悟空欠乏症 (2003.4.27〜6.14/寺院時代)
日付が変わる時刻、夕食後に残った仕事を片付けて寝所に戻った三蔵は、静かな一人の時間を満喫し、久しぶりに手にした明日からの休暇を思って機嫌が良かった。
本当に、馬車馬の様に働かされた。
たかが釈迦の誕生日、皇帝の誕生日、創立祭に端午の節句、二十四節気、接待に法話会。
思い出すだけで楽しい気分がしなびてくる。
何はともあれ、勝ち取ったのだ。
忙しさに寂しい思いをさせた小猿の機嫌を取りつつ、ゆっくり体を休めようと心に決めて、三蔵は寝室に入った。



そこで見たものは・・・・・。



なぜ、笙玄があっさりと休暇の手配をしたのか。
なぜ理由を聞かなかったのか。
三蔵は合点がいった。
目の前の悟空の寝台を所狭しと気持ちよく眠っている稚い寝顔に、憎しみを覚えるほどに。
明日からの苦行を思い、三蔵は目眩を覚えたのだった。




三蔵は寝室から毛布を抱えて出てくると、寝所から出て、笙玄の仕事部屋に入った。
明日から休みだから、笙玄がこの部屋に来ることもない。
三蔵は床に毛布を敷き、もう一枚の毛布を被ると、まるで敵から身を隠すように踞って眠った。

眠りの淵を彷徨いながら三蔵は、今が初夏で良かったと思う。
明日は早起きして、何処かへ姿を隠すつもりでいた。
貴重な休暇をあんな喧しい奴らと過ごす訳にはいかない。
ただ、寂しい思いをさせた小猿のことが引っかかったが、自分の平和を優先させると決めたからには、小猿のことは目を瞑ることにした。
疲れた身体に床は堅くて痛かったが、先を考えると苦にならない三蔵だった。
何よりも平穏な休暇のために。










翌朝、悟空と悟空の所へ遊びに来た子供達は、背後にブリザードを背負った笙玄と出逢った。
その凍えた笑顔に、四人は引きつった笑顔で挨拶するしかなく、その原因を作った張本人の姿はどこにも見えなかった。
食卓に着く悟空と子供達に、

「朝ご飯終わったら、かくれんぼしている三蔵様を捜して下さいね」

と、氷点下の笑顔を笙玄は向けた。
その冷たさに、初夏だというのに身も凍り付くような寒さを感じたのは、決して錯覚ではないと悟空は思った。






笙玄の機嫌のブリザードを直に悟空たちがその身に受けている頃、三蔵の姿はすでに寺院の中から消えていた。
笙玄が起き出した気配を感じてすぐ、毛布をたたみ影のように大扉を抜け、寺院の総門を音もなく抜け出していた。
そして、大きく体を伸ばすと、三蔵は足取りも軽く歩き出し、やがてどこかへ姿を隠してしまった。






食べた気のしない朝食を終えた悟空と子供たちは逃げるように寝所を後にし、三蔵を探すべく、寺院の奥庭に向かった。
いつも三蔵が仕事を逃げ出しては、隠れている祠の後ろを除けば、そこに三蔵のいた痕跡も気配もなかった。

「どこ行ったんだろ…」

三蔵の行きそうな場所を思い出しながら、悟空が呟く。
気持ちを三蔵に向ければその気配は酷く遠くて、悟空は知らずにため息を吐いていた。
そのため息に、凪がそっと悟空の手を握り込む。

「にいちゃ、泣いちゃだめ」
「あ…泣かないって…」

見上げてくる凪に笑いかける悟空の瞳は、心なしか潤んでいた。

「しゃんぞ、絶対、ごくのこと一人にしない。花、知ってゆもん」
「うん、さんぞ、絶対帰ってくるから…」

三人が悟空を慰めようと、それぞれが悟空に抱きつく。
その柔らかくて温かなぬくもりに、悟空ははんなりとした笑顔を浮かべるのだった。
















長安の隣町まで逃げ出してきた三蔵は、のんびりと人気の少ないバザールを歩いていた。 
この街に着いたのは昨日の昼過ぎ。
街に着くなり宿屋を探し、部屋を取るなり眠りについた。
それまでの疲れが出たのか、起きた時には日付が変わっていた上に、陽の光も僅かに傾いていた。
疲れた身体を起こし、三蔵はシャワーを浴びて街へと出てきたのだった。
そぞろ歩くバザールの出店を見るともなしに見ていた視線がふと、とあるモノで止まった。
それは、金色の鈴の付いたキーホルダーだった。
小振りの金色の鈴と一緒にそれより二回りほど大きなトパーズがビー玉のように磨かれて付いていた。
それを見つめる三蔵の視線に気が付いた店主が、人の良い笑顔を浮かべて口をひらいた。

