日暮れが子供の帰宅を促す。
足早に訪れる日暮れが子供を急き立てる。
はらはらと舞い落ちる色付いた木の葉の雨の中、悟空は山の端に沈もうとする太陽を見つめて、動こうとはしなかった。
「さんぞの・・・バカ・・」
呟いた声は少し揺れて、見つめる瞳は微かに潤んでいた。
秋 宵
その日は、珍しく仕事先へ三蔵は悟空を連れて行ってくれた。
仕事の行き先は、紅葉に染まった山の中の小さな寺だった。
小さいながらも寺の格式は高く、寺を統べる僧正の人柄か、山自体の霊力か、澄み渡った気が山全体に満ちていた。
大地の精霊である悟空にとってこの山の清浄な気は、悟空の疲れた心身を癒すだろうと、三蔵なりに考えてのことだった。
三蔵の思惑通り、悟空は山に入るなり、酷く安心しきった顔を三蔵に見せた。
「さんぞ、気持ちいいな、ここ・・・」
大きく深呼吸して、嬉しそうに三蔵を見返す。
「そうか」
返される返事に悟空は頷いた。
「うん。ここは綺麗なんだ」
「何が?」
「・・・んっ、わかんないけど、感じるよ」
両手を突きだして、思いっきり躯を伸ばす。
「山がね、喜んでる」
嬉しそうに言う悟空に三蔵は何も言わず、先へ進む。
「あ、待ってよ」
慌てて悟空は三蔵の後を追った。
「な、なあさんぞ、山が言うんだ。俺の全部を綺麗にしてくれるって」
「?!」
三蔵は悟空の言葉に、何をこいつはまた、突拍子もないことを言い出すんだと、言わんばかりの顔で振り返った。
「あ、信じてねぇな。ほんとに山の声が聞こえるんだ」
ぴくっと三蔵はその言葉に微かに震えた。
「山が?」
「うん、山が言うんだ」
「何て?」
三蔵の胸に黒い影が広がる。
「俺、何も汚れてねえけど、山が還って来るためにはここにいて、綺麗にならないとダメだって」
「還る・・・だと?」
「うん・・・」
すっと、三蔵の纏う空気が冷えた。
悟空は翳った三蔵の表情に不安が頭をもたげるのを感じた。
清浄な汚れない大地のオーラの満ちた場所。
それは悟空を健康にするだけでないことを三蔵は思い出した。
悟空が大地母神の愛し子であること。
隙あらば大地が悟空を取り戻そうとしていることを。
大地の霊気が強いと悟空はその意志に同調しやすくなる。
そんなことは解りきっていたのに。
「さんぞ?」
不安げに呼ぶ悟空に一瞥を投げると、三蔵は何も言わず、歩き出した。
急に機嫌の悪くなった三蔵に戸惑いながら、悟空は三蔵を呼んだ。
「さん・・ぞ?」
悟空の頼りなげな声に先を行く三蔵が立ち止まった。
「さんぞ、どうしたのさ。お、俺・・・」
立ち止まった三蔵に悟空は、ゆっくりと近づいた。
白い法衣に触れようと伸ばした手を不意に掴まれ、悟空は三蔵の腕の中に抱き込まれてしまった。
驚いて腕の中から顔を上げると、噛みつくような口づけが降ってきた。
「んっ・・・やぁ」
逃げようとする小さな躯をさらに力を入れて抱きすくめ、後ろ頭を押さえて、三蔵は貪るように悟空の口腔を犯した。
息つく間のない三蔵の口づけに悟空は息苦しさを覚え、三蔵の躯を叩いたが、口づけは止むことなく、角度を変えて深くなるばかりだった。
抗議の手は次第に法衣にすがりつき、やがて躯から力が抜けて、
「ん・・ふぁう・・」
甘い吐息が漏れ、華奢な躯が快感の熱に犯され、疼きを覚えるまで口づけは続いた。
一人で立てなくなった悟空を抱き上げると、道を逸れ、山の中へ三蔵は入って行った。
道が見えなくなった辺りの落ち葉の積もった木の根元に悟空を下ろすと、覆い被さった。
「へっ?!あっ・・・やっ!さんぞ、ヤダ!!」
首筋に落とされる口づけとシャツをたくし上げて直に触れる三蔵の手に、三蔵の口づけで意識に霞がかかっていた悟空は自分を取り戻し、これからされる行為を知って暴れた。
「さんぞ・・やめてよ。・・・ヤダ・・やっ」
覆い被さった三蔵の躯をどけようと力の入らない手で押す悟空の抵抗に構うことなく、三蔵は行為を続けた。
知り尽くした悟空の躯のこと、快感を紡ぎ出すことなど三蔵にとって造作もないことだった。
「やぁ・・・ああ、ん・・・」
深くなる行為に、暴れる躯は次第に快感に震え、拒絶の言葉は甘い嬌声に変わってゆく。
落ち葉の褥で三蔵の与える快感に甘い声を上げる悟空の姿に、三蔵は暗い喜びを感じていた。
───還すものか。こいつは俺のものだ
ひときわ高い声を上げて悟空は上り詰め、意識を飛ばした。
そのすぐ後に三蔵も上り詰める。
