笙玄が、いなくなった。 三蔵に訊いても知らないと、相手にしてくれない。
寺の中、俺の知ってるところ全部探したのに、見つからなかった。
何かの用事で外に出てるんだと思って、昼ご飯の時にはいつもの笑顔が在ると思ったのに、違う坊主が食事の支度をしていた。
「さんぞぉ…」
ご飯の後、まだ仕事をするという三蔵の後にくっついて執務室に行った。
仕事してる時の三蔵は話しかけられるの嫌がるから、窓に張り付いて外を見てた。
窓から見える回廊に求める人の姿はなかった。
サルが煩い。
たかだか一日、笙玄の姿が見えないからと言って何を落ち着かない。
寺院のあちこちを探し歩いては、居ないとため息を吐いて。
そんな姿を見てる方が、落ち着きやしねえ。
そんなに笙玄が大事か?
確かにあいつのお陰で、居心地の悪いここがましになっているのは確かで。
遠出の仕事にサルを安心して置いて行けるのは、まあ、有り難い。
サルの面倒をよく見てくれるし、可愛がってもくれる。
だからか?
執務室の窓から外を所在なげに見つめる悟空の背中を見やって、ため息を吐いた。
そこへ扉が叩かれる。
その音にぱっと悟空の顔が、華やぐ。
だが、入ってきた坊主の姿にあからさまな落胆の色を見せる。
ふん、しばらくそうしてろ。
俺は、そいつが持ってきた書類を受け取ると、また仕事に向かった。
「なあ、心配じゃないのかよ」
夕食の後、三蔵に問いかければ、
「別に、サルじゃ在るまいし…」
と、バカに仕切った返事が返ってきた。
「何だよ、それぇ」
「言葉通りだ」
言い返せば、それが何だと睨んでくる。
三蔵はいつもそうだ。
肝心なこと何も言わないで、不機嫌な顔して、凄んでみせれば俺が諦めると思ってる。
俺は、諦めてなんかない。
そんな時の三蔵は、幾ら食い下がったって何にも答えてくれないことを知ってるから、黙るだけ。
その内忘れたりするけど、それでも大抵のことは日を改めて聞き出すんだ。
三蔵の機嫌の良さそうな時を狙って。
でも、今回は俺は、諦めない。
何と言っても、笙玄のことだから。
笙玄は、優しい。
妖怪で不浄なモノで、三蔵に迷惑を一杯掛けてて、バカで子供な俺を笙玄はちゃんと一人の人間として扱ってくれる。
蔑んだり、バカに何てしない。
それに三蔵とケンカした時は、いつも俺の味方をしてくれる。
たくさんの優しい気持ちとたくさんの暖かいものをくれるんだ。
三蔵の次に、大好きな人。
その人が居ないのに、何で三蔵は平気なのか、俺は理解できない。
笙玄の代わりの世話係の坊主は、俺と二人になると顔も見なけりゃ、話しかけもしてこない。
用事があって呼ぶ時も嫌そうに、名前を呼ぶ。
だから居心地の良いはずの寝所が居心地悪くて、三蔵の執務室に一日、居た。
なのに・・・・・。
「なあ、三蔵ってば、笙玄どこ行ったんだよぉ」
僧衣を引っ張れば、煩そうに振り払われた。
「知ってるんなら、教えろよ」
「煩い!俺が知るか」
尚も僧衣を掴もうとする俺の手を振り払うと、三蔵は立ち上がった。
「三蔵!」
「喧しい!てめえはさっさと風呂に入って寝ろ」
そう言って俺のことを睨むと、部屋を出て行ってしまった。
「なんだよぉ…さんぞのバカぁ」
聞きたい答えが返ってくるどころか、三蔵の機嫌を最悪にしてしまったことに、俺は部屋を出て行った三蔵の後ろ姿を見て、ようやく気が付いた。
でも俺は、何も教えてくれない三蔵に腹を立てて、三蔵の機嫌が悪いのは、三蔵の所為だって思ってたんだ。
結局朝から、悟空は口を開けば笙玄のことばかりだった。
教えろと食い下がるサルを振り払って、仕事に戻った。
だが、ひとっつも仕事をする気になどなる訳もなく、イライラと落ち着かない気持ちばかりが募ってくる。
笙玄は世話になった寺の住職が病に余命幾ばくもないとの知らせが来て、親とも慕う方だから行かせて欲しいと、あいつにしては珍しい申し出をしてきた。
笙玄に身よりは誰もない。
だから幼い時から世話になった人間の死に目には会いたいと、その気持ちはよくわかるから許可を出した。
自分がしばらく留守にすることを悟空に言い聞かせたかったようだが、あいにくあいつはどこぞへ遊びに行って姿が見えなかった。
知らせを持ってきた使いが急いていたこともあり、笙玄は取るものも取りあえず旅立って行ったのだ。
それが、今朝のこと。
帰りはいつになるか。
明日か、三日後か、一週間か、十日か、ひと月か。
