最近、三蔵は働き詰めだった。


休みがない。
疲れた。

悟空の顔も寝顔しか見ていない。

幾ら立て込んでいるとは言っても、限度というモノがある。
我慢も限界を超えていた。




Lay a snare




「笙玄、てめぇ何か俺に恨みでもあるのか?」

仕事の多さに堪りかねた三蔵が、イライラと最近すっかり量の増えた煙草を吹かしながら、用の済んだ書類を整理している笙玄に訊いた。

三蔵がこんな事を口にする・・・それは珍しいことで、一瞬、笙玄は我が耳を疑ったが、苦虫を盛大に噛みつぶしたような三蔵の顔を見て、それが事実だと認識する。
しかし、”恨み”とは・・・思い当たる節が三蔵には、在るらしい。
ここ最近の三蔵の所行を思い出し、笙玄はつい先日の事に思い至った。



その時三蔵は、皇帝からの勅使との謁見をすっぽかし、日がな一日悟空共々、寺院から姿を隠したのだ。
お陰で笙玄は、僧正達から散々文句と嫌みを言われ、関係ない悟空に対する罵倒まで聞かされた。
それは笙玄にとって、僧正達の悪口雑言を聞くのも三蔵の側係としての勤めの一つで、聞き流すことに何の躊躇もないが、三蔵の行動に巻き込まれる形で一緒に居た悟空を悪し様に言われることには、我慢がならなかった。
で、いつもなら悟空が寂しくならない程度に三蔵の仕事を配分する作業を、今回に限り笙玄は止めたのだった。
三蔵でなくても処理できる仕事まで、何食わぬ顔で三蔵本来の仕事の中に紛れ込ませ、その量を水増ししていたのだ。
仕事の量が増えている、そのことに三蔵は気付いていたらしいが、何も言わず、ただ、眉間の皺を深くしながら仕事をこなしていた。



それがもう一週間。



そろそろ忍耐も限界に来たらしい。
笙玄は、溜飲の下がる思いを味わいながら、三蔵の顔を見た。

「いいえ、何か私が恨むようなことを三蔵様は、なさったのでございますか?」

しれっと、聞き返す笙玄の笑顔が、忌々しい。
三蔵は、笙玄の穏やかな笑顔を睨め付けるが、答える言葉が出ない。
そのことが三蔵のイライラを募らせて行く。

そうなのだ。

この目の前で人好きのする笑顔を湛えている側係が、実はとても食えない人間で在るという事を、三蔵は身に染みて知っていたのだ。
このまま禅問答のような会話をしていても疲れるだけだし、何より口でこの側係に叶うはずもなかった。
三蔵は、煙草を吸い殻が山になった灰皿に押しつけると、立ち上がった。

「三蔵様?」
「トイレだ」

投げ捨てるように笙玄にそう告げると、個室に向かった。
その後ろ姿に疲労が濃いのを見て取った笙玄は、その顔を僅かに曇らせた。

「ちょっとご負担が大きかったでしょうか…」

ただでさえ細い三蔵の身体がまた少し細くなったような気までしてきて、笙玄は後悔を覚えた。
そして、今朝の悟空の様子を思い出し、そろそろ潮時だと思った。

「何事もやりすぎは良くありませんね」

そう呟いて、笙玄は三蔵の裁可のくだった書類を束ねると、執務室を後にした。






個室に座って三蔵は、笙玄から逃げる算段を始めた。

今回のことでわかったことは、悟空を巻き込むとろくな事にならないと言うことだった。
ならば悟空を巻き込まなければ良いのだが、あの愛しい小猿を片時も離したくない気持ちがあるのも事実で、三蔵は笙玄にばれないように悟空を連れ出す方法をも考えなければならなかった。

「マジ、頭痛えな…」

結局、良い案が短時間で浮かぶはずもなく、三蔵は個室を後にした。






執務室へ戻ってみれば、山積みだった書類が、気持ち減ったような気がした。
腑に落ちないと、その柳眉を顰ませて、三蔵は書類の山を繰ってみた。
パラパラと見た分には何の変化も見られなかったが、確かに減っていると三蔵の記憶がそう言っていた。

何で、減って…

気が付いた。

「…やろう、笙玄」

やってくれたのだ、あの側係は。

何が気に入らなかったのか、何があいつの怒りを買ったのか、そんなことはどうでも良かった。
ケンカを売られていたのだ。
性分として三蔵は、売られたケンカは言い値買い取り、もしくは高値買い取りと決めている。
ならば、笙玄が売ってきたケンカをどうして安く買わねばならないか。
そんなこと三蔵のプライドが許さない。

