ねえ、ふかふかのお布団って
お日様の匂いがするね
ふわふわ雲にのって
空を飛んでいくみたいだね
ねえ、気持ちいいね
Spongy
朝から三蔵の側係の笙玄は忙しく立ち働いていた。
この時期特有のしとしとと降り続く長雨の所為で洗濯物は山のように溜まり、
大切な三蔵と悟空の褥は湿って、きれい好きの笙玄にストレスを提供していた。
三蔵一人ならば洗濯物も敷布も掛布もそれほど溜まらないのだが、
如何せん、ここには元気な小猿が一匹いた。
この小猿、雨であろうが外へ遊びに出ていく。
必然的に服は汚れ、着替えも増える。
それは洗濯物を増やす以外の何ものでもなく、笙玄のストレス指数を上げるに足る十分な原因の一翼を担っていた。
そのストレスの根本たる原因の雨が昨夜、ようやく上がり、雲一つない晴れ渡った青空が朝から顔を見せていた。
溜まりに溜まったストレスを発散させるように朝から笙玄は布団を干し、山のような洗濯物をものともしないで、鼻歌を口ずさみながら楽しそうに洗濯していた。
その姿を不思議そうに小猿は朝から飽きもせず眺めていた。
そんな悟空を仕事の合間に見る三蔵の胸中は穏やかではなかったけれど、悟空の幸せそうな笑顔を見られるならと、見咎めることはなかった。
笙玄は三蔵の側ご用を勤めだして三年になる、三蔵より十ほど年上の修行僧だった。
彼は、おっとりとしていても言うべき事もすべきこともきちんとわきまえた人間で、人に警戒心を抱かせない不思議な魅力を持っていた。
その所為かどうか、短期間の内に何人も入れ替わりのあった三蔵の側係は、この三年笙玄が勤め上げ、三蔵の信頼を得るまでになっていた。
それは、寺院の僧侶達の大半が悟空を忌むべき存在、不浄の者として見る中で、笙玄はまるで自分の世話の焼ける弟のように悟空と接していた。
上辺だけの、三蔵のご機嫌取りのために悟空に優しくするのではなく、心の内から悟空を可愛がり、時に叱り、時に甘やかし陰日向無く悟空の面倒を見ていた。
誰もが笙玄のその姿勢にいい顔はしなかったが、人なつっこい悟空は彼にとって三蔵と共に大切な存在だったから、何を言われても気にしてはいなかった。
そのことが三蔵の信頼を得る大きな要因となっていることを笙玄に対する三蔵の態度が、雄弁に物語っていた。
当然、悟空もそんな笙玄に懐いていた。
屈託無く笙玄に向ける悟空の笑顔を見るたび、三蔵の胸中は波立つのだが、他意のない親子のような二人の姿に気持ちが和むのもまた、三蔵だった。
洗い上がった洗濯物を物干し場で干している笙玄に悟空は、秘密事を聞き出すようなわくわくした気分で笙玄に話しかけた。
「なあ、笙玄って洗濯好き?」
「はい?」
悟空の声が聞こえなかったのか、笙玄が振り返って”何です?”と言う顔をする。
「あのな、笙玄って洗濯好きなのかなって?」
「はい、好きですよ」
「どして?」
「綺麗になって、いい匂いがして気持ちいいから大好きなんですよ」
悟空の問いに笙玄は嬉しそうに答える。
その笙玄の返事に悟空は目の前ではためく洗濯された三蔵の白い着物を手に取ると、そっと顔を近づけた。
すると、石鹸の匂いと日向の匂いがして、自然、悟空の顔がほころんでゆく。
「ホント、いい匂いがする。だから笙玄そんなに楽しそうなんだ」
新しいことを見つけたと喜ぶそんな悟空の様子に笙玄は笑みを零すと、
止めていた手をまた動かし、洗濯物を干してゆく。
「悟空、この後、三蔵様のお布団とあなたのお布団を取り込みますから、手伝ってくださいね」
「うん!」
笙玄が声をかけると、悟空は手に持った洗濯物から顔を上げ、元気よく返事を返した。
ふうふう言いながら、太陽の光と熱で見事に膨らんだ布団を悟空と笙玄は寝所に運び入れた。
いっぱいに膨らんだ布団は暖かく、日向のいい匂いがして悟空を幸せな気分でいっぱいにしてくれる。
膨れた布団に埋まるようにしている悟空の姿に笙玄は優しい笑みを零すと、
