風邪引き笙玄 (2004.5.24〜7.4/寺院時代)
本人は真っ直ぐ歩いているつもりが、端から見ればよろよろと危なっかしい足取りで歩いている。
また、自分ではハッキリ答えているつもりが、他人が訊けばろれつの回らない話し方をしている。
その上、ほんのりと顔を赤らめ、肩で息なぞしてようものなら、まして、人前だとか、仕事中だとか考える余裕もなく、すとんとその場にしゃがみ込んでしまえば、それは決定的な事実を告げている。
それでも、普通だと言い張る人間を悟空は、三蔵以外に初めて見た。
三蔵も相当な強がりな意地っ張りだが、それに使える人間もまた、同じように強情であるらしかった。

「なあ、マジ倒れてるから…な、笙玄」

執務室の入り口で、崩れるように座り込んで動けなくなった笙玄に、悟空は先程から休むように説得を続けていた。
しかし、今日は大事な会議がある上に、気の張る来客が三蔵の元を訪れるのだ。 
そんな三蔵のために資料を揃え、来客の接待を慣れていない人間にさせるわけにはいかない。
どんなに体調が悪くても自分がしなくてはと、昨夜から風邪が悪化して、熱が出ている笙玄であったが、頑張ってきたのだ。

「大丈夫です。少し休めば、大丈夫ですから…」 
「でも…」

真っ青な顔色で大丈夫と言われてハイそうですかと、言えるはずもない。 
笙玄を休ませる事が出来る唯一の人間、玄奘三蔵法師はただ今、会議中でこの場にいない。 
悟空は泣きそうな面持ちで、熱の所為で小刻みに震えている身体で立ち上がろうとする笙玄を見つめた。

「笙玄、なあ、部屋へ行って寝てくれよ」 

執務室の扉に寄りかかって、というより縋りついて立つ笙玄の僧衣の袂を悟空は握り締めて、訴える。 

「心配しなくても、本当に大丈夫ですから…」 

そう言った瞬間、遂に笙玄は意識を失った。 
倒れ込む笙玄の身体を悟空は支えきれず、一緒に倒れ込む。 
だが、一向にい痛みは訪れず、ぎゅっと瞑った瞳を明ければ、気を失った笙玄の襟首を掴んで支える三蔵の姿があった。

「さんぞ、笙玄が…」 
「分かってる。行くぞ」 

泣きそうな顔で訴えてくる悟空を一蹴し、三蔵は笙玄の身体を肩に担ぎ上げると、寝所へ向かったのだった。






笙玄を悟空の寝台に寝かせ、三蔵は悟空に康永を呼びに行かせた。 
その間に、洗面器に氷を入れた水とタオルを寝室に運び、笙玄の熱い額にのせる。
バタバタと悟空が康永を引っ張るようにして寝所に戻ってきた。

「三蔵、連れてきた」 

はあはあと息の上がった康永の姿に、三蔵は顔を顰める。 

「…さ、三蔵様がどうかした、のかと…思ったら、笙玄だったんだな」

切れ切れに言いながら、意識のない笙玄の診察を始めた。 
それを心配そうに悟空が三蔵の腕にしがみつくようにして見ている。 
三蔵はその手を振りほどくこともせず、黙って立っていた。




診察の終わった康永は、

「拗らせかけとるよ。こんなになるまで無理して。三蔵様と言い悟空と言い、本当に…」 

そう言って、大きなため息を吐いた。 

「忙しかったんだ。笙玄、本当に……」 

今にも泣き出しそうな悟空の頭を康永は、くしゃりと撫でる。 
三蔵は診察の途中で、勒按が呼びに来て大事な会議に出掛けていっていない。

「そんな顔せんでもいいよ。注射も打ったから、すぐ元気になる」 
「うん…」 
「しっかり看病してやるんだよ」 
「わかった」 

康永にもう一度、頭を撫でられ、悟空はようやく笑ったのだった。






荒い呼吸の笙玄。
そっとタオルで流れる汗を拭ってやる。
注射を打ったからと言われても、すぐに楽になるからと言われても一向に熱の下がらない笙玄の苦しげな様子に、悟空はまた不安になってくる。
だが、悟空の不安を拭ってくれるはずの笙玄は寝床に、三蔵は大切な会議で。