「覚えてろよ…」

呟く口元は、嬉しそうにほころんでいた。





















「あ…やっ……ん…」

辿る三蔵の指に悟空は華奢な身体を振るわせて、すがりつく。
己の与える熱に浮かされた悟空の瞳が、金色の艶を放つ。

「…さん…ぞ…」

久しぶりに重ねる身体は、お互いがお互いを貪るように貪欲に求め合う。
三蔵の打ち込む楔に幼さの色濃く残る身体は、弓のようにしなり、歓喜を上げる。

「…も、もう…だめぇ…」

揺すり上げられ、追い落とされ、翻弄されながら悟空は高みへと上り詰め、果てた。
三蔵は、頂点に達した身体の震えに、満足そうな笑みを零すと、今度は、己が高みへと登るために、悟空の身体を突き上げた。

「やぁ…も、許してぇ…ああ…」

冷めやらぬ身体を突き上げる熱に、悟空は三蔵にすがりつき許しを請う。
その仕草にさえ煽られ、三蔵は高みへと上り詰めて行く。
もう一度、悟空の身体は高みへと突き上げられ、果てると同時に、三蔵もまた、己の精を悟空の内に迸らせ、果てた。

「…悟空」

汗と涙に濡れた悟空の顔にそっと、口づけを落とすと、閉じられていた瞳が、鮮やかな金色の花を咲かせた。

「…さんぞ…」

舌足らずに名前を呼ぶ声は掠れていた。
三蔵は、悟空から出ると、そっと、その身体を抱き込んだ。
しっとりと汗に濡れた体の冷たさが、心地良い。

「悟空、お前、笙玄のことは好きか?」

三蔵に珍しく、身体を重ねた後の優しい行動にうっとりしていた悟空は、三蔵の思いも掛けない言葉に腕の中から顔を見上げた。

「どうだ?」
「え、あっと…好きだよ。でも何で?」
「そうか。なら、態度で示してやれ」
「態度?」

三蔵の言葉に思わず、三蔵の顔を覗き込む。
そこには、楽しいことを思いついた嬉しそうな紫暗があった。

「何、考えてるの?」
「何も」
「ウソ、なんか三蔵、楽しそうじゃん」
「そうか?}
「そー見える」
「なら、楽しいんだろ」

ほころんだ表情のまま、三蔵は悟空の上にもう一度、覆い被さった。

「さんぞ、まだ…」
「朝まで、楽しませろよ」
「…エロぼーず…んっ」

重ねられた唇の甘さに、悟空の抗議は飲み込まれた。





















笙玄は、戸惑っていた。

可愛い悟空の態度に。
三蔵の穏やかさに。

自分を好いてくれるのは嬉しい。
三蔵が不機嫌でなく、仕事を精力的にこなすのは嬉しい。
嬉しいが、その行動に本当に戸惑っていた。

悟空はスキンシップが大好きだ。
不安な時、嬉しい時、悲しい時、何かあると三蔵に触れている。
それに対して、三蔵はスキンシップというか、他人に自分の身体を触れられるのが嫌いだ。
信者達がその身体に触れようと手を伸ばしても、触れられぬぎりぎりの場所に立って、一般参賀を行う。
笙玄ですら、よっぽどのことが無い限り、三蔵の身体に触れることは叶わなかった。
が、しかし、普段の機嫌が不機嫌で当たり前の三蔵が、終始穏やかな顔で笙玄の示す通りに仕事をこなし、普段なら嫌がって絶対しない一般信者への説法会に顔を出し、あまつさえその身体に触れることを許しているのだ。

