雨の夜 (2006.4.10/寺院時代)
「三蔵、おやすみ…」

寝所に続く扉から顔を覗かせて告げれば、書類に囲まれた背中が小さく頷いた。
この間から三蔵はとても忙しい。
何か重要な催し物があるとかで、その準備に追われている。
朝、起きたらもういないし、寝るときもこうやって忙しそうな背中に「おやすみ」って言うだけ。
淋しいけれど、これが俺と三蔵がこの寺院に居るための条件だから我慢しないといけない。
我慢してもどうしても淋しい時もある。
そう、こんな星も月も見えない曇った夜なんかは、淋しい気持ちに重たい気持ちが重なって、ため息ばかりを零してしまう。
渡り廊下を歩いて寝所の扉を開ける時、ひょっとして三蔵が覗いてくれてないかと思って振り向いたけれど、それは固く閉ざされたままだった。




寝台に入ってもなかなか寝付かれなくて、何度も寝返りをうつ。
常夜灯の明かりに浮かんだ三蔵のいない部屋は、俺には広すぎてちょっと怖い。
でも、ここに三蔵はどんなに遅くなっても帰ってくるって、俺は知ってるから、大丈夫、我慢できる。
一人で寝られる。
ぎゅっと目を瞑って、俺は眠くなるように大きく深呼吸した。






三蔵が戻ってきた気配で何故か、今夜は目が覚めた。
でも、目が開けられない。
そっと三蔵が触れてくる手がちょっと冷たくて濡れていた。
そう言えば俺が寝る前、雨が降り出していた。
雨の日は、いつも辛そうな三蔵のことが心配で、今夜はなかなか寝付かれなかったんだ。
そんなことを思っていたら、ふいに三蔵のが俺を布団の上から柔らかく抱きしめてきたかと思うとすぐに離れていった。
何だかすごくドキドキしてきて、落ち着かなくなった。
俺は寝返りうつふりして体の向きを変え、三蔵の方を向いた。
そして、薄目を開けると、びっくりする程優しい瞳をした三蔵を見つけた。
その途端、もっとドキドキが激しくなって、俺は我慢できずに目を開けた。
そうしたら、

「起こしたか…?」

って、三蔵が金鈷の上から額に触れて、仄かに笑った。
その笑顔が俺には泣きそうに見えて、ただ首を振るしかなかった。
そんな俺の頬に手を触れて、

「…悪かったな、もう、寝ろ」

そう言った。

「さんぞ?」

って、呼んだら、

「まだ仕事だ。気にするな」

と、今度は小さく笑って俺に背を向けた。
俺は頷く代わりに、

「おやすみ」

って返したら、背中越しに軽く片手を上げて返事を返し、そのまま寝室を出て行った。




───なあ、何かあったのか?

そう訊けたらどんなにいいだろう。
でも、訊いても三蔵はきっと、何も答えてはくれない。
いつもの不機嫌な顔で、ちょっと怒ったように、

「お前には関係ねえ」

って、そう言って煙草吸うんだ。
それでも食い下がって訊いたら、今度は、

「うるせぇ」

って、怒鳴り声とハリセンが振ってくる。

三蔵が抱えてるものは、俺の淋しい気持ちよりずっと重くて、哀しいのかも知れない。
俺に打ち明けても何も変わらないのかも知れない。
それでも、俺は話して欲しい。
そうしたら、この三蔵の傍にいても感じる淋しさがなくなって、三蔵が仕事で忙しい間の淋しさの我慢もずっと楽にできる。
そう思う。

だから…

───ねえ、三蔵、重い荷物は二人で半分ずつにすると軽くなるって、知ってる?

明日の朝、三蔵にそう言ってみよう。
きっと、三蔵はびっくりするだろうな。

その時を想像していたら何だか気持ちが温かくなって、俺はいつの間にか眠ってしまった。




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