住職の病状いかんだが、使いの様子からあまり長くないことは知れた。
昼前、悟空が戻ってきた時に話してやるつもりが、笙玄がいないと騒ぐ煩さに教える気が無くなった。
しばらくほって置いたことが、返って裏目に出た。
倍増しに悟空が煩くなったのだ。
笙玄の姿が見えないだけで。
俺の側に一日居たくせに。
一日、仕事の邪魔をしたくせに。
笙玄の声が聞こえないだけで。
少しも進まない書類にため息を一つ吐く。
俺は、苛つくこの気持ちを宥めるために、執務室を後にした。
これがまた、サルを泣かせる事になるとはその時の俺は、考えもしなかった。
そう、イライラの原因が、悟空に他ならなかったからだ。
夜中に、目が覚めた。
ちゃんと寝られなかったから、当然と言えば当然なんだけど。
結局三蔵はあのまま部屋に帰ってこなかった。
俺も腹立ってたから、風呂に入ってすぐに寝ちゃったはずなんだけど、何でか目が覚めた。
体を起こして隣を見れば三蔵は戻って無くて、枕元の時計を見れば夜中の二時を回ったところだった。
俺はもそもそと起き出して、執務室に向かった。
きっと三蔵は、まだ仕事してるんだって思ったから。
でも、三蔵は居なかった。
「さんぞ…?」
呼んでも答えはなくて、俺は恐くなった。
三蔵も居なくなった?
きっと散歩にでも行ってるんだって、頭ではわかっているのにココロがざわざわしてきた。
明るい執務室が、三蔵が居ないだけでこんなにも薄ら寒く感じるなんて。
俺は萎えそうになる膝を踏ん張って、三蔵を探しに踵を返した。
三日月より少し膨らんだ月を寺院の鐘楼の下の石段に座って見上げていた。
微かに吹く風が湿り気を帯びているのに、眉をしかめる。
明日は、雨になりそうだ。
俺は幾分すっきりした気分で、煙草を吸っていた。
そろそろ戻って寝ようかと立ち上がりかけた俺の頭に、悟空の声が煩く響きだした。
起きたな…
あいつは夜中に目が覚めて、俺が側に居ないと怯えた声なき声で悲鳴を上げる。
いつもなら目覚めない時間の目覚めは、あいつの眠りが浅かったことを物語る。
まあ、寝る前にあんな言い合いをすれば、寝られなくて当たり前といえばそうなのだが。
現に俺が、仕事も手に着かず、かといって眠る事も出来ずにいるのだから。
悟空の声は、不安に染まりつつあった。
このまま放っておくと煩いので、迎えにいってやるかと煙草を捨てて歩き出した。
俺が居ないと…
優越感にも似た気持ちが、ゆらゆらしていた。
悟空は俺が居ないと、何も出来ないから。
自然に緩む口元もそのままに悟空の所へ向かった。
ひたひたと自分の足音だけが、誰も居ない回廊に響く。
三蔵は、どこに居るんだろう。
何となくわかる三蔵の気配を辿って歩いている内に、来たことのない場所に出た。
そこは、大きなまん丸い池が鏡の表面のように水を湛えていた。
その水面に、くっきりと浮かぶ月。
風もなくて、音もしなくて、ただ静かな池だけがあった。
しばらくその景色に見とれていると、気配が動いた。
はっとして、顔を上げると、池の向こうに白い人影が現れた。
月光に光る金色。
三蔵だった。
三蔵は黙って、池の対岸に立ってこっちを見てる。
その姿はまるで月光が集まって人間になったように綺麗で、神秘的だった。
三蔵は怒るけど、本当に三蔵は綺麗だと俺は思う。
纏ってる空気も魂も生きる姿勢も何もかも。
本当にまっすぐで綺麗だ。
俺は、ゆっくり三蔵の方へ歩き出した。
さっきまでの不安が、ウソのように消えていた。
鏡面池の畔に、薄い夜着のままの悟空を見つけた。
嬉しそうな笑顔を浮かべてこっちに来る。
昼間、あれほど笙玄を探していた奴とは思えないほどに、嬉しそうに。
泣くことも笑うことも、不安も安心も全てをもたらすのは俺だと、また、教え込んでやる。
側に来た悟空の華奢な身体を腕に納め、俺は口付けを落とした。
二日後の昼過ぎ、笙玄が戻ってきた。
やっと、笙玄はどこだと言わなくなった矢先に、戻ってきた。
それから、ずっと悟空は、笙玄にひっついて、片時も離れようとしない。
苛つく。
寝る時も、朝起きてからも。
いっそ笙玄を何処かへやってしまおうか、などと思えるほどに。
てめぇ、サル、今夜覚えてろよ。
じゃれつく二人を見ながら、俺は密かに誓った。
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