入道雲

「笙玄、もう入道雲が出てる」

悟空が指さす先に見えるのは、今年初めての真っ白な入道雲。
抜けるような蒼天に、白い絵の具で描いたような雲の頂がそびえ立っていた。
季節はもう夏の衣を纏い、生命の歌を謳う。
梅雨の間のからりと晴れた日。
洗濯物を干す笙玄と一緒に、悟空は物干場にいた。

「本当に。今年は夏の訪れが早いんですね」

眩しそうに手を翳して、笙玄が悟空の指さす入道雲を見やる。

「そうだね」
「ということは、暑い夏になるんでしょうかねぇ」
「さあ、わかんない。でも、夏って暑いんだからいいじゃん、暑くたって」
「そう言えばそうですよね。暑いから夏な訳ですし…」
「うん」

悟空と笙玄は、顔を見合わせて笑った。
物干場の手すりにもたれて空を見上げる悟空の姿に瞳を眩しそうに細めて見つめた後、ぱんっと、音を立てて笙玄は洗濯物の皺を伸ばす。

「今日もよいお天気です」
「うん!」

悟空は大きく頷き、何か嬉しいことを思い出したのか、ポンと手を叩いた。

「あのね、昨日、ヒタキの巣を見つけたんだ」
「おや、それはよかったですね」

笙玄の返事に、悟空は嬉しそうに相好を崩した。

「雛がね、孵ったばかりでピィピィ鳴いてた」
「可愛かったですか?」
「うん!すっげえ可愛かった」

そう言って笑う笑顔は輝きを増して、笙玄はそれに応えるように笑顔を深くした。
そして、また、音を立てて洗濯物を干した。

「なあ、何で音立てるの?」
「はい?」

悟空がした問いかけの意味が解らなくて、笙玄はきょとんとした顔をする。

「だからぁ、何で洗濯物干すのにいちいち音立てるのかな?って」
「あ、ああ、これですか?」

問いかけの意味をようやく理解して、不思議そうに笙玄の手元を見つめてくる悟空の目の前でもう一度、ぱんっと、音を立てて見せた。

「うん。何で?」
「こうすると、皺が伸びるんですよ」
「そうなの?」
「はい」

頷く笙玄の手は止まらず、洗い上がった洗濯物が次々と竿に干されてゆく。

白い三蔵の僧衣、白衣、足袋。
悟空のシャツにズボン。
二人の下着、タオル。
綺麗に洗われて、初夏の陽差しの中で輝く。
白い雲に青い空。
それを背景に風に翻り、揺れる洗濯物。
穏やかで何処か懐かしく優しい風景に悟空の表情は自然に綻んでゆく。

悟空は気持ちよさそうに身体を伸ばした。
と、洗濯物の向こう、物干場の下に人影を見つけた。

「あっ…」

煙草をくわえ、風に金糸をなびかせた三蔵がこちらを見上げていた。

「三蔵──っ!」

悟空が手を振って呼べば、三蔵は眩しそうに瞳を眇めた。
笙玄も下の三蔵に気付き、小さく礼を返す。
それに三蔵は軽く手を上げて応えた。

仕事が一段落したのか、終わったのか、それとも面倒臭くなって投げ出してきたのか分からないが、今の時期さして三蔵の仕事は忙しくはない。
ならば、息抜きに悟空を伴って散歩に行くのも自由というものだろう。
物干し場の下で悟空が下りてくるのを待つ三蔵の姿に笙玄は口元を綻ばす。

「笙玄、行ってくるな」
「はい、気を付けて」
「うん!」

悟空は嬉しそうに大きく頷くと、手すりから身を翻した。
見下ろせば、目の前に飛び降りてきた悟空に驚いたのか、三蔵が悟空の頭を叩きながら怒っているのが見えた。

「ちゃんと回って下りて来い、サル」
「ごめん」
「…ったく」

ぺろりと舌を出して誤る悟空に、三蔵はため息を吐くと、踵を返した。

「あ、待ってよぉ」

悟空は、歩き出した三蔵の後を追ってゆく。

「なあ、どこ行くんだ?」
「さあな」
「なんだよそれえ」

先を行く三蔵に纏わり付くように悟空が三蔵の周囲を跳ねるようにして歩いて行く。
交わす会話が夏風に運ばれて、笙玄の耳をくすぐった。

空には白い雲。
風はうっすらと湿り気を含んで、夏がもうすぐ訪れる。



close