十五夜 (2004.9.28/寺院時代)
月が呼ぶ。
還っておいでと優しい声で。

夜風が誘う。
還っておいでと柔らかなかいなで。

還らないと解っていても大地の御子を呼ぶ。
愛しい我が子をその手にするまで。






悟空は満月の柔らかな光を纏い付かせて僧庵の屋根に登っていた。

今日は観月の宴。
行事の嫌いな三蔵は渋っていたが、収穫前の五穀豊穣を願う法要もあるので逃げることも叶わず、参加していた。
きっと今頃、無表情を決め込んで吸いたい煙草を我慢して貴賓席に座っているはず。
悟空はその姿を思い描いて、小さな声で笑った。

「何が可笑しい?」

不機嫌な声に振り返れば、薄闇色に月下美人の地模様を織り込んだ衣と金茶色の七条袈裟を纏った三蔵が立っていた。

「さんぞ…」

驚くのも一瞬。
すぐに笑顔が綻び、花開く。
三蔵は疲れた吐息を零して悟空の傍に近づくと、その傍らに座った。

「逃げ出してきたんだ」
「一服しにだ」

軽く悟空を小突いて三蔵は煙草に火を付けた。
細い煙が上がる。
そんな三蔵に仄かな笑いを漏らして、悟空は三蔵の肩にもたれた。
三蔵の微かな温もりと香の薫りと嗅ぎ慣れた三蔵の煙草の匂いに、悟空は気持ちが先程よりもっと満たされるのを感じていた。

微かに鳴く虫の声を遠くに聞きながら、二人は黙ったままそこにいた。

三蔵は肩に掛かる悟空の重みと伝わる温もりに、籠もった疲労が消えてゆくようで身体の強張りが解ける。
それと同時に感じる安堵。
傍にいるという確信に三蔵は煙草をくわえる口元を微かに綻ばせるのだった。

やがて虫の声をかき消す、笙玄の声に三蔵は何本目になるかわからない煙草を屋根瓦でもみ消すと、立ち上がった。

「行くの?」
「ああ…」

三蔵の答えに悟空は頷いた。

「お前も部屋に帰れ。笙玄が何か食い物をお前にって、運んでいたからな」
「うん」

悟空の返事に三蔵はくしゃっと悟空の髪を掻き混ぜ、宴に戻って行った。




振り返ればまだ、小さな姿は屋根の上に。




一服しに抜け出したのは事実。
だが、屋根の上の悟空の姿が消え入りそうに見え、還ってしまうのではないかという不安を抱いたからとは言えない。

「…だからこの時期は」

悟空を求める大地と悟空を離さない三蔵の闘いが始まる。
秋も深まる宵に。

「負けるかよ…」

呟く三蔵の衣の裾を夜風が、受けて立つとばかりに乱して吹き抜けていった。




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