何でも拾ってくる小猿 (2003.8.13〜9.8/寺院時代) |
何でも拾ってくる小猿。 ある時は親とはぐれた子猫。 動物ならまだ良い。 人外ならまだ何とか許せた。
目の前に悟空と並んで立つ青年を見上げて、三蔵は気を失いそうになった。 「お前は一体…」 ぽんと手を打って、今気が付いたと言わんばかりの笑顔を浮かべる。 「…バカザル」 ため息と共に吐き出された言葉に、悟空はぷうっと頬を膨らませた。 「バカじゃないもん。わかんなかったから連れてきたんだもん」 三蔵の言葉に口を尖らしてむくれる悟空をひとまず無視することにして、三蔵は目の前に居心地悪そうに立っている青年に視線を移した。 青年は、濃い赤茶色の髪に黒い瞳をしていた。 そして、青年の纏う空気は穏やかで、その人となりは、悟空が懐く程度に穏やかで優しい人間であるらしかった。
どうする気だ、このサルは…
抱えたい頭を無理矢理上げて、三蔵は青年を見つめ続けた。
青年は、書類の積み上がった大きな執務机の向こうから全てを見透かすような視線を投げられてどうしたものか、酷く落ち着かなかった。
どうしよう…
噂では、当代の三蔵法師である玄奘三蔵様は、見目麗しく、気高く、天界の神もかくやと言うほどのお方であるが、気難しく、滅多に人前に姿をお見せにならぬお方である。 「で、お前は何者だ?」 低い、感情を含まない声音で素性を尋ねられた青年は、自分の視界が黒一色に塗り潰される寸前、閃く金色と綺麗な夜明けの色を見たのだった。
「なあ、なんでこいつ倒れたんだ?」 執務室のソファに寝かされた青年の顔を覗き込みながら、悟空は三蔵に問いかける。 「知るか」 と。 「…悟空、拾いモノは小さな動物かモノにして下さいね。人間はどうしてもって時以外は拾って来ないで下さいね」 やんわりと笙玄に窘められて、悟空は素直に謝る。
しばらく三蔵の走らせる筆の音と、時折、笙玄が出入りする足音と扉の音だけが、執務室に流れていた。 ふと、珍しく悟空が静かだと顔を上げれば、悟空は気を失った青年の傍らで寝息を立てていた。 「おい…」 ため息混じりの三蔵の声に笙玄は返事をし、三蔵が顎で示す先を見やって柔らかな笑顔を浮かべた。 結局、青年はそのまま目を覚まさず、悟空もまた朝まで寝入ってしまった。 「…いい加減にしやがれ」 三蔵の悪態は、夜空の月だけが聞いていた。
翌朝、青年は執務室で目が覚めた。 「あ…」 慌てて飛び起きた拍子にソファから転げ落ちる。 「痛ってぇ…」 ソファにもたれて半身をお越した青年は、深いため息を吐いた。
この寺院に来たのは、主人の使いだ。 三蔵法師様にお会いして、来月落慶法要を催す寺院へ来て頂くよう願い出るためだった。 そしていつの間にか潜っていた大扉。 そこで出逢った子供は、大地色の髪に珍しい黄金の瞳をしていた。 「俺、悟空。あんたは?」 何の屈託もなく笑うその輝く笑顔に青年はしばし見とれた後、自己紹介したのだった。 「私?私の名は、伶邦だ」 悟空と名乗った子供に訊かれて伶邦は、思わず正直に答えていた。 「あ…迷って…その、三蔵法師様にお会いしたくて…でも、どうして良いのか分からなくて、うろうろしてたらこんな奥まで来てしまったらしい」 伶邦の言葉を悟空は、小首を傾げて聞いていた。 「三蔵の所へ連れてったげる」 間抜けな返事しか返さない伶邦を悟空はぐいぐいと引っ張って、大扉の奥へと歩いていった。
そして、昨日の・・・・。
「…どうしよう」 思い出すほどに居たたまれなくなってくる。 「怒って…いらっしゃるよな…きっと…」 思わず呟いた独り言に返事が返って、伶邦は文字通り飛び上がった。 「びっくりさせたみたいですね。大丈夫ですか?」 笙玄は青い顔でへたり込んだ伶邦の側へ、駆け寄った。 「あ、私は三蔵様の側ご用を勤めております、笙玄と申します。よろしくお願い致します」 にこりと柔らかな笑顔を浮かべる。 「伶邦と申します。長安の北の町延安から参りました」 と、自己紹介した。 「伶邦様は、どうしてこの寺院へ?」 笙玄の手を借りて立ち上がり、ソファへ腰を下ろす。 「あ…はい。あの…私は延安の賢紋院の僧正様の使いで参りました。賢紋院の本堂の落慶法要に三蔵法師様のご来駕を賜りたく、お願いに伺ったのです」 笙玄の言葉に伶邦は、きょとんとした表情を見せる。
寝台に身体を起こした三蔵は、枕元の煙草に手を伸ばした。 「…ちっ」 叩き起こしてやろうかとハリセンを取り出した三蔵だったが、悟空の幸せそうな寝顔にその気がそがれたのか、珍しくハリセンを引っ込めた。
