スフレ

最近、手作りの菓子を作ることに興味の引かれた三蔵は、先日街へ下りた折りに本屋で「簡単に出来るお菓子作り」なる本を手に入れた。
仕事の合間にパラパラと本を繰り、綺麗な色とりどりの写真を眺めながら、今日を楽しみにしている養い子のことを考える。

三蔵の養い子の悟空は、街へ下りた時に出来た友達から三蔵にとっては余計な、悟空に取っては必要な知識を教わって帰ってくる。
例えばバレンタインデー、時にホワイトデー、または誕生日───およそ三蔵と悟空の置かれた環境では関係ない世間一般での行事を覚えて帰ってくるのだ。
百歩譲って、誕生日は嬉しくもないが、寺院の行事として釈迦や自分の誕生日が祝われるのでそれは認めよう。
だが、異教徒の信仰の元に生まれたイベントなど、認めたくはない。
ゴメン被りたい。

しかし、悟空はそういうイベントの存在を知ってからは、毎年、手を変え品を変えてそのことを言祝ぐ。
お陰で三蔵も鬱陶しいとか、面倒臭いとか思いつつ、悟空が嬉しそうに笑う姿に、己の気持ちとは裏腹に付き合ってしまうのだ。



その最も顕著なのが、三月十四日である。
そう、世間で言う所のホワイトデーなる日。



悟空がバレンタインデーのお返しを待っているのではなく、悟空の気持ちに三蔵が応える、そのことを待っているのだ。

日頃からことあるごとに、

「三蔵、大好き」

と、所構わず告げ、それだけで幸せそうに笑う悟空の大きすぎる気持ちに三蔵は応える言葉を持ち合わせていない。
だから、悟空が向けてくる好意に対して素直に応えることが出来ないのだ。
が、無視することも出来ず、悟空の期待に三蔵もまた、毎年、手を変え品を変えて、応えるという行動に出なければならないはめに陥っていた。

しかし、それもここ最近、と言ってもほんの一、二回ではあったが、このイベントに対して悩むことが無くなった。
それは、偶々、読んでいた新聞の記事に興味を引かれて作った菓子に対して、悟空が本当に喜んだのだ。
それまでは、気の済むまで食事を与える、欲しいモノを買ってやる、悟空の希望を一つ聞いてやるなどなど、およそホワイトデーの趣向とは関係ない行動や態度を取ってきた。
そのことに対して悟空は何も言わない上に、

「三蔵がしてくれるのなら、何でも嬉しい」

と、素直に喜ぶものだから、三蔵もそれで良いと思っていた。
事実、ホワイトデーとは、何をする日なのか、笙玄の、

「ホワイトデーは、バレンタインデーで品物や思いを貰った人が、くれた人にお返しをする日なんですよ」

という説明を、三蔵は鵜呑みにした。
異教徒の祭事など、殆ど興味のない三蔵はそんなものかと、そのまま受け容れてきたのだ。
ただのお返し、そう思って、気持ちなど考えずに。
そして、たまたま見よう見まねで作った菓子に喜ぶ悟空の姿は、そんな三蔵の気持ちを動かした。
だから、今年も何か作って食べさせてやろうなどと、考えてしまったのだ。

で、菓子作りに興味を引かれるようになったという訳だ。

そう、悟空の喜ぶ顔を見たい。
ただ、それだけを思って。
















三月十四日、この日、三蔵は笙玄に休暇を与え、寝所から追い出した。
三蔵のいつにない申し出に、聡い側係はその訳に気付いている様子だったが、何も言わず恩師の所へ出掛けて行った。
それを見送り、三蔵は厨に籠もった。

先日買って、暇な時に読んでいた「簡単に出来るお菓子作り」の本を広げて、三蔵は準備に取りかかった。

「耐熱容器…」

悟空用にと買い置いておいた耐熱容器を水屋の奥から引っ張り出し、次いで、材料を調理台に並べる。

バター、薄力粉、牛乳、卵、グラニュー糖、バニラエッセンス。

三蔵は本のレシピを暫く眺め、下準備に取りかかった。
時計を見れば、悟空が遊びから戻ってくるまで、大した時間はない。

「バターは室温に戻し、柔らかく…」

秤を出し、バター30g、薄力粉30g、牛乳200cc、グラニュー糖50gを量り、卵4個を卵黄と卵白に分けた。
そして、薄力粉をふるい、湯を沸かす。
オーブンの温度を200度に設定し、予熱する。

「で…耐熱容器に分量外のバターを塗り、グラニュー糖もまぶす…以外に甘くなるな」

できあがりの甘さを想像して少し顔を顰めたが、悟空が一人で食べるのだから大丈夫か、と、思い直す。
三蔵は柔らかくなったバター30gを鍋に入れ、薄力粉と牛乳を加え、弱火でとろみがつくまで練り始めた。