行為の激しさに気を失った悟空から離れた三蔵は乱れ、申し訳程度に服を纏い、白い肌に紅い華を散らした華奢な躯を見つめた。
大地のオーラが生んだ大地の愛し子。
いつも、いつも不安になる。
悟空が、大地と会話するたびに。
大地が悟空を取り戻そうと、誘いをかけるたびに。
その不安を打ち消すために。
自分のものだと実感するために。
何より大地から引き離すために悟空を抱く。
人間の欲にまみれてゆく精霊は、その汚れによって大地へは戻れない。
そんなことまで考える。
目も眩むような独占欲。
だが、三蔵がいくらそう考えていても、きっと還ることは悟空の意思一つなんだろう。
そう思うと、邪険に悟空を扱う己の行為に三蔵は後悔する。
それでも、自分の気持ちに素直になれない。
それを何より悟空が、望んでいることだと解っていても。
そのジレンマに苦々しく舌打ちすると、気を失い、そのまま寝入ってしまった悟空をそのままに、三蔵は仕事先の寺へ向かった。
日が傾く頃、寒さで悟空は目覚めた。
抱かれた後の姿のまま、悟空は気だるい躯を起こした。
「・・・さんぞ」
周囲に三蔵の気配は無かった。
あんな三蔵は知らない。
あんな乱暴な行為も知らない。
側に居て欲しいのに・・・・置き去りにされた。
「・・ふぇ・・さんぞぉ」
その心細さに悟空は泣き出してしまった。
悟空の泣き声に引かれるように、鳥達が集まってきた。
鳥達に混じり、リスや狸、狐、山に棲むもの達が集まってくる。
皆が泣きじゃくるしどけない姿の悟空を宥めるように肩に止まり、頭に止まり、鼻をすり寄せる。
そのぬくもりに悟空はようやく泣きやむと、顔を上げた。
自分の回りを山に棲むもの達がぐるりと取り囲んでいることに驚いて、金の瞳を見開いた。
が、すぐに嬉しそうに笑った。
悟空の笑顔に取り囲んだもの達が安堵する気配がする。
「ごめん・・・心配してくれたんだ」
膝の上の狸を一度抱きしめ手を離すと、乱れた服を着だした。
抱かれた残滓が色濃く躯の奥に残っていたが、いつもと違った三蔵の様子を思い出して、悟空はそのまま服に袖を通した。
紅葉の錦に彩られた山は、日暮れと共に秋の終わりを告げる冷気が満ちてきていた。
悟空は気だるい躯を持ち上げるように立ち上がると、山の奥へ向かって歩き出した。
歩き出した悟空に皆、後を付いて行きながら、それぞれのねぐらへ戻ってゆく。
悟空は身軽く木立を抜け、道のない枯れ葉に覆われた斜面を山の頂上に向かって登って行った。
「誰かが、呼んでる?」
不思議そうに首を傾げながら先へ進み、程なくして頂上に出た。
そこは小さな広場のような平らな地面が広がり、その真ん中に椛の巨木が広場を覆うほどに枝を広げていた。
「すげぇ・・・」
紅く色付いた葉、黄色に色づいた葉、緑を残す葉。
緑から紅へと変わるその色の美しさ。
その彩りに悟空は見惚れた。
山全体が大地母神の愛し子を迎えた喜びに輝いていた。
悟空は引かれるままに椛の巨木に近づくと、その幹を抱きしめるように腕を廻した。
「こんにちは。呼んでた?」
悟空の問いかけに椛の枝が、ざわざわと葉ずれの音を響かせる。
「うん、ここは綺麗だね」
頷きながら悟空は巨木の根元に座った。
背中は巨木の幹に預ける。
「還ってこいって、言うんだ。でも、ダメだよ。だって、三蔵がいるんだよ」
背中の巨木が震えた。
「ダメだって。俺は三蔵の側にいるんだ。俺がそう決めたんだから、何言っても無駄だよ」
幸せそうに笑う。
「えっ?三蔵が意地悪だって?何でさ」
椛の葉が、葉ずれの音を訴えるように響かせる。
その音がするたびに、はらはらと色づいた葉が舞い落ちる。
「・・・あ、あれは、さっきのは・・・意地悪なんかじゃなくて・・・・」
誰に言い訳しているのか、頬を染めて悟空はきょろきょろと周囲を見回した。
悟空の周囲には、何も、誰の気配もない。
ただ、優しい清浄な山の気が満ちているだけだった。
悟空は巨木にもたれたまま、暮れかかる空を見上げた。
「・・・さんぞ・・・」
仕事が終わり、控え室で三蔵は何本目になるか解らない煙草に火を付けた。
煙草の吸いすぎで喉が痛かったが、吸ってないと他のものに当たり散らしてしまいそうで、吸うという行為を止められなかった。
ここへ来る途中、怒りと衝動のままに悟空を抱いて、冷めやらぬ気持ちを気を失った悟空にぶつける形で、あの場所に置いてきてしまった。
