狂い咲き




空気の入れ換えにという理由を付けて、三蔵は執務室の窓を開け、煙草に火を付けた。
二月に入ったばかりの空気は真冬だ。
だが、この三日ほどは異常と思えるほどの暖かさが続いていた。
この暖かさに気の早い梅は綻び始め、蝋梅は既に満開を迎えていた。

「…気持ち悪いほどだな」

呟いて紫煙を吐き出せば、ふわりと風が三蔵の手を纏うように撫でた。
その風で手にした煙草の灰が散る。

「…?」

怪訝な顔で風に誘われるように窓の外へ視線を投げれば、その先を淡い色が掠めた。

「何だ?」

瞳を凝らせば、それは淡い紅色の花びら。
はらりとひとひら、三蔵の前を揺れ堕ちてゆく。

「梅か?……いや…まさか…」

慌ててそれを掴んで、掌を広げれば、そこに在ったのは一枚の可憐な花びら。
それは紛う事なき桜の花びらだった。
その花びらを見た瞬間、三蔵の胸を言い知れぬ恐怖が過ぎった。
それは深い秋に感じるものと同じで、三蔵の気持ちを酷く不安にさせた。

「どこから…?」

三蔵は身体を窓から乗り出して辺りを見回した。
しかし、執務室の周囲の桜の木々はまだ、堅く芽を閉ざして冬枯れた姿を晒していた。
三蔵は指を焼く微かな熱に小さく舌打つと、フィルター間近にまで短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
そして、花びらを握りしめたまま、三蔵は執務室を出て行った。





     *****





悟空は執務室の裏庭で遊んでいた。
満開になった蝋梅が甘い薫りを振りまいている裏庭で、このところの暖かさに綻んだ梅の花を見つけて嬉しそうに笑う。
冬鳥が悟空の周りで喧しくおしゃべりに興じて、裏庭は賑やかだった。

「俺?俺もこんなに暖かいと、花が早く咲いて嬉しいよ。ほら、綺麗なものは何でも早く三蔵に見せてやりたいじゃん。だって、もうすぐしたらまた、三蔵は忙しくなっちゃうからさ」

そう言ってほんの僅かに曇った表情の悟空の頬を風が撫でた。

「何?」

風に誘われるように空を見上げた悟空の金瞳が、丸く見開かれた。

「うそっ」

見上げた悟空の視界に飛び込んできたのは薄紅色の数枚の花弁。
はらはらと舞い落ちてくるそれを悟空は両手で受け止めた。

「何で今頃、咲いてる…の?」

風が分からないと、戸惑った様に悟空の身体に纏い付いた。

「…何処で咲いてるか分かる?」

悟空の問いに風が吹き上がり、すぐに答えを運んできた。

「分かった…ありがと」

歩き出しかけた悟空の手を行くなと、風が引いた。

「大丈夫だって。それに俺を呼んでいるみたいだから…」

悟空はふわりと笑うと、風が教えた場所を目指した。





     *****





辿り着いたそこは、寺院の裏山の一番奥の森の中だった。
まだ二月に入ったばかりだと言うのに紅桜の大木がたわわに花を付けていた。
紅色の花弁がはらはらと舞い落ち、時折風がその花びらを掬い取って何処かへ運んでゆく。
悟空はその紅桜の様子に木の前で立ちつくしていた。

「…ホントに咲いてる……」

どれほどそこに立ちつくしていたのか。
悟空は自分を呼ぶ聲に我に返ると、きょろきょろと辺りを見回した。
そして、紅桜の下に人影を見つけた。
薄ぼんやりとした人影が、悟空を手招きしていた。

「…誰?」

問えば、

「助けてくりゃ…」

と、答えが返った。
悟空はちょっと、考える仕草を見せてその人影に近づいた。
薄ぼんやりとした人影は近づくほどに更に薄くなり、悟空が紅桜の幹に触れた途端、霧散した。

「ぇ…?!」

悟空は慌てて紅桜の幹の後ろに回って見たが、その人影は見当たらず、紅色の花びらが舞い落ちるばかりだった。




「誰だったんだろ…」

幹に背を預け、悟空は梢を見上げた。
常の桜とは異なった紅い花。
薄桃色の花弁が濃い紅色の桜。
この森にこんな桜が在っただろうか。
何度も桜の咲く春に訪れているはずなのに、見た記憶が悟空にはなかった。