「…とろみがつくまで練り上げる…練り上げる?」

傍らの本の写真と鍋の中を見比べて、三蔵は小首を傾げた。

「こんなものか…」

表面が写真と同じようになったように見えた所で、練るの手を止めた。

そして、火から下ろして、溶いた卵黄を少しずつ加え、なめらかになるように混ぜる。
それをボウルに移し、バニラエッセンスを加えて更に混ぜた。

「これでタネが出来たのか?」

よく分からないとまた、本を見つめ、取りあえず手順に従って、メレンゲを泡立てることにした。
と、時計が一つ鳴る。
その音に、三蔵は小さく舌打ちをした。

「のんびりしてられねぇな」

三蔵はボウルに卵4個分の卵白を入れ、グラニュー糖50gを加えて、メレンゲを泡立て始めた。
リズム良く、泡立て、しっかりと角が立つほどに硬いメレンゲを作る。

「……っ…だりぃ…」

痺れたようになった右腕を廻してほぐし、次の作業に取りかかった。

泡立てたメレンゲを三回に分けて先程練ったバターに加える。

「最初の三分の一はしっかりと混ぜる…か」

ゴムべらでメレンゲを三分の一掬い、バターのボウルに入れて丁寧に混ぜ込む。
器用なのか不器用なのか、三蔵の手際は良いようで時々、戸惑ったように止まったり、流れるように動いたりと忙しい。

残りのメレンゲを二回に分けて入れ、そのたびに泡が潰れてしまわないように手早くさっくりと混ぜ合わせ、目的の菓子のタネが出来上がった。

簡単そうだと選んだ菓子だが、以外に力がいって一仕事だ。

「まずいなんぞ言ったら、三日は飯抜きにしてやる。毎回サルの得体の知れないモノを食べる俺の身になれってんだ」

と、ぼやきながら、それでも何処か楽しそうに、三蔵は先に用意をしておいた耐熱容器に八分目までタネを流し込み、熱湯をはった天板に置いた。
そして、200度に上げたオーブンへ入れ、二十五分蒸し焼きにする。

「よし」

ぱんっと、ミトンを嵌めた手を叩いて、三蔵は時計を見上げた。
時間はぎりぎり。
焼き上がる頃より前に悟空が帰ってくるかもしれない。
だが、なんとか間に合う。
三蔵はほっとしたように嘆息し、後片付けを始めた。
















「ただいまぁ…」

寝所の扉を開けた途端、悟空の鼻を甘い匂いが包み込む。

「イイ匂い」

鼻をくんくん云わせながら悟空は、その匂いに誘われるように厨へ向かった。
厨に近づけば、中で誰かが作業をしている音がする。
悟空は笙玄がおやつでも作っているのだろうと思い、勢いよく厨の扉を開けた。

「笙玄、今日は何作って…」

満面の笑みで厨に当然いるであろう人物の名を呼びながら入った悟空は、厨の入り口でいるはずのない人間を見て固まった。
一方、突然開いた厨の扉に、オーブンの前にしゃがんで焼き上がりを見ていた三蔵は振り返った状態で固まった。
どれほど見合っていただろう、気まずい沈黙の中、オーブンがチンと鳴った。
その音に、我に返った三蔵は大急ぎでミトンを嵌め、オーブンから綺麗なきつね色に焼き上がり、もこもこと膨れた菓子を取り出した。
それを器ごと大皿に盛り、調理台にのせ、椅子を用意する。
そして、戸口で未だ固まったままの悟空に声をかけた。

「おい、早くこっちへ来い」
「…ぁ…ぃぅ…うん」

悟空はギクシャクと頷き、まるでゼンマイ仕掛けの人形のような足取りで、三蔵の傍へ近づいた。

「ここへ座れ」
「うん…」

三蔵が示す椅子に悟空が座ると、焼きたての菓子を目の前に置いた。

「さ、んぞ?」

狐に摘まれたような顔で、目の前の菓子と三蔵を見比べる悟空に、三蔵はぽりぽりと頬を掻きながら、食べろとスプーンを手渡した。

「食え。萎んじまう」
「…う、うん」

悟空は促されるまま、スプーンでまだ湯気の立つ菓子を掬って食べた。

ほわりと広がる柔らかな甘さと溶けるような舌触りに、困惑しきっていた悟空の顔がほころぶ。
その様子に、三蔵はほっと胸をなで下ろし、自分も悟空の傍らに腰を下ろした。

「さんぞ、これ、美味い」
「そうか」

くしゃっと、笑う悟空の髪を撫で、三蔵は美味しそうに菓子を食べる悟空を見つめていた。
が、悟空がもの言いたげに自分を見つめていることに気が付く。

「…なんだ?」

と、問えば、

「あの…さ、これ、三蔵が作った?」

と、伺うような問いが返る。

「見たんじゃねえか」

と、答えれば、

「え…っとぉ…何で?」

と、また、問われ、三蔵は頬が熱くなるのを自覚した。
が、答えない訳にもいかず、

「先月のお返しだ」

と、あらぬほうを向いて答えれば、がたんと椅子が倒れる音と同時に、日向の匂いが三蔵を包んだ。
次いで椅子ごと三蔵は床に倒れてしまう。
悟空に押し倒されたような格好で、厨の床に三蔵は転がった。

「…ッ、悟空」

痛みに顔を顰めて上に乗っている悟空の顔を見れば、笑み崩れた何とも言えない顔をしていた。

「ありがと…」

そして、零れた声はほんの少し潤んでいた。

机の上では、食べかけの菓子がちょっと、萎んでいた。




end

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