長椅子に夜着のまま三蔵は座って、新聞に目を通していた。 「おはようございます、三蔵様」 新聞から顔も上げず、三蔵が返事をする。 「三蔵様、お茶でございます」 笙玄の声に我に返った伶邦は、気持ちを引き締めた。 「…笙玄、てめぇ、ふざけるなよ」 投げるように新聞を置くと、三蔵は伶邦に向き直った。 「おい、お前」 突然掛けられた声に、伶邦は直立不動の姿勢を取る。 「お前、賢紋院のジジイの使いだそうじゃねえか」 返す返事の声の大きさに三蔵は、嫌そうに顔を顰める。 「で、俺に延安の賢紋院まで落慶法要に来いと、あのジジイはぬかすんだな」 使い慣れない敬語に、舌を噛みそうになりながらも伶邦は、三蔵に答える。 「新築祝いなんぞ誰が行くか。そんなもん勝手にてめえらでやれってんだ」 笙玄が慌てて止めるが時既に遅く、三蔵はそう言い放つと湯殿へ足音も荒く向かって行った。
三蔵の剣幕に呆然とする伶邦に、笙玄はやれやれとため息を吐く。 伶邦が住む賢紋院を納める覚前僧正は、つい最近まで三蔵が若いからというか、可愛いからと言う三蔵にとっては甚だ迷惑な理由で何かとちょっかいを掛けていた人物で、三蔵の不機嫌や短気な性格をものともしない三蔵に言わせれば、食えない狸坊主だった。 その覚前僧正が昨年、賢紋院へ隠居に入った。
うんって、言いませんよねぇ…あの僧正様じゃぁ…
笙玄はうなだれてしまった伶邦をどうやって宥めようか、頭が痛かった。 と、そこへ笙玄にとっては実にタイミング良く、この場に居ない三蔵にとってはタイミング悪く、まだ眠い目を擦りながら悟空が起きてきた。 「…おはよ…」 こしこしと目を擦ったあと、にこっと笑う。 「おはようございます、悟空」 笑い返しながら、笙玄は名案を思いついた。 「伶邦様、三蔵様はきっと落慶法要に出席なさいますよ」 この時三蔵がいれば、笙玄の背後に揺れる黒い尻尾をきっと見つけていただろう。
朝食が済んでも、三蔵の機嫌は悪いままで、伶邦は食事の味もろくに分からなかった。 「なあ、らっけいほーよーってぇの?面白れぇの?」 と、金眼を輝かせて長椅子に座る三蔵にまとわりつく。 「…何を」 一瞬、絶句する三蔵。 「落慶法要って言うのは、お寺や神社の建物を新築したお祝いとお披露目を兼ねたモノで、無事につつがなく工事が終わり、完成致しましたと神仏にご報告するコトなんですよ」 にっこりと、三蔵がシャワーを浴びに行っている隙に悟空に話して聞かせた内容をもう一度、話してやる。 元々好奇心旺盛な悟空のこと、お祭りと聞いて我慢など出来るはずもなく、まして三蔵が呼ばれて居る上に、悟空も一緒に参加して良いなんて夢みたいな話しに飛びつかない訳がなかった。 「なあ、なあ、三蔵ってば、落慶法要の祭り連れてって?な、な、」 ちぎれんばかりに振られる尻尾が見える。 「連れってって?なあ、ダメ?」 長椅子に座って逃げ場のない三蔵の僧衣を掴んで、うるうると金瞳が、訴える。 「三蔵、なあ、さんぞ?」 最早、逃げ場のない三蔵だった。
悟空のお強請り攻撃に遭って、ようやく三蔵は笙玄の計画に気が付いた。 そう、三蔵は悟空にだけは甘い。 そのことを知り抜いた上での計画だと、気が付いたのだ。
…こんのぉ
三蔵は笙玄をもう一度、睨み据える。
伶邦の意識が回復するのを待つ間、三蔵は悟空の行きたいコールに晒され続けた。 「なあ、ダメなのか?俺…我が侭言ってる?」 くしゅっとうなだれてきた悟空の機嫌を合図に、三蔵はさも仕方がないと大仰にため息を吐いた。 「…ったく、てめぇは煩せぇ」 三蔵の言葉に悟空は飛び上がり、笙玄は「わかりました」と嬉しげに頷くのだった。
笙玄に起こされた伶邦は、三蔵が落慶法要に参加するという返事に嬉涙を流し、笙玄と悟空に抱きつかんばかりに礼を述べた。
その夜、就寝前の一時、悟空は長椅子に座る三蔵の足下に座って、ぽつりと呟いた。 「…俺、本当に行ってもいいのかな…?」 と。 「いいんだよ。あのクソジジイがお前に会いたがってるんだからな」 三蔵の言葉に悟空は、小さく口元に笑みを浮かべると、 「ありがと…」 そう言って、三蔵を見上げた。
落慶法要の日、煌びやかな三蔵の姿に覚前僧正は鼻高々で自慢し、楽しい祭りに伶邦と悟空は夜遅くまで遊びほうけ、三蔵に大目玉をくらったのは、楽しい思い出。
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