降り積もる雪のようだとその花を見たとき思った。 もうすぐあの人と出逢った日が来る。
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春の雪 |
今年は春の訪れが遅い。 いつもなら既に咲き終わっているはずの梅がようやく満開の時期を終え、今、沈丁花やコブシ、木蓮が盛りと華開いている。 そんな傍らで、椿の花がひっそりと咲き、レンギョウが黄色い花弁を揺らしていた。 まだ、冬の衣を色濃く纏う冷たい空気の中、悟空はようやく堅かった蕾が綻び、薄く色付いた桜の木を見上げていた。 「もうすぐ、だよな」 一杯に膨らんだ桜の蕾に笑いかけ、悟空は枝の隙間から見える蒼天に視線を移した。
悟空が三蔵と暮らし始めて何年経っただろう。 誕生日が欲しいと強請ったあの日、三蔵は悟空に誕生日をくれた。 それからたくさん、哀しいことも辛いことも、嬉しいことも楽しいことも、本当にたくさん三蔵の傍で経験した。 旅を終えて長安に戻ってからも、三蔵との生活に目に見える変化は訪れなかった。
そう、あの日までは───
自分の体調に無頓着で、無理無茶をしてきた三蔵の身体は、いつの間にか深く病に冒されていた。 その病院で三蔵の身体を診察した医者に、手遅れになる寸前だと三蔵は酷く怒られ、その場で入院と相成った。 三蔵が冒された病は治る見込みのあまり無い病気であった。 寺院に戻ってから暫くして、三蔵は小さな僧庵に悟空とともに移り住んだ。
秋には桜の紅葉を背景に秋に咲く草花が彩りを添え、冬には寒椿やサザンカの花が雪の白さに色を写した。 そして、迎える春。 「三蔵、元気?」 寝台に半身を起こし、新聞を読んでいた三蔵を伺うように、寝室の戸口から悟空は顔を覗かせた。 「悟空…?」 名前を呼べば、悟空は顔を上げて、また笑った。 「今日は気分いい?」 三蔵の答えに悟空はふわりと笑って、身体を起こし、三蔵の寝台の足許に座った。 昨日までの温かさが嘘のように今日は冷え込んで、その冷え込みに三蔵は体調を崩し、寝台に伏せっていた。 「なあ、なあ、庭の桜…白雪っていうのが咲いて、満開になったら花見しような」 三蔵の膝に両手をつき、顔を覗き込むようにして悟空は三蔵に強請った。 「ああ…もう、わかった。わかったから喚くな」 そう言いながらも頷いたのだった。
約束を交わした日から悟空は毎日、白雪の花がいつ咲くか、いつ満開になるかと、木の下に行っては蕾の様子を覗くようになった。
その聲は本当に嬉しそうに悟空を、大地の御子を呼んでいた。 「……うそ」 寝ぼけた頭が一瞬で晴れ渡るが、その白が桜の花だと気付くまで暫く時間がかかった。 ひやりとした空気の流れに三蔵は目覚め、隣で寝ているはずの悟空の姿が見えないことに気付いて、身体を起こした。 一通り僧庵の中を巡った三蔵は、庭に面した部屋の扉が開いて、白いものが舞い込んでいることに気が付いた。 視界を覆う真っ白な花。 三蔵は声もなく、悟空と真っ白な花の景色を見つめていた。 と、気配を感じたのか悟空が三蔵の方を向いた。 「さんぞ──っ!」 大きく手を振った悟空はまるで主人を見つけた子犬のように三蔵の傍に駆けてくると、三蔵の手を取った。 「咲いた。満開だよ、三蔵。ほら、こっち来て」 三蔵は悟空に手を引かれるまま庭に下り、白い花を咲かせる木の下に立った。 「…白雪って名前、この花に付けられたんだな。な、桜なのに真っ白だ」 悟空の言葉に頷きながら、三蔵はたわわに咲いた花の枝を見上げた。 何も言わず木を見上げる三蔵の横顔を悟空は見やった。 病の所為で以前より痩せ、その存在の透明度を増したように見える。 「なあ…三蔵」 悟空の声に三蔵は夢から覚めたように何度かまばたき、悟空へ顔を向けた。 「あのさ、来年も再来年も…その次ぎも、さ、こうして二人でこの桜見てさ、そんで八戒や悟浄達とここで花見しような」 見返してくる金瞳は初めて出逢った頃から変わらずに真っ直ぐで、強く、真摯だ。 「…そう、だな」 そう言って仄かに笑った。
遠からず別れはやってくることだろう。 舞い落ちる白い花弁が、あの雪のように全てを覆い尽くそうとも───── 出逢った奇跡は揺るがない。
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