「…なあ、ここに毎年咲いていた?」

くるりと幹に向き直って、悟空はそれに抱きつくように腕を回した。

「毎年ここで花を咲かせていたわいな」

聞こえた応えに悟空は振り返った。
そこには、薄墨を流したような地色に桜を散らした小袖を着て、黒髪を長く伸ばした女が立っていた。

「…誰?」

問えば、女は紅い唇を綻ばせて笑った。

「紅じゃ」
「くれ…ない?」
「そうじゃ。妾の名じゃ」
「そっか…綺麗な名前だね」

悟空は頷く紅と名乗った女に、そう言って笑った。

「で、さっき、助けてって言った?」

先程、近づいた途端、消えた薄ぼんやりとした人影と同一人物かと、悟空が確かめるように訊けば、紅は頷いた。

「そう…先程そこにいたは、妾じゃ。力がもう殆ど残っておらなんだからな。しかし、御子が妾に触れてくれたお陰でこうしてまた、姿を結べるようになったのじゃ」

紅は、嬉しそうに笑うと悟空のすぐ目の前に立った。

「俺が触れたか…ら?」
「そうじゃ。御子の触れた先から妾に御子の力が少し宿ったのじゃ」
「そ、うだっ…ん…だ」

紅はついっと、悟空の顎を掬い上げると、吐息のかかるほど顔を近づけて囁いた。

「妾を助けるためにもっと力をくれるかえ?」

鼻先に触れる吐息の甘さに、悟空の神経が痺れる。

「…ぃ、い…ょ…」
「良いお子じゃな、御子は」

紅は口元を吊り上げるようにして頬笑むと、ねっとりとした仕草で悟空の口唇を塞いだ。

「…んっ!」

そのぬめるような感触に悟空は逃げようと身を捩ったが、すぐに身体から力が抜けた。
力の入らなくなった身体は、ずるずると紅桜の幹を伝ってその根元へへたり込む。
荒い呼吸もそのままに、悟空は紅を見上げた。
目の前に立つ紅の身体はぬめるような輝きを放っている。

「もっと、もっとじゃえ」

そう言って紅は艶を増した紅い唇を嫣然と綻ばせて、はらりと小袖をその足許に落とした。
現れた裸身は、白い蛇を思わせ、朦朧とした悟空の意識を僅かに浮上させる。
だが、力の入らない四肢は弱々しく紅桜の根元の土をかくだけで、逃げることは叶わなかった。
紅は、弱々しく足掻く悟空の華奢な身体を簡単に組み伏せ、のし掛かってゆく。

「…ぁ…んっ…やぁ……」

紅の触れた所から湧き上がってくる見知った感覚から逃れようと、力無く首を振り、悟空は身を捩った。
だが、のし掛かる紅の力に抗いきれず、悟空は紅桜の根元に組み敷かれ、襲いくる快感に細い喘ぎを漏らすばかりだった。





     *****





三蔵が裏庭に辿り着いた時には、そこで遊んでいるはずの悟空の姿は既に無かった。
悟空の姿を捜す三蔵の顔には、彼には珍しく、焦燥が滲んでいた。

「どこ行きやがった」

忌々しげに舌打ちを零す。
執務室で胸を過ぎった恐怖が、今は色濃い危機感に変わって、三蔵を苛んでいた。

「どこだ、悟空」

いつものこの場所に居ないとなれば裏山か、それとも神苑の奥の草原か、判断が付きかねて立ちすくむ三蔵の法衣を風が引いた。

「何だ…?」

三蔵の意識が風に向いた途端、今まではっきりしなかった悟空の声なき聲が、三蔵の頭に大音声で響き渡った。

「……ッぁ…」

その衝撃の大きさに、一瞬、三蔵の意識が飛んだ。

「…んの、サル…また、取り込まれやがって」

響き渡った悟空の聲で、今、悟空の身に何が起こっているのか、理解した三蔵は大きく舌打つと、裏山へ足を向けた。






「……ぁ…ふぁ…ぅあ…」

紅に体中を愛撫され、悟空の精神は快楽の泥沼へ呑み込まれようとしていた。
施される巧みな愛撫と手管に悟空の花芯が萎えることはなく、透明な蜜を零し続ける。
華奢な身体を撓らせ、陽の光を好む割に白い肌を朱に染めて、与えられる快感に打ち震える。

「やぁ…ぁぁああ…ぃやぁぁ…」

紅が触れる所から這い登る痺れるような快感と入れ替わるように悟空の身体から生気が抜き取られて行く。
抗おうと伸ばした腕は縫い止められ、見開いた金瞳は涙で滲んだ。

「…ん…ぞ…さ、ん……ぞぉ…」

こぼれ落ちる喘ぎの隙間で、悟空は三蔵の名を呼び続けた。






半ば風に運ばれるような状態で三蔵は狂い咲いた紅桜の元へ辿り着いた。
そこで目にした情景に、一瞬にして体中の血が沸騰した。

ぬめるように光る白い女体に組み敷かれ、媚態を晒す子供。

自分以外が触れることを許さない綺麗な子供が、妖に蹂躙されている。
か細い喘ぎと共に呼ばれる己の名前に、三蔵の箍が外れた。




目も眩むような怒りと吹き上がる焼け付くような嫉妬。




お前に触れて良いのは、俺だけだ。
お前を啼かすのは、俺だけで良い。




誰にも渡さない。
それは俺のものだ。






衝動のままに印は結ばれ、浄化の光りが悟空を覆うモノ全てを薙ぎ払った。






浄化の光りは爆風を生み、風を巻き込んで竜巻に姿を変えた。
それは悟空を組み敷く紅を引きちぎり、たわわに咲き誇った紅桜の花全てを奪い尽くした。




悟空は紅の与える快楽に意識が沈む寸前に、三蔵の凛と響く魔戒天浄の声を聞いた気がしたが、確かめる間もなく襲ってきた爆風と竜巻に意識を失った。




まるで三蔵の気持ちそのままに荒れ狂った浄化の光りが収まった時、紅桜は斜めに幹を引き裂かれ、無惨な姿を晒していた。
その紅桜だった木の根元に悟空が血の気の失せた白い顔を見せて、横たわっていた。





