陽 炎

匂い立つ青葉が、初夏の陽ざしに無機質な光沢を見せる。
夏に向かう陽ざしは春の柔らかさを脱ぎ捨て、肌に痛みを感じるほどの強さをその身に纏う。
そんな昼下がり、悟空は青々と草の茂った土手に寝転がって、色の濃くなった青空を見上げていた。




あの春の日、焦がれ、憧れて見ているだけだった外の世界へ出られた。
毎日見上げていた太陽よりも眩しくて、空よりも綺麗な世界が広がった。

連れ出してくれたのは、金色の光。
与えてくれたのは、紫暗の宝石。

けれど、実際に触れた世界は綺麗なところも、汚いところもあって、楽しいこともたくさんあるけれど、嫌なこともそれと同じくらいあった。
それでも、あの綺麗な金色はいつも傍らで輝いていて、綺麗で、優しかった。
だから、どんなことも我慢できた。
耐えられた。

そう、あの綺麗な金色の傍にいるだけで、何も恐いものはなかった。
その存在全てが、生きる支えだから。
何ものにも代え難いから。
生命すらいらないと思えるほどの存在。

悟空の世界の中心。

「三蔵……」

起き上がって、光の眩しさに手をかざせば、川辺に立つ陽炎が見えた。
ゆらゆらと湧き立つ陽炎に、揺らぐ景色に世界の温かさを思う。

それはあの綺麗な金色の人の温もりそのもの。
言葉少なくかけられる声も、時折触れられる掌も、全てが優しさと温かさに満ちている。

「三蔵…」

思い出す端正な面影に、悟空の顔は嬉しそうに綻んだ。



三蔵は仕事が今日は忙しいのか、朝から執務室に籠もったまま出てこない。
三蔵の側仕えだった漕瑛の後に来た新しい側仕えの笙玄は優しく、穏やかで言葉と態度がちゃんと同じだ。
その上、悟空に対して寺院の僧侶達が抱いている侮蔑や嫌悪を抱いていない珍しい人間だった。

そして、三蔵が忙しい時、悟空を気遣って相手をしてくれるのだ。
それはそれで嬉しいのだけれど、まだ何処か身構えて素直に振る舞うことが出来ず、一緒に居ることが気まずい。
悪い人間ではないと分かってはいても、漕瑛のあの優しかった笑顔の下に隠されていた暗い本当の気持ちを見てしまった後では、無条件に信頼を寄せることが恐くて出来ない。
笙玄が同じではないと、知っていてなお、身構えてしまう。

三蔵と二人なら何も考えなくても、身構えることもなく素直に柔らかな気持ちでいられるのに。

三蔵だけが側に居てくれればいいと、悟空は広い世界を知ってもそれだけを思うのだった。




きらきらと光る川面と太陽の熱に焼けて揺らめく大気。
青い草海原と蒼天。
そして、全てを照らす太陽。

ゆっくりと夏へ向かう季節のその腕に抱かれて、悟空は再び寝転がった。
見上げた蒼穹の中、風が雲を運んで行く。

「三蔵、明日は暇だったらいいな…」

いつでもどこでも一緒に居て欲しい。
望んでも叶わないことだけれど、少しでも一緒に居たい。
傍に居たい。

煩いなら静かにしているから、いつまでも一緒に居て欲しい。
傍に居て欲しい。

広い世界のその中で三蔵だけが唯一だから。
想いも願いもただ一つ。

「三蔵…傍に居てくれよな」

そう呟いて、悟空は小さな笑顔を浮かべた。
そして、不意に金瞳を見開いた華と思うと、大急ぎで起き上がった。
その視線の先、揺らめく大気の向こうで、大地の太陽が閃いた。



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