狂い咲き
空気の入れ換えにという理由を付けて、三蔵は執務室の窓を開け、煙草に火を付けた。 「…気持ち悪いほどだな」 呟いて紫煙を吐き出せば、ふわりと風が三蔵の手を纏うように撫でた。 「…?」 怪訝な顔で風に誘われるように窓の外へ視線を投げれば、その先を淡い色が掠めた。 「何だ?」 瞳を凝らせば、それは淡い紅色の花びら。 「梅か?……いや…まさか…」 慌ててそれを掴んで、掌を広げれば、そこに在ったのは一枚の可憐な花びら。 「どこから…?」 三蔵は身体を窓から乗り出して辺りを見回した。
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悟空は執務室の裏庭で遊んでいた。 「俺?俺もこんなに暖かいと、花が早く咲いて嬉しいよ。ほら、綺麗なものは何でも早く三蔵に見せてやりたいじゃん。だって、もうすぐしたらまた、三蔵は忙しくなっちゃうからさ」 そう言ってほんの僅かに曇った表情の悟空の頬を風が撫でた。 「何?」 風に誘われるように空を見上げた悟空の金瞳が、丸く見開かれた。 「うそっ」 見上げた悟空の視界に飛び込んできたのは薄紅色の数枚の花弁。 「何で今頃、咲いてる…の?」 風が分からないと、戸惑った様に悟空の身体に纏い付いた。 「…何処で咲いてるか分かる?」 悟空の問いに風が吹き上がり、すぐに答えを運んできた。 「分かった…ありがと」 歩き出しかけた悟空の手を行くなと、風が引いた。 「大丈夫だって。それに俺を呼んでいるみたいだから…」 悟空はふわりと笑うと、風が教えた場所を目指した。
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辿り着いたそこは、寺院の裏山の一番奥の森の中だった。 「…ホントに咲いてる……」 どれほどそこに立ちつくしていたのか。 「…誰?」 問えば、 「助けてくりゃ…」 と、答えが返った。 「ぇ…?!」 悟空は慌てて紅桜の幹の後ろに回って見たが、その人影は見当たらず、紅色の花びらが舞い落ちるばかりだった。
「誰だったんだろ…」 幹に背を預け、悟空は梢を見上げた。 「…なあ、ここに毎年咲いていた?」 くるりと幹に向き直って、悟空はそれに抱きつくように腕を回した。 「毎年ここで花を咲かせていたわいな」 聞こえた応えに悟空は振り返った。 「…誰?」 問えば、女は紅い唇を綻ばせて笑った。 「紅じゃ」 悟空は頷く紅と名乗った女に、そう言って笑った。 「で、さっき、助けてって言った?」 先程、近づいた途端、消えた薄ぼんやりとした人影と同一人物かと、悟空が確かめるように訊けば、紅は頷いた。 「そう…先程そこにいたは、妾じゃ。力がもう殆ど残っておらなんだからな。しかし、御子が妾に触れてくれたお陰でこうしてまた、姿を結べるようになったのじゃ」 紅は、嬉しそうに笑うと悟空のすぐ目の前に立った。 「俺が触れたか…ら?」 紅はついっと、悟空の顎を掬い上げると、吐息のかかるほど顔を近づけて囁いた。 「妾を助けるためにもっと力をくれるかえ?」 鼻先に触れる吐息の甘さに、悟空の神経が痺れる。 「…ぃ、い…ょ…」 紅は口元を吊り上げるようにして頬笑むと、ねっとりとした仕草で悟空の口唇を塞いだ。 「…んっ!」 そのぬめるような感触に悟空は逃げようと身を捩ったが、すぐに身体から力が抜けた。 「もっと、もっとじゃえ」 そう言って紅は艶を増した紅い唇を嫣然と綻ばせて、はらりと小袖をその足許に落とした。 「…ぁ…んっ…やぁ……」 紅の触れた所から湧き上がってくる見知った感覚から逃れようと、力無く首を振り、悟空は身を捩った。