     *****





「…も、やぁ…」

意識を取り戻してからもう何度、絶頂を迎えただろう。
優しい言葉もなく、優しい仕草もなく、ただ、無言で、荒々しい仕草で悟空は三蔵に抱かれていた。

「さ、ん…ぞぉ…ぅん…ぁああぁ」

叩き付けられるように貫かれ、悟空の身体が快感よりも痛みで撓る。

「……っぁ…やぁいやぁぁああ」

構わず抉られる身体は小刻みに震え、与えられる痛みの中からそれでも快感を拾う。

「さんぞ……ん、ぞ」

上がる嬌声は涙と痛みに濡れて、縋る細腕は愛しい人を求めて宙を彷徨った。
それでも。優しい言葉も、温もりも与えられず、悟空は空が白々と明けるまで、意識を失うことも許されず、三蔵に蹂躙され続けたのだった。




嵐のような行き場のない怒りに任せて悟空を抱き尽くした三蔵が、我に返ったのは細い悲鳴を上げて身体を震わせ上り詰めた悟空が完全に気を失った時だった。
熱く三蔵を呑み込む悟空の中から己を引き抜いた三蔵が見たのは、涙と互いが放った欲望の証に汚れた悟空の姿だった。

「……ッ」

悟空が妖に組み敷かれ、蹂躙された姿を見た以降の記憶が、所々はっきりしない。
怒りにまかせて魔戒天浄を放ったことは覚えている。
その後、気を失った悟空を連れ帰り、手当をした。
心配する笙玄を宥めて、昏々と眠る悟空は自分が見ているからと下がらせた。



 その後─────



意識を取り戻した悟空が、怯えた視線を三蔵に向けた。
そして、様子を見ようと差し出した手を悟空が振り払ったのだ。

「…情けねぇ」

無理矢理蹂躙された直後なのだ。
悟空が怯えて当然だったはずだ。
いつもなら、その凍った気持ちをほぐしてやるのに、その余裕すら消し飛んだ。
そう、拒絶されたそのことで、また、火が付いたのだ。
収まったはずの焼け付くような感情が、熾火のようにまだ気持ちの中に燻っていたのだ。

「……悟空」

汗で張りついた頬の髪を払い、三蔵は青白い涙の痕が白く残る悟空の頬を指先で辿った。
指の辿る微かな感触に、悟空の長い睫毛が僅かに震えた。
それに気付かぬまま、三蔵は暴走した己の感情の犠牲になった悟空に謝った。

「悪かったな…」

そっと口唇を寄せ、額の金鈷にそれで触れ、瞼に、頬に三蔵は触れた。
三蔵はもう一度、小さく「悪かった」と悟空に呟くと、汚れたシーツごと悟空の身体を抱き上げようとした。
が、そのまま三蔵は固まった。
意識の無いはずの悟空がじっと、その金瞳で自分を見上げていたのだ。

「……く、う」

思わず漏れた声は酷く掠れて、僅かな音にしかならなかった。
その僅かな音は、ちゃんと悟空の耳朶に届いたのだろう、悟空がふわりと笑ったのだ。

「…さんぞ」

掠れた声音で三蔵を呼ぶと、悟空は自分の腕を三蔵に向かって差し出した。
その様子に戸惑う三蔵へ悟空はもう一度、名前を呼び、更に笑顔を深くした。

「悟空」

三蔵はその差し出された腕を辿るように悟空の身体を抱き締めた。

「よかった…いつもの三蔵だぁ…」

抱き締めた腕の中で悟空は嬉しそうに笑っていたかと思うと、幼子のように声を出して泣きだしてしまった。

「ご、悟空?!」

慌てて身体を離そうとする三蔵に、悟空はしがみついて離れようとはしない。
そんな姿に三蔵は、どれ程悟空を怯えさせ、傷つけたのか理解した。
だが、三蔵が何か言う前に、悟空がしゃくり上げながら言った。

「…ご、ごめんな…あ、あんな奴に好きにさせて…ホント、ごめんな…おっ俺、もう誰にも触らせないから…もう二度と誰にも触らせないからな」

そう言って、上げた顔は新たな涙に濡れていた。

「お前は……どうしてそう…」
「さんぞ…?」

三蔵は思わず零した自分の言葉に、きょとんと見つめ返してくる涙に光った金瞳に、何とも複雑な笑顔を浮かべた。
そして、

「俺もお前以外に触らせねぇよ…サル」

そう言って、汗と行為で汚れ、また、新たな涙でくちゃくちゃになった悟空の顔へ接吻を落とした。

「約束な」
「ああ…」

頷く三蔵に、悟空は久しぶりに輝くような笑顔を見せたのだった。



 

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