夜 長




「つまんねぇ…ったら、つまんねぇ…」

ごろごろとクッションを散らした床を転がって、悟空は夕食の片づけをしている笙玄に訴えた。

「もうすぐ三蔵様がお戻りですから」

笙玄の言葉に丸いクッションを抱き締めて、悟空はまろい頬を膨らませる。

「悟空?」
「だって、戻ってきてもまた、すぐに出掛けちゃうんだろ?」
「それは…」

秋が深まるに連れて悟空の気持ちは不安定になる。
大地が還ってこいと呼ぶ聲が強くなるのだ。
だが、三蔵の傍に居ればそんな聲が聴こえても気にしないでいられる。
だからと言うわけではないが、傍に居て欲しいのだ。
一人で居て気を抜けば、すかさず大地の手が絡み付いてくる。
抗いがたい手や聲にともすれば負けてしまいそうになるのだ。

秋の長い夜の淋しさに負けて。
夜の長い静寂の人恋しさに負けて。

しかし、秋は春と同様、三蔵も何かと忙しい時期を迎える。
秋の彼岸、重陽の節句など節気、仏教、寺院の行事と三仏神からの下命と、悟空の人恋しさと比例するように忙しくなるのだ。

忙しくなると悟空と一緒に夕食を食べると言う小さな約束ですら守れなくなってしまう。
そうなれば必然的に三蔵と顔を合わすことが出来なくなる。
朝、目覚めれば既に三蔵の姿はなく、夜は悟空が眠ってからしか三蔵は戻って来ない。
その上、忙しいからと執務室に近寄ることさえ許されなくなるのだ。

悟空は申し訳なさそうな笙玄の顔を見ながら三度の食事を摂り、日暮れが早くなった日中を所在なげに過ごす。
それでも少しでも時間に余裕があれば、夕食を一緒に三蔵は食べてくれる。
だが、そう言う時に見る三蔵は不機嫌全開の様子で、いつもならたわいもない悟空の話に耳を傾けてくれる余裕さえない。
ただ無言で流し込むように食事をして、悟空が食べ終わるのを待たずにまた、仕事に戻って行ってしまうのだ。
それが分かっているから、笙玄の言葉に素直に頷けないのだった。

「俺…風呂入ってくる…」

両手で抱いていたクッションを床に軽く叩き付け、悟空は湯殿へ駆けて行った。
それと入れ違いに、三蔵がのそりと寝所に戻ってきた。

「お帰りなさいませ」

笙玄の出迎えに三蔵は軽く頷くと、倒れ込むように窓辺の長椅子に座った。
背もたれに身体を預け、疲れ切った吐息を零す。

「……サルは?」
「今、お風呂に…」
「そうか」

ことりと笙玄が机に置いた湯呑みを一瞥して、三蔵は目を瞑った。
途端、泥のような疲労と眠気が押し寄せてくる。
が、まだ仕事が残っている。
今日も、いや、今夜も夜中までかかるだろう。
また、長い夜の大半を一人にしてしまう。

悟空が淋しい思いをしているのは分かっている。
大地が諦めもせず、悟空を呼び戻そうとその手を伸ばしていることもちゃんと気付いている。
悟空がその温かな腕に淋しさに負けて引きずられそうになっていることも理解している。

だが、仕事に追い立てられて、どうにも上手く歯車が噛み合わない。
忙しさにささくれてしまった神経は、悟空の顔を見るだけではその棘を納めてはくれない。
反対に、もの言いたげに見つめてくる金瞳に苛立ちが募ってしまう。
気遣ってやらねばいけない季節だというのに。
悟空の手を握っていてやらなくてはいけない季節だというのに。
何て不様な状態だろう。
不安定な悟空を更に不安定にして。



 余裕ねぇな……



無意識に浮かぶ自嘲の微笑に、三蔵は深いため息を吐いた。





     *****





温かい湯に浸かって、少し気分の晴れた悟空が湯殿から戻ってきた時、居間の長椅子で三蔵がうたた寝をしていた。
驚いてその場に立ちつくしていると、笙玄がぽんと悟空の肩を叩いた。

「笙玄…あれ……」

どうしようと、困ったような顔で笙玄を振り返れば、笙玄は何も言わず穏やかな笑顔を浮かべて、人差し指を自分の口元へ当てた。
そして、悟空に毛布を差し出し、声に出さずに「おやすみなさい」と告げると、自室へ下がって行った。

悟空は手渡された毛布と長椅子に身体を窮屈そうに預けて眠る三蔵を何度か見比べた後、そっと三蔵の傍らへ近づいた。
そして、毛布を広げると三蔵へと着せかけた。
見下ろす寝顔に堪った疲れが濃い影を落としている。
こうして無防備にうたた寝をしてしまうほど、三蔵は疲れ切っているのだ。
悟空はしばらく三蔵の顔を見つめた後、徐にその身体を抱くようにして長椅子の端に腰を下ろした。

淋しくて、人恋しくて、三蔵に傍に居て欲しくて不安定になった気持ちが、嘘のようにしゃんとなった。
それが疲れ切った三蔵の姿が引き金だと言うことがちょっと情けないが、悟空は仄かな笑顔を浮かべた。
膝に載せた三蔵の頭に唇を寄せて、悟空は小さく呟いた。

「さんぞ…ごめん…」

その呟きに、眠っているはずの三蔵の口元が微かに綻んだのだった。



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