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三蔵が裏庭に辿り着いた時には、そこで遊んでいるはずの悟空の姿は既に無かった。 「どこ行きやがった」 忌々しげに舌打ちを零す。 「どこだ、悟空」 いつものこの場所に居ないとなれば裏山か、それとも神苑の奥の草原か、判断が付きかねて立ちすくむ三蔵の法衣を風が引いた。 「何だ…?」 三蔵の意識が風に向いた途端、今まではっきりしなかった悟空の声なき聲が、三蔵の頭に大音声で響き渡った。 「……ッぁ…」 その衝撃の大きさに、一瞬、三蔵の意識が飛んだ。 「…んの、サル…また、取り込まれやがって」 響き渡った悟空の聲で、今、悟空の身に何が起こっているのか、理解した三蔵は大きく舌打つと、裏山へ足を向けた。
「……ぁ…ふぁ…ぅあ…」 紅に体中を愛撫され、悟空の精神は快楽の泥沼へ呑み込まれようとしていた。 「やぁ…ぁぁああ…ぃやぁぁ…」 紅が触れる所から這い登る痺れるような快感と入れ替わるように悟空の身体から生気が抜き取られて行く。 「…ん…ぞ…さ、ん……ぞぉ…」 こぼれ落ちる喘ぎの隙間で、悟空は三蔵の名を呼び続けた。
半ば風に運ばれるような状態で三蔵は狂い咲いた紅桜の元へ辿り着いた。 ぬめるように光る白い女体に組み敷かれ、媚態を晒す子供。 自分以外が触れることを許さない綺麗な子供が、妖に蹂躙されている。
目も眩むような怒りと吹き上がる焼け付くような嫉妬。
お前に触れて良いのは、俺だけだ。
誰にも渡さない。
衝動のままに印は結ばれ、浄化の光りが悟空を覆うモノ全てを薙ぎ払った。
浄化の光りは爆風を生み、風を巻き込んで竜巻に姿を変えた。
悟空は紅の与える快楽に意識が沈む寸前に、三蔵の凛と響く魔戒天浄の声を聞いた気がしたが、確かめる間もなく襲ってきた爆風と竜巻に意識を失った。
まるで三蔵の気持ちそのままに荒れ狂った浄化の光りが収まった時、紅桜は斜めに幹を引き裂かれ、無惨な姿を晒していた。
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「…も、やぁ…」 意識を取り戻してからもう何度、絶頂を迎えただろう。 「さ、ん…ぞぉ…ぅん…ぁああぁ」 叩き付けられるように貫かれ、悟空の身体が快感よりも痛みで撓る。 「……っぁ…やぁいやぁぁああ」 構わず抉られる身体は小刻みに震え、与えられる痛みの中からそれでも快感を拾う。 「さんぞ……ん、ぞ」 上がる嬌声は涙と痛みに濡れて、縋る細腕は愛しい人を求めて宙を彷徨った。
嵐のような行き場のない怒りに任せて悟空を抱き尽くした三蔵が、我に返ったのは細い悲鳴を上げて身体を震わせ上り詰めた悟空が完全に気を失った時だった。 「……ッ」 悟空が妖に組み敷かれ、蹂躙された姿を見た以降の記憶が、所々はっきりしない。
「…情けねぇ」 無理矢理蹂躙された直後なのだ。 「……悟空」 汗で張りついた頬の髪を払い、三蔵は青白い涙の痕が白く残る悟空の頬を指先で辿った。 「悪かったな…」 そっと口唇を寄せ、額の金鈷にそれで触れ、瞼に、頬に三蔵は触れた。 「……く、う」 思わず漏れた声は酷く掠れて、僅かな音にしかならなかった。 「…さんぞ」 掠れた声音で三蔵を呼ぶと、悟空は自分の腕を三蔵に向かって差し出した。 「悟空」 三蔵はその差し出された腕を辿るように悟空の身体を抱き締めた。 「よかった…いつもの三蔵だぁ…」 抱き締めた腕の中で悟空は嬉しそうに笑っていたかと思うと、幼子のように声を出して泣きだしてしまった。 「ご、悟空?!」 慌てて身体を離そうとする三蔵に、悟空はしがみついて離れようとはしない。 「…ご、ごめんな…あ、あんな奴に好きにさせて…ホント、ごめんな…おっ俺、もう誰にも触らせないから…もう二度と誰にも触らせないからな」 そう言って、上げた顔は新たな涙に濡れていた。 「お前は……どうしてそう…」 三蔵は思わず零した自分の言葉に、きょとんと見つめ返してくる涙に光った金瞳に、何とも複雑な笑顔を浮かべた。 「俺もお前以外に触らせねぇよ…サル」 そう言って、汗と行為で汚れ、また、新たな涙でくちゃくちゃになった悟空の顔へ接吻を落とした。 「約束な」 頷く三蔵に、悟空は久しぶりに輝くような笑顔を見せたのだった。
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