どうなさったのでしょう…

目を剥くような三蔵の仕事への姿勢の変わりよう、照れて恥ずかしくなるような悟空のスキンシップに笙玄は、深い深いため息を吐くのだった。





















風呂から上がった悟空は、タオルで濡れた髪を拭きながら、窓辺の長椅子で新聞を読みつつ、ビールを飲んでいる三蔵の元へ行った。

「なあ、何か笙玄、変だぞ?」

バスタオルを首に掛けて、悟空は三蔵の横に座る。

「どこが?」

新聞から顔も上げずに三蔵が、聞き返す。

「んーっと、何か困ったような顔をしてるかと思うと、すっげぇ嬉しそうだったり?そわそわしてたり、物思いにふけってたりぃ…」

悟空の言葉を聞きながら、三蔵は口元が緩んでくる。
が、気付かれないように、ビールで口を掻くし、悟空の話の先を促してやる。

「別に変じゃねえぞ」
「変なんだって。そのぉ…余裕が、ないっての?そんな感じ」
「余裕だぁ?」

三蔵の呆れた声に悟空は、ぷうっと頬を膨らます。
そして、

「笙玄って、いっつも優しく笑ってるじゃん。その笑い顔が俺好きなのに、この頃そんな風に笑ってくれないんだよ」

そう、寂しそうに告げた。

「それが何で笙玄の余裕になる?」
「暖かくて、ちょっとした事じゃ驚いたり、騒いだりしないで、『困りましたねえ』って、笑うじゃん。だから余裕って…さ」
「なるほど」

悟空の言うことに、納得を覚え、悟空の告げる最近の笙玄の様子に三蔵は、内心ほくそ笑む。
だが、目の前の小猿は、普段と少しずつ様子が異なってきた笙玄に対して、小さな不安を覚えているようだった。
やりすぎは、今の快適とは言い難いが、それなりに波風の立たない生活の破綻を意味する。
それでは元も子もない。
笙玄が無意識で売ったであろうケンカを三蔵が、買った。
だが、それは一週間休み無く、寝る間も無く働かされた仕返しに過ぎず、手元から笙玄を離すためのモノでは無かった。

引き際を間違えないようにしねえとな…

そうは思っても、笙玄の懲りた顔を見たい三蔵であった。



「俺が、笙玄のこと好きだって、態度で表すから変なのかな」

タオルの端を弄びながら、悟空が三蔵に伺いを立てるように見やる。

「どんな風にやってんだ?」

興味の湧いた三蔵が、悟空の「態度で示す大好き」の様子を訊く。

「どんな風って、ぎゅってしたり、ほっぺにちゅうしたり、すりすりしたり…」

悟空の予想通りの答えに、三蔵は思わず口元が緩む。
掛け値なしに、心から笙玄を好きだと告げ、体中でその気持ちを表す悟空に笙玄が振り回されている様子が目に浮かぶ。
そして、この小猿を溺愛している笙玄が、やに下がっている顔を思い浮かべ、三蔵は笑いが込み上げて来るのを止められなかった。

三蔵が、面白そうに肩を揺らして笑っていることに気が付いた悟空は、むうっと、頬を膨らませて、三蔵にくってかかった。

「何だよ!三蔵が態度で示せって言ったんじゃんか。なのに、何で笑うんだよ!」
「な、何でもねぇ…」

笑いをこらえながら三蔵はそう言うのが精一杯で、悟空の機嫌を直すまでには至らない。
悟空は、笑うことを止めない三蔵にじれて、肩に掛けていたタオルで、三蔵を叩いた。

「三蔵のバカぁ!」

タオルは見事に三蔵の顔にヒットし、そのきれいな頬が微かに赤くなった。

「っつてぇ…」
「あ…っ」

思わず顔を押さえた三蔵に悟空は、しまったという顔をする。

「てめぇ…」
「ご、ごめん、さんぞ、ゴメン!」

慌てて謝る悟空の腕を掴むと、三蔵は自分の前にその身体を引き据えた。
見上げる紫暗の瞳が、怒りに染まっているのを見た悟空は、思わず目を瞑る。

「覚悟しろ」
「えっ?」

言うが早いか、三蔵は引き据えた悟空の身体を軽々と担ぎ上げると、

「一晩、償ってもらう」

そう言って、楽しそうに笑った。





















三蔵が殊勝に仕事をこなし、悟空が笙玄大好き攻撃を始めて、一週間、遂に笙玄は耐えきれなくなった。

彼には珍しく、酷く疲れた顔色で三蔵の寝所に姿を見せた。
そのあまりな様子に、悟空はびっくりして笙玄にすがりつく。

「どうしたの?どっか具合悪いの?ここに座って」

おろおろと笙玄の傍に食卓の椅子を持って来て、座るように勧める。

「ありがとうございます」

引きつった笑い顔を浮かべて、笙玄は悟空の差し出した椅子に座った。
三蔵はそんな笙玄の様子をしてやったりと、内心高笑いの状態で、表面上は無表情で見ている。

「三蔵…様、あの…」

恐る恐る笙玄は、目の前の長椅子に座る三蔵を見やって、口を開いた。
その声に三蔵は、ちらりと目を向けただけで、何も言おうとしない。
悟空は、青ざめた笙玄のために、厨から水を汲んで来ていた。

「笙玄、ほら、水」
「あ…すみません、悟空」
「うん、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ」

笑う顔が、どう見ても引きつっているのに悟空は、心配そうに顔を曇らせる。
三蔵は、悟空の表情に微かに眉根を寄せた。

ヤリ過ぎか?

