何でも拾ってくる小猿 (2003.8.13〜9.8/寺院時代)
何でも拾ってくる小猿。

ある時は親とはぐれた子猫。
ある時は巣から落ちて死にかけた鳥の雛。
ある時は羽を傷つけた大鷲。
ケガをした鹿、狸、狐、小熊。
迷子の犬に捨てられた猫。

動物ならまだ良い。
最近では狸の妖怪。
先日は精霊なんぞを拾ってきた。

人外ならまだ何とか許せた。
だが、遂に小猿は人間を拾ってきた。
それもてめぇよりもずいぶんとでかい人間を。






目の前に悟空と並んで立つ青年を見上げて、三蔵は気を失いそうになった。
傍にいた笙玄も言葉無くそこに立ちつくし、悟空の側に立つ青年を見つめている。
三蔵は、ガンガンと痛みを訴えだしたこめかみに手を添えながら何故こうなったのか、その理由を悟空に問いただした。

「お前は一体…」
「だって、大扉の中で迷ってたんだ。出口がわかんないって」
「だったら、寺の入り口まで送ってやりゃいいじゃねえか」
「あ、そうか」

ぽんと手を打って、今気が付いたと言わんばかりの笑顔を浮かべる。

「…バカザル」

ため息と共に吐き出された言葉に、悟空はぷうっと頬を膨らませた。

「バカじゃないもん。わかんなかったから連れてきたんだもん」
「それをバカと言わずに何て言うんだ」
「…だってぇ」

三蔵の言葉に口を尖らしてむくれる悟空をひとまず無視することにして、三蔵は目の前に居心地悪そうに立っている青年に視線を移した。

青年は、濃い赤茶色の髪に黒い瞳をしていた。
年の頃は三蔵より二つ、三つ年上と言うところだろう。
ダークグレイの上着に黒いスラックス、背中には小さめのリュックが背負われていた。

そして、青年の纏う空気は穏やかで、その人となりは、悟空が懐く程度に穏やかで優しい人間であるらしかった。



どうする気だ、このサルは…



抱えたい頭を無理矢理上げて、三蔵は青年を見つめ続けた。




青年は、書類の積み上がった大きな執務机の向こうから全てを見透かすような視線を投げられてどうしたものか、酷く落ち着かなかった。
先程の話からこの目の前にいる美しい僧侶が、高名な三蔵法師で在ることはすぐに知れた。



どうしよう…



噂では、当代の三蔵法師である玄奘三蔵様は、見目麗しく、気高く、天界の神もかくやと言うほどのお方であるが、気難しく、滅多に人前に姿をお見せにならぬお方である。
けれども、その慈悲のお心は深く、妖怪の孤児をお側で養われていらっしゃる有り難いお方だと。

だが、目の前の三蔵法師からは噂以上の美貌しか認められず、その口調の悪さに、横柄な態度に、青年は寿命が縮む思いを味わっていた。

「で、お前は何者だ?」

低い、感情を含まない声音で素性を尋ねられた青年は、自分の視界が黒一色に塗り潰される寸前、閃く金色と綺麗な夜明けの色を見たのだった。






「なあ、なんでこいつ倒れたんだ?」

執務室のソファに寝かされた青年の顔を覗き込みながら、悟空は三蔵に問いかける。
三蔵は手元の書類から顔も上げず、吐き捨てるように答えを返した。

「知るか」

と。
笙玄が甲斐甲斐しく、青年の着ているモノを緩め、額に濡らしたタオルを当てた。
そして、

「…悟空、拾いモノは小さな動物かモノにして下さいね。人間はどうしてもって時以外は拾って来ないで下さいね」
「うん…ごめん」

やんわりと笙玄に窘められて、悟空は素直に謝る。
そんな二人の会話を聞きながら、三蔵は怒る場所がずれていることに目眩を感じた。
が、ここで口出ししても何となく墓穴を掘るような気がした三蔵は、己の耳に蓋をして今の会話は聞かなかったことにして、仕事に神経を集中させるコトにした。




しばらく三蔵の走らせる筆の音と、時折、笙玄が出入りする足音と扉の音だけが、執務室に流れていた。
誰も何も言わず、ただ静かな時間が流れていく。

ふと、珍しく悟空が静かだと顔を上げれば、悟空は気を失った青年の傍らで寝息を立てていた。
そこへ丁度、笙玄が休憩用のお茶を持って入ってきた。

「おい…」
「はい?」

ため息混じりの三蔵の声に笙玄は返事をし、三蔵が顎で示す先を見やって柔らかな笑顔を浮かべた。

結局、青年はそのまま目を覚まさず、悟空もまた朝まで寝入ってしまった。
仕事を終え、寝所に戻った三蔵は何度、仕事をしている間、気持ちよく眠る悟空と青年に殺意を覚えただろう。