「鈴は本物の金、そのビー玉はトパーズって言う石で出来てるんだ。それのビー玉の色違いはそこの紫水晶のやつしか残ってないがね」

三蔵は店主の話を聞きながら、キーホルダーを取り上げた。
傾いてきた柔らかな陽の光にトパーズが、透明な金の光を放つ。
その光に寺院に置いてきた小猿を思い出し、三蔵は瞳を軽く眇めた。
そして、

「これとこれをもらう」

そう言って、トパーズのビー玉と紫水晶のビー玉のキーホルダーを差し出したのだった。











「ねえ、にいちゃ、さんぞ帰って来ないなら、凪ん家にあしょびにきて?」

寝所に戻っても所在なげな悟空に凪が、そう告げた。
その言葉に悟空は、きょとんとした顔をする。

「悟空にいちゃん、さんぞも遊びに行っちゃったんだから、悟空兄ちゃんも遊びに行こう」
「花といっしょに行こうよ」

茅が悟空の手を引っ張り、花が悟空の顔を覗き込む。

「…でも」

煮え切らない悟空の様子を見ていた笙玄が、キッパリと言い放った。

「行ってらっしゃい。三蔵様がお戻りになったら、悟空を迎えに行って頂きますから、安心して行ってらっしゃい」

その有無を言わさぬ口調に、悟空は思わず頷く。

「では、準備を致します」

悟空が頷いたと見るや、笙玄はにっこり笑って悟空の荷物を準備しだした。
その嬉しそうな様子に、悟空は何とも複雑な表情を浮かべるのだった。










宿に戻った三蔵は、どうにも暇なことにようやく気が付いた。
いつもの休みは、何かと構って光線を出してまとわりつく悟空をあしらいながら、新聞を読み、お茶を飲み、くつろぐ。
気が向けば悟空のお強請りを聞いて、散歩に出掛けてみたり。
そんなことをつらつら思い出して、らしくないと舌打つ三蔵だった。











悟空は子供達に手を引かれ、押されながら悟空も知らない山道を歩いていた。
木々は青く茂り、空は青く、陽の光は暖かい。
案内されるまま道を辿れば、やがて視界は開け、小さな集落の前に悟空は立っていた。

悟空は、狸の里で大歓迎を受けた。
仔ダヌキ達の父親は、族長だったらしく、下にも置かないもてなしを悟空は受け、その騒ぎに、三蔵の居ない淋しさを忘れた。






三蔵は休暇はひとり気ままに過ごすんだと、固い決心の元に寺院を逃げ出したのに、思うことは悟空のことばかりで。
ただ、このままのこのこ帰った三蔵をきっと、笙玄が完璧な笑顔を湛えて待っている。
手ぐすね引いて待ちかまえているのは、必至だ。
そう、何も言わずに悟空とあの子供達を笙玄に押しつけたのだから。
きっと、怒ってる。
絶対、怒ってる。
そう思うほどに、背筋を冷たい汗が流れた。

悟空も連れて来れば良かったと、今更ながらにほぞをかむ三蔵だった。

思い立ったが行動に移すのが、三蔵。
悟空をこの宿に連れてくると決めた三蔵は、さして無い荷物を簡単にまとめて持つと、悟空を迎えに長安へ戻った。

道すがら、悟空の声を辿っていると、どうも寺院とは違う場所にいる感じが伺えた。
三蔵を呼ぶ声は、相も変わらず寂しそうで、聴いているとすぐにでもあの小さな身体を抱きしめてやりたいと思ってしまう。
だから、自然と三蔵の歩む速度は速くなり、寺院の総門が見えるところまで大した時間をかけずに戻って来たのだった。
そして、三蔵の足は総門へとは向かず、寺院の裏山へ続く道へと向かった。