小猿の曇った顔は、三蔵とて見たくはない。
笙玄を前に顔を曇らせている悟空の様子に、三蔵はほんの少し後悔をするが、疲れ果て、憔悴した笙玄の顔を見れば見るほど、溜飲が下がった。

そんな三蔵の心の内など笙玄は知らず、意を決したように改めて三蔵に向き直ると口を開いた。

「三蔵様、一体何があったのでしょう?」
「何だ?」
「いえ、こんな事を申し上げるのはその、申し訳ないのですが、ここ一週間の三蔵様の行動はおかしいです。いつもなら、嫌がられる一般参賀の説法会に休まずお出になったり、一言の文句も仰らずに来客の方々とお会いになったり、一切おさぼりにならずに終始穏やかなご様子での書類の作業…私は、寿命が縮む思いでございました。一体何が、三蔵様をそのように変えたのでございましょうか?」

笙玄の言い様は、失礼千万この上なかった。
黙って聞く三蔵は、日頃の自分の行いを笙玄がどのように見ているか聞かされたようで、内心非常に面白くない。
が、今は、自分が仕掛けた罠に笙玄が十分引っかかり、参っていることを確認することが大事だと、素知らぬふりを決め込む。
が、言うことは、言っておく。

「大概、失礼な奴だな、てめえは」
「あ、そ、それは…」

三蔵の呆れた言葉に、笙玄はしどろもどろになる。

「別に、気が向いただけだ。明日は、知らねえがな」

そう言って、口元を僅かにほころばせる。




悟空は、黙って笙玄と三蔵とのやり取りを聞いていたが、ここに来てようやく、三蔵が考えていたことが理解できた。



そう、三蔵は笙玄を徹底的にからかっていたのだ。



悟空に「笙玄が好きなら態度で示せ」と言って、その行動を焚き付け、自分は物わかりのイイ最高僧を演じていたのだ。
そんな二人に根はまじめな笙玄は一喜一憂して神経をすり減らし、今に至るというのだろう。
でも、と悟空は考えた。
大概、三蔵は笙玄の立てた予定に文句を並べながらも従っている。
それが、何で笙玄をからかうなどという行動に三蔵を走らせたのか。

笙玄、ひょっとして三蔵にケンカ売ったのか?

いや、売ったという言葉はこの際、適切ではない。
先日の「勅使すっぽかし事件」での鬱憤を、三蔵に仕事を押しつけることで晴らした笙玄の自業自得と言えばいいのか。
そんなことが、悟空にわかるはずもない。
だからといって口を挟んで、あえて波風を立てるという考えるだに恐ろしい行動を取ることなく、悟空は二人の様子を固唾を呑んで見守った。




「き、気が向いただけ、でございますか?」
「ああ、だったら、何だ?」
「よかったぁ…」

三蔵の言葉に笙玄は、心底ほっとした表情になる。
三蔵は、そのあまりな安堵の仕方に、僅かに瞳を見開いた。

「どうして?」

悟空も笙玄の安心した様子に、驚きを隠せない。

「いえ、三蔵様が心を入れ替えになって、まじめになられたのかと、生きた心地がしなかったのです。ああ、これで、明日から安心して仕事が出来ます」

そう笙玄は嬉しそうに笑うと、立ち上がった。
あっけにとられている三蔵と悟空に、、

「お休みなさいませ」

と、百年の憂いが取れたようなすがすがしい顔で挨拶すると、足取りも軽く寝所を出て行った。

「さんぞ…」
「喧しい…」
「で、でも…」
「それ以上何か言ったら、ぶっ殺す」

笙玄の出て行った扉を見つめたまま、三蔵と悟空はしばらく動けなかった。



その夜、八つ当たり気味に三蔵に抱かれた悟空は、翌朝も三蔵に離してもらえず、日がな一日、寝台の住人となりはてた。
三蔵は、寝所から出ることもなく、今までの物わかりのイイ最高僧の演技の揺り戻しのように、笙玄を振り回し、困らせた。

そして、今後一切、笙玄をからかうのは止めようと三蔵は誓ったとか、誓わなかったとか。



全て世は、事もナシ。




end




リクエスト:三空で、三蔵が誰かに罠をかける寺院時代のお話
11000 Hit ありがとうございました。
謹んで、坂巻ナオ様に捧げます。
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