後始末もせず、素肌を晒したままの悟空を。
目を覚ましたとき、置き去りにされた事を知れば悟空は泣くかも知れない。
泣けば、この山の大地に属するものが子供を慰めるだろう。
この山は、そういう所だ。
解っていたはず。
知っていたはず。
この時とばかりに、大地が悟空を連れ戻そうとする事を。
その誘いに悟空が頷かないことも。
それでも例え本心でなくとも、あの口で”還る”などと、言わないで欲しい。
そう思う自分が、情けない。
悟空の言葉を信じ切れない自分がいる。
言葉なんて、いくらでも取り繕えることを知っているから。
だから、まっすぐな悟空の言葉も信じられない。
信じたいのに。
もみ消す煙草の紫煙の向こうで、足早な日暮れが始まっていた。
椛の巨木との会話の中で、悟空は今更ながら三蔵の気持ちに気が付いた。
三蔵も不安なのだと。
何時、自分が大地に還ってしまうのか。
何時、三蔵の側を離れてしまうのか。
そんなことは決して無いのに。
三蔵にいらないと言われても、離れないのに。
いつも一緒にいるって、言ってるのに。
悟空と同じように三蔵も不安を抱いているのだと、解ってしまった。
先程の行為の意味も。
「さんぞの・・・バカ」
三蔵の抱く不安。
それは悟空の言葉を心から信じていないこと。
自分の気持ちに偽りは無いのに。
気付いたことが悲しくて。
知ってしまったことが辛くて。
沈んでゆく秋の日が、悟空の帰宅を促す。
「・・・バカ・・・少しはちゃんと信じてくれよ。でなきゃ俺、どうして良いかわかんないだろ・・・さんぞ」
膝を抱えて踞った悟空の小さな躯を覆い隠すように木の葉が舞い落ちる。
様々な色の木々に見送られて、もうすぐ日は落ちる。
「さんぞ・・・のバ・・カ」
日暮れが始まって間なしに三蔵は寺を後にした。
麓まで送るという申し出を断り、一人山を下り始めた。
見送る人影が見えなくなった途端、三蔵は横道に逸れ、山の頂上へ向かいだした。
「・・・わかったから、もう・・わかったから・・・」
仕方ないような、切ないような声音で呟くと、足を速めた。
しかし、下草が足を取り、張り出した枝が行く手を遮る。
三蔵はからみつく下草を引きちぎり、目の前を遮る枝を打ち払って先へ進んだ。
「邪魔するな」
悟空に会わせまいとする山の意思をその身に感じて、三蔵は苛立つ。
「あいつが呼んでるんだよ」
誰にともなく訴える口調に焦りが滲む。
払った枝が頬を打つ。
「・・・つっ!」
自分を呼ぶ声が、切なすぎて。
響く声が愛しくて。
───悟空・・・
弾かれたように悟空は顔を上げた。
日は落ち、辺りは薄暗い。
が、悟空の金色の瞳はじっと、自分の右手の木立を見つめていた。
見つめる先の木立は、薄闇に閉ざされ、何も見えない。
それでも、何かを待つように、何かを期待するように悟空はその木立を見つめ続けた。
「・・・・・!!」
しばらくすると、微かに白い影が見えた。
悟空はよろよろと立ち上がると、その影に向かって足を踏み出した。
そうするうちにも影は近づいてくる。
一歩一歩踏み出す足は、最後には駆けだしていた。
遮る木立に傷つけられながら、三蔵は山の頂上に出た。
日暮れた薄闇の中、走ってくる小さな影が見えた。
その影を認めた途端、三蔵も走り出していた。
木立を抜けた瞬間、小さな影が飛びついてきた。
「三蔵!」
「・・・悟空」
飛びついた悟空の躯を受けとめるなり、きつく三蔵は抱きしめた。
「さんぞ、さんぞぉ・・・」
名を呼び、しがみつく悟空に愛しさが募る。
抱きしめてくれる三蔵のぬくもりに淋しさが溶けだしてゆく。
二人はお互いの存在を確かめるようにじっと抱き合っていた。
宵闇が夜のとばりに変わる頃、ようやく二人は躯を離した。
「・・・信じてよね。俺、どこにも行かないから。ずっと、三蔵の側にいるから」
ぎゅっと三蔵の法衣を握りしめ、まっすぐに紫暗を見つめる金の瞳に迷いはなかった。
「ああ・・」
三蔵が頷く。
見返す紫暗を揺らして。
「信じてよね」
「・・・ああ」
法衣を握る悟空の手に自分の手を重ね、三蔵は何度も念を押す悟空に頷いた。
そして、
「・・・離さねえよ」
悟空の耳元でそう告げると、柔らかな口づけを落としたのだった。
冬の声が聞こえる秋の盛りの日。
確かな気持ちに変わった日。
end
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