三蔵の雨宿り (2003.2.19/寺院時代)
斜陽殿からの帰り、突然の雨に三蔵は近くの木陰に走った。

昼前の日向雨。
狐の嫁入りと言われる、陽ざしの中の銀の雫。

三蔵は幹にもたれて、煙草に火を付けた。
ゆうるりと立ち上る紫煙を目で追いながら、薄曇りの空を見上げる。

雨はか細い銀糸となって、音もなく降り続いていた。

と、小さな鈴の音が聞こえた。

「…?」

足下の柔らかな感触に目を向ければ、薄い灰色の毛並みの子猫が小さな身体を三蔵の足にすり寄せていた。
煙草をくわえたまま、子猫を抱き上げると、ちりんと小さな鈴の音が聞こえた。
それは子猫の首に赤い紐で結ばれた金鈴の音。

「お前、どこの猫だ?」

紫暗を眇めて問えば、子猫はにゃあと一声鳴いた。
しっとりと雨に濡れた体を法衣の袂で拭ってやると、くすぐったそうににゃあにゃあ鳴いて、首の鈴が軽やかな音を立てた。

「よし、乾いたぞ」

もしゃもしゃになった毛並みを丁寧に梳いてやると、子猫は喉を鳴らした。

「もういいぞ」

長くなった煙草の灰を落とし、煙草をくわえ直す。
子猫がそんな三蔵の仕草を薄緑の大きな瞳で見つめていた。



子猫の瞳を見返して、ふと、寺院に一人置いてきた小猿を思い出す。



こんな日向雨の時は、あの小猿も遊びに行った先の森や林で雨宿りをしているのだろうか。
大地の友達に囲まれて、音もなく降り注ぐ銀糸を眺めているのだろうか。
それとも雨の中を走り回って、遊んでいるのだろうか。

そのどれもが小猿らしくて、三蔵は小さく笑った。
と、腕の中の子猫が顔を上げて、一声鳴いた。

「…どうした?」

子猫の見つめる方へ視線を投げれば、小さな影が走って来るのが見えた。

「お前のご主人様か…」

三蔵の言葉に子猫がそうだと鳴く。

「そうか…」

そう言って、三蔵はくわえていた煙草を投げ捨てると、小さな影が側に来るのを待った。
程なくして、息を切らせた子供が三蔵の前で立ち止まった。
その姿に、一瞬、小猿が重なる。

「ちび…見つけて…」

上がった息もそのままに子供は言葉を紡ぎかけたまま、ぽかんと、三蔵に見とれた。

いつの間にか止んだ雨。

薄日が葉陰から三蔵の金糸を照らす。
白い法衣と相まって、木陰に佇む三蔵の姿はこの世の人間ではないように子供には映った。

「おい、何、馬鹿面してやがる」

ちょっと不機嫌な声で言われて、子供は我に返った。
見上げる秀麗な顔に、知らず子供の頬が淡い紅に染まる。

「こいつは、お前のか?」

首根っこを掴まれて子供の目の前に差し出された子猫は、不本意だとの鳴き声をあげた。

「え、あ、ああ…うん」
「なら、離すな」

おずおずと差し出された子供の腕に子猫を渡してやると、三蔵は歩き出した。

「あ…あの…」

立ち去る三蔵の背中に子供は、声をかけた。
すると、三蔵が足を止め、振り返る。

「あ、ありがとうございました」

子供は子猫を抱きしめて、深々と頭を下げた。
それに片手を上げて三蔵は答えると、また、背を向けて歩き出した。
小さくなる綺麗な白い影を子供は、いつまでも見送っていた。




寺院の屋根が見える頃、道の向こうから走ってくる見慣れた小さな影を三蔵は見つけた。
それと共に、声が聞こえる。
自分の名を嬉しそうに呼ぶ小猿の声が。
三蔵は楽しそうに口角を上げて笑うと、歩く速度を心持ち上げた。




さて、小猿をこのかいなに受けとめたら、あの子猫の話をしてやろうか。
お前によく似た薄い灰色の薄緑の瞳の子猫と子供のことを。




日向雨の小さな出会い。




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