俺…怖いよ…



氷の張った洗面器でタオルを冷やし、絞って笙玄の頭に載せるその手が小さく震えていた。






「笙玄、水いる?」

ようやく目を覚ました笙玄の顔を覗き込んで悟空が問えば、笙玄が頷く。
悟空は大きく肯くと、厨へ走って行った。
冷凍庫を開け、氷をコップに入れて水を注ぐ。
そして、小さなお盆に載せると、零さないように細心の注意を払って、それでも早く笙玄に飲ませたくて悟空は忙しなく足を動かす。
開け広げた寝室の扉から笙玄を見れば、寝台に起き上がっていた。

「笙玄、持ってきたよ」

差し出すコップを受け取った笙玄は、美味しそうにコップの水を飲み干した。
そして、自分が寝ている場所に気が付いた。

「悟空、ここは三蔵様と悟空の寝室ですか?」
「うん、そうだよ」
「ど、どうしましょう…私、部屋へ戻ります。あ、ああその前にシーツを買えなくては…」

慌てて寝台から下りようとする笙玄の腰に悟空がしがみついた。

「ダメ!まだ寝てなくちゃだめ」
「いえ、ここで私が寝るわけにはいかないので」

尚も下りようとする笙玄の身体を悟空は力一杯押し留め、笙玄の身体に上に馬乗りになった。

「ダメなんだって。やっと目が覚めたのに…やっと熱が少し下がったのに…動いたらまた、熱が上がるじゃんかぁ」

見下ろす悟空の瞳に水の膜が張って。
悟空は嬉しかったのだ。
苦しそうな呼吸音の合間に聞こえるひゅうひゅうと胸の中を吹き抜ける風の音が、笙玄の命を取ってしまいそうで怖くて。
このまま笙玄が目を覚まさなかったらどうしようかと。
だから、こうして目が覚めてまた、無理をして今度こそ目が覚めなくなったらと思うと、不安でしかたないのだ。
だから、身体を押さえつけてでも大人しくしていて欲しい。

「…心配をかけたんですね」

泣きそうに歪んだ悟空の頬に笙玄のまだ熱い掌が触れた。

「ほら…まだ熱、あるじゃんか」
「…そうですね。では、もう少し、悟空の寝台をお借りしますね」

そう言って、笙玄が笑った。
その笑顔に悟空も頷いて、悟空の顔も綻んだ。
その次の瞬間、見事な音が寝室の空気を振るわせた。
と、同時に上がる罵声。

「このバカ猿!笙玄に何してやがる!!」

声の大きさと痛みに振り返れば、三蔵がハリセンを握り締めて立っていた。
その剣幕と自分が何処にいるか気が付いた悟空は慌てて笙玄の上から飛び降りた。

「ご、ごめん!」
「い、いえ大丈…」
「病気を悪化させるようなことするんじゃねぇ!」
「──ッ!い、痛いっ、痛いって─っ!」

身体を起こす笙玄に謝る隙も与えず、また、三蔵のハリセンが悟空の頭にヒットした。
頭を抱えて逃げる悟空を見送って、三蔵はあっけにとられている笙玄を振り返った。

「治るまでここで寝てろ。俺と猿は居間で寝るから気にするな」
「で、でも…」
「看病は俺と猿がしてやるから安心しろ。それと、仕事は休みだ。向こう十日な」
「そ、それでは三蔵様が…」
「俺も休みなんだよ。気にするな」
「…はい、はい…ありがとうございます」

笙玄は三蔵の気遣いに深々と頭を下げた。
それに三蔵は頷くと、寝ろと、笙玄を促し、用があったら呼べと言い置いて、寝室を出て行った。
が、扉は開け放たれたままだった。




それから三日ほどして笙玄の風邪は無事、全快を見た。
笙玄の病気を理由にむしり取った十日間の休みの残りは、笙玄の養生と三蔵の悟空サービスに使われたとか、使われなかったとか。




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