still time
良い地酒を手に入れたと、八戒が嬉しそうに宿の部屋に戻って来た。 その日は悟浄も遊びに行った先での実入りが良かったのか、美味そうなつまみと酒瓶を抱えて帰ってきた。
四人部屋の窓際の床に、三蔵、悟浄、八戒は座り込んで、夜更けの酒宴を開いた。
比較的大きな窓から十三夜の月が、青年達の楽しそうな姿を見下ろしている。
静かな時間。
と、何かを思いついたように八戒が口を開いた。 「一体…何がいいんでしょうねぇ」 八戒のため息混じりの声に、悟浄が怪訝な顔をする。 「サル?サルがどーかした?」 八戒の視線の先で幸せそうに眠る悟空を見やって、悟浄は訳がわからんと首を捻る。 「悟空の傍に居ると気分が楽になるんですよ。あの笑顔の所為ですかねぇ」 くつくつと八戒が、面白そうに笑う。 「さあな。ま、アイツが笑ってっと、こっちの気分までも軽くなるのは事実だけどよ」 八戒がいつになく嬉しそうに笑う。
本当に悟空の笑顔は不思議だ。 大地に愛され、慈しまれた存在。 くるくると一時も同じ表情をしていない幼い容。 何気ない一言が、暗い闇に閉ざされた心に光を与える。
「…ガキだけどよ、時々すっげぇ大人びるだろ。やっぱあれかねぇ…一人で岩牢に何百年も入れられてたからか?」 空になった悟浄の湯飲みに酒を注ぎながら、八戒が頷く。 「三蔵?」 驚く悟浄を横目に、三蔵は頷く。 「諦めるって…何をですか?」 答えながら悟空を連れ出した頃のことを三蔵は、思い出していた。
全てを諦め、求めることを止めた生気のない黄金の瞳。
「──生きると言うことをどこか放棄していたしな」
何にでも興味を示し、何でも知りたがる悟空。
八戒も悟浄も想像すら出来ない。 「想像…できませんね」 お互いに顔を見合わせる八戒と悟浄に、三蔵は薄く笑うと湯飲みの酒を一気に呷った。 「てめえらだって、俺だって似たような時期があっただろうが」 差し出す三蔵の湯飲みに酒を注ぎながら、八戒は曖昧に頷き、 「言われてみればそうですが、最近、忘れてますねぇ」 にっこりと、笑顔を浮かべる。 「色々、忙しかったし、そーいや忘れてたわ」 にっと、笑う悟浄に、 「簡単な頭だな」 と、揶揄する。 「なら、てめえはどうなんだよ、三蔵サマ」 三蔵の返事に、 「忘れてたんですよね」 と、八戒が頷く。 「喧しい」 顔を顰めて、三蔵は酒を口に運んだ。
月が中天を過ぎ、時間も夜中を過ぎた頃、三人の静かな宴はまだ続いていた。
と、悟空が寝台に身体を起こした。 「…おしっこ…」 そう言って、もそもそ寝台から出て行った。 「寝ぼけてます?」 宿の洗面所に向かった悟空の姿を思いながら、三人は悟空が戻ってくるのを何故か、固唾を呑んで待った。 「お、おい…」 慌てて受けとめる三蔵の手から酒の入った湯飲みが転げ落ちる。 「寝ちまったぞ」 悟浄が悟空の顔を覗き込んで、呆れた顔を八戒に向けた。 「本当に、悟空は三蔵の傍がいいんですねぇ」 と、羨ましげな声を上げるのだった。 「しかたないっしょ、サルにとってこんな坊主でも太陽なんだそうだから」 三蔵の悪態に肩を竦め、悟浄は転がった三蔵の湯飲みを拾う。 「…太陽っていうか、生きる支えって感じでしょうか」 悟浄の言葉に、八戒が呟く。 「何よ?」 三蔵の笑い声に、悟浄と八戒は訝しげな視線を投げる。 「俺は太陽なんかじゃねぇよ。太陽はコイツだ。真っ直ぐで、どうにも綺麗なヤツだ」 初めて聞く三蔵の言葉に、翠と紅い瞳がゆっくりと見開かれる。 「…いつでも手放せる気でいたんだが…結局、居着いちまった」 悟浄の言葉を肯定する八戒に、三蔵は吃驚した視線を向ける。 「見てればわかりますよ」 ふいっと三蔵はにやつく二人から視線を外すと、湯飲みを呷り、空になった湯飲みを差し出す。 「いいんでねぇの?自分で自分の居る場所を決めて、自分の意志で傍に居るのならさ」 愛しい小猿は、三蔵以外は眼中になく、小猿を一喜一憂させている自覚のないこの恋人兼保護者は、そんな思いをどう思っているのだろう。 「悟空って、本当に三蔵が世界の全てですよね」 八戒の言葉にすかさず返ってきた返事に、八戒はもとより悟浄までがまじまじと三蔵の顔を見返してしまった。 「何が困るってぇの?」
初めて知る三蔵の気持ち。 三蔵にとって悟空は、その魂の半身のような存在なのだと、手放すつもりだと語る言葉の端々から感じられる。
八戒はそっと、悟浄に視線を送った。 「ちょうど酒もなくなったし、お開きにすっかね」 八戒が湯飲みを置き、三蔵を見やった。 「…おやまぁ…」 八戒の声に悟浄は、三蔵の顔を覗き込み、 「お互い様だって気づきゃ、もう少し楽になるのにねぇ」 と、笑った。 「そうですが、そこが三蔵で、だから三蔵なんですよ」 悟浄は傍らの寝台から毛布を剥ぐと、三蔵と悟空に着せかけた。 窓から見える月は、もうすぐ西の空にその姿を隠してしまう。 八戒は散らかったモノを粗方片付けると、もう一度新しい湯飲みと、残った酒瓶を自分と悟浄の前に置いた。 「飲み直しましょうか?」 かちっと、湯飲みを合わせて、 「乾杯」 二人の囁く声が、夜明け前の夜空に消えた。
end |
リクエスト:旅の途中、三人(三蔵、八戒、悟浄)で呑みながら、普段は素直に話さない悟空への気持ちを語る三蔵。 |
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ありがとうございました。 謹んで、みきまま 様に捧げます。 |
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