「…いい加減にしやがれ」

三蔵の悪態は、夜空の月だけが聞いていた。
















翌朝、青年は執務室で目が覚めた。
開いた瞳に映った見知らぬ天井に青年はしばし考え、はたと昨日のコトを思い出した。

「あ…」

慌てて飛び起きた拍子にソファから転げ落ちる。

「痛ってぇ…」

ソファにもたれて半身をお越した青年は、深いため息を吐いた。




この寺院に来たのは、主人の使いだ。

三蔵法師様にお会いして、来月落慶法要を催す寺院へ来て頂くよう願い出るためだった。
だが、三蔵法師様にお会いするためにはどうしたら良いのか分からなくて、寺院の中をうろうろしてる内に迷った。

そしていつの間にか潜っていた大扉。

そこで出逢った子供は、大地色の髪に珍しい黄金の瞳をしていた。
おっかなびっくりで子供を見つめる青年に、子供はにこっと笑った。

「俺、悟空。あんたは?」

何の屈託もなく笑うその輝く笑顔に青年はしばし見とれた後、自己紹介したのだった。

「私?私の名は、伶邦だ」
「ふーん。で、こんな所で何してんの?」

悟空と名乗った子供に訊かれて伶邦は、思わず正直に答えていた。

「あ…迷って…その、三蔵法師様にお会いしたくて…でも、どうして良いのか分からなくて、うろうろしてたらこんな奥まで来てしまったらしい」

伶邦の言葉を悟空は、小首を傾げて聞いていた。
そして、畏れ多くも三蔵法師様を「三蔵」と呼び捨てにして、悟空は伶邦の腕を取った。

「三蔵の所へ連れてったげる」
「へっ…えっ?ええーっ?」

間抜けな返事しか返さない伶邦を悟空はぐいぐいと引っ張って、大扉の奥へと歩いていった。




そして、昨日の・・・・。




「…どうしよう」

思い出すほどに居たたまれなくなってくる。
そして、三蔵の姿を思い出すほど、魂が冷えた。
まさか、緊張の余り気を失いあまつさえ朝まで寝こけたなど、どんな顔をして三蔵の前に立てばいいのか。

「怒って…いらっしゃるよな…きっと…」
「そんなことはないですよ」

思わず呟いた独り言に返事が返って、伶邦は文字通り飛び上がった。
そして、声の主を見てその場にへたり込む。

「びっくりさせたみたいですね。大丈夫ですか?」

笙玄は青い顔でへたり込んだ伶邦の側へ、駆け寄った。

「あ、私は三蔵様の側ご用を勤めております、笙玄と申します。よろしくお願い致します」

にこりと柔らかな笑顔を浮かべる。
その笑顔に伶邦は、ぎこちない笑顔を返し、

「伶邦と申します。長安の北の町延安から参りました」

と、自己紹介した。

「伶邦様は、どうしてこの寺院へ?」

笙玄の手を借りて立ち上がり、ソファへ腰を下ろす。

「あ…はい。あの…私は延安の賢紋院の僧正様の使いで参りました。賢紋院の本堂の落慶法要に三蔵法師様のご来駕を賜りたく、お願いに伺ったのです」
「落慶法要ですか」
「はい」
「それはいつなのでしょう?」
「えっと…来月の三日だったと…」
「来月の三日…って来週じゃないですか!」
「えっ、そうなんですか?」

笙玄の言葉に伶邦は、きょとんとした表情を見せる。
その表情に目眩を覚える笙玄だった。











寝台に身体を起こした三蔵は、枕元の煙草に手を伸ばした。
一本出してくわえながら窓の外を見れば、今の気分とは裏腹に晴れ渡った明るい陽差しが充ち満ちていた。
鬱陶しそうに煙草に火を付け、がしがしと頭を掻く。
傍らの寝台では、悟空が気持ちよさそうにまだ眠っていた。

「…ちっ」

叩き起こしてやろうかとハリセンを取り出した三蔵だったが、悟空の幸せそうな寝顔にその気がそがれたのか、珍しくハリセンを引っ込めた。
そして、寝台から滑り出ると、そのまま居間へと姿を消した。






