金木犀 (2006.10.9/寺院時代)
今日も三蔵の帰りは遅い。
秋は色々と行事がたくさんあって三蔵法師様は大変忙しい。
放っておかれるわけではないが、悟空は忙しさにバタバタと動き回る笙玄の姿や書類に埋もれたり、会議だ何だと狩り出される三蔵の姿をつまらなそうに今日も一日見ていた。




夕食もそこそこに仕事に戻っていった二人を送り出し、悟空は大きく躯を伸ばした。
肌寒いこの時期、昼間は開け広げていた窓も閉められ、部屋の中は仄かに温かい。
何をするでもない悟空は一つため息を吐いて、窓に寄った。
ガラス越しの外は、月明かりに照らされて仄明るい。
その光に誘われるように窓を開けた悟空は、澄んだ夜の大気に大きく深呼吸した。
そして、

「ちょっと…だけな」

そう呟いて、悟空は外へ出た。
途端、むせ返るように薫る甘い匂い。

「…すっげぇ…」

目眩を起こしそうなその甘い匂いに、悟空は薄く笑った。

「そんなに呼んでも還らないって…諦めが悪いよ?」

くすくすと喉を鳴らしながら笑って、悟空はするりと夜闇の中へ駆け出して行った。









三蔵は動かしていた手を止めて、窓の外を窺うように紫暗を顰めた。
そして、小さく舌打つ。
それに気付いた笙玄が、どうしたのかと三蔵の顔を見やった。

「三蔵…様?」

問えば、

「いい…サルが遊びに出掛けただけだ」

そう言って、また、書類に没頭していく。

「いいのですか?」

出来上がった書類を受け取りながら、また問えば、

「ああ…今夜は、な」

そう言って、煩そうに手を振ると、心配げな笙玄を下がらせた。

秋は大地が喧しくなる。
悟空を取り返そうと、煩くなる。
けれど、まだ、本格的になるには早い。

あと少し。

忙しさが一段落付いたらしばらくは気の抜けない時期になる。

「毎年、毎年…いい加減に諦めやがれ…」

大きく息を吐き、三蔵は目の前の懸案に向かった。









日付が変わった頃、寝所に戻れば、部屋を覆い尽くすむせ返るような甘い匂いに、三蔵の眉間の皺が深くなった。
今夜、悟空が外で何をしてきたのか、一目瞭然な部屋の有様と甘い薫りに、三蔵は軽い目眩を覚える。

「……加減ってものがないのか?どいつもこいつも…」

あるだけのバケツに入れられた無数の金木犀のたわわに花の付いた枝、枝、枝。
床に散らばる小さな木犀のオレンジ色の花、花、花。
悟空が自分から枝を手折ることは滅多にないので、これも悟空を慕う大地が寄こした物だろう。
その半端でない量にため息しか出ない。

「本当に加減がない…」

何度も首を振って、寝所の居間の金木犀の枝をまたいで、着替えようと寝室の扉を開けた三蔵は、そこに眠る大地の愛し子の姿にまた、ため息を吐いた。
三蔵の寝台に丸くなって眠る悟空の長い髪に髪飾りのように纏い付いたオレンジの木犀の花と甘い薫り。
少女のようなその姿に三蔵は大地の想いを知る。
けれど、この愛しい存在を還すつもりなど毛頭無い。
どんなに大地が、自然がその所有権を主張しようとも、その手を伸ばそうともだ。

「どこにもやらねえよ…」

三蔵は小さく笑い、そっとその頬に口づけた。

もうすぐ攻防の季節が始まる…。




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