事実、悟空が飛び越えた梅の木の花が一斉に花ほころんだのだ。

飛距離はぎりぎりで、三蔵は手に持った枡を放り投げてこちらへ飛んでくる悟空に向かって走った。

「あのあほう…」

伸ばした三蔵の腕に纏い付くように悟空の身体が、滑り込んだ。
と見る間に、三蔵は衣の袂で悟空を隠すと、櫓の向こうへ軽い体を放り投げた。

「ひっでぇ」

小さく舌を出して、悟空はベールを三蔵の手に残して櫓の影に降り立った。
その一連の動作は一瞬で。
誰の目にも、ベールが三蔵の手に舞い降りたように見えた。

それと同時に花開く梅の花。
匂い立つ薫りに、綻ぶ花の可憐さに人々の意識が、逸れる。

三蔵は悟空が寺院の奥へ走って行く後ろ姿を視界の端で確認しながら、手に残ったベールを寵姫に返した。

「ありがとうございます」
「いえ…」

嫣然と頬笑んで寵姫は、三蔵が差し出すベールを受け取った。

「梅の精霊でも駆け抜けたようですわ。三蔵様、梅の花が咲きましてよ」

寵姫が指さす方を見れば、確かに梅の花が綻び、ちらほらと咲き始めていた。
それに何も言わずに礼をすると、三蔵は差し出された枡を受け取り、残りの豆撒きに戻った。

「…つれない方…」

寵姫は繊手で口元を覆って小さく嘆息すると、気遣わしげに自分を見ている皇帝の傍らに戻って行った。






夜、全てが終わって戻ってきた三蔵に、悟空がこっぴどく怒られたのは笙玄の談。

人々の間では、三蔵の手元に梅の精霊が舞い降りたと、まことしやかな噂が、暫く囁かれた。




節分の小さな奇跡。




end

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