長椅子に夜着のまま三蔵は座って、新聞に目を通していた。
そこへ笙玄が伶邦を伴って入ってきた。

「おはようございます、三蔵様」
「…ああ」

新聞から顔も上げず、三蔵が返事をする。
笙玄は伶邦に待っているように告げると、熱いお茶を入れに食卓に向かった。
伶邦は戸口に立ったまま、朝日に光る三蔵の豪奢な黄金の髪に見惚れていた。

「三蔵様、お茶でございます」

笙玄の声に我に返った伶邦は、気持ちを引き締めた。
そして、悟空の姿が無いことに気が付く。
キョロキョロと寝所のそこここを悟空を探して見渡していると、三蔵の酷く不機嫌な声が聞こえてきた。

「…笙玄、てめぇ、ふざけるなよ」
「いいえ、ふざけてなどおりません。そう言う依頼がございます、と、申し上げているだけです」
「ぬかせ…」

投げるように新聞を置くと、三蔵は伶邦に向き直った。

「おい、お前」
「は、はいっ」

突然掛けられた声に、伶邦は直立不動の姿勢を取る。
その姿に三蔵は大きくため息を吐きながら、また気を失うんではないかと一瞬、心配になる。
だが、それは三蔵の杞憂に過ぎないようだった。

「お前、賢紋院のジジイの使いだそうじゃねえか」
「…はっ?…あ、はい!覚前僧正様付きの伶邦と申します」

返す返事の声の大きさに三蔵は、嫌そうに顔を顰める。

「で、俺に延安の賢紋院まで落慶法要に来いと、あのジジイはぬかすんだな」
「…は、はい。是非、ご来駕を賜りたく…賜りたく願い奉ります」

使い慣れない敬語に、舌を噛みそうになりながらも伶邦は、三蔵に答える。

「新築祝いなんぞ誰が行くか。そんなもん勝手にてめえらでやれってんだ」
「三蔵様!」
「そ、そんなぁ…」

笙玄が慌てて止めるが時既に遅く、三蔵はそう言い放つと湯殿へ足音も荒く向かって行った。











三蔵の剣幕に呆然とする伶邦に、笙玄はやれやれとため息を吐く。

伶邦が住む賢紋院を納める覚前僧正は、つい最近まで三蔵が若いからというか、可愛いからと言う三蔵にとっては甚だ迷惑な理由で何かとちょっかいを掛けていた人物で、三蔵の不機嫌や短気な性格をものともしない三蔵に言わせれば、食えない狸坊主だった。

その覚前僧正が昨年、賢紋院へ隠居に入った。
隠居に入った記念に今にも倒れそうだった本堂を建て直したのだ。
僧正自慢の本堂となったらしく、落慶法要を口実に三蔵を呼んで自慢したいらしい。



うんって、言いませんよねぇ…あの僧正様じゃぁ…



笙玄はうなだれてしまった伶邦をどうやって宥めようか、頭が痛かった。

と、そこへ笙玄にとっては実にタイミング良く、この場に居ない三蔵にとってはタイミング悪く、まだ眠い目を擦りながら悟空が起きてきた。

「…おはよ…」

こしこしと目を擦ったあと、にこっと笑う。
その笑顔に、

「おはようございます、悟空」

笑い返しながら、笙玄は名案を思いついた。

「伶邦様、三蔵様はきっと落慶法要に出席なさいますよ」
「…えっ…?」
「私に任せて下さいね」

この時三蔵がいれば、笙玄の背後に揺れる黒い尻尾をきっと見つけていただろう。
そして、笙玄の名案に気が付いたかも知れなかった。
だが、ここに三蔵の姿はなく、可愛い悟空とうなだれた伶邦だけしか居らず、後に三蔵はその時の自分の行動を後悔することとなった。
















朝食が済んでも、三蔵の機嫌は悪いままで、伶邦は食事の味もろくに分からなかった。
その上、緊張しすぎて、時折意識がブラックアウトするのでよけいのこと生きた心地がしない。
そんな伶邦とは正反対に、悟空は屈託なく笑い、食べ、三蔵の不機嫌もなんのその、三蔵の機嫌の急降下を促す地雷まで踏みつけるのだった。

「なあ、らっけいほーよーってぇの?面白れぇの?」

と、金眼を輝かせて長椅子に座る三蔵にまとわりつく。
その様子に伶邦は胃が痛くなるほどの緊張を強いられるが、言葉を差し挟むことも出来ず、固唾を呑んで食卓の椅子に座って見つめていた。