「悟空、お手伝いありがとうございました」
と声をかけた。
「笙玄もお布団干してくれてありがとうな」
と、悟空が満面の笑みで返す。
「いいえ、どういたしまして。あ、悟空そこで寝ちゃダメですよ。後で寝台にちゃんと敷いてあげますからね」
「うん、わかってる。もうちょっとこうしてから、三蔵のとこに行くから」
「はい」
笙玄は嬉しそうに布団に顔を埋めている悟空を残し、寝所をあとにした。
仕事に少しきりが付いた三蔵は、ふと小猿の姿が見えないことに気が付いた。
朝からずっと笙玄にひっついていた姿が、見えない。
───外にでも行ったか
そう思ったとき、執務室の扉が静かに叩かれた。
「入れ」
三蔵の許しを得て、笙玄が音もなく執務室に入ってきた。
「何だ?」
「お忙しいところを失礼いたします。皇帝陛下の親書をお持ちなられて、庚将軍がお目通りを願っておられますが、お会いになられますか?」
来客を告げる笙玄に目をやった三蔵の顔は、鬱陶しいと大書された文字が見えそうなくらい不機嫌に彩られていた。
「ジジイ共は?」
そう言う言葉の端に、会いたくないという気持ちを多分に滲ませて。
「さあ、勒按様からは何とも伺ってはおりませんが、そのようにお伝えいたしましょうか?」
笙玄は三蔵の気持ちを的確に読みとって、三蔵に確認をとる。
「ああ」
「かしこまりました」
三蔵の返事に笙玄は一礼すると、執務室を辞した。
扉が閉まると同時に三蔵の口からため息が漏れる。
ついで、今日の仕事は終わりだと広げた書類をそのままに執務室を出た。
身体を伸ばすように腕を伸ばして三蔵は、寝所に続く短い回廊を歩きだした。
そして、見るともなしに庭に目をやった。
昼下がりの日差しに雨に洗われた木々の緑が明るく光っている。
回廊を歩く三蔵の金糸を風が揺らす。
明るい日差しの中、楽しそうに野を駆け回っているだろう小猿を思い、眩しそうに瞳を眇めると、三蔵は寝所の扉を開いた。
部屋の窓は開け放たれ、乾いた風と陽の光が射し込んで寝所の中を明るく照らしていた。
三蔵は寝台に腰掛けようとして、布団がそれぞれの寝台の傍らに積み上げられている事に気が付いた。
そして、笙玄が朝から布団を干していたことを思い出した。
三蔵はふと、思いついたように布団に近づき、手を伸ばして触れた。
柔らかな手触りに三蔵の瞳が和らぐ。
───さんぞ、こ、これ、ふわふわしてあったけぇ
初めて日に干した布団に触れた悟空が、嬉しそうに笑っていたことを思い出す。
少し体重をかけて布団を押さえた時、大地色の髪が押さえた布団の向こう側に見えた。
───お日様の匂いがするよ
三蔵は積み上げられた布団を回り込んで覗くと、そこに小猿が幸せそうに眠っているのを見つけた。
「こんな所にいたのか」
その寝顔を見下ろす三蔵の口元が、微かにほころんだ。
しばらく悟空の寝顔を見つめていた三蔵は、悟空を起こさないようにゆっくりその傍らに座り込み、身体を布団に預けた。
干したばかりの布団は三蔵の身体をゆったりと包み込むように受け止める。
───確かに日向の匂いがするな
身体を眠っている悟空の方に向けると、そのまだ幼さの抜けない丸い頬にかかった髪をどけてやる。
すると、くすぐったそうに肩を竦め、布団の中へ潜り込むように身体を丸める。
そんな悟空を見つめる三蔵にも睡魔は訪れてきた。
ゆっくりと、疲れた身体を覆うように。
───ああ、ふかふかだな…
差し込む日差しのぬくもりと干した布団の柔らかさと何より、悟空の穏やかな寝息が三蔵を眠りへと誘う。
やがて深々と布団に身体を埋め、悟空に寄り添うように三蔵は眠ってしまった。
───…暖かいな…
布団を敷きに寝所を訪れた笙玄は、いつもの三蔵からは想像もできないほどの穏やかな顔で、悟空の身体を抱き込むようにして眠る三蔵の姿を見つけることとなった。
ふわふわの布団の海で────
end