今は、狸たちの里にいる悟空を目指して。












宴が終わって皆が寝静まった頃、悟空は与えられた部屋を抜け出した。
月が明るく辺りを照らし、涼しい夜風が悟空を呼んでいたから。

「何?」

誘われるように窓から外へ出た悟空は、その気配に気が付いて笑顔の大輪の花を咲かせた。

「…さんぞ」

夜風に背中を押されるように、悟空は里の入り口を目指した。




三蔵は鬱蒼たる森の中で、道に迷っていた。
寺院の裏山にこんな場所があったなんて驚きだが、その森の深さに戸惑うばかりで。
悟空の声は聴こえるのに、その方向が分からなくなる。
辿る獣道も通る動物が少ないのか、下草に覆われて判別がしにくい。
何より、日が暮れて月が森の木々を照らす時間になってしまったのが、より三蔵を森の中で迷わせる結果となった。
歩く足を止め、三蔵は傍の木にもたれると、久しぶりの煙草に火を付けた。
立ち上がる紫煙が、木々の梢から漏れる月光に白く浮かび上がる。
嗅ぎ慣れた煙草香りに、少し気分の落ち着いた三蔵は、胸に響く悟空の声なき声に耳を傾けた。




夜風に導かれ、大好きな気配を辿って悟空は夜の森を音もなく駆け抜ける。

会いたくて、側に居て欲しくて。
寂しくて、恋しくて。
置いて行かれたことが悲しくて。

でも、こうして会いに来てくれたことが何よりも嬉しい。
逸る心そのままに悟空は、風にのるようにして走り、やがて木立の間に金色を見つけた。

「さんぞ…」




煙草を踏み消し、三蔵はその気配に顔を巡らせた。

「…悟空」

一瞬の強い風と共に三蔵の腕の中には、求めて止まなかった愛し子の身体があった。

「会いたかったよぉ」

ぎゅっと、抱きつく悟空の身体を三蔵はそっと抱き返した。
その柔らかな感触に、日向の香りに三蔵の口元は柔らかくほころぶのだった。






静かに悟空は、狸の里の悟空に与えられた部屋に三蔵と戻った。
そして、二人寄り添うように寝台に横たわった。
居心地の良い格好にそれぞれが収まると、悟空が口を開いた。

「ねえ、今まで何処に居たの?」
「河西だよ」
「何で、置いてったの?」
「たまには…な」
「俺、悲しかったんだからな」
「わかってる」
「寂しかったんだからな」
「知ってる」
「怒ってたんだぞ」
「そうか」
「笙玄、恐かったんだぞ」
「……ああ」
「もう何処にも行かない?」
「行かねぇ」
「傍に居てくれる?」
「居てやるよ」
「ホントに?」
「ああ」
「…さんぞ」
「何だ?」
「大好き…」
「そうか」
「うん…」

その返事は訪れた睡魔に攫われ、悟空は静かな寝息を立てた。
三蔵はそっと額の金鈷に口付けると、目を閉じた。
腕の中のぬくもりが、三蔵に安心を与え、やがて三蔵も眠りについた。

翌朝の騒動など、想像すらせずに。











朝、花と茅、凪は着替えるのももどかしく、悟空が寝ている部屋に駆けつけた。
我先にと部屋の扉を開けて、走り込む。

「にいちゃぁ!」
「悟空!」
「ごくうぅ!」

名前を呼びながら一斉に寝台にダイブした。
その瞬間、聞き慣れた素敵に乾いた音が、三人を襲った。
それぞれが寝台から転げ落ち、見上げた先に、怒りも顕わな三蔵がハリセンを握って座っていた。
悟空は、すやすやと眠っている。

「静かにしやがれっ。サルが起きる」

怒鳴り声を押さえた三蔵の声に、ようやく我に返った花が満面の笑顔で三蔵の首に飛びついた。

「さんぞーだぁ!」

花の嬉しそうな声に、茅と凪も身体を起こすと三蔵に飛びついた。
その勢いを受けとめきれず、三蔵は眠っている悟空の上に倒れ込んでしまった。
急な重みと衝撃に、悟空が妙な悲鳴を上げて目を覚ました。

「…痛ったぁ…いよぉ…」

三蔵の背中の下で、悟空はバタバタと手を動かして暴れたのだった




知らぬ間に里に姿を見せた三蔵に、里は上を下への大騒ぎになった。
が、花や凪、茅、そして悟空とたわいもない事で喧嘩したり、怒ったり、甘やかしたりと素直な姿を見せる三蔵に、構えた態度は払拭された。