「…何を」

一瞬、絶句する三蔵。
そして、すかさず後片付けをする笙玄を睨み据えた。
だが、それを柔らかな笑顔で笙玄は受け流すと、悟空の好奇心を煽ってくる。

「落慶法要って言うのは、お寺や神社の建物を新築したお祝いとお披露目を兼ねたモノで、無事につつがなく工事が終わり、完成致しましたと神仏にご報告するコトなんですよ」
「そんで?」
「綺麗に着飾った稚児行列や出店なんかもあってそれは賑やかに…そうですねえ、お祭りみたいなモノなんですよ」

にっこりと、三蔵がシャワーを浴びに行っている隙に悟空に話して聞かせた内容をもう一度、話してやる。

元々好奇心旺盛な悟空のこと、お祭りと聞いて我慢など出来るはずもなく、まして三蔵が呼ばれて居る上に、悟空も一緒に参加して良いなんて夢みたいな話しに飛びつかない訳がなかった。
案の定、悟空は行きたいと目を輝かせ、三蔵の機嫌も何のそので、完全なお強請りモードに突入していた。

「なあ、なあ、三蔵ってば、落慶法要の祭り連れてって?な、な、」

ちぎれんばかりに振られる尻尾が見える。
上目遣いに期待に充ち満ちた金眼が、興奮に桜色に染まった頬が、甘い吐息が三蔵を攻め立てる。

「連れってって?なあ、ダメ?」

長椅子に座って逃げ場のない三蔵の僧衣を掴んで、うるうると金瞳が、訴える。

「三蔵、なあ、さんぞ?」

最早、逃げ場のない三蔵だった。




悟空のお強請り攻撃に遭って、ようやく三蔵は笙玄の計画に気が付いた。

そう、三蔵は悟空にだけは甘い。
その上、悟空のお強請り攻撃に弱い。

そのことを知り抜いた上での計画だと、気が付いたのだ。
だが、行きたいと尻尾を振り、期待に頬を染めて金眼を潤ませた悟空を拒絶することは、悟空を泣かせることとイコールで。



…こんのぉ



三蔵は笙玄をもう一度、睨み据える。
その視線のきつさに伶邦は竦み上がり、緊張は極限にまで達してしまい、また、気を失って椅子から転げ落ちた。
その姿を視界の端で見た三蔵は、世界の終わりを見たような何とも言えない表情を浮かべたのだった。






伶邦の意識が回復するのを待つ間、三蔵は悟空の行きたいコールに晒され続けた。
こうなれば三蔵の忍耐力が勝負だ。
だが、頃合いを逸すると、悟空を泣かせてしまうのでこの辺りのさじ加減が難しい。
少しでも笙玄に恩を着せておかないと、後々困るからだが、そろそろ悟空の気持ちは限界を迎えつつあった。

「なあ、ダメなのか?俺…我が侭言ってる?」

くしゅっとうなだれてきた悟空の機嫌を合図に、三蔵はさも仕方がないと大仰にため息を吐いた。

「…ったく、てめぇは煩せぇ」
「さんぞ?」
「笙玄、そいつを起こして、了解だと言え。但し、仕事のしわ寄せはジジイに回せ。いいな」

三蔵の言葉に悟空は飛び上がり、笙玄は「わかりました」と嬉しげに頷くのだった。




笙玄に起こされた伶邦は、三蔵が落慶法要に参加するという返事に嬉涙を流し、笙玄と悟空に抱きつかんばかりに礼を述べた。
そして、善は急げとというか、三蔵の気が変わらない内に覚前僧正に報告をするのだと、支度もそこそこに飛ぶように延西へと帰って行った。




その夜、就寝前の一時、悟空は長椅子に座る三蔵の足下に座って、ぽつりと呟いた。

「…俺、本当に行ってもいいのかな…?」

と。
その不安を色濃くはいた声音に、三蔵は新聞から目を離すことなく告げた。

「いいんだよ。あのクソジジイがお前に会いたがってるんだからな」
「でも…」
「賢紋院は、覚前僧正の自宅みてぇなもんだから、気にするな」
「…うん」
「クソジジイに会ったら、愛想笑いでもしといてやれ。それで十分だろうさ」

三蔵の言葉に悟空は、小さく口元に笑みを浮かべると、

「ありがと…」

そう言って、三蔵を見上げた。






落慶法要の日、煌びやかな三蔵の姿に覚前僧正は鼻高々で自慢し、楽しい祭りに伶邦と悟空は夜遅くまで遊びほうけ、三蔵に大目玉をくらったのは、楽しい思い出。




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