「しゃんぞ、抱っこ」

膝によじ登って花が、三蔵に強請る。

「座っていて言うか?」
「ぎゅってして欲しいの」

三蔵の膝に立ち上がって、花はその首にかじりつく。
その様子を見咎めた茅が、二人を引き離そうと躍起になる。

「ずっるーい!さんぞに抱っこしてもらうのは俺だかんな」
「やぁの。花が先なの」

ぎゃいぎゃい三蔵の膝の上と下で騒ぐ花と茅に、切れた三蔵がハリセンを振り下ろす。

「いっちゃーいぃーっ」
「痛いってばぁ」
「喧しい!誰がてめぇらなんぞを抱くか」
「やだぁ」
「抱っこぉ」

ハリセンを握り締めて怒鳴る三蔵に、花と茅がしがみつく。
結局、引きはがすことも出来ず、不本意だと不機嫌な顔に大書した三蔵が折れるのだ。
そんな様子を凪を抱っこした悟空が、呆れた顔で見つめていた。




三匹、いや三人の仔ダヌキ達にまとわりつかれた三蔵は、悟空とろくに話もできない日がそれから二日ほど続いた。
イライラは募ったが、夜にはその手に悟空の身体を抱き枕よろしく抱きしめて寝られるのでキレることは無かったが、そろそろもぎ取った休暇が終わりに近づいていた。

花、茅、凪の三人が、三蔵と眠りたいと強引に持ち込んだダブルベットと客用に元から置いてある寝台を合わせたキングサイズのベット。
そのベットに仔ダヌキ達が、悟空と寄り添うように眠っている。
その様子をしばらく眺めた後、三蔵は窓を開けて煙草に火を付けた。
仄かに立ちこめる煙草の匂いに、悟空が目を覚ました。

「…さんぞ?」

眠い目を擦りながら悟空はベットに身体を起こした。
三蔵はその姿に小さく舌打つと、吸いかけた煙草をもみ消し、悟空の傍らに寄った。

「寝ろ。明日には寺に帰る」
「…うん……えっ?」

三蔵の声に頷きながら悟空は、”帰る”の言葉に驚いた。

「帰るの?」
「ああ、休みも明日で終わりだからな。それに…」
「それに?」
「笙玄をなんとかしねぇとな」
「そうだね」

くすくすと悟空が喉を鳴らして笑う。

三蔵が逃げ出した時の笙玄は、すこぶる機嫌が悪かった。
いつものように笑ってるその温度は、絶対零度で、逆らうことすらできなかったのだ。
きっと、まだ怒っている。
笙玄は仔ダヌキ達の世話が嫌だったんじゃない。
三蔵を慕う仔ダヌキ達に、良い思いをさせてやりたかっただけなのだ。
でも結局、仔ダヌキ達の世話を嫌がって逃げ出した三蔵が、こうして狸の里で子供達の面倒を見ている。
それが悟空には不思議で、面白かった。
例え、自分を捜しに来てくれた所為だと、少しうぬぼれても。

悟空の笑い声に、三蔵はむっとすると、悟空の唇を奪った。

「…んっ」

突然の口付けに悟空は、身体を強張らせた。
ゆっくりと三蔵の舌は悟空の歯列を割り、口腔内をやわやわと嬲る。
強張った悟空の身体が柔らかく弛緩し、零れる吐息に甘い色が混じるまで続いた。

「バ、バカぁ…」

上がった息をそのままに三蔵を睨めば、三蔵は口角を上げて小さく笑った。
そして、悟空と仔ダヌキ達の間に悟空の身体を抱き込むようにして潜り込んだ。

「さんぞぉ…」
「帰ったら続きだ」
「…エロぼーず」

赤くなった悟空の悪態など聞こえないふりをして、三蔵は眠りについた。
休暇の最後の夜は、音もなく緩やかに過ぎてゆくのだった。






寺院へ帰った三蔵と悟空を待っていたのは、完璧な笑顔を浮かべた笙玄と疲れ切った総支配の勒按、そして心なしか色褪せた寺院の植物たちだった。
その後しばらく、三蔵に休暇は与えられず、寝る間も食事を摂る暇もろくにないほどの忙しさが与えられた。
その中で、執務室に悟空の姿がその間ずっとあったのは、風の噂。




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